剣に宿るは、ひとつの想い⑥
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ヴァネッサ
種族:ヴァンパイア
とある古城に独り住んでいた。幻術・護身術を得意とする。
ライア
種族:リザードマン
流浪の剣士。エルザとは幼馴染。
エルザ
種族:サイクロプス
鍛冶職人。ライアとは幼馴染。
エリシア
種族:エルフ
精霊と心を通わせたり、精霊の力を行使できる。
トーラ
種族:ミノタウロス
ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。
カケルが眠りについたのを確認して、私はそっと部屋を出た。
静かな夜の空気が肌に触れて心地よい。
ふと振り返ると、トーラが無言で立っていた。
彼女の顔には、あまり見たことのないような迷いの色が浮かんでいたの。
いつもなら真っ直ぐで、力強くて、余計なことなんて気にしないような子なのに。
「…なぁ、リリア。ちょっといいか?」
その声は、いつもの気さくさを潜ませたまま、どこか引き締まっていた。
「…なにか、あったのかしら?」
私が小声で問いかけると、トーラはうなずき、
ほんの一瞬、視線を室内に向けてから、小さく首を振った。
「…できれば、外で話したい。カケルに聞かれたくねぇんだ」
言葉の調子からして、ただの世間話ではなさそう。
私はうなずき、トーラのあとに続いて宿の裏手へと足を運んだ。
ひんやりとした夜風が、微かに金属の匂いを運んできている。
「で、話って?」
「採掘から戻る途中、アタイ達は襲撃に遭ったんだ。…人間の盗掘者みたいな奴らにな」
「それは…大丈夫だったの?」
思わず身を乗り出して尋ねる。彼女は片眉を上げ、肩を竦めた。
「アタイらのことなめんじゃねぇって話さ。でもその時、カケルが…おかしかったんだ」
その一言に、胸の奥がわずかにざわめいた。
「まるで…何かに憑りつかれたみてぇだった。そいつを倒した後も、何度も、何度も……殴りつけて。アタイの声も最初は届いちゃいなかった」
その光景を想像して、胸が締めつけられる。
やっぱり…起きてしまったのね。
「……そう、だったの」
声がひどく小さくなっていたことに、自分でも気づく。
だってもう、気づいていたもの。
彼の中の“闇”が、少しずつ濃くなってきていることに。
「リリア。あの“力”…アンタ、何か知ってんじゃねぇのか?」
…ああ、そう来るのね。問い詰めるような口調ではなかった。
でも、彼女の瞳には、真剣な思いが宿っていた。
だから、嘘はつけなかったわ。
「…ごめんなさい、はっきりとは言えないの。あの闇の力…最初に私と出会った頃から、すでに宿していたものなの」
私は空を見上げた。
星の光がどこか遠く、頼りなく思える。
まるで今の彼の心の中みたいに。
「旅の途中でも、その断片を――力の欠片を吸収するたびに、彼の中で何かが変わっていってる…そんな気がしてるの」
カケルが手に入れた力は、彼自身を強くしてくれた。
けれど同時に、何かを蝕んでいる気もしていた。
本当はもっと早く、手を打っていればよかったのかもしれない。
でも、どうすればいいか、私にはわからなかった。
「じゃあ、あの時の異変も…その影響か?」
「たぶん、ね」
しばしの沈黙が、私達の間を流れる。
でも、不安だけを広げたくなかったから、続けて言った。
「でもね、トーラ。彼が道を外れそうになった時は、私達が引き戻してあげればいいのよ。そうでしょ?」
彼が迷ってしまうなら、その手を取って、真っ直ぐな場所へ戻してあげればいい。
そのために、私はここにいるのだから。
「ったく、アンタってやつは…でもまあ、あいつのことは、アタイも信じてる。だからこそ、今言っておきたかったんだ」
トーラは、ほんの少し呆れたように鼻を鳴らしてぼやいた。
だけど、その口調には優しさがにじんでいた。
私は彼女のその真っ直ぐな想いが、とても嬉しかった。
だから、心からの気持ちで言ったの。
「ありがとう、教えてくれて…本当に」
カケルのことを、仲間が心配してくれている。
その事実が、私にはなによりも心強かった。
闇に囚われそうな彼の傍に、私達がいること。
それが、いつか彼を救えるのだと――信じているから。
「いいってことよ。さて、言いたいこと言ったし、アタイはそろそろ寝るぜ」
トーラがそう言って軽く手をひらひら振ると、私は微笑んで応えた。
「ええ、おやすみなさい…いい夢を」
「へっ、淫魔に言われんのは、なんだか変な気分だな」
いつも通りの調子で、少し照れたような笑みを浮かべながら、
トーラは宿の扉を開けて中へと消えていった。
彼女の蹄の足音が階段を上がる音を聞きながら、私は静かに吐息をひとつ。
夜の空気は、ほんのりと冷たい。
頬に触れる風が、今日の出来事をそっと撫でていくみたいだった。
「――さてと。もういい加減、出てきたら?」
わかってるのよ。そこに気配を潜めてたことくらい。私を誰だと思ってるのかしら?
