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第1話 冒険したい!

「ん~……冒険した~い!」


 夏休みが始まって早数日。波風(なみかぜ)宇海(うみ)は自分の部屋でそう叫んでいた。目の前に広がるは太陽の光に照らされてキラキラと輝く海……ではない。勉強机に広げられた〝夏休みの友〟という名の宿敵……と、その上に置かれた一冊のノート。魔法を使ってみたい、冒険してみたい。そんな願望が小説という形で綴られているそのノートは門外不出で、もちろん両親にも内緒にしている。バレたらくどくどとお説教されることはわかりきっていた。部屋に向かってくるお母さんの足音が聴こえた今も、ささっと引き出しにしまいこんでいた。

 トントン、と軽いノックの音が聴こえた。宇海は慌てて鉛筆を持ち、ずっと宿題をやっていましたという風を装って返事をした。


「なぁに、お母さん」

「さっき何か大きな声を出していたようだけど、ちゃんと宿題をやっているんでしょうね」


 部屋に入ってくるなりそう言ったお母さんは、宇海を咎めるような目付きで見た。宇海はこの視線がこの世で三番目くらいに嫌だった。


「ちゃんとやってるよ、ほら」


 宇海は視線から逃れるように俯きながら〝夏休みの友〟を指した。こういうの、なんて言うんだっけ。門前の……虎? 後門の……なんだったっけ。とにかくこんなやつ、全然友達なんかじゃない。名前をつけた人は、本当に子供が宿題なんかと友達になれると思ったのかな。


「いい? 中学に入ったら今よりも勉強が難しくなるの。だから今の内にしっかり勉強しておかないと、すぐ落ちぶれちゃうんだからね」

「うん……わかってるよ」


 あ~あ。また始まったよ、お母さんの「勉強しないと」攻撃。宇海のお母さんは、よく宇海にこうしていかに勉強が大事なのかを説いていた。宇海自身、知らないことを知るのは好きだし、興味のある事柄について勉強するのも好きだ。しかし学校や親から強制されるのだけは嫌だった。今もこうしてお母さんが説教してくるせいで、勉強に対するやる気がみるみるなくなっていく。これさえなければもう少しやる気になったのに。

 もう二言三言説教をしてから、お母さんは部屋を出ていった。部屋から遠ざかっていく足音が聴こえなくなったところで、宇海はどっと溜息をついた。よかった、何か隠しているんじゃないのかと言われなくて。ノートの存在がバレることが一番の不安材料だった。


 この秘密のノートは、二年前――小学四年生の頃から始まった。宇海は本を読んだりアニメを見たりするのが好きで、そこに登場するキャラクターの絵を描くことは前々からやっていた。そんなある日、漫画雑誌の〝あなたの考えたキャラクターが登場するよ!〟という応募企画がきっかけで、オリジナルのキャラクターを考えるようになった。また「分厚い本が読めたらかっこいいかもしれない」と思い、テレビで映画が放送されたのを見たことがある『ハリー・ポッター』の原作を読んでみたところ、これが——難しい部分もあったが——大層面白く、自分でもこんなお話が書けたらいいなと夢想した。それからノートにふと思いついたキャラクターや物語のアイデアを書き留めるようになるまで、時間はかからなかった。

 当時の宇海には、自分が悪いことをしているという自覚はこれっぽっちもなかった。もちろん悪いことではないからだ。ノートもまだ秘密の存在ではなかった。ノートに書いたキャラクターや短いお話を友達に見せると、みんな面白いと言ってくれた。中にはもっと読みたいと言ってくれる子もいた。〝宇海ちゃんがノートに面白いお話を書いている〟という話は担任の先生にも知られるようになり、ある日三者面談でもその話題が上った。宇海のお母さんは、その時は驚きつつも笑顔で対応していた。しかし家に帰ると、お母さんは宇海が熱心に机に向かっているのは勉強のためではなく〝遊び〟のためだったことを責め始めた。宇海はノートにお話を書くだけでなく勉強もしていたと反論したが、生憎漢字のテストで出来の悪い点数(72点)を取った後だったので信じてもらえなかった。みんなに見せていたノートは没収され、この大事件以降、宇海は誰に対しても「もうお話は書いていない」と嘘をつくようになった。門外不出の秘密のノートは、この頃から勉強机の引き出しの中と宿題の上を高速で行き来するようになった。そのせいで角が少しぐにゃりとしている。


