闇の誘い、過去が紡ぐ絆②
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ヴァネッサ
種族:ヴァンパイア
とある古城に独り住んでいた。幻術・護身術を得意とする。
ライア
種族:リザードマン
流浪の剣士。エルザとは幼馴染。
エルザ
種族:サイクロプス
鍛冶職人。ライアとは幼馴染。
エリシア
種族:エルフ
精霊と心を通わせたり、精霊の力を行使できる。
トーラ
種族:ミノタウロス
ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。
俺達は白龍の守り人に導かれ、街の中心へと足を運んでいた。
石畳は磨き上げられ、建物には龍を象った意匠が随所に施されている。
歩を進めるごとに、街そのものが龍と共にあることを静かに物語っていた。
道すがら、彼女はこの国について語ってくれた。
ヴェルドラは古来より龍との繋がりが深い国であり、他国を凌ぐ大国へと発展できたのは、六龍の加護あってこそだという。
六龍――赤龍、青龍、黄龍、緑龍、白龍、黒龍。
彼らはこの大陸と人間の行く末を常に案じ、その存在によって人々は安寧の時を享受してきた。
さらに六龍には、それぞれ「守り人」と呼ばれる存在がいる。
龍は容易に人前へ姿を現さぬため、契約を結んだ守り人が補佐と代弁を担い、時にその力を振るう。
守り人は龍の意志を伝える者であり、人と龍の間を繋ぐ架け橋のような存在――そうして彼女は語った。
俺達は無言で耳を傾けた。
彼女の落ち着いた声音と、言葉の一つ一つに宿る重みが、街の喧騒の中でも不思議と鮮やかに響いていた。
やがて賑やかな市場や通りを抜け、街の奥へと進んでいく。
人影がまばらになるにつれ、空気は少しずつ張り詰めている。
石畳は磨き上げられ、両脇には龍を象った彫像が並び立つ。
その眼差しは鋭く、進む者を見極めるかのように俺達を見下ろしていた。
やがて高い城壁に囲まれた巨大な門が姿を現す。
その門には龍の紋章が刻まれ、淡い光の揺らめきが表面を走っている。
まるで結界そのものが息づいているかのようだった。
門前には武装した兵が控えていたが、白龍の守り人の姿を見るや否や静かに頭を垂れ、道を開いた。
彼女が一歩進むと、門に刻まれた紋章が淡く輝き、結界が解かれる。
その瞬間、空気ががらりと変わった。
街の喧騒が遠ざかり、ひんやりとした静寂と荘厳な気配が辺りを支配する。
「…ここから先は、龍に仕える者と許された者しか足を踏み入れることはできません」
守り人の言葉に、思わず背筋が伸びる。
俺達はその結界をくぐり、白龍の待つ神域へと足を踏み入れた。
――その瞬間、世界が変わった。
街の喧騒は完全に消え去り、風の音すら吸い込まれたかのような静寂が訪れる。
結界の向こうに広がっていたのは、深遠な森と清らかな水の流れ、そして天空へと聳える純白の神殿。
荘厳で冷ややかな空気が肌を刺し、思わず息を呑む。
人の世を離れたその空間は、まさに龍のために存在する聖域だった。
石畳は大理石で敷き詰められ、光を受けて淡く輝いている。
その先に聳え立つのは、白亜の神殿。
高く伸びる円柱がいくつも並び、天へと吸い込まれるように伸びるその姿は、まるで天空と地を結ぶ橋のようだった。
壁面や柱には精緻な龍の彫刻が施され、祈りを捧げる人々の姿はなくとも、荘厳な気配が辺りを満たしている。
静謐で清浄な空気が漂い、踏み込んだ瞬間から、体の奥底まで澄み渡るような感覚に包まれる。
仲間の誰もが言葉を失っていた。
ただ、歩みを進める靴音だけが、広大な神殿回廊に響いていく。
大理石の回廊を抜けると、視界が一気に開けた。
そこには広大な謁見の間が広がり、陽光が天窓から降り注いで空間を満たしていた。
奥にはひときわ高い壇上があり、その上に純白の玉座が据えられている。