「おや、バレていたのかね」
背後から、やわらかな声。気取ったような響きが耳に届く。
いつものように落ち着き払ったその声に、私は小さくため息をついた。
「当然でしょ?まったく…気配を消すのは得意でも、私から隠れるにはまだ甘いわよ、ヴァネッサ」
私は唇に笑みを乗せたまま、ふと横を見る。
彼女は、どこか静かな足取りで私の隣に立ち、私と同じように夜空を見上げた。
星が瞬くこの時間――彼女とは、昔もこうして並んで語り合ったことがあったっけ。
あの夜と、空の色はきっと違うのに…不思議と、同じ匂いがした。
「そろそろ潮時ではないのかね?」
その問いが何を指しているのかわかってる。カケルのことよね。
「…でも、私にはどうすればいいのか、まだ…わからないのよ」
思わず本音が零れる。
ヴァネッサの沈黙が、私の未熟さを映す鏡のようで少しだけ苦い。
「魔王アビス様に報告してみたらどうかね?」
ふと彼女がそう提案する。
けれど私は、肩をすくめて小さく首を振った。
「それならきっと、大丈夫よ。あの方ならきっと水晶を使った千里眼で覗き見してるはずだもの」
「召喚してしまった自責の念からかね?」
ヴァネッサが皮肉めいた口調で問いかけてくる。
「それは…多分ないわね。ただ、カケルに興味があるだけ。あの方、そういうタイプだから」
くす、と笑いが漏れる。あの魔王様の気まぐれさには、私ですら時々、振り回されそうになる。
「アビス様が静観していらっしゃるって事は、そこまで脅威じゃないって事なんでしょ、きっと」
「果たして、そうだといいがね」
「…あら。もしかして、アビス様を疑ってる?」
「余は用心深いのでね」
ふふ、らしい返しね。
その口ぶりはいつもと変わらず穏やかだけど、その目に宿る紅い光は冴え冴えとして、
私の言葉を冗談として受け流すつもりはなさそうだった。
「あるいは、“私達で何とかしろ”ってことなのかもね」
そう締めくくるように言いながら、私はふたたび空を見上げた。
月の光が静かに降り注ぐ夜――どこか不安定な予感だけが、胸の奥をかすかに撫でていった。
◇ ◇ ◇
あれから、もう三日が経った。
グランツォル山脈の空は今日も澄み渡り、山々に囲まれた谷間の鍛冶場には、朝から鉄槌の響きが鳴り続いていた。
「……ふぅ」
炎の前で汗をぬぐうエルザは、黙々と赤熱した鉄を叩き続けていた。
その眼差しは真剣そのもので、普段の静かな様子からは想像もつかないほどの集中と気迫が、その姿からにじみ出ている。
傍らでは、腕を組んだモルダンが黙ってそれを見守っていた。
「叩け。まだ芯が残ってる。――迷うな、エルザ」
短く、鋭い言葉だけが飛ぶ。
それでもエルザは頷くだけで、黙々と槌を振るい続けた。
その間俺達はというと、鍛冶場の端に置かれた日除けの下から、様子をこっそり見守っていた。
「…今日もがんばってるな、エルザ」
ぽつりと呟く俺の隣で、ライアが腕を組んだままうなずく。
「表情には出さないけど、根はすごく負けず嫌いなんだよ、あいつ」
エリシアは手にした水筒を抱え、そっと祠の前で祈るように目を閉じていた。
「努力の結晶は、きっと形になりますわ。信じてます、エルザさん」
「ふふ、やっぱりあの子、やる時はやるのね」
リリアは手持ち無沙汰にくるくると羽根飾りを弄びながら微笑んでいる。
「ふむ…さて、そろそろ声でもかけてやるかね。休憩のタイミングを見計らって、だが」
ヴァネッサは壁にもたれ、ふう、と一息ついていた。
