闇の誘い、過去が紡ぐ絆①
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ヴァネッサ
種族:ヴァンパイア
とある古城に独り住んでいた。幻術・護身術を得意とする。
ライア
種族:リザードマン
流浪の剣士。エルザとは幼馴染。
エルザ
種族:サイクロプス
鍛冶職人。ライアとは幼馴染。
エリシア
種族:エルフ
精霊と心を通わせたり、精霊の力を行使できる。
トーラ
種族:ミノタウロス
ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。
雪に閉ざされたシェリザーンの果てを越え、世界は一変した。
刺すような吹雪の白から、柔らかな陽光と緑が広がる大地へ。
乾いた空気は湿り気を帯び、遠くで小川のせせらぎが聞こえる。
まるで誰かが境界を引いたかのように、冬の荒野は豊饒の大地に切り替わっていた。
雪を踏みしめてきた足取りが、一転して草の匂いに包まれる。
長い旅路の中で忘れかけていた色彩が、眼前にあふれていた。
緩やかな丘を越えると、その先に城塞都市が姿を現した。
白壁と灰色の尖塔が連なり、塔の先端には必ず龍の意匠が刻まれている。
「大きい街ね……」
リリアの言葉に、俺は無意識に安堵の息を吐いた。
果てしない雪原と吹雪の旅を抜け、ようやく平地の国に辿り着いた実感が胸に広がっていた。
背中を覆っていた冷たい緊張がゆるみ、体の芯から温もりが染み込んでくるように感じる。
ここでは、しばし穏やかな時間を過ごせるのではないか。
そんな淡い期待すら、心の奥に芽生えていた。
やがて俺達は国の入り口へと辿り着いた。
門前には重厚な甲冑に身を包んだ兵士達が立ち並び、訪れる者を一人一人見定めている。
その視線は厳しいが、どこか誇りに満ちていた。
「ようこそヴェルドラへ」
一人の兵士が声をかけてきた。
「ここは六龍の加護を戴く国。あなた方も龍の恩寵の下、安全に過ごせることでしょう」
「龍の国か…ロマンがあるな」
俺は思わず声に出していた。
長い雪原を越えてようやく辿り着いた平地の国。
人と龍が共に暮らし、伝承が今も息づく場所が本当に存在していたなんて。
俺はその事実に胸の奥が熱くなる。
これまでの疲労や緊張も、不思議とどこか遠くへ吹き飛んでいく気がした。
「あなたって、ほんとそういうとこあるわよね」
隣でリリアが小さく笑った。
呆れたように見えて、その眼差しはどこか柔らかい。
まるで子供のように胸を躍らせる俺の姿を、甘く見守ってくれているかのようだった。
重厚な門をくぐった瞬間、目の前に広がった光景に思わず足が止まった。
石畳の大通り、その両脇には色鮮やかな屋根瓦の家々が並び、どの屋根にも龍を模した意匠が施されている。
空気は澄み、賑わいの中に不思議な落ち着きがあった。
「見ろよ、あの屋根瓦、龍の形してるぞ!」
ライアが子供のように指差してはしゃぐ。
「市場も凄いわね。色んな物が売ってるわ」
セレナは鮮やかな布や香辛料の並ぶ屋台を見渡しながら、楽しげに微笑む。
「流石に龍の国だけあって、装飾品も見事ですね」
エリシアは飾られた銀細工や宝飾品に目を細め、落ち着いた口調で感嘆の言葉を漏らした。
「ふむ、これは久しぶりに羽が伸ばせそうだな」
ヴァネッサは肩をほぐすように伸びをして、どこか余裕を漂わせている。
「宿探して、自由行動しよう」
エルザが簡潔に提案する。
その一言で一行の方向性がすっと決まった。
「だな。おーい、そこの兄ちゃん!この辺りで泊まれる宿、どこがいいんだ?」
トーラが早速近くを歩いていた地元の青年に声をかける。
仲間達がそれぞれに賑やかに動き出す中、俺は街のざわめきを全身で受け止めていた。
宿に荷を預け、ひと息ついたあとで外に出ると、すでに仲間達の姿はなかった。
大通りの人混みに紛れて、それぞれ思い思いの方向へ散っていったらしい。
「あれ、もう皆行っちまったのか」
宿から出てきた俺の言葉に、入口脇で待っていたリリアが振り向いた。
「みたいね。さぁ、私達も一緒に行きましょ」
そう言って、彼女は自然な仕草で手を差し出してくる。
強引でも、気取っているわけでもない。
ただごく当たり前のように――それが逆に胸をざわつかせた。
少し照れながらも、俺はその手に自分の手を重ねる。
指先から伝わる温もりに、思わず力を込めすぎないよう注意しつつ、優しく握り返した。
二人並んで石畳を踏みしめ、賑やかな通りへと歩み出す。
屋台から漂う香辛料の香り、人々の笑い声、龍の意匠が刻まれた建物の数々。
