第41話 終わらせましょう
気がつくと宇海は甲板の上で倒れていた。頭がズキズキする。船が揺れた拍子に足を滑らせて転んでしまったのだろう。辺りを見回すと、海兵の人たちも同じように倒れていた。
(アーレフさんは……ピカネート船長たちは……?)
白い煙が立ち込めていて視界が悪い。痛む頭を押さえながら、宇海は慎重に立ち上がった。いったい何が起きたの?
「ほう? 無事でいるとは興味深い」
突然背後から声がして、宇海はさっと振り返った。そこにいるのはアーバントだった。腕にはぐったりした様子のアーレフを抱えている。
「ああ、婚約者殿か? 案ずるな。他の者どもと同じく、気を失っているだけだ。命に別状はない。それより……」
アーバントが一歩近づき、宇海は一歩後ろに下がった。
「君が無事なのは、やはりその魔力の仕業か。君にはなにか、後ろ盾となる〝なにか〟がいるのか? 君はどこから来た?」
「な、なに……? なんの話……?」
またアーバントが一歩近づき、宇海が一歩下がる。
「俺は古今東西のあらゆる魔法、魔術、秘術といった類いのものを学んできたが、君のそれは初めて見る。とても複雑で、人の為せる業とは思えない。ならば神か。どこの神だ。いつの時代の、どこの神だ」
「し、知らない、わたし……」
この人は、なんの話をしているの……? 何がなんだかわからず、怖くなった宇海はまた一歩下がる。しかし壁にぶつかった。もうこれ以上は下がれない。
「教えてはくれまいか。君がどこから来たのか。その力がなんなのか。さあ、君も共に行こうではないか。城に帰るまでの時間はたっぷりある。その間に君のことをたっぷり——」
「その子は空から海へ舞い降りた神様だよ」
「ッ——⁉」
アーバントが宇海の腕を掴もうとしたその瞬間。誰かの声と共に、バチンッ! と大きな音がしてアーバントは後ろを振り返った。
「貴様……! なぜ貴様も無事なのだ、ピカネート・エタリップ——ッ‼」
「ピカネート船長!」
ピカネートの姿を見て、アーバントは怒りの声を、宇海は喜びの声を上げた。
そんな宇海の無事を確認したピカネートは不敵な笑みを浮かべた。
「さぁて、なんでだろう……ね!」
バチンッ!
また音がした。ピカネートが魔法の杖を振るい、アーバントがアーレフを抱えていないほうの腕を振るうごとに、その音が鳴る。
「まったく。己の杖を下民に渡すとは、我が婚約者殿はお人好しがすぎるな。せっかく俺が贈ってやったものだと言うのに」
「それがアーレフのいいところなんだよ。アンタとは違ってね。——雷よ!」
ピカネートが杖を掲げ、呪文を唱える。するとアーバントに向かって雷が迸った。
バチバチバチッ!
「貴様……。俺の腕にアーレフが抱かれ、後ろには貴様が神だとのたまう少女がいるというのに、普通そこまでやるか」
眼前で雷を全て受け流したアーバントが呆れた顔で言った。それを聞いて宇海は、今更になって自分が危険な目に遭っていたかもしれないことに気がついた。もしアーバントさんがそのまま攻撃をくらっていたら、わたしとアーレフさんってどうなってたの?
「だって、アンタならこれくらい全部防げるだろう? だから安心して撃てるのさ。その程度は信頼してるって思ってくれていいよ」
「ふん。今更貴様の信頼などいらん。あの時俺の誘いに素直に乗っていれば、話は違ったのだがな」
「そうかい。でも何度アタシをあんな誘いに乗せようとしても、返事は一緒だよ」
二人は会話をしながらも、何度も魔法を放つ。そのたびに眩しい光がきらめき、宇海はだんだん目がチカチカしてきた。
「それはもったいないことだ。貴様の力であれば、もっと高みへ上り詰めることができるだろうに」
「あいにく、アンタと違ってアタシはそういうのに興味がなくってね。それに、アタシも、アーレフも、友情を大切にする質なんでねぇ! ——疾風!」
ピカネートが杖を横に薙いだ。突風が吹く。アーバントがとっさに魔法で防いだものの、それでもその余波で船がぐらぐらと揺れた。
「いや、あのだな。貴様見えているよな? 俺と、アーレフと、後ろの少女の姿が。友情を大切にするとか言ったあとでその魔法はどういう風の吹き回しだ? 俺が防げなかったらどうするつもりなのだ?」
さらに呆れ顔になったアーバント。宇海もうんうん頷いた。さすがにやりすぎだと思う。対するピカネートは反省した素振りもなく、自信満々に言う。
「でも、アンタは絶対防ぐ。そうだろう? だって、アーレフを無事に連れて帰らなきゃ、アンタは宮廷魔術師にはなれない。それに、アンタはどうやらウミのことが気になっているみたいだからね。城に持ち帰ってどうするつもりかは知らないけど、それまでウミにも傷一つつけるつもりはない。そうだろう?」
「……ふん。その通りだ」
「だから、アタシはアンタとこうしてお喋りもして、時間を稼いでいるってわけさ」
「は? ——ッ⁉」
ヒュンッ——カッ。
風を切るような音がした直後に、宇海の近くの床に何かが刺さった。いったい何事かと見てみると、それは矢で射られた羊皮紙だった。
カッ——カッ——。