それぞれが、距離を取りつつも、エルザの頑張りを見守り、
折に触れて声をかけ、時には差し入れを渡すこともあった。
トーラに至っては、こっそり自作の携帯焼き菓子を渡しては、
『頑張りすぎて倒れんなよ!』と照れ隠しのように言い残して去っていくのだった。
鍛冶場に流れる熱と鉄の空気の中で、少しずつ、確かに何かが変わっていく――そんな気がしていた。
◇ ◇ ◇
夜風が頬を撫でる。
鍛冶場の扉をそっと開けると、鉄と煤の匂いが混じる熱気が鼻をついた。
その奥、赤々と燃える炉の前で、エルザが黙々と槌を振るっていた。
額にはうっすらと汗。真剣な眼差しは、まるで他の何も見えていないかのようだった。
こうしてるの、もう何時間目だろう。
俺は木製のカップを手に、一歩、また一歩と彼女に近づいた。
「……少し、休憩しないか?」
声をかけると、エルザはほんの一瞬だけこちらを見たが、すぐに視線を作業に戻した。
「そんなに根を詰めたら倒れるぞ」
湯気の立つカップをそっと差し出す。
中には香草を煮出した、ほんのり甘い温かい飲み物。
「……平気」
短い返事。それでも、その声にわずかな疲労が滲んでいた。
そこへ、背後から低くて太い声が響く。
「確かに集中してる時に水を差されるのは嫌だろうけど…あまり無理をしても火が鈍るだけだぞ」
振り返ると、モルダンが腕を組んで立っていた。
鋭い目つきでエルザの姿を見据えながら、ふっと口元を緩める。
「ちょっとくらい気を抜いた方が、いい仕事ができるってもんだ」
そう言い残し、モルダンは背を向けてゆっくりと去っていった。
静寂が戻る。エルザは手の動きを止め、炉の火をぼんやりと見つめた。
……そして、ふ、と肩から力が抜けたような気がした。
「…じゃあ、ちょっとだけ」
その言葉を聞いて、俺はほっと息を吐いた。
鍛冶場の外、焚き火を作り、石段に腰を下ろす。隣に座ったエルザも、ようやくカップを両手で包み込み、口をつける。
夜空には星がいくつも瞬いていて、遠くでは虫の音がかすかに聞こえていた。
「…ライアの剣、もうすぐできそうなの」
ぽつりと、エルザが呟いた。
「そうなのか。ライアも…皆も、すごく楽しみにしてるぞ」
俺の言葉に、エルザはほんの少しだけ頬を染めたように見えた。
彼女がこうして誰かのために、自分の技を注いでいる。
それだけで、何だか誇らしい気持ちになる。
「…ありがとう」
その声は、さっきまで金槌を振るっていた時の芯のある音とは違って、どこか心細げだった。
俺は手にした木のカップの温もりを感じながら、少し黙った後、そっと問いかける。
「なぁエルザ。鍛冶ってのは…やっぱり、誰かのために作る方がやりがいがあるのか?」
エルザは少しだけこちらを向いた。
その単眼が焚き火の光に照らされて、深い紫の中に微かな揺らぎが映っていた。
「…うん。力の入り方も…全然、違う」
言葉は少なかったが、その一言にこもった熱が静かに伝わってくる。
「そっか…それだけライアのこと、大事に思ってるんだな」
俺がそう言うと、エルザの目がほんの少しだけ見開かれ、照れたように視線を逸らす。
だけど、その横顔はどこか寂しげだった。
「…うん…それに、私には…これしか、できないから」
俯きながら、彼女は自分の手を見つめる。
鍛冶の熱で少し赤くなった指先、皮膚の強張り、鉄粉が染み込んだ爪――彼女が積み重ねてきた時間の証。
「…エルザ?」
俺が声をかけると、彼女は少しだけ視線を伏せた。
「私には…鍛冶しかないから」