そのすべてが新鮮で、けれど隣にいる彼女の存在が不思議と心を落ち着けてくれる。
市場へ足を踏み入れた瞬間、押し寄せる熱気に思わず目を細めた。
石畳の大通りは人でごった返し、屋台には色とりどりの果物や、見たこともない香辛料が山のように積まれている。
肉を焼く香ばしい匂い、甘ったるい蜜菓子の匂い、
鼻を刺激するスパイスの香りが入り混じり、歩くだけで腹が鳴りそうだった。
商人達の声はやかましいほどで、まるでこの喧騒そのものがヴェルドラの活気を象徴しているかのようだった。
「ほら見て、あの果物!」
リリアが少し嬉しそうに指差す。
そこには掌ほどの真っ赤な果実が山積みにされており、太陽を吸い込んだように艶やかに輝いていた。
「これ、甘いのかしら……」
「お嬢さん、よくぞ目が高い!」
待ってましたとばかりに屋台の店主が割り込み、大声で果実を掲げてみせる。
「試してみな! 一口で笑顔になれる甘さだ!」
リリアはおずおずと果実を受け取ると、軽くかじった。
「…あっまっ!ほんとに、一口で笑顔になるわね」
果汁が弾け、唇に滴る。
リリアは驚いた顔をしたあと、思わず笑みを零した。
「じゃあ俺も…」
俺も渡された果実をひとつ受け取り、勢いよくかじった。
…途端に、舌の上を稲妻のような刺激が走り抜ける。
「お、おい、これ…辛っ!?全然甘くねぇぞ!」
思わず肩を震わせる俺を見て、店主が腹を抱えて大笑いする。
リリアは口元に手を添え、必死で笑いを堪えていたが、結局こらえきれずに小さく吹き出した。
「ふふっ、カケル…どうやらそれは外れの実を引いちゃったみたいね」
「外れ!?おいおい、果物で当たり外れあるのかよ!」
周囲の喧騒の中、二人の笑い声も自然と溶け込んでいく。
繋いだ手の温もりを確かめながら、俺とリリアは賑やかな市場の中を並んで歩き続けた。
◇ ◇ ◇
市場を抜けると、いつの間にか陽は傾き始めていた。
朱に染まった光が石畳を照らし、長く伸びる人影の中を、俺とリリアは並んで歩いていた。
市場の喧騒は遠ざかり、街は朱と黄金の光に静かに染められていた。
行き交う人々の足取りもどこかゆるやかになり、遠くで響く鐘の音が一日の終わりを告げている。
「……こうして落ち着いて歩けるの、久しぶりね」
リリアが隣で小さく微笑む。
視線は夕空に向けられているのに、横顔は不思議と柔らかい。
「だな。ずっと慌ただしかったからな」
俺も彼女と同じように空を仰いだ。
胸の奥に溜まっていた緊張が、少しずつ解けていくような感覚があった。
リリアは足を止め、繋いでいた手にわずかに力を込める。
その指先から伝わるぬくもりに、思わず心臓が強く跳ねた。
「でも…私は、この旅が嫌じゃなかったわ。むしろ――楽しかった」
淡々とした言葉なのに、耳に残る響きは妙に温かい。
俺は視線を向けられないまま、唇を引き結ぶ。
「そりゃあ、そうだな。俺も、悪くないと思ってる」
照れ隠しのように口に出したが、胸の奥がじんわり熱を帯びていくのを自覚していた。
リリアはほんのわずかに俺の方へ顔を傾け、瞳を細める。
夕陽の光を受けたその横顔は、穏やかで、それでいてどこか切なげにも見えた。
「…これからも、あなたと一緒にいられたらいいな」
鼓動が一瞬止まったように感じた。
仲間としての言葉、そう受け取ることもできる。
だが視線を逸らさずに告げられたその声色は、もっと深い想いを隠しているようにしか思えなかった。
「…ああ」
ようやく返した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
握られた手の温もりに包まれ、胸の奥が熱を帯びていく。
――だが次の瞬間、心のどこかに冷たい影が差した。
この旅がどれほど楽しくても、この世界がどれほど鮮やかでも。
俺には“元の世界”がある。
帰らなければならない場所がある。
その現実を思い出した途端、胸がちくりと痛んだ。
今こうして隣にある温もりが、いつか自分の手から零れ落ちるのではないか、そんな不安が喉を締めつける。
リリアは気づいていないのか、ただ柔らかな笑みを浮かべたまま歩き出す。
俺もそれ以上は何も言えず、繋いだ手の感触だけを頼りに、夕暮れの街を歩き続けた。
二人の影は寄り添いながらも、どこか儚く石畳に揺れていた。
夕暮れの色が濃くなり、街に灯がともり始めている。
そろそろ戻ろう――そう思い、リリアと一緒に宿へと歩き出した時だった。
前方の人混みの中に、ひときわ目を引く女の姿があった。
白銀の髪が夕陽に照らされ、冷たい光を放っている。
