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闇の誘い、過去が紡ぐ絆④

登場人物

カケル

種族:人間

主人公。異世界に召喚された青年。


リリア

種族:サキュバス

魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。

床に倒れ込んだアンナロッテは、呼吸は荒いがまだ生きている。


広間を覆う静寂の中、ただ一人くすくすと笑い声を上げた者がいた。

黒龍だ。


「ふぅん…?ねぇ、わざと殺さなかったでしょ~?…ほんと、甘いのね」

その声音は楽しげでありながら、残酷な棘を孕んでいた。

倒れ伏すアンナロッテを一瞥し、黒龍は無邪気に笑った。


「それとも命を奪うのが怖いビビりちゃんなの~?そんな力を持ってるのに~?」

挑発的な声音が広間を震わせ、他の龍たちも視線を寄せる。

俺は血の滲む拳を見下ろし、深く息を吐いた。


「…俺は殺しはしない。例え、この力がどんなに強くてもな」

言葉を吐き出した俺は自然とリリアへ視線を向けていた。

彼女はじっとこちらを見つめ――ふわりと柔らかな笑みを浮かべる。

その笑みは、俺の決意を肯定するようで…胸の奥に熱が灯るのを感じた。


「はぁ~…つまんな~い!」

黒龍はあくび混じりに立ち上がり、ゆっくりとアンナロッテのもとへ歩み寄った。


「黒龍様…っ」

かろうじて意識を保つアンナロッテを、彼女は無造作に足蹴にする。

鈍い音が響き、アンナロッテの身体が小さく震える。


「このゴミが死ねばぁ、カケルと契約できたのに!」

無邪気に吐き捨てるその声音は、笑っているのに残酷極まりない。


「黒龍ッ!自分の守り人に何をしている!いい加減にしろ!」

赤龍が椅子を蹴るように立ち上がった。


「会合は理を交わす場。暴力と嘲笑で貶める場所ではありません」

青龍も冷ややかに声を響かせる。


「…放ってはおけんが、下手に刺激すれば…」

黄龍は険しい顔で視線を逸らし、低く唸る。


「……白龍、どうするつもり?」

緑龍は小さく息を吐き、白龍へ視線を投げた。


しかし白龍は答えなかった。

黄金の瞳をただ静かに黒龍へと向ける。

その沈黙は、静観を選んだのだと誰もが悟らせた。


「……テメェ!自分の守り人だろ!なんでそんな残酷になれる!」

広間に満ちる緊張が耐え難いほどに高まる中で、俺はふつふつと怒りが膨れ上がっていた。

拳に闇の力が滲む。もう抑えきれない。


その叫びに、黒龍が楽しげにくるりと振り向いた。

まるで子供が新しい玩具を見つけたかのように笑みを浮かべる。


「へぇ~…怒ったの?」

その声音は甘く、挑発的で、悪意に満ちていた。


「いいわ……遊んであげる」

黒龍はアンナロッテを足蹴にした姿勢のまま、余裕たっぷりに笑みを浮かべる。


俺は迷わず転移した。一気に間合いを詰め、闇の剣を振り下ろすはずだった。


――カチリ。


