願いのかたち、風に舞う熱砂のように⑦
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
エリシア
種族:エルフ
精霊と心を通わせたり、精霊の力を行使できる。
パトラ
種族:人間
ファルナート王国を統べる王女。
ラシール
種族:人間
王女パトラに仕える宰相。
王宮の廊下を駆け抜ける。
剣を抜いた兵士が目に映った瞬間、俺は迷わず転移で背後に回り込み、手刀で気絶させる。
「…チッ、こいつらも操られてるのか!」
侍女すら、短剣を手に向かってくる。
攻撃を受け流し、最小限の力で気絶させていくが、内心焦りは募るばかりだった。
(早くしないと…!)
玉座の間の扉が視界に入った。転移で距離を詰め、勢いよく両扉を押し開ける。
「エリシアっ――!」
広間に響く自分の声とともに、目に飛び込んできた光景に、息が詰まった。
玉座の一段下、パトラを背に立つエリシア。
震える手で弓を構え、彼女を包む淡い球体のバリアが揺れていた。
従者達の目は濁っていた。完全に意識を操られている。
まるで傀儡のような動きで、バリアに剣や槍を突き立てている。
その頭上――
「…ラシール!」
天井付近に浮かぶ、禍々しい魔力を纏った魔人ラシールがまるで見下ろすように俺を見据えていた。
「よくぞ辿り着きましたな、黒き変革者よ」
その声は、あまりにも冷ややかで、腹立たしいほど余裕を感じさせていた。
俺は息を整え、すぐに地を蹴った。
(間に合った…いや、まだだ。ここからだ!)
俺は転移で一気に間合いを詰めようとした。
「無粋だな、カケル殿」
ラシールが片手を掲げると、魔力の奔流が生まれ、手のひらから凝縮された魔力が放たれる。
俺は咄嗟に身を翻し、転移で軌道をずらす。
雷光にも似た魔力弾を着弾し、床石を粉砕した。
バリアの中では、エリシアが膝をつきかけていた。彼女の額には汗がみ、肩が小刻みに震えている。
従者達の連続攻撃を防ぎきるには、もう限界が近い。
「エリシア、耐えろ…今、行く!」
俺は空間を裂くように転移を繰り返し、従者の間隙を縫って突き進んだ。
だが、ラシールの魔力弾が次々と進路を妨げる。
絶え間ない砲撃と、周囲からの殺気。心臓が嫌なリズムで打ち始める。
「もう…持たない」
エリシアのバリアが破砕音とともに崩れ落ち、従者達が一斉になだれ込む。
「やらせるかッ――!」
視界が揺らいだ。空間を裂いたような歪みに身を投じ、俺は一瞬でエリシアの元へ転移した。
「――ッ!」
俺は間一髪エリシアの前に立ちふさがる。
だがそれと同時に、周囲にいた従者達の剣や槍が、容赦なく俺を襲う。
「ぐっ…!」
肩に、腕に、腹に、足にと、無数の刃が肉を裂き、
まるで、蜂の巣にされたかのように、全身に焼けつくような激痛が走る。
「カケルさんっ…!」
エリシアの声が耳元で震えた。息を詰めるほど近くで、確かに彼女が俺を呼んだ。
「…下がってろ」
吐き出すように声を絞り出し、血が滴る体をなんとか踏み出す。
足元は不安定で、力も抜けそうだったが、俺は拳を握りしめた。
一歩、また一歩。痛みに顔をしかめながらも、迫りくる従者の一人を殴り倒す。
次の一撃で、二人目を沈める。何度殴ったかなんて、もうわからない。
ただ、意識の奥にあるのは彼女達を守らなくちゃ、その一心だった。
(どうせ…すぐ再生する…)
脈打つ心臓に合わせて、裂けた肉が再び結び始めるのがわかる。
エリシアの肩をかばうように抱き寄せながら、俺は息を整え、周囲を睨んだ。
「…ラシール!」
従者達がたじろぎ、静寂が広がる。
ラシールがゆっくりと上空から舞い降りてくる。
「…ふむ。見事な反応速度だ。あの一瞬で、間に入るとは」
彼は薄く笑い、まるで舞台の幕引きを告げるように、片手を掲げる。
「だが、ここまでだ。これ以上の茶番に付き合うつもりはない」
ラシールの声が、乾いた空気を切り裂くように響いた。
まるで見下すような瞳で俺達を見据えながら、奴は両腕をゆっくりと掲げる。
「ここからが本当の力だ!出でよ、我が民衆よ!」
その瞬間、空気が揺らいだ。虚空に黒い亀裂が走り、どこからともなく“それら”が現れる。
どれも顔はなく、ただ黒い霧に包まれたような人影。
声も発さず、ただ奴の背後からぞろぞろと現れる様は、地獄の門が開いたかのようだった。
「民とはこうして、声も持たず、意志も持たず、ただ支配される存在でいいのだ!」
ラシールの嗤い声に胸がざわついた。
こんな歪んだ思想のもとに、この力を振るっているのか!
