剣に宿るは、ひとつの想い③
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
ライア
種族:リザードマン
流浪の剣士。エルザとは幼馴染。
エルザ
種族:サイクロプス
鍛冶職人。ライアとは幼馴染。
トーラ
種族:ミノタウロス
ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。
ミスリルを慎重に採掘し続けて、どれほど時間が経っただろう。
ようやく、砦の試練に応えるのに十分な量を確保できた。
銀青にきらめく鉱石は、岩の奥からひとつ、またひとつと姿を現し、専用の袋へと静かに収められていく。
「…これで、必要分は揃ったな」
トーラが額の汗を拭いながら、手にした袋の重さを確かめるように揺らす。
鉱石の硬質な重みが、勝利の証のように肩へと伝わってきた。
「うん…品質も申し分ない。きっと、通る」
エルザがほっとしたように呟き、小さく微笑んだ。
泥と汗にまみれたその表情は、どこか誇らしく見えた。
俺達はそれぞれ採掘道具を片付け、荷を背負い直した。
足取りは重かったけれど、それ以上に充実感があった。
「ふぅ…あとは戻るだけか」
ライアが腕を軽く振り回して、こわばった肩をほぐす。
息は荒いが、口元にかすかな達成感が見えていた。
「へへ、ようやく終わったな。晩飯はガッツリいきたいところだぜ」
トーラが笑いながら先頭に立ち、坑道の出口へと歩き出す。
俺達もそれに続いて進み始めた。
坑道を抜ける道中、照明は乏しく、ランタンの灯りだけが頼りだった。
けれど、次第に目が慣れ、遠くから外光が差し込むのが見えたとき、
俺達の胸には、ほんのわずかな安堵が芽生え始めていた。
しかし、その空気がふいに張り詰めた。
まるで視界の端で“何か”が動いたような気配。
足元の空気が冷え、わずかに風向きが変わる。
「……待って」
エルザが足を止め、小さな声で言った。
その目が、真っすぐに出口の方を見つめている。
俺達も反射的に動きを止め、視線を前に向けた。
坑道の出口に、男が立っていた。
分厚い肩と胸板、鋼のような筋肉に覆われた腕。
そして、確実な殺意と自信を湛えた目。
さっき坑道で戦った大柄なリーダーの男だ。
だが、今回は一人ではなかった。
彼の隣には、見間違うほどそっくりな男が並んでいた。
体格もほぼ同じ。だが、目つきと雰囲気がまるで違う。
兄は堂々たる威圧感を、弟は冷ややかな静けさを纏っていた。
その双子の兄弟が、無言のままこちらをじっと見据えていた。
「…やっぱり、来やがったか」
トーラがつるはしをおき、拳を構えて唇を吊り上げる。
リーダーの口元がゆっくりと歪んだ。
「ようやく出てきたな。随分と時間をかけたようだな…重そうな荷物を持ってよ」
俺の背にかかる鉱石の重みが、急に違った意味を持ち始めた気がした。
「ミスリル…しっかり掘れたみたいだな?ご苦労なこった」
静かに言ったのは、もう一人の兄弟の方だった。
落ち着いた口調とは裏腹に、その声には“奪う”という意志がはっきり込められていた。
「だが、その成果はここで置いていってもらう」
リーダーが肩に担いだハンマーを軽く構え直し、一歩、こちらへと足を踏み出す。
「今度は逃げねぇ。お前らの旅も、ここで終わりだ」
その瞬間、空気が弾けるように張り詰めた。
「弟者、どいつを殺す?」
兄であるリーダーの問いに弟は俺とトーラを一瞥して指さす。
「そうだな、兄者…俺はこのひょろい男と、牛女とやるぜ」
トーラの肩がぴくりと動く。俺は思わず苦笑をこぼした。
「…ひょろいか。舐められたもんだな」