そして、そこに彼女はいた。
玉座に座すその女性は、まばゆいまでの純白に包まれている。
長く流れる髪は雪のように白く、陽光を受けて淡く輝く。
その顔を上げた瞬間、黄金に煌めく瞳がこちらを射抜く。
深い理知と威厳を宿したその眼差しは、見返すだけで胸の奥に震えを走らせるほどだった。
背には純白の翼が広がり、羽ばたかずとも神殿の空気を揺るがすほどの気配を放つ。
腰の後ろからはしなやかな白き尾が流れ、王者の証のように堂々と揺れている。
そして額からは滑らかに伸びる白い角が二本、天を指すようにそびえていた。
その姿は人の形をとりながら、龍の威容そのもの。
清浄なる威厳と神秘を纏い、ただ座しているだけでこの場のすべてを支配していた。
息を呑む俺達を前に、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……ようこそ。遠き旅路を越えて来た者達よ。待っていました」
声は澄み渡りながらも不思議と柔らかく、広間全体を包み込むように響いた。
その瞬間、仲間の誰もが肩の力を抜き、わずかに安堵の息を漏らした。
女神のように気高く美しい存在が、確かに自分達を迎え入れてくれている――そう感じさせる声だった。
そして、黄金の瞳がふとこちらに向けられる。
その刹那、俺の胸に強いざわめきが走った。
どうやら、この場に招かれた本当の理由は、俺自身にあるらしい。
白龍は静かに立ち上がり、玉座の前に一歩進み出る。
「…私は白龍――六龍の一柱にして、この国を護る者」
思わず背筋を正しながら、俺も名を告げる。
「カケルといいます」
白龍の瞳がわずかに柔らかくなる。
「カケル、どうか恐れることはありません。私は人の世に寄り添う龍。ここにいるのは、皆を見守るためなのです」
その言葉に、胸の緊張がほんの少しほどけた気がした。
神話に語られる絶対者が、こうして穏やかに語りかけてくれる事実が、むしろ信じられなかった。
「本当の姿をお見せできなくて、ごめんなさいね」
白龍はふっと微笑みを浮かべ、裾を揺らしながら言った。
「本当の姿…ドラゴンの姿ってことですか?」
俺は思わず首を傾げる。
「ええ。私達六龍は本来、天を覆うほどの身を持つ存在。
けれど魔王アビスの力には抗えず、今はこの人の形でしか在れないのです」
その声音はあくまで柔らかく、けれど奥に悔しさを滲ませていた。
言われて初めて、俺は周囲を見回した。
天井は遥かに高く、柱一本すら巨人の腕ほどの太さ。
白亜の神殿全体が、今の白龍の姿には不釣り合いなほど巨大だった。
なるほど。この神殿は、人の形の白龍のためではなく、本来の“龍”の姿に合わせて造られたものなのか。
そう気づいた瞬間、胸の奥にぞくりとした感覚が走った。
目の前の優雅な女性が、本来は天地を揺るがす存在であることを実感させられたからだ。
白龍は俺達を見渡し、静かに言葉を紡いだ。
「…我々六龍の話は、すでに我が守り人から大まかに聞いたと思われますが――」
その言葉に合わせるように、白龍は隣に控える守り人へとわずかに視線を向ける。
守り人はその黄金の瞳を受け止め、静かに頭を垂れた。
言葉を交わさずとも通じ合うその仕草には、揺るぎない絆と忠誠が垣間見える。
そして白龍は再びこちらへ視線を戻し、続けた。
「赤龍は炎を、青龍は水を、黄龍は大地を、緑龍は緑を、黒龍は夜を司り、この大陸に均衡をもたらしてきました」
白龍はそこで一息つき、静かに目を閉じる。
やがて再び黄金の瞳を開き、柔らかく、しかし揺るぎない声で告げた。
「そして私は、人と龍の歩みを繋ぐ役目を担ってきたのです。人が安寧を得られるよう、龍達が道を誤らぬよう…その橋渡しをすることが、私の務め」
その言葉は荘厳でありながらも、温かく胸に響いた。
