血戦の果てに顕つ闇③
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ヴァネッサ
種族:ヴァンパイア
とある古城に独り住んでいた。幻術・護身術を得意とする。
ライア
種族:リザードマン
流浪の剣士。エルザとは幼馴染。
エルザ
種族:サイクロプス
鍛冶職人。ライアとは幼馴染。
エリシア
種族:エルフ
精霊と心を通わせたり、精霊の力を行使できる。
トーラ
種族:ミノタウロス
ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。
翌日。朝日が高く昇る頃、俺達はライガに呼ばれて集落の中央にある集会場へと足を運んだ。
広場の奥に建つ丸太造りの建物は、普段は祭りや行事に使われているらしい。
今日はそこに、集落中の大人達が顔をそろえていた。
木の壁に囲まれた空間は熱気を帯び、皆の胸に渦巻く不安と覚悟がひしひしと伝わってくる。
ざわめきの中、正面に立つライガが鋭い眼差しで俺達を迎えた。
その背筋はまっすぐで、狼の耳がぴんと張り詰めている。
昨夜とは違う、リーダーとしての威圧感を纏っていた。
「……皆、よく集まってくれた」
低く響く声に、広間がすっと静まる。
「ここ最近、奴ら――人間どもによる襲撃は増えている。昨日も子供が狙われた」
その言葉に、集まった獣人達の間から怒りと嘆きが入り混じった声が漏れた。
拳を握る者、牙を噛み鳴らす者。彼らにとって、人間は大切な家族を奪う脅威そのものなのだ。
ライガは周囲をぐるりと見渡し、静かに息を吐いた。
その横顔は、若さを残しながらも仲間を背負う覚悟を滲ませている。
「…俺達はこれまで防ぐことしかしてこなかった。守るために必死に戦い、何とか追い払ってきた」
その声は低く重く、室内に響き渡る。他の獣人達が静かにうなずいていた。
「だがな…守るだけじゃ、もう限界がある!」
ライガの拳がぐっと握り締められ、鋭い眼光が炎のように燃え上がる。
足元の床板が踏み鳴らされ、集会場全体が震えたように感じられる。
獣人達の表情が一斉に強張り、ざわめきが広がった。
「奴らは執拗だ。今日を凌いでも、明日また襲ってくる。子供や女たちを何度も怯えさせるだけだ。……そんな未来を俺は絶対に許せない!」
その眼差しは怒りに燃えていたが、ただの激情ではなかった。
家族を、仲間を、そしてこの島の未来を守ろうとする若きリーダーの決意が込められていた。
その姿に、誰もが言葉を失い、ただ息を呑んでライガを見つめていた。
その空気を切り裂くように、ライガはさらに一歩前へ踏み出す。
「……だからこそ、俺達は変わらなきゃならない」
彼の声は鋼のように硬く、しかし揺るぎない熱を帯びていた。
「守り続けるだけじゃ、いずれ押し潰される。犠牲が出るのをただ待つだけなんて、俺はごめんだ!」
拳を胸に当て、ライガは強く言い放つ。
「攻めに転じるべきだ。奴らの拠点を突き止め、こちらから打って出る。恐怖に怯えて暮らす日々を終わらせるんだ!」
室内に再びざわめきが起こる。驚きや不安、そして一部には賛同の色も混じる。
炎のようなライガの眼差しは、仲間達だけでなく、傍らに立つ俺にまで突き刺さってくるようだった。
「無茶だ!守るだけでも精一杯なのに!」
「でも、ライガの言うことも一理ある!このままじゃいつか潰される!」
「いや、攻めれば余計に人間達を刺激するだけだ!」
集まった獣人達の声は賛否に割れ、空気は熱を帯びていく。
焚火の揺らめきが影を伸ばし、彼らの表情に不安と覚悟が交互に浮かんで見えた。
そんな騒めきを切り裂くように、ライガは振り返り、真っ直ぐに俺を見据える。
「……カケル。お前は旅をしてきた。人間とも、魔物娘とも、色んな現実を見てきたんだろう」