気づけば、黒龍の白く細い指先が俺の額に触れていた。


「……っ!?」

次の瞬間、軽い音とともにデコピンが放たれる。

ただそれだけなのに、視界が爆ぜ、全身を雷鳴のような衝撃が貫いた。


「ぐあっ……!」

俺の身体はとてつもない勢いで後方に吹き飛び、床を転がる。

止まった時には呼吸が乱れ、意識が暗転しかけていた。


「カケル!」

鋭くも必死なリリアの声が耳を打った。

その声音に、揺らぎかけていた意識が現実へと引き戻される。


――まだだ。ここで倒れるわけにはいかない。


俺は血の味を噛みながら、軋む身体に力を込めて立ち上がった。

足は震えていたが、拳を握ると再び闇が応えるように滲み出す。


「…俺は、まだ終わっちゃいない」


黒龍は唇に指を当て、楽しげに目を細める。

「ふふっ…その顔、いいじゃない。もっと見せてちょうだい♪」


「来い……!」

俺は掌を突き出し、闇の力を解き放つ。


黒き霧が渦巻き、そこから二体の魔獣が姿を現した。

獣のごとき咆哮を上げる四足の影と、黒き甲冑に身を包んだ騎士の影。

どちらも俺の力の具現だ。


「…行くぜ!」

剣を構え、魔獣達と同時に黒龍へと襲いかかる。


しかし黒龍は、楽しげに小首を傾げただけだった。

「ふふっ…そんな小細工で私に勝てると思うの?」


俺と魔獣の連撃が奔る。

獣の爪が、騎士の刃が、俺の闇の剣が黒龍を狙って重なり合う。

だが、彼女は舞うように軽やかに避けていった。

その表情には余裕しかなく、まるで遊戯のように。


「遅くて鈍くて…退屈ね」


そして、細い手が闇に染まる。

黒い瘴気を纏った掌が閃き、魔獣達に叩きつけられた。


「……消えなさい」

轟音と共に影が弾け、獣も騎士も悲鳴を上げる間もなく霧散していく。

一瞬にして、俺の切り札は消滅させられた。


「なっ…!」

目の前の光景に言葉を失う俺を、黒龍は嬉しそうに見つめていた。


「うふふっ、この程度じゃないでしょ?カケル♪」


(……まずい。このまま力を使い続けたら……!)


額を伝う汗が視界を曇らせ、胸の奥で焦りが膨れ上がる。

喉の奥で言葉にならない恐怖が渦巻いた。

暴走の影が、確実に俺の中で蠢いている。

そんな俺を、黒龍は嬉しそうに覗き込む。


「カケル?ねぇ、早く“本気”を見せてよ」

囁く声は甘やかで、それでいて残酷に響く。


「力を解き放ちなさい。そうじゃないと、退屈で死んじゃうわ」


「……っ!」


俺は拳を握りしめたが、どうしても踏み切れない。

暴れ出す闇を恐れて、足が竦んでしまう。


黒龍はそんな躊躇いをつまらなそうに眺め、肩をすくめた。


「ふぅん…まだきっかけが必要なのかしら?」


――そして、深紅の瞳がリリアを射抜いた。


「じゃあ…あそこのサキュバスを殺してあげましょうか?」


「――ッ!!!」

血が沸騰するような感覚が、胸を焼いた。

黒龍の言葉が落ちた瞬間、頭の中で何かが切れた。


(…リリアを…殺させてたまるか!)