ぽつりと漏らされた言葉は、夜気の中でかすかに震えていた。
「皆みたいに…綺麗でも、強くもない。口下手だし…女としての魅力も…ないし」
そう言ってうつむくエルザの表情は、焚き火の明かりに照らされて揺れていた。
大きな一つ目が、どこか濡れたように潤んで見えたのは、気のせいじゃないだろう。
「だから…せめて鍛冶だけでも…誰かの役に立てるなら、それで…いいの」
「…そんなこというなよ」
俺はゆっくりと息を吐きながら、手にしていた木製のカップをそっと地面に置いた。
「俺は、エルザのこと…誰よりも優しいって思ってるよ」
そう言って、隣で座る彼女の横顔をそっと見つめた。
彼女は驚いたように、こちらを一瞬見返す。
「前に俺が酔っ払って宿に帰ってきた時のこと、覚えてるか?」
「うん……すごい、酔ってた」
くすりと小さく笑うエルザの声が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
「あの時さ、ベロベロになってた俺に、お前は優しく膝枕してくれただろ?」
「そう……だったかな」
「そうだよ。そん時、俺は感じたんだ。お前の優しさと…ぬくもりに」
言葉にしながら、そのときの記憶がよみがえる。
あの静かな夜、彼女の膝の上で眠った安心感。
「普段は無口で、何考えてるかわからないこともあるけど…その優しさは、お前の立派な魅力だよ」
エルザは俯いたまま、でもその肩がほんの少しだけ、震えているように見えた。
「それに……俺はエルザの、大きくて綺麗な目…好きだぞ」
そう言いながら、俺はエルザの顔を正面から見据えた。
一つしかないその大きな瞳が、ゆっくりとこちらを向く。
はっとしたように目を見開いたエルザだったが、逃げることなく――まっすぐに俺の視線を受け止めた。
二人の視線が、空気の振動も感じられるほど近い距離で交わる。
静寂の中、火のはぜる音だけが耳に届く。
余計な言葉はなく、ただ互いの存在を、目で確かめ合うように。
エルザの瞳の奥に、揺れる感情の光が見えた気がした。
驚き、戸惑い、そして…ほんの少しの喜び。
やがて、彼女はそっと目を細めた。
まるで、胸の奥にじんわりと染み込んでいく温かさを確かめるように。
「…ほんとに、そう思う?」
その声には、かすかな期待と、信じたい気持ちが滲んでいた。
「もちろんだ」
俺は即答した。迷いなんて、最初からなかった。
エルザの表情が、ほんの少しだけ緩む。
けれどそれは、普段の彼女からは想像できないほど、繊細で壊れやすい笑みだった。
気がつけば、俺とエルザの膝が、そっと触れ合っていた。
でも、どちらも離れようとはしなかった。
言葉はもういらない――互いの気持ちは、視線と沈黙の中で、しっかりと結ばれていたから。
静かな夜に、少しだけ…心が近づいた気がした。
◇ ◇ ◇
朝焼けが、グランツォルの峰を黄金に染めていた。
鍛冶場の空気はまだ少し冷たく、けれど炉の熱気だけが、そこに小さな陽だまりを作っていた。
カァン――カァン――。
火花が弾けるたび、あの低く澄んだ音が、まるで心臓の鼓動みたいに胸を打つ。
俺は、エルザの背中を静かに見つめていた。
無駄な言葉も、動きもない。
ただ、一打一打に込める想いだけが、その姿を美しく映していた。
「…これで、最後」
低く、しかし確かな声だった。額にはうっすらと汗が滲んでいる。
普段あまり感情を表に出さない彼女が、ほんの少しだけ唇の端を上げた気がした。
そして――
カァンッ!