別の場所に、また羊皮紙が矢と共に刺さる。
「貴様ら——‼」
事態を把握したアーバントが激昂した。
「よくも俺の計画を邪魔してくれたな! ピカネート・エタリップ。やはり貴様は跪かせねば気が済まん‼ この——」
「そこまでよ!」
「⁉」
アーバントの体がふわりと浮いた。かと思うと強かに床に叩きつけられた。
「???」
何が起きたのかわからず、床に転がったまま目を白黒させるアーバント。しゃがみ込んで彼の顔を覗き込んだのは——アーレフだった。
「ピカネートもやりすぎだけど、やりすぎなのはあなたもよ」
「あ……アーレフ……なぜ……」
「全員眠らせたはずなのになんで私たちが無事なのかって? あなたがくれた杖のおかげよ」
「どういう……意味だ……?」
問われたアーレフは、懐からなにかを取り出した。削り取ったような木の破片だ。
「船旅を始めてすぐのころに、あの杖からちょっとずつ削り取ってみんなに渡したの。ほら、あの杖を所持するものは災厄から免れるって、あなたが教えてくれたでしょ? だから破片でも少しは効果があるのかと思って、試しに持ち歩いてみることにしたのよ。あ、でもウミちゃんには渡してなかったわね。ごめんなさい」
アーレフが宇海のほうを振り向いて謝った。と言っても、宇海は理解が追いついていなくてぽかんとしていたが。
「なるほどな……。俺のかけた加護の魔法が、俺の魔法から身を守ったというわけか。……なんと皮肉なことか。……いや、ここはむしろ破片であれど効果を発揮するほどの魔法をかけた俺の有能さを自ら称えるべきか」
「どうせそれはいつもやっているんでしょう?」
「まぁな」
アーバントは深いため息をつき、よっこらせと立ち上がった。
「興が冷めた。潔く俺の負けを認めよう」
パチンッ、とアーバントが指を鳴らすと、漂っていた白い煙が一瞬にして消え去った。倒れていた海兵たちも、何がなんだかわからない様子でよろよろと立ち上がる。
「彼らにかけた魔法も全部、解いてくれる?」
「もちろんだ。……と言いたいところなのだがな。すまない、アーレフ。契約書の魔法は俺でもすぐには解けん。虹の羽ペンを用いて無効化せねばならんのだが、生憎城に置いてきてしまった。いや、より正確に言えば、持っていこうとしたのだが見当たらなかったのだ。……ウソではないぞ!」
アーレフにじとっとした目で見られていることに気づいたアーバントは、最後に慌ててつけ加えた。するとピカネートが「あっ」と声を上げた。
「虹の羽ペンって、もしかしてこれのことかい?」
ピカネートが帽子をぬいで、そこに飾られている虹色の羽飾りを抜き取った。
「アーレフを迎えに行ったときに偶然見つけて、綺麗だったからもらっておいたんだ」
ほら、と言って見せた羽飾りの先は、確かにペンの形をしていた。
「貴っ様ぁああああああああああああ‼ それは俺の魔法道具だ! なにが〝もらっておいた〟だ阿呆め! 人はそれを泥棒と呼ぶのだぞ! クソッ。これだから下民は……!」
「はいはいはいはい、落ち着いてアーバント。見つかってよかったわねさあほら早く魔法を解いて」
アーレフは二人の間に入ってアーバントを落ち着かせようとしたが、アーバントの怒りは収まらなかった。
「断る! やはりこいつだけは許せん! 跪かせなければ気がすま……へぶっ⁉」
アーバントの横っ面になにかがぶつかった。直後にびちゃりと音がしたので下を向いてみると、そこには魚が落ちていた。まだ生きているのか、ビチビチと跳ねている。
「……誰だ、投げたのは」
「ボクでーす……」
少し離れた場所で、ココが小さく手を挙げた。
「人の、顔に、魚を、投げるな」
「ごめんなさーい」
アーバントに睨まれたココは、頬を膨らませながらそっぽを向いた。反省していないのは誰の目から見ても明らかだったが、誰もそれを指摘しようとはしなかった。アーバントも自業自得だということはわかっていたので、それ以上はなにも言わなかった。
アーバントが大人しくなったのを見計らって、アーレフが言った。
「ピカネート、そのペンを彼に渡して。もう終わらせましょう」
「ああ」
ピカネートはアーバントに歩み寄り、しかしアーバントの前では止まらずにもう少し歩いた。
「はい。頼んだよ、ウミ」
「え……?」
宇海は目の前に差し出された虹の羽ペンとピカネートの顔を交互に見た。どうして、わたしに?
ピカネートは顎でアーバントを示しながら言った。
「今のところは大人しくしてるけど、またいつ悪巧みするかわかんないからねぇ。だからここは、信頼できて、かつ文字の書けるウミに任せようと思ったのさ」
「でも、わたし、魔法なんて使えないし……」
宇海が戸惑っていると、意外なことにアーバントが助言してきた。
「字が書けるのであれば問題ない。契約書一枚一枚に、そのペンで〝これを無効とする〟と書くだけだからな」
「だそうだから、はい。これは、ウミだから任せられる仕事なんだ。頼めるかい?」
「……うん!」
ピカネートの期待に応えるように元気よく返事をしながら、宇海は虹の羽ペンを受け取った。