「黙れ!」
俺は闇の剣を呼び出し、一気に飛び込んだ。
目の前の”それら”を真っ二つに斬り裂く――はずだった。
「…なにっ!?」
剣がすり抜けた。まるで手応えがない。
「こいつら…実体がないのか!?」
「もしや…こやつらはこの国の亡霊達…!?」
背後からパトラの声が聞こえる。
俺が対峙している存在はこの国に生き、死んでいった者達の魂なのか。
亡霊達が無表情のまま、静かに、だが確実に群がってきた。
数体が身体にしがみつき、羽交い絞めにする。
「ちっ…くそっ!離れろ!」
必死にもがくも、その動きを見越していたラシールが、闇に染まった筋骨隆々の拳を振り抜く。
「――がはっ!」
ラシールの拳が視界に飛び込んできた。肉体の強化もされているのか、その一撃はまるで大砲のようだった。
衝撃が走り、俺の身体は宙を舞った。砂地を何度も転がり、肺から息が抜ける。
「…く、そ…っ」
「カケルさん!」
エリシアの悲痛な叫びが響く。
だが、彼女は涙に沈む暇もなく、次々と襲い来る亡霊達に狙いを定める。
「私は…負けない!」
精霊の力が宿る弓を引き絞る。矢は輝きを放ちながら飛び、亡霊の胸を貫いた。
幽霊のような存在にもかかわらず、矢が命中した瞬間、亡霊は淡く光を放って消えていく。
「…効いてる!精霊の力なら!」
エリシアは必死に矢をつがえ、次々と亡霊を討ち倒していく。
しかし、その数は減るどころか、次々と湧き出てくる。
「なっ…まだ、増えてやがるだと!?」
数を減らしたと思った矢先、虚空からまたぞろ湧き出る影達。
消えては現れる手ごたえのない光景に、思わず歯噛みする。
「ハハハッ!無駄だ小娘!貴様一人で我が民衆達を止める事なぞできん!」
ラシールの声が、砂の嵐のように響き渡る。
エリシアが肩を上下させ、なおも矢をつがえ続けている。
その顔には、焦りと必死さが滲んでいた。
「…テメェ!」
怒りが、身体の奥からこみ上げる。俺は一気に転移し、ラシールの目前に現れた。
「これで終わりだ!」
闇の剣を振りかざす。しかし――。
「っ…!?」
突如、腕に冷たい何かが絡みついた。
視線を落とすと、亡霊がいつの間にか俺の腕を掴んでいた。
すり抜けるはずの奴らが、なぜかこの瞬間だけは、確かな質量を持って俺を拘束してくる。
「ちっ、またかよ!」
ラシールの拳が、視界の隅で巨大に膨らんだかと思った次の瞬間。
「ぐはっ!」
腹に、岩塊のような一撃。息が詰まり、肋骨が軋む音がした。
視界が揺れ、俺の身体は宙を舞い、パトラのもとまで吹き飛ばされていた。
「カケルさん!」
エリシアの声が微かに届く。だが、立ち上がる余裕はなかった。
背中が地面に叩きつけられ、肺から空気が漏れる。
「…くそっ、このままじゃ」
仰向けのまま、ふと視線の端で何かが転がるのが見えた。
ランプだ。俺達が遺跡で見つけ、そして持ち帰ってきた、あの“願いのランプ”。
パトラの足元へと転がったそれが、まるで意思を持ったかのように、光を微かに放っていた。
「パトラ様…!今しかない!」
俺のかすれた声が届いたのか、パトラははっとしてランプに手を伸ばす。
「ランプの魔人…出でよ!」
パトラは叫びと共に手に取ったランプの口元を軽く撫でるように擦る。
「させるかああああっ!!」