六龍の中でただ一人、彼女が人に寄り添う存在であることがはっきりと伝わる。
「…けれど、その均衡は揺らぎつつあります」
その静けさの中で、彼女の声音は低く、しかし澄んだ響きを持って続いた。
「…今、人と龍の在り方をめぐる意見は裂けているのです」
白龍の黄金の瞳がわずかに陰を帯びる。
「赤龍と黄龍は人との距離を保つべきと主張し、青龍と緑龍は歩み寄りを重んじています」
その声は落ち着いていながら、広間に重い緊張を広げていった。
「ですが、黒龍はそのどちらにも背を向け、会合にも姿を見せず…ただ沈黙を続けているのです」
最後の言葉は、深い静寂を連れて広間に落ちた。
仲間達は思わず息を呑み、俺も胸の奥に冷たいものを感じる。
均衡を崩す“欠けた一角”の存在が、いかに大きな不安定を呼ぶかを悟ったからだ。
白龍の声は、静謐でありながらどこか震えを帯びていた。
「…黒龍はただ沈黙しているだけではありません。
あの闇は、時に自らの理をも超えて暴走し、人も龍も区別なく呑み込むのです」
その声が広間に落ちた瞬間、空気が一変した。
凍りつくような緊張が走り、胸の奥を冷たい手で握られたような感覚に襲われる。
「…他の龍がいかに意見を違えようとも、それはまだ“理”の上に成り立つ議論。
ですが黒龍は、理そのものを踏み越え、無秩序をもたらす存在。
あの闇が目覚めれば、人と龍の間に亀裂が生じるどころか…大陸そのものが崩壊に向かうでしょう」
白龍の黄金の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いた。
その眼差しは柔らかさを含みながらも、逃れようのない重さを帯びている。
「だから――あなたの力を借りたいのです」
「俺の?でもどうやって…」
思わず問い返す。胸の奥がざわつき、言葉の端に戸惑いが滲んだ。
俺の力が、この場に持ち込まれるなんて考えもしなかったからだ。
白龍は揺るぎない声音で告げる。
「少々荒療治ですが…黒龍と戦ってほしいのです」
「黒龍と…!?」
息が喉に引っかかる。広間の空気が一瞬で張り詰め、背中を冷たい汗が伝った。
「ええ。倒すまで行かずとも、弱らせられれば、私が黒龍を封印します」
「そんな無茶です!」
リリアが思わず声を張り上げた。
その細い肩は震え、きつく握りしめた拳に爪が食い込んでいる。
彼女の瞳には、ただ恐れではなく、俺を案ずる強い感情が宿っていた。
だが白龍は揺らがない。
「案じなくてもいい。貴方のその力があれば、黒龍と拮抗できるでしょう」
「…俺の力を…ご存じなのですか?」
声が低く、自然と震えを帯びていた。
「この大陸に貴方が来た時点で、私はあなたと、その力の存在を感知していました」
白龍の淡々と語られるその言葉に、背筋が冷たくなる。
まるで全てを見透かされていたかのようで、胸の奥がざわめいた。
白龍は一瞬だけ息を整え、空気がさらに重く沈む。
「それほど強大な力なのです。なぜなら――」
黄金の瞳がひときわ強く光を放ち、言葉が鋭く刻まれる。
「…おそらく、その力は先代魔王の力なのです」
「先代…魔王?」
俺の声はかすれていた。頭の奥で鐘が鳴るように混乱が広がり、心臓が大きく脈打つ。
「っ……!」
リリアは小さく息を呑み、顔を強張らせる。
その視線は俺に寄り添うようでいて、同時に恐怖と葛藤が入り混じっていた。
彼女だけは、この言葉の意味と重さを即座に理解したのだろう。
広間を覆う沈黙は、嵐の前触れのように重苦しく、誰一人として軽々しく息を吐けなかった。
「先代魔王とは――アビスの前に君臨していた存在。
その身に溢れる闇で、この世を破壊と混沌に陥れようとしていました」
言葉が広間に落ちるたびに、胸が冷たく締めつけられる。
この世界を破壊しようとした存在の力…それが、俺の中にあるというのか。