 宿題に対するやる気が完全に失せていた宇海は、秘密のノートを取り出して、そこに何を書くでもなくただぼんやりと眺めていた。もしわたしにも海賊みたいな勇敢さがあれば、お母さんに何か言い返すことができるのかな。でもお母さんは海軍ぐらい手強い。一人で立ち向かってもすぐ倒されちゃうかもしれない。仲間が必要だ。


(わたしも海賊だったらなぁ……)


 宿題なんか放り出して、仲間たちと一緒に海で冒険できるのに。


 宇海が好きな物語は、大きく分けて三つに分類できる。魔法が存在する世界の話と、冒険する話と、魔法が存在する世界で冒険する話だ。この組み合わせの物語に出会ってワクワクしなかったことはない。特に海での冒険は非常に心が躍る。自分の名前が〝うみ〟だからかもしれないが、陸では味わえないハラハラドキドキが心をくすぐる。一度だけ東京ディズニーリゾートに連れていってもらったことがあり、ディズニーランドのカリブの海賊やジャングルクルーズ、ディズニーシーのシンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジといった水上を走るアトラクションは、そんな宇海の冒険心を非常にくすぐった。とは言えカリブの海賊で落ちた時は非常に後悔したが、その後映画の『パイレーツ・オブ・カリビアン』を見た宇海が海賊に憧れを抱くようになるのは言うまでもない。

 海賊になり、船に乗って大海原を冒険する。叶うことのない夢だとはわかっている。だからこそ宇海は、その願いを〝小説〟という形で昇華させた。秘密のノートはそのくたびれた姿に似合わず、壮大な世界を内包していた。くたびれるごとに、世界は広がっていった。


 その日の夜、宇海は星空に向けて願いごとをしていた。宇海はよく、テストで良い点が取れますようにとか、明日は遠足だから晴れてくれますようにとか、はたまたお母さんが夕食のサラダにトマトを入れるのをやめてくれますように、とかいった具合で願いごとをしている。そうすることで、なんだか良い点が取れそうな気がするし、遠足も晴れそうな気がするのだ。

 トマトは今日の夕飯にも入れられたが、今回の願いはそれではなかった。


(神様、お願いします。海で冒険がしたいです)


 夏休みに入る前、クラスのみんながどこに遊びに行くかといった話題で盛り上がっていた。だが宇海はその輪の中に入れなかった。友達がいないからではない。宿題が終わらない限り、遊びにいかせてもらえないからだ。


(一日……じゃ全然足りないな。そう……一週間くらい、冒険がしてみたいです)


 夏休みは長い。しかし宿題も沢山ある。おまけに「これもやりなさい」とお母さんが英語のドリルを渡してきた。英語は苦手なのに。宇海は、お母さんは絶対遊ばせない気なのだと確信している。ちょっとくらい〝息抜き〟をしたっていいはずなのに。


(海で、船に乗って、海賊みたいに、冒険がしたいです)


 宇海は閉じていた目を開け、星空を見上げた。今日みたいによく晴れた日に願うと、〝いつもなら〟叶いそうな気がしていた。しかし今日は重い溜息をついていた。


(叶うわけないよね。海賊みたいに冒険するなんて)


 突然またディズニーランドに連れていってくれるとなったらカリブの海賊に乗れるが(最初に落ちるのだけはどうにかしてほしいが)、それだって宿題が終わらなければ無理な話。本物の海で、本物の船に(それもエンジンで動く鉄製の船ではなく、帆に風を受けて進む木製の帆船に!)乗って冒険するなんてことはもっと無理な話だということくらい、宇海にはわかっていた。それでもせめて夢の中に出てきたらいいなと思い、宇海は秘密のノートを枕の下に敷いて寝ることにした。


 どうか、夢でもいいから、海で冒険をしたい。

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