その視線は重く、迷いを許さない。
「だからこそ聞きたい。――お前なら、どうする?」
場の視線が一斉に俺に注がれる。
ざわつく空気の中で俺の心臓をさらに熱く脈打たせていた。
それでも――俺はゆっくりと口を開いた。
「…ライガの言う通りだ。守るだけじゃ、いつか限界がくる。だから、攻めに出ることには賛成する」
「カケル……いいの?」
リリアがそっとこちらを見上げる。
その瞳にはまっすぐに俺の心を映そうとする静かな光が宿っていた。
柔らかな声で、確かめるように言葉を投げかけてくる。
一瞬、胸の奥が熱を帯びる。俺が軽々しく答えることを望んでいないのは分かっていた。
これは彼女が俺に、自分自身の意志を再認識させるための問いなのだ。
だから、俺は彼女の眼差しをまっすぐに受け止め、静かに、しかし揺るぎなく答える。
「ああ、彼らは俺達を信用してくれた。俺達もそれに応えないと」
言葉を発した瞬間、焚火の揺らめきが一層強く映えたように見えた。リリアは小さく微笑む。
それは安心と誇りを混ぜたような微笑みで、俺の決意をそっと後押ししてくれる。
「……本当に大変なことになるかもしれないけど。やるしかないわね」
セレナが小さく肩をすくめながらも、視線は鋭く前を射抜いていた。
「正々堂々と立ち向かう。それが戦士の務めだろう」
ライアは力強く拳を握りしめ、炎を背にした横顔で言葉を続ける。
二人の言葉に呼応するように、他の仲間達も無言でうなずいた。
その眼差しは炎のように力強く、俺に力を与える光となっていた。
仲間達の決意を確かめた俺は、集会場に集まった視線を受けながら、静かに口を開いた。
「…ただし、無闇に暴れるんじゃない。どう攻めるか、被害を最小限に抑える策を考えなきゃならない」
朝の空気は澄み渡り、差し込む光が窓から床に伸びていた。
その静けさに包まれるように、俺の声は場に染み込んでいく。
俺は一歩前に踏み出し、迷いのない声で続けた。
「それに…俺は殺しはしない。たとえ相手がどんな人間でもだ」
言葉を受けた獣人達の間に、ざわめきが走る。
驚きや戸惑いが混じりながらも、やがて静まり返る。
「奪うためじゃなく、守るために戦う。そのことだけは、絶対に曲げない」
朝の光が背を押すように俺を照らす。
自分自身に刻み込むように放った言葉は、沈黙の中で重く響いた。
ライガは腕を組み直し、鋭い眼差しで俺を見据える。
その瞳の奥に宿るものは――確かに敬意だった。
「……守るために、か。面白い考えだな」
その声には皮肉ではなく、わずかな感嘆が混じっていた。
「皆、聞け!今こそ人間どもの拠点を叩く時だ!俺達だけじゃない――カケル達も力を貸してくれる!この戦力で一気に押し潰すぞ!」
ライガが力強く頷き、声を張り上げる。
その言葉に室内が一気に沸き立つ。
「おおっ!」「やってやる!」
血気盛んな声が次々と上がり、集落全体が戦の熱に包まれていく。
だが――その昂ぶりの中、リリアが一歩前へ出た。
「…けれど、本当に全員で向かってしまっていいのかしら?」
熱気を裂くように放たれた冷静な声音に、ざわめきが一瞬だけ止まった。
リリアの瞳は真剣で、場の誰一人をも否定せず、ただ冷徹な理を指し示すようだった。
しかし、ライガは臆することなく、一歩前に出て吠えるように言った。
「心配はいらない!集落にはまだ戦える仲間を残していく。それに半端に戦力を割くより、ここに全力を注いだ方が勝機は大きい!」
その断言に、再び獣人達の胸が熱を帯びた。
「ライガの言う通りだ!」「全力で叩き潰せ!」
士気が炎のように燃え上がっていくのを、俺はただ見ていた。
だが胸の奥にはどうしようもないざわつきが広がっていた。
……本当に大丈夫なのか?集落に残す戦力で、あの人間どもを防ぎきれるのか?
