剣に宿るは、ひとつの想い⑤
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ヴァネッサ
種族:ヴァンパイア
とある古城に独り住んでいた。幻術・護身術を得意とする。
ライア
種族:リザードマン
流浪の剣士。エルザとは幼馴染。
エルザ
種族:サイクロプス
鍛冶職人。ライアとは幼馴染。
エリシア
種族:エルフ
精霊と心を通わせたり、精霊の力を行使できる。
トーラ
種族:ミノタウロス
ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。
俺達はドワーフの砦にあるモルダンの工房に戻ってきた。
陽が差し込む窓のそばで、モルダンがぽつんと置かれたライアの折れた剣をじっと見下ろしていた。
「……やっぱり、折れたか」
短くつぶやくその声音は、責めるでもなく、ただ静かに事実を受け止めていた。
「やっぱりって?」
すぐそばに立っていたエルザが、低く問い返す。
言葉は控えめだが、その胸の奥にある感情までは隠しきれない。
唇をギュッと噛み締めたまま、目を伏せる。
「いや――いずれこうなるだろうと思ってただけだ」
モルダンは視線を剣から外さずに答えた。
語気は柔らかだったが、どこか覚悟を伝えるような響きを帯びていた。
エルザは何も言わなかった。ただ、悔しさを押し殺すようにまぶたを閉じる。
「それで、肝心のミスリルはどうした?」
話題を切り替えるように、モルダンが問いかける。
エルザはうなずき、腰に提げていた革袋をそっと外した。
袋の中には、青銀色に輝く鉱石ミスリルがぎっしりと詰まっている。
「それなら、これです」
彼女が袋を差し出すと、モルダンはそれを片手で受け取り、ざらりと中身を掌にあけた。
砕かれた粒のひとつひとつが、冷たい光を帯びてきらめいた。
その輝きを、モルダンはしばし無言で見つめる。
「…ほぅ、よく採ってきたもんだ」
感心したように目を細め、指先でひと粒を転がす。
「上等だ。これだけあれば十分だろう。合格だ」
そう言いながら、袋ごとエルザに返す。
「じゃあ…」
小さく確認するように呟くエルザに、モルダンはふっと笑みを浮かべた。
「約束だからな。俺がドワーフの技術をみっちり教えてやろう。逃げるなよ?」
その言葉には、師としての覚悟と、鍛冶師としての誇りが込められていた。
エルザの肩が、ほんのわずかに震えた。
それが安堵なのか、誇らしさなのかはわからない。
ただ、彼女の目が少し潤んで見えたのは、気のせいじゃなかった。
少し後ろで見守っていた仲間達も、ほっとしたように息を吐いた。
「やったな、エルザ」
ライアが小さくガッツポーズをつくる。折れた剣のことは気にしていないと言わんばかりの、晴れやかな笑みだった。
「ふふ、努力が報われてよかったです」
エリシアが両手を胸元で重ね、静かに微笑む。
トーラは腕を組んだままうんうんと頷いている。
「試練ってのは、やっぱ魂が籠もってなきゃ通れねぇんだな。なあ、カケル?」
「……ああ、そうだな」
俺は頷きながら、エルザの背中を見つめる。
エルザはそんな皆の気配に気づいたのか、ちらりと振り返る。
そして、照れくさそうに、けれど確かな想いをこめて――
「…ありがとう、ございます」
その声は、これまでの無表情な彼女とは違って、どこか温もりを含んでいた。
◇ ◇ ◇
火の粉が、まだどこかで散っている気がした。
胸の奥がじんわりと熱い。けれど、苦しいわけじゃない。
ただ――暖かくて、少し、くすぐったい。
さっきまで脈打っていた緊張も、どこかに溶けていくような感覚。
