第15話 アラクレー島
宇海たちは、途中から人目を避けるように林の中を進んだ。宇海の身長とさほど変わらない高さの草も生えており、身を隠すのに最適だった。おかげで誰かが追いかけてくるような気配がなくなった。
だいぶ歩いたので、宇海は段々疲れてきた。何度も足がもつれそうになったが、なんとか踏みとどまってピカネートについていく。ピカネートにはちっとも疲れた様子がなくて、宇海は感心した。わたしもへこたれずに頑張らなくちゃ。
空腹が気になるようになってきた頃、ようやく島の端に到着した。草むらの中で何か所も切り傷を作った宇海は、やっと開けた場所に来ることができて心底ほっとした。汗や汚れをぬぐって、改めて目の前の景色を見る。白い砂浜の向こうには透き通るほどきれいな海があり、その先に小さな島——アラクレー島がある。
「陸続きにはなっていないけど、このくらいなら歩いて渡れそうだね」
さあ、あと少しだよ! とピカネートがみんなを元気づけるように言った。
正直なところ、宇海はもうへとへとで休憩したい気分だった。でもここでぐずぐずしていたら、またあのクリスナー大尉と出会うかもわからないし、みんなに迷惑をかけたくない。しかし、そんな宇海の気持ちを裏切るように、お腹がぐうと鳴った。
「あ……」
宇海は恥ずかしさでさっと俯きながらお腹を押さえた。もう、何で今鳴るの!
するとピカネートが宇海の気持ちを察したように、こんなことを言ってきた。
「そろそろお腹いっぱい食べたい頃合いだね。このままじゃお腹と背中がくっつきそうだよ。向こうの島まで渡ったら、こっちからは見えない場所まで行って、そこで一旦休憩にしようじゃないか。誰か異論のある奴はいるかい?」
「ボクさんせーい!」
ココが元気よく言った。
「私も異論はないわ。お腹ぺこぺこ」
とアーレフがお腹をさする。
「ウミも、それでいいかい?」
ピカネートが優しく尋ねてくる。
「うん。あとちょっとだもんね。頑張るよ」
「ああ。あと少しの辛抱だ。頑張った後に食うメシは美味いぞ~!」
ピカネートが宇海の頭をわしゃわしゃと撫でる。宇海は少し恥ずかしかったが、ピカネートの気遣いが嬉しくもあった。
それからみんなで砂浜を歩き、海に足を入れた。冷たい水がすぐに靴の中にまで入ってくる。ずぶ濡れの靴下の不快感に眉をひそめながら、宇海は長靴の偉大さを知った。
無事にアラクレー島まで辿り着き、宇海は来た道を振り返った。追ってくる人の姿は見えない。完全に逃げ切ったのだ。
(やった……。でも……)
もっとあの島の市場を見て回りたい気持ちもあった。見たことも聞いたこともないものが沢山あった。遊園地へ遊びに行った帰り道と同じ気分だ。でもこの世界にいれば、また来られるかもしれない。もしくは、別の島で、別の見たことのないものを見られるかもしれない。だって、この世界は知らないことだらけなんだから。
「どうしたんだい、ウミ。そんなに心配しなくても、もうアイツらは追ってこないよ。ほら、行こう」
「……うん」
名残惜しさに後ろ髪を引かれながらも、宇海はこちらに伸ばされたピカネートの手を取って先に進んだ。
アラクレー島は中心に山がそびえ立ち、ふもとには緑豊かな自然が広がっている。……ように見えるのはアブレリート島から見た時の姿で、アブレリート島から見えない部分の地面は荒くれているらしい。なんでも大昔にお金持ちがアラクレー島に金銀財宝を埋めた、という伝説があり、そのお宝を狙って海賊たちが島中掘り返して荒らしてしまったそう。
「アブレリート島から見える範囲だけ綺麗なのは、きっと今のアタシたちみたいに、海軍から身を隠す場所が必要だったからかもしれないね。それに、ほら。美味しそうな果物がたくさん実ってる。腹を満たすものまで無くしたくなかったんだろうね」
そんなピカネートの言葉に、思わず、といった様子でアーレフが笑った。
「なんでそこで笑うのさ、アーレフ」
「ああ、ごめんなさいピカネート。でも、ふふ。きっと、みんな金銀財宝の意味をわかっていなかったのね」