通行人の中に紛れているはずなのに、まるでそこだけ時が止まっているかのようだった。
俺は思わず目を奪われ、ほんの一瞬、その瞳と視線がぶつかった。
背筋を撫でるような違和感。けれど、見覚えのない人物だ。
気のせいだろうと自分に言い聞かせ、そのまま横を通り過ぎようとした。
「…その力…何者?」
女がぼそりと呟いた。
思わず振り返るが、そこにはもう姿がなかった。
ただ人混みの波が流れていくだけで、白銀の髪も冷たい瞳も、影すら残っていない。
「どうしたの?」
リリアが小首をかしげて俺を覗き込む。
夕陽に照らされた横顔は柔らかいのに、その瞳はどこか不安を含んでいるようにも見えた。
「いや…なんでもない」
そう言いながらも、胸の奥のざわつきは消えない。
さっき交わした冷たい視線が、棘のように記憶に引っかかっていた。
それでも、繋いだ手の温もりがかすかに心を落ち着かせてくれる。
俺はその感触に頼るように歩を進め、二人で宿へと向かった。
◇ ◇ ◇
翌朝。
街は柔らかな陽光に包まれ、石畳の上には清々しい風が吹き抜けていた。
市場からはパンを焼く香ばしい匂いや香辛料の香りが漂い、人々の活気ある声が遠くに響く。
宿の前に集まった俺達は、思い思いに今日の予定を語り出していた。
「今日は大図書館に行ってみようかしら」
セレナが目を輝かせて言う。胸の奥からあふれる好奇心は隠しきれない。
「私はエルザと武器屋かな。龍の国の武具も見ておきたい」
ライアが得意げに腕を組むと、エルザは無言でこくりと頷く。
「街の外れの神殿跡も気になりますね」
エリシアは静かな声音でそう言い、視線を遠くに向けた。
歴史や伝承に触れられる場所に、彼女はやはり惹かれているようだ。
「アタイは酒蔵見てみたいな!ヴァネッサ、行こうぜ!」
トーラがにかっと笑って肩を叩くと、ヴァネッサはマントを揺らしながら小さくため息をつく。
「余の口に合う酒ならばよいのだがね」
それでも口元はどこか楽しげで、拒む気配はなかった。
朝の柔らかな光の下、みんなの声が重なり合って響く。
和やかな空気に包まれ、昨日までの緊張感などまるでなかったかのようだ。
それぞれが好きなことを語り合い、笑みを交わす――まるで普通の旅人たちのように。
「カケル、あなたはどうするの?」
仲間達の声が行き交う中で、リリアの問いは不思議と穏やかに響いた。
その眼差しはどこか期待を含んでいて、俺の答えを心待ちにしているように見える。
「ああ、そうだな。じゃあ今日は――」
俺もつられて口元を緩める。
皆と笑い合いながら、今日一日の過ごし方を考える。
この瞬間だけは、旅の重さを忘れていられる――そう思った、その時だった。
「失礼。少しお時間をいただけますか」
澄んだ声が会話を断ち切った。
振り返ると、朝の光を背に白銀の甲冑を纏い、淡青のマントを風に揺らす女性が立っていた。
淡い金髪は陽光を受けて柔らかく煌めき、黄金の瞳はまっすぐにこちらを見据えている。
その眼差しには冷たさはなく、ただ一切の迷いを許さぬ確固たる意志が宿っていた。
彼女が纏う気配は周囲のざわめきすら退けるようで、人混みの中にありながら孤高の光を放っていた。
「えっ、俺達に何か用ですか?」
気圧されながらも問い返すと、彼女はわずかに首を傾ける。
「正確には…貴方に、ですが」
「俺に?」
一瞬、心臓が強く脈打った。背後で仲間達の視線が集まる気配を感じる。
「はい。実は、我が主に会っていただきたいのです」
主――?この国の領主か、それとも貴族の誰かか?
思わず眉をひそめたところで、セレナが怪訝そうに顔を寄せてくる。
「カケル、何かやらかしたの?」
その声音には半ば冗談めいた色があったが、どこか不安も混じっていた。
「いや、俺は何も…」
慌てて否定する俺に、女性は揺るぎない声音で言葉を重ねた。
「そういう訳ではありません。ですが、我が主が是非にと。どうか」
周囲の喧騒とは裏腹に、彼女の声は水面に落ちる雫のように澄み切っていた。
逃げ場を与えない静かな迫力に、息を呑むしかない。
「…まぁ、別にいいですけど。主って誰なんです?王様とかですか?」
努めて平静を装いながら問い返す。
「いえ。我が国が讃えし六龍の一柱――白龍様です」
「白龍だって!?」
思わず声が裏返る。
その名が放たれた瞬間、仲間達の表情から笑みが消え、重苦しい沈黙が落ちた。
胸の奥に広がったのは畏怖と興奮の入り混じる感覚――神話でしか聞いたことのない存在が、今まさに自分を名指しで求めているという現実だった。