「ありがとうございます」
気づけば、そう言って頭を下げていた。
足元の石畳に視線を落としながら、心の奥にゆっくりと沁み込んでくるものを感じていた。
静かに鳴っていた心の鐘が、ようやく一度だけ、深く鳴り響いた気がした。
言葉の重みが、ちゃんと伝わったのだろうか。
視線を上げると、モルダンは腕を組んだまま、ふん、と鼻を鳴らした。
「礼はいい。礼より行動だ。こっちだ、ついてこい」
ぶっきらぼうな言葉。
でも、その奥にごくわずかだけど、確かな温度があった。
否定でも拒絶でもなく、ただ真正面から投げられた“合図”。
ついてこい。
その言葉が、やっと届いた“承認の証”に思えた。
「はいっ」
自然と声が弾んでいた。思わず、拳を軽く握りしめる。
皆からの応援の眼差しが私の背中を押してくれている。
けれど、今の私には、それが少し遠くに感じられた。
まるで新しい扉の前に立った感覚。
いま、視界にあるのは、モルダンの背中。
煤けて、ごつごつして、大きな影。
けれど、そこに見えたのは、職人としての誇りだった。
歩き出す彼の足取りは迷いなく、まるで炎を割って進む鍛冶神のように思えた。
砦の奥。
熱と音が立ち込める、あの空間へ。
私の“これから”が始まる場所へ。
私は、鍛冶槌を握る手をそっと確かめながら、モルダンの後を追いかけた。
ドワーフ達の鍛冶場に一歩足を踏み入れた瞬間、熱と鉄と汗の匂いが鼻腔を突いた。
私は無意識に背筋を正す。
目の前にはいくつもの作業台と炉が並び、分厚い鉄槌の音が絶え間なく響いていた。
炎がゆらめき、金属の赤熱が影を踊らせる。
どこを見ても、力強く、無駄のない動きで作業を続ける職人達の姿があった。
そんな中を、モルダンは無言で歩いていく。
迷いのない足取りで、まるで“道”そのものを刻むように。
炉のひとつにたどり着いたところで、モルダンはようやく足を止めた。
「ここを使え。今日からお前の持ち場だ」
私は静かにうなずく。
だが、その直後に飛んできたのは、予想していなかった一言だった。
「まずは鍛冶の基本から叩き込む。基礎が身に染みてなきゃ、どれだけ才能があっても半端なもんしか作れねぇ」
耳を疑った。自分は故郷でずっと鍛冶をしてきた。
武器も、防具も、実際に戦えるものを数多く打ってきた。
それなりに自負はあった。
「…わたし、一応、鍛冶は…」
口をついて出た言葉は、どこか小さかった。
だが、モルダンはそれに眉一つ動かさず、火の粉のように鋭い声を返した。
「知ってるさ。お前の腕も、仕上げた武器も見せてもらった。だが、あれはあくまで“我流”だろう?」
確かに自分の打っていた鉄は、両親からある程度教わったが、ほぼ独学の延長線だった。
誰かに本格的に学んだことは、一度もない。
故郷では、それで十分だった。でも今は違う。
私は拳を握りしめる。目を伏せた視界に、粉まみれの自分のブーツが映る。
悔しい。でも――悔しいけど、わかっていた。
「基礎があってこそ、応用が活きる。誤魔化しの技じゃ、長くは通用しない」
痛いところを突かれた。でも、それが事実だというのもわかってる。
モルダンは、じっと私を見ている。揺るがぬまなざし。
その中に、叱責ではない“期待”のようなものが見えた気がした。
「…教えてください。わたし、もっと強くなりたい。ちゃんと、“打てる鍛冶師”になりたい」
モルダンの口元が、わずかに緩んだ。
「よし。なら、火を入れろ。最初にやるのは鉄の温度管理、それがすべての基本だ」
炉の奥で、赤く燃えさかる炎がゆらりと揺れた。
エルザは息を吸い、ゆっくりと吐く。
そして、再び金床の前に立った。
