第20話 海の魔物
草木も眠る丑三つ時……かどうかはわからないものの、真夜中に宇海は目を覚ました。
(動いてる……)
遠くから聴こえてくる誰かの喋り声、何かが動く音。船が動き始めたんだと、宇海はすぐにわかった。どうやって出航させるのか見てみたい衝動に駆られたが、今下手に動けば、真っ暗闇の中でハンモックから落ちる危険性がある。昨日の朝はタイミングよくココが現れたが、今はみんな甲板の上で動き回っていることだろう。誰も助けに来てはくれない。じっと我慢してハンモックの上で丸まっていた。
(わたしも……)
わたしも何か、役に立てたらいいのに。
○
「うわっ⁉」
翌朝、酷い揺れが起きて宇海は目を覚ました。危うくハンモックから投げ出されるところだった。
「地震……じゃない、よね?」
ハンモックにしがみつきながらきょろきょろと辺りを見回していると、ギギギギ……と軋むような音と共にまた揺れが起きた。
いや、違う。揺れなんかじゃない。
船が斜めになっている。
「うわわわわわわ⁉ 何⁉ 何が起きてるの⁉」
船はすぐにまっすぐの状態に戻ったものの、何が原因でそうなっているのかわからない宇海は、ひたすらに恐怖心を増大させていた。
「ウミちゃん、大丈夫⁉」
「……! ココちゃん!」
慌てた様子のココが部屋にやってきた。ココの姿を見て宇海はほっとしたが、また船が大きく揺れたので大丈夫だとは返せなかった。
「ねぇ、ココちゃん。いったい何が起きて……わわっ⁉」
ハンモックの上で体勢を変えようとしたら、またも揺れ。宇海はだいぶみっともない姿勢をさらす羽目になった。
「無理に降りようとしなくていいよ。嵐の中に突っ込んじゃったみたいで、今すごく大変な……うわわっ⁉」
またまた船が大きく傾いたので、ココも危うく転びそうになった。すんでのところで壁板のすきまに掴まることができたが、もし掴めていなければ床をころころ転がっていたかもしれない。
「と、とにかく、大変な状況だから、ウミちゃんはここで待機! って言うか、無暗に動いて怪我をしても嵐が収まるかここを抜けるまでは手当てができないから、部屋で大人しくしてろってピカネート船長からの命令!」
「わ、わかった!」
「あ、ちなみにボクもここにいるからね。一人じゃないから、安心して」
そう言って、壁に掴まりながらぎこちなく笑うココ。こんな状況で一人ぼっちだと心細いが、一人じゃないと知って宇海はようやく安心できた。
○
一方そのころ、甲板では〝戦闘〟が繰り広げられていた。
「アンタたち! 絶対に船から引きずり降ろされるんじゃないよ!」
「それくらいわかっているけど……きゃあ!」
またしても船が大きく傾く。足を滑らせたアーレフをピカネートはとっさに捕まえて、抱きかかえるようにしながら柱にしがみついた。ゴルタヴィナとサミニクも、振り落とされまいと別々の場所で近くの柱にしがみついている。
「嵐に乗じて来るなんて、案外あいつらも頭がいいのかね」
「人智の外側にありし、超然たる存在。それこそが〝魔物〟というもの」
船を大きく揺らすものの正体。それは嵐だけではなかった。
海の中に潜む恐ろしい〝魔物〟。それらが船を襲っているのだ。
「ココはちゃんとウミを守れているかねぇ」
「ココちゃんならきっと大丈夫よ。持ち前の明るさで、ウミちゃんを励ましているはずだわ」
「……ああ。そうだと信じよう」
(まったく。昨日もうウミに隠しごとはしないって決めたばかりなのにねぇ……)
出航してから数時間。海軍にバレることなく船を走らせ続けることができたのはいいが、段々と雲行きが怪しくなってきた。夜が明けようという時間になっても空が明るくなることはなく、雨が降り出し、やがて嵐となった。
ただ嵐が来るだけならまだよかった。しかし、嵐は海の底に眠る凶悪な魔物たちの目を覚まさせた。魔物たちはエモノの気配を敏感に嗅ぎとり、ピカネートたちの乗る船を襲いだした。エモノが自分の口の中に入ってくるのを、今か今かと楽しみに待っているのだ。
「いいかい、アンタたち! 船に穴を開けさせるんじゃないよ! こんな悪夢みたいな光景も、死ぬような思いも、子供に見せるものでもさせるものでもないからね!」
「アイアイ、船長!」
船の仲間である宇海に、もう隠しごとはしたくなかった。でも、こんな光景を見せたくはなかった。必要以上に不安にさせたくもなかった。みんなその意見で一致したので、こればかりは宇海に隠しておくことにしたのだ。幸いにも宇海のいる部屋には窓がないので、嵐が来ていることだけを話して、ココに宇海が部屋から出ないように見張らせておくと同時に、一人きりで不安にさせないようにした。
(この決断が、間違いじゃないといいけどね)
ピカネートは(みんなで決めたこととは言え)自分のこの判断が正しいのか自信がなかった。でも、守るべき人に真実をそのまま伝えることで、さらに危険にさらしてしまったら? そう思うと、やはり黙っていたほうが賢明なのではないかと感じる。結局のところ、何が正しいのかなんて最後までわからないのだ。
船の揺れが小さくなったところで、ピカネートは立ち上がって船べりへと近づいた。またいつ揺れても振り落とされないように、へりをしっかりと掴みながら海を見下ろす。船のすぐそばでは、巨大なウナギのような魔物が何匹もうねうねと動いていた。口を大きく開けると、鋭い牙が何本も生えているのが見える。あんなのに飲み込まれたらと思うとゾッとした。巨大ウナギは大きな頭と鋭い牙を使って、何度も船に体当たりをしている。これが船の揺れの主な原因だった。
(マズいねこれは)
実は船自体にも魔法がかかっている。とはいっても、魔物に襲われても簡単には壊れないようにする、というものなので、絶対に壊れないわけではない。攻撃を受け続ければ、いずれは壊れてしまう。
「サミニク! 見張り台からこいつらの頭を狙えるかい?」
何度も揺れるなかで高い位置に登るのは危険だ。しかしそうでもしなければ、船を攻撃しようとする巨大ウナギを瞬時に察知することはできない。サミニクもすぐにそれを理解したので、「もちろんだとも」と一つ返事で見張り台へと登っていった。
「ヴィーナ! アンタは風を読んで船を動かして! どうにかしてここを切り抜けるよ!」
「了解、船長! いざとなったら、風を〝呼んで〟動かすよ」
嵐にも魔物にも船を揺らされるなか、ゴルタヴィナは必死の形相で舵を取り始めた。
「アーレフ! 動けるかい?」
「ええ、なんとかね」
「それなら上等! さあ、いつまでも魔物にやられっぱなしじゃ格好悪いからね! これからはアタシたちの本気を見せてやろうじゃないか!」