ラシールの怒声が響き渡る。奴は、亡霊達をパトラに向けて一斉に差し向けた。
「くっ…!」
パトラが咄嗟に身を引いた瞬間、無数の矢が空を裂いた。
矢は正確に、パトラに迫る亡霊達を打ち抜いていく。
「…させません!」
矢を放ち続けるエリシアの声が聞こえた。
彼女は必死に矢をつがえ、片時も止まることなく亡霊達を迎撃している。
その顔には、恐怖ではなく、覚悟と信念が宿っていた。
「小癪な…貴様らごときが…!」
焦ったラシールが、今度は自ら飛び出してきた。
狙いはパトラが手にしているランプだ。
「させるかよッ!!」
俺は、立ち上がり地を蹴った。
闇の剣を握り、ラシールの進路に転移する。
奴の目の前に現れた瞬間、その顔に驚愕が走った。
「貴様…まだ動けるのか!」
「動けるさ!テメェを止めるためならな!」
剣を振り抜いた。ラシールの拳とぶつかり合う衝撃が、砂漠の空気を裂いた。
ランプからは白い煙が噴き上がるように溢れ出し、空間が揺らめいた。
「は~い、呼ばれて飛び出てじゃじゃーん!ジンニーヤの登場~…って、あら?」
場違いなまでの陽気な声とともに、煙の中からジンニーヤが現れる。
「なによ、もう少し歓迎してくれても―」
「我が名はパトラ!我が声に応え、願いを叶えよ!」
ジンニーヤが言い終えるよりも早く、パトラの声が空間に響き渡った。
毅然としたその声音に、魔人の表情がピタリと止まる。
「もう、そんな焦らなくても叶えてあげるわよ。さぁ、あなたの言葉で、私の力は現実になるわ」
軽く肩をすくめるジンニーヤに、パトラは一歩前へ出ると、胸に手を当て、はっきりと宣言する。
「我が胸にある偽りなき想いを、この国のすべての民へ届ける力を…真実を語り、心を通わせる“真なる声”を授けよ!」
しん、と空気が張りつめた。
ジンニーヤの目がわずかに見開かれる。
「…うふふっ、素敵な願いね!いいわ!えいっ!」
ジンニーヤが指を鳴らすと、パトラの胸元に淡い光が灯った。
まるで心の奥底に眠る“想い”が、そのまま音になって響き出すような光だ。
「な、なんだその願いは!そんなもので、何が変えられるというのだ!!」
あざけるような笑みが、ラシールの口元に浮かぶ。
理想にすがるような愚かな夢。そうでも言いたげに、唇の端を歪め、鼻で笑った。
その瞳には、どこまでも現実を見下す冷たい光が宿っていた。
「聞け、我が愛しき民達よ!」
パトラは一歩、光の中へと足を踏み出す。
その声は、まるで心に直接語りかけるような響きを持っていた。
「我は、過酷なこの地で、共に生き抜いてきた貴方達を想っている。
人も、魔も、共に手を取り合い、笑い合える未来を信じている!」
パトラの声は、静かに、しかし力強く届いていく。
「貴方達が抱える不安も、恐れも、私は見てきた…だがそれでも、私は諦めたくない。
誰もが誇りを持って生きられる国を、共に築きたいのだ!」
その場にいた従者達の瞳に宿っていた闇が、ほんの少しずつ溶けていく。
亡霊達の姿もまた、パトラの言葉に安らぎを得たように、穏やかな表情を浮かべ、光の中に消えていった。
「ば、馬鹿な!我が民衆が…!」
崩れゆく“支配”の構図に、ラシールの顔が引きつる。
怒号ではなく、動揺。それは彼にとって最も忌むべき兆しだった。
その隙を見逃す俺ではなかった。
(――今だ!)