その音は、これまでのどれよりも鋭く、まるで誕生の産声のようだった。
炉の前に置かれた一振りの剣が、静かに、確かに命を宿した。
「…これで完成」
作業台の上に横たえられたその剣は、ひと目でただ者じゃないとわかる代物だった。
細身ながら芯の通った刀身は、月光のように淡く光を湛えている。
銀青色に染まったその輝きは、ミスリル――この世界でも最上級の金属が用いられている証だ。
刃はわずかに波を打ち、研ぎ澄まされた切っ先が、空気までも裂きそうな鋭さを帯びていた。
「…すごいな」
思わず漏れた言葉は、ただの感想以上のものだった。
この剣に込められた時間も、技も、気持ちも、全てが、確かにそこにあった。
そのとき、奥に腕を組んで立っていたモルダンが一歩前に出た。
剣に視線を落とし、しばらくじっと見つめ、低く、しかし確かな声で呟く。
「…火に選ばれた者が鍛えし刃、か。悪くない」
口元は僅かに吊り上がり、目の奥には職人としての誇りと、認める者の眼差しが宿っていた。
「ライア……きっと、喜ぶ」
その声に、微かな期待と不安が混じっている気がした。
彼女の中で、この剣は単なる武器ではない。
彼女の想いが込められた“絆”の証そのものなんだと。
◇ ◇ ◇
俺達は鍛冶場を出て、澄んだ山の空気に包まれながら外へと歩いた。
視線の先には、鍛冶場前の岩に腰を掛け、のんびりと空を見上げているライアの姿があった。
エルザは無言で近づき、両手で包むように一本の剣を差し出した。
銀青色に輝く刃が陽光を反射し、ひときわ眩しく見えた。
「ライア、できたよ」
控えめな声だったが、その響きには自信と想いが込められていた。
ライアは目を見張り、跳ねるように岩から立ち上がる。
反射的に一歩踏み出し、差し出された剣に手を伸ばした。
「おおっ…これがミスリルの剣か!」
手にした瞬間、ライアの表情がぱっと明るくなる。
日差しを浴びた刃が虹のような輝きを返し、彼女の目には宝物でも映っているかのようだった。
ゆっくりと剣を構え、試すように軽く振ってみる。
ひと閃、風を裂く音が静寂を破った。重さを感じさせないその振りに、俺も思わず唸る。
「…すげぇ、バランスがいい。振った時に手に吸い付くみたいだ」
興奮を隠しきれない様子で、ライアは何度も握り直しては軽く振り、
バックステップして構えを変えたりと、剣の感触を確かめていた。
その仕草はどこか無邪気で、戦士というより子供のようだった。
「ありがとう、エルザ。これ…本当に、すごい」
心からの声だった。ライアの両腕に抱えられた剣は、まるで長年の相棒のようにしっくりと収まっていた。
「…ライアに合うように、頑張ったから」
それだけだったが、想いの深さは言葉以上に伝わってきた。
俺はそのやり取りを見守りながら、自然と頬が緩むのを感じていた。
――ああ、いい光景だなって、そう思った。
剣はただの武器じゃない。エルザが込めた想いと、ライアの信頼とが、確かにつながった瞬間だった。
◇ ◇ ◇
陽光の下、鍛冶場の広場。
皆の視線が自然と集まる中、ライアはそっと鞘に手を添えた。
「…一度、振ってみたい。どれだけ仕上がってるか、確かめたいんだ」
その声にエルザが無言で頷く。
彼女の目には、微かな自信と鍛冶師としての誇りが宿っていた。
ライアは腰の剣を抜き放つ。
鋭い音と共に現れたミスリルの刃は、光を受けて青白く輝いた。
目の前に置かれたのは、試し用にと用意された岩。