けれど、ここで俺が口を挟めば、この場の熱気を冷やしてしまう。
せっかくまとまりかけた獣人達の決意を折ってしまう。そう思うと、どうしても言葉が出てこなかった。
拳を握りしめたまま、俺はその場で黙り込むしかなかった。
◇ ◇ ◇
集落の広場は、戦いに向けて慌ただしさを増していた。
獣人の戦士達は武具を整え、仲間同士で肩を叩き合いながら声を張り上げている。
その熱気は島の空気を震わせるほどで、先ほどの作戦会議の緊張感がそのまま現場に流れ込んでいた。
そんな中、場違いなほど小さな声が俺の耳に届いた。
「…ねぇ、お兄ちゃん」
振り向くと、ルミナが袖をぎゅっと握って立っていた。
赤い瞳が潤んでいて、不安を隠しきれない。
彼女の後ろには、同じくらいの年頃の子供達が数人、不安そうに顔を見合わせている。
「みんな…なんで、こんなに騒がしいの?」
その問いかけに、一瞬だけ言葉を失った。
これから向かうのは、人間達の拠点。
戦うために進軍するのだと、正直に告げるわけにはいかない。
けれど、笑ってごまかすだけでは彼女の不安を軽くできないのも分かっていた。
「……ルミナ」
俺は膝を折り、彼女と同じ目線まで腰を下ろす。真剣な眼差しを受け止めると、胸が少し痛んだ。
「大丈夫だ。大人達がちょっと用事をしてるだけさ」
「…ほんとに?」
「ほんとさ。ルミナは心配しなくていい。俺が、ちゃんと守るから」
言いながら、自然と手を伸ばし、彼女の髪をやさしく撫でていた。
ふわふわとした毛並みが指先に触れ、彼女が少し目を細める。
「…お兄ちゃん、嘘ついてない?」
「嘘なんかつかないよ。俺は、ルミナを守りたいから」
はにかみながら言葉を返すと、ルミナの顔にようやく小さな笑みが戻った。
その姿に、俺もほんの少し救われた気がした。
「うん…!じゃあ、待ってるね!」
元気を取り戻したように笑うルミナ。
その肩に、リリアがそっと手を置き、「大丈夫。すぐ戻るから」と囁いた。
優しい声に、周りの子供たちも少し安心した表情を見せる。
その光景を背に感じながら、俺達は進軍の列に加わった。
獣人達の雄叫びが昼下がりの空に響き、戦の始まりを告げていた。
◇ ◇ ◇
森を抜ける道は、普段ならば静寂に包まれているはずだった。
だが今は、武器を携えた獣人達の足音と、押し殺した息遣いでざわめいている。
湿った土を踏みしめる音が重く響き、鳥の鳴き声さえも遠ざかっていくように感じられた。
昼下がりの光が木々の枝葉を揺らし、斑模様の影を戦士たちの顔に落とす。
その顔には緊張と覚悟が刻まれている。
握られた槍や斧の柄がきしむほどに力が込められ、誰もがこれから流れる血を予感しているのだ。
「……ずいぶん気合が入ってるな」
隣で肩を並べるライアが低く言った。
その声音は冷静さを保っていたが、目は鋭く前を見据えている。
「血気盛ん、というやつね」
セレナが小さく吐き捨てる。だがその目には、ただの皮肉ではなく、確かな警戒の色が宿っていた。
俺はそのやり取りを聞きながら、ふと背後を振り返る。
脳裏に、ついさっきのルミナの笑顔が浮かんだ。小さな手で「待ってる」と言った無邪気な瞳。
胸の奥にじわりとした熱が広がる。
――裏切るわけにはいかない。必ず守る。そう固く誓う。
「カケル…気を張りすぎないで。あなたの力は、使い方次第で皆を守れる。焦らなければ、きっと大丈夫」
耳元にリリアの声が落ちる。振り返ると、彼女の真紅の瞳が俺を射抜いていた。
その静かな言葉が、不思議と胸に染みた。
「……ああ」
短く答えると、リリアはほんの一瞬だけ柔らかく微笑み、再び前を向いた。
やがて木々が切れ、視界が開ける。先頭に立つライガが立ち止まり、鋭い鼻を鳴らした。
「……近いぞ」
低く響いたその声に、一行の空気が一段と引き締まる。
獣人戦士達は声を押し殺したまま武器を掲げ、互いに目を合わせた。