胸の奥から、熱に似た感情が沸き上がる。

それは怒りでも恐怖でもない――殺意だった。

自分でも認めたくない感情が、しかし確かに俺を突き動かしていた。


全身を闇が覆う。

背後に黒い影が蠢き、やがて二本の巨大な腕が生まれ落ちる。

地を抉るように動き、俺の殺意と同調するように震えていた。


「カケル……!」

リリアの声が届いたが、もう止められない。


「あはっ♪そうこなくっちゃ!」

黒龍が嬉しそうに両手を叩き、その瞳を爛々と輝かせる。


「その顔、その力!ねぇ…もっと、もっと見せてよ!」


闇を纏った俺と、無邪気に笑う黒龍の視線がぶつかり合う。

そして轟、と空気が震えた。


「っらあああああッ!!」

闇の拳を振り抜く。

背後の黒腕が同時にうなりを上げ、連撃を叩き込む。


「きゃはっ♪いいわねぇ!」

黒龍は楽しげに笑い、舞うように身体をひねってかわす。

それでも一撃は肩口をかすめ、彼女の黒衣が裂けた。


だが、逆に黒龍の細い脚が俺の鳩尾を撃ち抜く。


「がっ……!」

肺が潰れ、全身が痺れるほどの衝撃が走る。


「もっと!もっとよ!」

黒龍は拳を振るう。その手には瘴気が纏われ、殴るたびに爆ぜるような衝撃波が生まれる。

俺も負けじと闇の剣を生み出し、斬撃を繰り出す。

闇の腕が追撃を重ね、殴撃と斬撃が交錯する。


拳と拳、闇と瘴気がぶつかり合い――轟音と共に広間全体が揺さぶられた。


「ぐっ……!」

足元が砕け散り、石床がひび割れる。

それでも黒龍は笑い続ける。


「もっと殺意を!もっと力を!その方がずっと“遊べる”わ!」


「……はぁ、はぁっ……!」

膝をつき、剣を杖代わりに地へ突き立てる。

肩が大きく上下し、喉は焼け付くように乾いている。

視界は揺れ、声を絞り出そうとしても、かすれた息しか漏れなかった。


「ふふ…もう限界?」

黒龍の声は甘やかで、どこまでも残酷だった。


答えられない。

唇が震えるだけで、声は空気に消えていく。

その沈黙を、黒龍は勝利の証と決めつけた。


「じゃあ残念だけど、これで終わりね!」

翼が大きく広がり、空気を切り裂く轟音が響く。

風圧が吹き荒れ、瓦礫が宙に舞った。

鋭い爪が光を反射し、巨大な影が覆いかぶさる。


俺は、ぎりぎりまで待つ。

胸を裂かれる寸前で、くるりと振り向いた。


――その刹那。


「…ここだ!」


俺は迷わず、闇の剣を自らの腹へ突き立てた。

肉が裂け、内側から響く鈍い痛みが脳を突き抜ける。

刃は臓腑を貫き、背後へと突き出た。


普通の人間なら、即死だろう。

だけど俺には――再生がある。


この身を賭けても立ち上がれる。

だからこそ、この一撃を選んだ。


「…っ!?」

黒龍の瞳が驚愕に見開かれる。

突進の勢いを殺せず、そのまま刃が彼女の腹部を深々と貫いた。


赤黒い血が飛沫を上げ、床石を染める。

鋭い羽ばたきが乱れ、黒龍の身体が大きく痙攣した。


「ぐっ…あ、ぁぁ…!」

彼女の口元から血が滴る。

無邪気な笑みは消え、苦悶の表情に変わった。


「…俺は、まだ…終わっちゃいねぇ…!」

血を吐きながらも、俺は剣を握る手に力を込めた。


「な、何これ…?」

腹部を押さえ、後ずさる。

その瞳に初めて動揺の色が混じった。


「…まだだ!」

俺は歯を食いしばり、突き立てていた剣を勢いよく引き抜いた。

血が飛び散り、闇の刃が唸りを上げる。


振り返りざま、拳を叩き込んだ。


「――っ!!」

黒龍の頬が跳ね、長い黒髪が舞う。


更に闇の剣を振り下ろす。

刃と瘴気がぶつかり合い、火花のような黒光が広間を照らした。


「クク……やるじゃない……人間のくせに……ッ」

苦悶の声を洩らしつつも、黒龍の口元はかすかに笑みを残していた。

だが、確かにその呼吸は乱れ、無邪気さだけではない焦りが滲み出ていた。


俺は肩で息をしながら剣を構え直す。


「……今です」

その時、清澄な声が広間に響いた。

気づけば、白龍はずっと目を閉じ、静かに手を組んでいた。

俺と黒龍が拳を交えている間も、一度として視線を逸らさず、淡々と詠唱を紡いでいたのだ。


床に刻まれた紋様が白光を放ち、荘厳な力が広間を包む。

空気が震え、眩い光が黒龍を中心に立ち上がった。


「っ、これは……!」


白龍は静かに目を開いた。

黄金の瞳が冷ややかに輝き、紡がれる言葉は揺るぎない。


「理を乱す闇よ――その身を鎮め、眠りにつきなさい」


広間全体を覆うような荘厳な声とともに、封印の光が黒龍を呑み込んでいく。

光の柱に絡め取られながら、黒龍はなおも無邪気な笑みを浮かべていた。


「白龍、初めからこれが目的で!?」