人の胸ほどの大きさはある、十分に堅そうな代物だ。
息を整え、構えを取る。
一瞬――静寂が支配する。
そして、閃光のような動き。
「はっ!」
刃が空を裂き、風が鳴った。
次の瞬間、岩が真っ二つに割れていた。音もなく、きれいに。
まるで、もともとそこに切れ目があったかのように。
「おお…」
誰かが漏らした感嘆の声をきっかけに、周囲がどよめいた。
トーラが腕を組みながら『やるじゃん』と口元を緩め、ヴァネッサは『見事な切れ味だ』と目を細める。
「…すごいな、ライア」
思わずそう呟いた俺に、ライアは照れたように笑ってみせた。
「この剣なら、前よりずっと強くなれる気がするよ」
剣を軽く振り、再び鞘に収めると、彼女は俺に目を向けた。
「なあ、カケル。少しだけ付き合ってくれないか?模擬戦だ。お前と剣を交えて、確かめたいんだよ、自分がどこまで通用するか」
その真っ直ぐな眼差しに、俺は自然と頷いていた。
「俺でよければいいぜ。じゃあ軽く一本、手合わせってことで」
俺も闇の剣を展開し、軽く構える。
剣士としての構えに無駄がない。
ライアの動きが、かつてのものより遥かに洗練されているのがわかった。
そして踏み込んできた。
速い。剣筋が鋭く、迷いがない。
俺の一撃を読み切ったかのように避け、隙をついてくる。
(これは…本気でやらないと押されるな)
剣と剣が交差する。火花が散る。
軽く汗がにじむ。けれど、どこか楽しい。
戦いの中にある、言葉を超えた対話のような時間。
以前、剣術大会でライアと戦ったときの記憶が蘇る。
あの時も、剣を交わすたびに腕がしびれるような感覚があった。
彼女の一撃一撃に、迷いがなく、芯が通っていた。
技量では…今でも、たぶん勝てない。
だけど――
(あれから、俺もいくつも戦ってきた。何度も命を懸けて、仲間を守ってきたんだ。簡単にやられちゃあ、相手が務まらないってもんだ)
ライアが素早く飛び込んできた。
だが動きが読めないわけじゃない。
「ッ!」
闇の剣でその重い一撃を受け止める。
振り下ろされた剣が俺の腕にずしりと響く。
けど、こっちもただ受けるだけじゃない。
弾き返し、右に回り込んでカウンターを放つ。
だが、ライアはすでに身を引いていた。
「やるじないか、カケル!」
「そっちこそ!」
歯を食いしばる。剣と剣が火花を散らす。
お互いの息づかいが、じりじりと距離を詰める中で重なっていく。
闇の剣の軌道を読ませないようにフェイントを混ぜるが、ライアの剣筋はぶれない。
むしろ、その剣がどんどん馴染んできてるのが、見ていてもわかる。
まるで、もともとライアのために生まれた剣みたいだ。
「こっちも、負けられないからな!」
打ち合いはさらに激しさを増した。
金属同士がぶつかる澄んだ音が、何度も空気を裂く。
お互い一歩も引かず、技と力の応酬を繰り返す。
「はっ!」
ライアの鋭い一太刀を、俺はギリギリで受け止めた。だが――
(くそ、捌くだけで精一杯だ…)
流れるような連撃。体が追いつかない。
俺が振るう闇の剣は、確かに強靭だ。
だがライアの剣は、それ以上に洗練されていた。
雑念のない動き。無駄のない間合い。
何より、彼女の足運びが一切の迷いを見せない。
「っ!」
反応が遅れた瞬間、ライアの剣が軌道を変え、俺の手元を正確に打ち払う。
「……!」
闇の剣が弾かれ、霧のように霧散する。
そのまま、ライアの剣先が俺の喉元に静かに突きつけられた。
「…はい、終了」
ライアが息を整えながら、軽く肩で呼吸している。