「へっ、そのにやけた面、アタイ達でぶっ飛ばしてやるよ」
トーラは拳を握り、音を立てながら構えを取る。
目には獣のような火が宿っていた。
「なら、俺はトカゲ女と一つ目女か」
兄は重たいハンマーを肩に担いだまま、のそのそと前に出てくる。
その目は、まるで岩盤でも砕くような重圧を帯びていた。
「気を抜くなよ、エルザ」
「うん……ライアも」
ごく自然に、俺達は二手に分かれていた。
前衛と後衛、重さと速さ、力と技。それぞれの得意分野が違う分、分担は理にかなっていた。
俺はトーラと並んで構える。
相手は、冷静な目でこちらの動きをひとつひとつ読み取ろうとしてくる弟だ。
一方、ライアとエルザは、兄の巨体を前に、わずかに距離を取っていた。
どちらも一歩間違えば致命傷。けれど、誰ひとりとして引く気配はない。
俺は闇の力を纏い、トーラと並んで構えた。
目の前のリーダーの弟だという筋骨隆々の巨漢は、鉄を叩き折るような腕をぶんと回し、楽しげに笑う。
「へへっ、こりゃいいや。派手に暴れられそうだぜ」
筋肉の盛り上がった腕に武器はなかったが、逆にそれが不気味だった。
拳ひとつで戦い抜ける自信があるということだろう。
全身から滲み出る自信と経験値。そして、実際に俺達を侮っていない目をしていた。
「トーラ、こいつ、見かけだけじゃねぇ。油断すんなよ」
「分かってるさ。見た目の通りパワータイプなら、こっちも全力でぶつかるだけさ!」
トーラが地面を蹴る。その蹄が石床を砕くような音を響かせ、真っ直ぐに突進していく。
巨漢の男は動じない。突っ込んできたトーラの拳を左腕で受け止め、そのまま右ストレートをトーラの腹に叩き込んだ。
「ぐぅっ!」
トーラが呻き声をあげるも、踏みとどまった。
体幹の強さが尋常じゃない。反撃の膝蹴りが男の脇腹に突き刺さる。
その隙を俺は逃さない。霧のように身を溶かし、背後へ転移。
右の拳に闇を集めて渾身の一撃を叩き込む。
「おおっと、こっちもか!」
男が振り返る。その瞬間、俺の拳が彼の肩口にめり込んだ。
衝撃が伝わるが、効いてない?
「……ちっ、硬いな!」
「筋肉はな、裏切らねぇんだよ!」
拳での反撃。俺は咄嗟に身をひねり、頬をかすめる拳風に冷や汗を流す。
そのまま男の肘が迫る!
「おっと!」
俺が退いた直後、トーラの蹴りが男の背を打つ。
強靭な肉体を崩すのは難しいが、二人で連携すればあるいは。
「もう一発いくぞ、カケル!」
「ああ、挟み撃ちで叩く!」
二人で同時に飛びかかる。トーラの拳、俺の闇の蹴り。
巨漢の男が笑いながら腕を交差させてそれを受け止める。
だが、笑っていられるのも今のうちだ。こちらだって、ただの旅人じゃない。
トーラの拳が、真正面から男の鳩尾を貫くように突き刺さる。
同時に、俺の闇を纏った蹴りが脇腹に鋭く食い込んだ。
「はあっ!!」
「いっけぇえっ!!」
拳と蹴り、二つの打撃が交錯し、男の巨体がぐらりとよろめいた。
分厚い脚が揺れ、膝がわずかに沈み込む。
(よし、効いた…!)
だが、次の瞬間――
「うぐぅ…やるじゃねぇか」
男が口の端を吊り上げ、獣のように唸った。
「今度は…俺の番だ!!」
咆哮と共に、渾身の拳がうなりを上げて振るわれる。
反射的にトーラは両腕をクロスさせてガードの体勢を取った。
しかし、その衝撃は想像を遥かに超えていた。
「……ぐ、うぅっ!」
まともに受けたガードごと、身体ごと吹き飛ばされる。
ゴゥッという風音の直後、トーラの背が岩壁に叩きつけられる。
硬い衝突音が坑道に反響し、石片がぱらぱらと崩れ落ちた。
「トーラッ!!」
思わず叫んでいた。
あの頑丈な体躯が、ガードごと吹き飛ぶなんて!
(大丈夫か、トーラ!)