(――わたしは、ここで変わる。変わらなきゃいけない)
そう胸の奥で誓いながら、私は炉の扉を開いた。
◇ ◇ ◇
焚き火の薪がぱちりと音を立て、夜の静寂をわずかに破る。
俺達は砦の中庭に設けられた食卓に集まり、簡素ながらも栄養のある夕食を囲んでいた。
スープの香りが鼻をくすぐり、パンの温もりが手に伝わる。
だが、その味をじっくり堪能している者は、ほとんどいなかった。
皆の視線は、自然と鍛冶場の方向へと向いている。
今もなお、エルザが師匠モルダンと共に槌を振るっている音が、カン…カン…と規則正しく響いていた。
昼間から続いている鍛錬は、夜の帳が下りても終わる気配がない。
「…ずっとやってるな。大丈夫か、エルザ」
俺は湯気の立つ器を手にしたまま、遠くに揺らめく炎の明かりを見つめる。
「根を詰めすぎるのも良くないと思うけれどね」
火の粉を追うように目を細めたセレナが、肩をすくめながら口にする。
だがその言葉の奥には、どこか心配の色が滲んでいた。
「でも、熱心でいいじゃない?あの子のあんな真剣な眼、見るの初めてだもの」
リリアは微笑みながらも、その紅の瞳には揺るがぬ光が宿っていた。
まるで誰かの過去を重ねているかのように。
「そうとも。若者の熱意は尊敬に値する」
優雅にカップを傾けるヴァネッサの声音はいつも通りだが、
その横顔はどこか誇らしげだった。
「ミスリル製の剣ってどんな風になるんでしょうね」
エリシアは膝の上で指を組み、まるで物語を聞く少女のような瞳で呟いた。
彼女にとっても、未知の鍛冶は新たな世界のようだった。
「まぁ、ライアの剣を作りなおさなきゃだしな」
骨付き肉をかぶりついた後、トーラはあっけらかんと笑ってみせる。
だがその視線も、やはり鍛冶場を追っていた。
「ふっ…」
ひと口スープを飲んだライアが、不意に小さく笑う。
その笑みに、懐かしさと、ほんの少しの照れが混じっていた。
「どうした、ライア」
俺がそう声をかけると、彼女は少しだけうつむいて、焚き火の揺らぎを見つめる。
「いや、なんか昔のことを思い出してな」
燃えゆく炎を眺めながら、ライアの声が少しだけ柔らかくなる。
その口調から、かけがえのない時間をふと思い出したような、そんな余韻が感じられた。
「昔って……?」
隣にいたリリアが、湯呑みを手にしたまま身を乗り出すように尋ねる。
「ガキの頃、エルザが初めて鉄を打った日があってな」
その言葉に、皆の視線が自然とライアに集まる。
話しながらも、ライアはどこか照れくさそうに頭を掻いた。
「私達がまだ幼かった頃だったと思う。あいつ、母親の仕事場に入り浸ってて……見よう見まねで槌を握ったんだ」
焚き火の炎がゆらぎ、ライアの横顔を赤く照らす。
その視線の先には、今もなお火花が飛び交う鍛冶場の灯りがある。
「結果は案の定、火傷して泣きべそかいたけどな。でも、面白いのはそこからだ。
手を冷やしながら、あいつ、言ったんだよ。“またやる”ってさ」
思い出したかのように、ライアはふっと笑う。
あの時の情景が、昨日のことのように鮮明に蘇ってくるのだろう。
「根性があるのね」
セレナが静かに言葉を挟む。
スープをかき混ぜながらも、その瞳は真っすぐだった。
「ああ。あの時からずっとそうだった。うまくいかなくても、黙って何度も挑む奴だった。…私とは、真逆だったな」
言葉の端に、少しだけ悔しさと、そして尊敬の色が滲んでいた。
「私は、剣の練習でつまずくとすぐにイライラして、地面を蹴ってばかりだった。
で、あいつにいつも言われてた。“剣も鉄も、焦ったら割れるよ”ってな」