俺は息を呑み、そして思わず笑ってしまった。
「…参った。やっぱり強いな、ライア」
「ははっ…私は剣でしか戦えないからね。その分、誰にも負けたくないって思ってる」
ライアが剣を引き、俺に手を差し伸べてくる。
「でも、お前も前よりずっと手強くなってたよ。正直、ヒヤッとした」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
(…負けたけど、無駄じゃなかった)
俺もライアの手を取って、立ち上がった。
「次は、もっとヒヤッとさせてやるさ」
「楽しみにしてるよ、カケル」
夕焼けが差し込む中、二人の笑顔が交差する。
勝負はついた――けれど、それは終わりではなく、また次への約束だった。
◇ ◇ ◇
「…今まで、本当にありがとうございます」
エルザがモルダンに頭を下げたのは、旅立ちの準備を終えたちょうどその時だった。
その声音は決して派手じゃないけれど、今まで聞いたどんな言葉よりも芯が通っていた。
「礼なんていいさ。お前さんが本気で打ち込んでたってのは、そばで見てりゃ嫌でも伝わった。……もっと先を目指すんだろ?」
モルダンは腕を組みながら、どこか誇らしげに笑っていた。
あのぶっきらぼうな態度の裏に、確かな信頼が感じられる。
「はい。私、もっと上手くなりたい。もっと…自分の“好き”を、カタチにできるようになりたいから」
そう答えるエルザの瞳は、迷いなくまっすぐだった。
俺は少しだけ口元が緩むのを自覚する。
ああ、あいつ…ほんとにいい顔をするようになったな。
「言うねぇ。だったら、こんなとこで止まってる暇はねぇな」
そう言ってモルダンは笑い、ふとこちらへと視線を向けた。
「それであんたら、これからどこへ行くつもりだ?」
「え?どこって…」
不意を突かれた俺は、思わず言葉に詰まった。
正直なところ、次の行き先はまだ決めきれていなかった。
「なんだ、行く当てがないのかい」
肩をすくめるモルダンに、苦笑いしか返せなかった。
「だったら、そこの山道を真っ直ぐ抜けりゃ、雪原地帯に出る。
天気が荒れやすいが、風の通り道になってるから、比較的安全だ」
「えっ、雪原地帯にいくの?」
突然の行き先に驚いたようにセレナが声を上げる。
「何かまずいのか?」
「そりゃあ、私とかライアは寒いの苦手だし…ねぇ」
ちらりとライアに視線を送ると、彼女は腕を組んだまま小さくうなずいた。
「確かに、それにこのまま行ったら凍え死んじまうな」
「うーん……」
さすがに装備の問題は無視できない。
雪原地帯となれば、下手をすれば命に関わる。
「なんなら、防寒着でも用意してやろうか?」
何気ない口調で、しかしその言葉には温かみがあった。
「えっ、いいんですか?」
「まぁ、久しぶりにいい人材を育成できたしな。それの礼ってところだ」
モルダンの視線は、ほんの一瞬だけエルザに向けられていた。
彼女もそれに気づいたのか、小さく微笑む。
「それなら、多少はなんとかなるかしら」
セレナは腕を組みつつも、どこか安心したように目を細めた。
どうやら、装備さえ整えば覚悟はできているらしい。
旅は、またひとつの節目を越えようとしている。
次なる目的地は、雪と氷に覆われた未知の地。
吹雪が吹き荒れる白銀の世界が、俺達を待っているだろう。
けれどこの仲間達となら、どんな地でも越えていける――そんな確信を胸に、雪の大地へと向けて、一歩を踏み出した。