…その一瞬が命取りだった。
「甘ぇよ!」
耳元で響いた声。
はっとして振り返るより早く、腹部に何かがめり込んだ。
「ぐあっ……!」
呼吸が、止まった。
空気も声も、内臓ごと奪われたような衝撃。
蹴りでも拳でもない。拳塊――まさに質量の塊が俺の胴を貫いた感覚だった。
反射的に膝が折れ、体がくの字に曲がる。
次に頭上に組まれた両腕が見えた。
(――っ!)
振り下ろされた鉄槌のような打撃が、俺の後頭部を正確に捉えた。
「あがっ……!!」
地面が消えた。
視界が斜めに揺れ、身体が浮かぶ感覚。
重力が一瞬消えたような沈黙のあと、俺は完全に宙に投げ出されていた。
意識が薄れかける中で、遠ざかる坑道の天井が揺れて見えた。
重力が戻った瞬間、俺の身体は容赦なく地面へと叩きつけられた。
岩混じりの地面に背中から落ちる。轟音とともに、全身を貫く激痛。
「がっ…!く、そ…!」
呼吸が乱れ、肺の空気が抜け、視界がぶれていく。
腕も、足も、自分のものじゃないみたいに感覚が遠い。
霞む視界の中、誰かの声が聞こえた。
「――ケルっ、しっかりしな!」
遠く、響くようなトーラの声。
耳の奥から、いや、頭の内側から滲み出るように届いてきた。
けど、それだけじゃなかった。
『…立て。力を解き放て…もっと、もっとだ…』
ぞわり、とした感覚が脊髄を這い上がる。
低く、囁くような――だが確かに俺の思考に入り込んでくる声。
『殺せ…お前を傷つけた奴を、仲間を狙う者を…全て、潰せ』
違う…俺は…!
けど、心の奥でうごめく何かが、その言葉を否定しきれなかった。
(――トーラが…)
視界の端、あの“弟”がトーラに向かっていた。
巨躯を揺らし、容赦なく彼女へと歩を進めていく。
(駄目だ、行かせねぇ……!)
頭の中が真っ白になる。
代わりに、怒りが、黒く、重く、燃え上がる。
(…殺してやる。あいつだけは…許さねぇ)
憎悪が、心を満たしていく。
血が逆流するような鼓動と共に、手足が勝手に動き出す。
灼けるような痛みと引き換えに、身体が動いた。
どこから湧いたのかもわからない力が、俺の身体を突き動かしていた。
立ち上がり、歯を食いしばって、拳を握り締める。
黒い瘴気のようなものが、身体の内から滲み出す。
視界の輪郭が、僅かに揺らいで見えた。
目の前が赤く染まっていた。
視界がぐにゃりと揺れ、思考の輪郭すらぼやけている。
「……っ」
次の瞬間、俺は男の目の前に転移していた。
足場も意識も曖昧なまま、衝動だけで動いた。
「まだ……終わってねぇよ」
闇の力が溢れ出す。肩甲骨のあたりから、黒い異形の腕が二本、ぬるりと生える。
弟はその異形を前にしても怯まず――いや、怯えながらも、構え直した。
「なに…あれでまだ、死なねぇだと…!?」
目は恐怖に見開かれていたが、拳は下ろしていない。
奴も戦士だ。本能で察しているのだろう『ここで下がれば殺される』と。
「おらああああああああっ!!」
俺は吠えるように突っ込んだ。
まずは右拳。弟は両腕を前に突き出しガードする。振動が空気を震わせた。
正面から、横から、上から、背後から。
自身の両腕と、闇の腕の四本の拳が雨のように振り下ろされる。
「ぐっ…らぁっ!!」
反撃の拳が飛ぶ。
だが俺は、転移でその軌道を外れ、次の一撃を側頭部に叩き込んだ。
「ぐ、ぉ…!」
よろめく弟。それでも膝は折れない。
「まだ……ッ!」
雄叫びと共に奴が拳を振るう。今度は渾身だった。
だが、俺の背後の黒き腕が、それを弾くように押し返す。
「なっ……」
反撃は潰される。それでも奴は諦めなかった。
「ふざけんな…この俺が…!」
叫びながら、食い下がるように突っ込んでくる。
その腹に、俺は躊躇なく膝を突き立てた。
「がはっ…!」
崩れ落ちる体に、追撃の拳を落とす。
ガードの構えも次第に崩れ、俺の拳が奴の顔を打ち据え、胸を叩き、肩を砕く。
俺は――まだ、止まらない。
拳をまた振り上げる。もう何度目かもわからない。
(やめろ、もう…やめろ!)