「けれど、先代魔王も最後には討たれました…にも関わらず、その残滓がこうして形を成しているのです」
ほんの一瞬ためらいを見せた後、白龍は静かに言葉を続けた。
「…魔王アビスもその正体に薄々気づいているでしょう。敢えて、泳がせているのかもしれません」
「なっ…!どうして、そんなことを…!」
思わず声が震えた。喉の奥から掠れた言葉が漏れ、胸の奥に冷たいものが広がっていく。
「泳がせるだと…!?じゃあ、アビス様は最初からカケルを――」
ライアは腰の剣に無意識に手をかけ、目を鋭く光らせる。
「そんな…まるで、獲物を試すみたいじゃない…」
セレナは目を見開き、唇に手を当てながら震える声を漏らす。
エリシアは沈痛な表情で視線を伏せ、言葉を飲み込んでいる。
「…魔王め。遊戯のように命を弄ぶのか」
ヴァネッサでさえ、普段の余裕を失い低く唸る。
広間の空気はさらに張り詰めていく――その時だった。
「ちがう!アビス様はそんな方じゃない!…きっと何か考えがあってのことよ!」
鋭い声が広間に響いた瞬間、場が凍りついた。
先ほどまで口々にアビスを非難していた仲間達が、一斉にリリアへと視線を向ける。
ライアは拳を握ったまま固まり、驚きに目を見開いた。
セレナは険しい眉を寄せ、言葉を飲み込むように唇を噛む。
ヴァネッサでさえ静かに目を細め、エルザとエリシア、トーラもただ驚きに沈黙する。
仲間達の戸惑いが渦を巻き、彼女の声の重みを際立たせていた。
その視線を一身に受けても、リリアは一歩も退かない。
真っすぐに俺を見つめるその瞳には、怯えも迷いもなく、ただアビスを信じる確かな意志だけが宿っていた。
沈黙が落ち、広間はさらに異様な気配に包まれていった。
「…皆、気を静めなさい」
白龍澄んだ声が響き渡り、広間の空気が少し和らいだ。
「これはあくまで、私の推測の域を出ません。確たる証があるわけではないのです」
その言葉は冷静で、同時に絶対的な威厳を帯びていた。
感情で揺れていた場が、一気に理に引き戻されていく。
――リリア。
さっきの叫びは、抑えきれず口を突いて出たものだったに違いない。
その震えが、胸に鋭く残っている。
彼女がアビスに抱く想いの深さを、俺は改めて思い知らされた。
俺にはまだ、その絆の深さも過去も分からない。
それでもリリアの想いに寄り添うなら、アビス様のことも信じてみたい。
そんな気持ちが、静かに胸の奥に芽生えていた。
白龍は再び玉座から一同を見渡し、言葉を継ぐ。
「…だからこそ、あなたの力が必要なのです、カケル」
その一言の重みが胸に沈み、息が詰まる。
きっと黒龍との戦いは苛烈を極めるだろう。
その時、俺の中の“闇”がまた抑えきれなくなるかもしれない。
そんな恐怖が脳裏をよぎる。
もし暴走すれば、仲間達すら傷つけかねない。
足がすくむような想像が、心臓を強く締めつけた。
けれど、この大陸を守れるのは、自分しかいないのかもしれない。
リリアをはじめ、共に歩んできた仲間を、そしてこの国を護るために。
「…分かりました」
声は震えていたが、確かな意思を込めた。
「やります。黒龍と戦います」
その瞬間、仲間達が一斉にざわめいた。
しかしそのざわめきを、ひときわ鋭い声が裂いた。
「カケル!ダメよ!」
リリアの声は誰よりも切実だった。
その瞳は揺れ、今にも縋りつきそうなほどの強い不安を宿している。
一瞬、胸が揺れる。
それでも――俺は笑みを作ってみせた。
「大丈夫さ。俺には、皆がいるから」
仲間達に視線を巡らせ、最後にリリアをまっすぐ見据える。
リリアの瞳が揺れ、言葉を失う。
それでもその奥に、小さな光が灯ったように見えた。
白龍はその様子を静かに見守り、ゆっくりと口を開く。
「決意を示してくれたこと、感謝します」
その瞳に宿る光は、理の厳しさを失わぬまま、彼の決意を受け止める温かさを帯びていた。