その声音には焦りすら混じらず、まるで戯れの最中にでもいるかのようだ。


白龍は一切の揺らぎを見せず、黄金の瞳を細める。

「…貴方は理を乱しすぎたのです。しばし眠りにつきなさい」


封印の光はじわじわと黒龍を締め付け、闇の気配を塗り潰していく。


「あーあ、叱られちゃった」

黒龍は楽しげに肩をすくめ、血の滴る唇を歪めて笑った。

その余裕は恐ろしく、まるで自らの敗北すら“遊戯の一幕”としか思っていないようだった。


「……黒龍様?」

アンナロッテが、震える声で呼びかけた。

目に涙を浮かべ、手を伸ばす。


「そーゆー訳だから、後はよろしくね」

黒龍は片目を細め、投げやりに言い放つ。


「そんな!黒龍様!」

必死な声が広間に響く。その声を、黒龍は鬱陶しげに睨みつけた。


「うるさいわね。会いたいなら自分でなんとかしなさい。…まぁ、そう簡単じゃないでしょうけど」

――残酷なまでに冷たい言葉だった。

アンナロッテの顔が絶望に染まっていく。


だが、黒龍の無邪気な笑みは最後に俺へと向けられた。

「カケル?また遊びましょ?」


その瞳が、まるで次を期待するかのように輝いた。

その視線が胸をざわつかせた瞬間、封印の光が一層強くなり、黒龍の姿は完全に呑み込まれた。

広間に残されたのは、余韻のように木霊する声と、重苦しい沈黙だけだった。


黒龍の気配は完全に閉ざされ――勝利の余韻が訪れるはずだった。


「……やったのか」

思わず小さく呟いたその瞬間。


ズズズッ……と胸の奥で何かが蠢く。

黒龍がまき散らした瘴気が、まだ体の中に絡みついているかのように重い。

視界がぐらつき、脈打つ闇が血管を焼くように暴れ出した。


「ぐっ……あ、あぁ……!」

片膝をつき、こみ上げる吐き気と共に喉の奥から呻きが漏れる。

闇の剣が勝手に形を変え、刃の先が脈動するように震えていた。

背後に生じた闇の腕も暴れ、意思とは無関係に空気を切り裂く。


「カケル!?」

遠くでリリアの叫びが耳に届くが、頭の中は黒いざわめきで塗り潰されていく。


――殺せ。

――壊せ。


耳元で囁くような声。

これは…黒龍の瘴気に触れて呼び覚まされた、俺の中の“力”か。


「やめろ……っ、俺は……!」

必死に抗うが、全身の血が逆流するような圧に飲まれていく。

光を求める理性が、闇にかき消されそうになる。


「カケルッ!!」

その闇に飛び込んだのはリリアだった。

暴れる腕に切り裂かれそうになりながらも、その細い身体で俺を抱き締める。


「戻ってきて……!あなたは、そんな人じゃない!」

その声が耳を突き抜け、暗黒に覆われた意識に光を射す。

暴走しかけていた心が、かろうじて踏みとどまる。


(リリア…っ!俺は…まだ…!)


ほんの一瞬、理性が戻った。

だが闇の奔流は止まらず、なおも身体を引き裂こうと暴れ狂う。


「――これ以上は危険です!」

白龍の声が広間を震わせる。

黄金の瞳が輝き、結界の光が降り注いだ。

それはリリアに抱かれる俺を包み込み、暴走の闇を浄化するかのように押し鎮めていく。


「……っ、はぁ……はぁ……!」

光に覆われた中で、ようやく闇が引き下がっていく。

意識が戻り、俺はリリアの肩に額を押し当て、荒い息を吐いた。


リリアの体温が、最後の砦のようにそこにあった。

そして白龍の力が、それを確かな現実へと繋ぎ止めていた。

まだ荒い息が止まらない俺を支えるリリアの手が、わずかに震えているのがわかる。


「…黒龍は眠りにつきました。けれど、この戦いが示したのは一つ――闇は理を踏み越え、人も龍も飲み込むという事実です」


赤龍は唇を噛み、青龍と緑龍はただ沈黙を守り、黄龍は重苦しげに視線を落とした。

それぞれが胸中で、目の前の光景をどう受け止めるかを考えていた。


白龍は静かに続ける。

「人と龍の在り方を巡り、意見は裂けていました。けれど、この場で人と龍が共に闇へ立ち向かった――その事実は揺るぎません」


彼女の言葉に、ざわついていた空気が少し和らぐ。

リリアが俺の肩を支えながら、そっと頷くのが視界の端に映った。


「人と龍は、共に未来を紡ぐことができる。私はそう信じます。そして、今日の出来事はその証となるでしょう」


白龍の声音は澄み渡り、広間の空気を理で縫い止める。

「…ゆえに本日の会合はこれをもって終わりとします。各々、胸に刻みなさい」


白龍の黄金の瞳が、最後に俺へと射抜くように注がれた。

そこには戒めと共に、わずかな希望の光が宿っていた。

その光を胸に焼き付けた瞬間、意識は暗闇に呑まれ――世界は音もなく途絶えた。

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