内なる声が、喉元で叫んでいた。
けど、それを押し殺すように、闇が俺の全身を支配していた。
「カケル!!もうやめろッ!!」
トーラの声が遠くで響いた。
だが拳は止まらない。
(もう…わかんねぇ…)
俺は、誰のために怒っていた?
何のために、力を使っていた?
その時だった。背後から、がっしりと腕が絡みつく。そして耳元で響いた怒声。
「やめろッ…カケル!!」
(誰だ…?俺を止めようとするのは)
ぼやけた思考の中で、その声が聞こえた。
熱くて、重くて、だけど、どこか温かい声。
「もう十分だろうがよッ!!これ以上やったら…そいつ死んじまうぞ!!」
トーラだ――。
その腕は、鉄のように強く、火傷しそうなほど熱かった。
だがそれ以上に、震えていた。
「落ち着け…!お前は、そんなヤツじゃねぇ…!」
押さえ込まれたまま、俺はなおも腕を振り上げようとする。黒き腕が、暴れ狂う。
「ッ…くそ、重てぇ…!」
トーラが歯を食いしばり、全力で俺の体を引き倒そうとする。
だが、闇がそれを振り払おうと蠢いていた。
「やめろ、もうやめてくれ…!」
心の奥で、確かに俺は叫んでいた。なのに、拳が止まらない。
(こんなことがしたかったわけじゃない…なのに…!)
視界に、血に濡れた弟の姿が映る。
その顔にもはや反抗の気力はなく、ただ呻き声だけが残されていた。
「……ッ!」
拳がわずかに揺らぐ。
トーラの腕にも、わずかな緩みが生まれる。
(俺は…誰を、殴ってるんだ…?)
その瞬間、胸の奥が軋んだ。
涙のようなものが、目の端から流れた気がした。
トーラの腕の中で、俺の呼吸が徐々に荒くなっていく。
「はっ…はっ…」
耳元で響いていた怒声は、もう聞こえない。
代わりに、自分の鼓動と息遣いだけがやけに大きく、空間を支配していた。
――ドクン、ドクン。
鼓動とともに、黒き腕がゆっくりと消えていく。
まるで霧が晴れるように、徐々に、確かに。
熱が引き、手の感覚が戻ってくる。
「……っ」
俺は、震える手を目の前に持ち上げた。
血がべっとりと、こびりついていた。
その先に、ぐったりと横たわる弟の姿があった。
顔は腫れ、口元から血が垂れ、鎧は砕け、骨もいくつか…折れているように見えた。
「…これ…俺が…?」
視界がぐにゃりと歪んだ。
頭の中で、何かがひび割れるような音がする。
「う、あっ…」
吐き気と眩暈が同時に襲ってきた。手が、足が、震えて動かない。
「俺が…やったのか?こんな…滅茶苦茶に…!」
膝が崩れ落ちる。全身の力が抜けていく。
(違う、違う…俺は、ただ…止めたかっただけなのに…)
胸が苦しい。呼吸ができない。冷たい汗が背中を伝う。
「なんだよこれ…!これが、俺の力…?」
俺は、己の手を抱えるようにして震えていた。
そんな俺の背後から、何の前触れもなく、トーラの腕が伸びてきた。
「っ――!」
不意に、抱きしめられる。
ぎゅっと、力強く。それでいて、壊れ物を扱うように優しく。
「…落ち着け、カケル」
耳元で囁くように、トーラが言った。
「お前、怖ぇんだろ。…自分がやっちまったことが。…でもな、もう、終わったんだ。だから、今は…落ち着け」
その言葉が、胸の奥まで染み渡る。
俺は、トーラの胸の中で、呼吸を整えようと必死になっていた。
震えが止まらない。でも、少しだけ温もりが、恐怖を押し返してくれる気がした。