大地さえ震えるような緊張の中、俺は拳を握りしめる。
戦は、もう目前だ。
◇ ◇ ◇
森を抜けた先に、目的の拠点が姿を現した。
古びた石造りの砦のような建物。その周囲には数人の人間達が警戒の様子を見せている。だが妙だった。
「おい、数が少なくないか?」
目の前に広がる砦の外縁を睨みながら、俺は低く問いかけた。
「確かにな。見えるだけでも、十人くらいしかいないな」
ライガが獣のような目を細め、牙を覗かせて唸る。
「……嫌な感じがするな」
胸の奥に嫌な予感がざわついた。それでも立ち止まる時間は残されていない。
「攻めるか?」
俺が確認すると、ライガは力強く頷き、振り返って獣人達に声を張り上げた。
「ああ。皆、準備はいいか!」
獣人の戦士達が武器を掲げ、鬨の声を上げる。その熱気が大気を震わせる。
「いくぞおおおおおおお!」
ライガの咆哮が響き渡り、一斉に突撃が始まった。
俺も闇の剣を手に、前へと駆け出す。
――敵の人間達は驚愕に目を見開き、慌てて剣や槍を構えた。
けれど、数は少ない。押し寄せる獣人達の突撃に、すぐに乱れが生じた。
槍を構えた男がこちらに向かって突き出してくる。
「どけぇ!」
咄嗟に闇の剣で槍を弾き飛ばし、踏み込む。相手の懐に潜り込み、拳に闇を纏わせて腹へと叩き込んだ。
鈍い音と共に、男は地面を転がり呻き声をあげる。
「くそっ、化け物が!」
後ろから振り下ろされる剣を、振り返りざまに剣で受け止める。衝撃が腕に響く。
その隙を狙ってもう一人が突きかかってくるが。
「遅い!」
転移の力を発動させ、霧のように姿を消す。
現れたのは二人の背後。振り下ろした闇の剣が、一閃で両者を地に叩き伏せた。
横目に見れば、ライアが剣を振るい獣人達と共に前線を押し広げ、セレナの放つ火炎の矢が敵陣を爆ぜさせていた。
ヴァネッサとリリアも後方から動きを封じ、敵の統率は見る間に崩れていく。
「ぐっ…ひ、引けっ!逃げろおお!」
誰かの叫びを皮切りに、人間達は次々と武器を投げ捨て、背を向けて逃げ出していった。
肩で息をしながら、俺は剣先を下ろした。
……やっぱり、おかしい。あまりにもあっけなさすぎる。
胸のざわつきは、むしろ戦いの後で強まっていた。
「……待て!」
ライガの怒声が空気を裂いた。
押さえ込まれた人間の兵が、荒く呼吸しながら地面に叩きつけられる。
戦士達の腕に押さえつけられながらも、男の口元には不気味な笑みが浮かんでいた。
血で濡れた歯が覗き、その余裕が逆に背筋を冷やす。
「へっ……残念だったな」
「何が可笑しい!」
ライガが声を荒げる。
怒りで獣じみた牙がのぞき、爪が食い込みそうな勢いで男の襟元を掴み上げた。
男は目を細め、にやりと口角を吊り上げる。
「俺達は囮さ…本隊は今頃、お前らの集落に――」
「なんだって!?」
声が裏返った。胸が跳ねる。
「俺達の集落に!?」
ライガの目が血走る。
「ああそうさ!」
男は狂気に取り憑かれたように笑い声を上げる。
「いずれお前らがここを襲うと踏んで、仲間が先に集落を襲うように準備を進めていたのさ!今頃は火の海になってるはずだぜ!」
一瞬、耳鳴りがした。
――火の海。ルミナの無邪気な笑顔。ルミナの両親の優しい声。子ども達のはしゃぐ姿。
すべてが一瞬で赤い炎に飲まれて消える映像が脳裏をよぎる。呼吸が詰まり、思わず拳を握りしめていた。
「……やっぱりか」
吐き捨てるように零れる。リリアの冷静な警告が、頭の奥で蘇る。
彼女は見抜いていた。それなのに、俺は――。
「全員、急いで戻るぞ!」
ライガの咆哮が大地を揺らす。
「集落が危ない!」
一斉に獣人達が駆け出す。
地を蹴る音、息遣い、焦りと怒りに満ちた気配が波のように広がった。
俺達も駆け出した。心臓が破裂しそうなくらい脈打つ。
絶対に――守る。
どうか間に合ってくれ……!