「…エルザらしいセリフだな」
トーラが苦笑交じりに呟くと、皆が小さく頷いた。
「それでも、きっとライアさんと一緒だったから、諦めずに進めたのでしょうね」
エリシアが微笑みながらそう言う。焚き火の揺らめきが、彼女の翡翠色の瞳をほのかに照らした。
「ふむ。鍛冶も剣も、続けるには隣に誰がいるかが大事ということか」
ヴァネッサが紅茶の入ったカップを揺らしながら、静かに語る。
まるでそれが長い時を生きた彼女自身の答えでもあるかのように。
ライアは火を見つめたまま、そっと頷いた。
「……そう、かもな」
ぽつりと漏れたその言葉には、長い年月をかけて熟成された想いと、今も変わらぬ絆がこもっていた。
焚き火の音が、それをそっと包むように鳴り続けていた。
ライアがふと視線を落とし、手元の剣の破片にそっと触れる。
その指先に、かつての熱が蘇ったかのように、ぽつりと呟いた。
「…そういえば、もうひとつ、あいつとの思い出があったな」
誰もがその声に自然と耳を傾ける。
「私が少し成長して、剣の重さにも慣れてきた頃だった。…エルザが、自分の手で初めて一本の剣を打ち上げたんだ」
その声には、どこか照れくさそうな、それでいて誇らしげな響きがあった。
「それを私にって、渡してきてな。言葉も何もなかった。ただ、無言で差し出してきたあいつの目が、やたら真剣でさ……」
エリシアが目を輝かせて身を乗り出す。
「わぁ…それってすごく特別なことですわね。まるで、大切な儀式のようですもの」
ライアは苦笑し、頬を指で掻いた。
「見た目は、ぶっちゃけ粗かったんだ。鍔のバランスも悪いし、刃も少し歪んでた。
でも…不思議と、嬉しかったんだ。あいつが、自分の技術を試す相手として、私を選んでくれたのがさ」
リリアがふっと微笑む。
「ふふっ、いい話じゃないの。そういうの、ちょっと憧れちゃうな」
セレナがわざとらしく眉をひそめながら、ニヤリと口角を上げる。
「それってもう、プロポーズみたいなものなんじゃない?」
「な、なに言ってんだお前はっ!」
ライアが赤くなって慌てて叫ぶと、周囲からくすくすと笑い声がこぼれた。
「で、その剣はどうしたんだ?」
俺の問いにライアは一瞬だけ視線を泳がせた後、やや照れたように答えた。
「今でも、家にあるよ。さすがに実戦じゃ使えなかったけど。私はしばらく、その剣で素振りしてた。
ボロボロになっても、なんか捨てられなかったんだよな…」
そこには、懐かしさとともに、かけがえのない時間が刻まれていた。
「その後また、あいつが新しい剣を打ってくれてな。それが――今日、折れちまった剣さ」
そう言って、そっと手のひらを握りしめる。
小さな火の灯りに照らされたその瞳には、悔しさではなく、確かな絆のぬくもりが宿っていた。
「あの剣で、私は沢山の戦いを乗り越えてきた。あいつの技術と気持ちが詰まった、誇りにできる剣だったよ。
だから――折れちまった時、ちょっと、寂しくなったんだ」
焚き火の火花が、夜空に向かって一筋走った。
まるで、語られた思い出の一片が、風に乗って舞い上がっていくようだった。
「だからこそ…また新しい一本を作る時だな」
俺の言葉にライアはしばらく何も言わなかったが、
やがて口元を少し緩めて、真っすぐに言葉を返した。
「ああ。私はあいつを、信じてる。……誰よりもな」
それは、幼馴染として、戦士として――そして、仲間としての信頼の言葉だった。
炎のはぜる音が、やわらかに夜の空気に溶けていく。
その静けさに包まれながら、鍛冶場の奥で黙々と槌を振るうエルザの姿を思い浮かべていた。
こうして夜は、ゆっくりと更けていった。