「どういう意味?」
宇海が問うと、アーレフはなぜかココに尋ねた。
「ココちゃんならわかるかしら?」
するとココは、自信満々に「もちろん!」と頷いて、木の枝から垂れ下がる果実を一つもぎ取った。
「これのことでしょ?」
「「?」」
宇海とピカネートがそろって首を傾げると、アーレフが解説を始めた。
「壊血病という恐ろしい病のことを知っているかしら。船乗りがかかりやすい病気ね。あら、ウミちゃんは知らない? これはね、歯が抜けちゃったり、顔が青白くなったり、傷が治りにくくなったりする病気なの。そんなの嫌よね。壊血病にかからないためにはどうすればいいのか。それを考えた末にたどり着いたのが、これよ」
と言ってアーレフはココの手にある果実を指した。
「……オレンジ?」
「そう、オレンジ。どうしてかはわからないけど、オレンジを食べると壊血病になりにくくなるのよ。それにすぐには腐らないから、航海に持っていくこともできる。ある意味、大事なお宝ね。きっとこの島にオレンジを植えた人も、船乗りの病気を減らすために、と思って植えたんじゃないかしら」
本当のところはわからないけどね。とつけ加えて、アーレフは解説を終えた。
「へぇ。航海する時にはオレンジを持っていくといい、って話は知ってたけど、そんな理由があったとはね」
ピカネートが感心したような顔でオレンジを見つめた。一方宇海は難しい顔をして考えごとをしていたので、ココに心配された。
「どうかしたの、ウミちゃん」
「あ、うん……。あの、もしかしたら、だけど……ビタミンC、じゃないかな」
「「「びたみんしぃ?」」」
今度は宇海以外の三人が首を傾げる番となった。
「なんだい、その〝びたん〟ってのは」
「〝びたん〟じゃなくて〝ビタミン〟だよ。ビタミンC。知らない?」
「アタシは聞いたことないねぇ。アンタたちは?」
「私も知らないわ」
「ボクもさっぱり」
みんなが知らないと言うので、宇海はびっくりした。まさかこの世界にはビタミンが存在しないの⁉
(あんなに何度もお母さんからバランスよく食べなさいって言われたのに……⁉)
何度言われたってトマトは食べたくないのに、耳にタコができるほど言われたビタミンの話をこの世界の人は誰一人として言われていないの⁉
「なんだかえらく驚いているみたいだけど……。ウミ、アンタの考えていることを教えてくれないかい?」
ピカネートに言われ、宇海はどう説明するか考えながら話した。
「え~っとね、ビタミンって言うのは、確か……健康に必要な栄養素? で、バランスよく摂らないとダメなんだって。それで、ビタミンCはオレンジとかレモンとか、かんきつ類にいっぱい入ってるんだったかな。で、ビタミンCはお肌に良いんだって。だから、オレンジを食べると、えっと、かいけつびょう? になりにくくなるのも、もしかしたらビタミンCの……」
そこで宇海は、ふと気がついた。自分を見つめる三人の目の色が、なんだかさっきと違う。
「ウミ、その話は本当かい?」
「……え?」
ピカネートがしゃがんで宇海の肩をがっしり掴んだ。
「オレンジを食べると、お肌に良いっていうのは本当かい⁉」
「……う、うん」
宇海がおずおずと頷くと、ピカネートは目を輝かせて、同じように目を輝かせている後ろの二人を振り返った。
「アンタたち、今の話は聞いたね⁉ いっぱいオレンジ食べるよ!」
「ええ!」
「うん!」
「……」
善は急げとばかりにオレンジをもぎ取って食べ始める三人を、宇海は目を点にしながらただ見ていた。
※ビタミン
みんながビタミンを知らないと言うので、宇海はこの世界にビタミンは存在しないのだと思っています。ですがこれは勘違いで、「この時代(作中でも、実際の大航海時代でも)にはまだビタミンが発見されていない」が正解です。作中の世界ではいつ発見されるかわかりませんが、我々の住むこの世界では、ビタミンが発見・命名されたのは20世紀に入ってからです。