思考が研ぎ澄まされる。
俺は、一歩前へと踏み出した。
「これが…お前の恐れる“力”ってやつだよ」
背中に、ぞわりと黒い気配が走った。
まるで背骨に沿って闇が這い上がるような、冷たい感触。
ーーズルリ
俺の意思に呼応するかのように、肩の後ろあたりから音もなく、
まるで俺の影が具現化したような、黒き腕が二本現れる。
それはジパングの地で得た新たな力だった。
腕はまるで俺の手足のように自在に動き、
思考と連動して、闇の剣をそれぞれの掌に生み出す。
「いくぞ…!」
俺は自分の手に握った剣を振るうと、
左右の黒き腕が僅かに時間差で斜めから交差するように追撃していく。
これは、仲間達とこの国の未来を護るための一撃だ。
「しまったっ…!」
ラシールが咄嗟に防御の構えを取ろうとするが、もう遅い。
「はあああああっ!」
振り抜いた一閃が、魔人ラシール肉体を胸元から肩口にかけて深々と斬り裂く。
力に満ちていたはずの彼の身体が、膝から崩れ落ちた。
「ば、馬鹿な…」
血にまみれながら、ラシールが信じられないものを見るように俺を見上げる。
「何故だ…。なぜ…私の力が…こんな、はずでは…!」
そのとき、背後から軽やかな声が聞こえた。
「あら?でも貴方、そう願ったでしょう?」
声の主であるランプの魔人ジンニーヤが、頬に指をあて、いたずらっぽく微笑んでいる。
「『この国を、民衆を統べる力を』って、確かにね。ええ、とっても堂々たる願いだったわ」
ジンニーヤは宙に浮かびながら、手に乗せたランプを軽く回している。
「願い通り、皆あなたに従ったじゃない。
でもそれって、自分の意志で従ったんじゃなくて、“操られてた”だけよ?」
「なっ……!?」
「私の力は完璧。貴方の願いの曖昧さが、運命を変えたの。
人の心は、願いひとつでどうにかなるほど単純じゃないって、わからなかった?」
ラシールは口を開きかけるも、声にならない。
ただ、驚愕と怒りが交錯したまなざしのまま、身体が崩れ始める。
白い砂が風に舞うように、彼の肉体がぼろぼろと砕け落ちていく。
最後に残ったその瞳には、わずかな恐怖がにじんでいた。
戦いが終わった――そう実感した瞬間、場の空気がふっと静まり返った。
砂煙がゆっくりと晴れていく。俺の肩が、ようやく重荷から解放されたように感じる。
「カケルさん!」
エリシアの声が聞こえた。
彼女は駆け足でこちらに向かってきて、その顔には安堵の笑みが浮かんでいた。
「…ぐっ!」
急に、胸の奥が焼けるように熱くなった。
膝が崩れ落ちる。視界がぐにゃりと歪んで、耳の奥に不快な音が響きはじめた。
「カケルさん!?どうしたのですか…っ!?」
――壊せ。
――殺せ。
――すべてを奪え。
――力を解き放て。
頭の中に、異様な声が次々と響いてくる。
まるで俺の中の何かが、理性を引き裂こうとしているように。
身体の奥底でうごめく闇が、牙を剥き出しにして暴れ出した。
目
の前にいたはずのエリシアが、一瞬“敵”に見えた。
(――違う、違う、そんなはずがない)
「カケルさん、大丈夫ですか!?」
心配そうに覗き込むエリシアの瞳。
やわらかく、まっすぐで、俺を信じてくれている目をしていた。
(やめろ…!俺は…俺はそんなこと、望んでない…っ!)
視界が揺れる。血が沸騰するような熱。
自分の中に、何か“別の存在”が蠢いている。
力を使い過ぎた代償なのか?
俺は頭を振った。歯を食いしばり、意識を必死に繋ぎ止める。
胸を締めつけるこの黒い感情に、飲み込まれてたまるか。
「カケルさんっ!」
エリシアの声が、闇の声を裂いた。
「…ハァ…ハァ」
ふと我に返り、顔をあげると、心配そうに自分を覗き込むエリシアの瞳があった。
敵などではない、ただの――いや、“大切な仲間”の顔。
「…っ、すまん。少し…気分が悪くなっただけだ」
無理に笑おうとするが、震えが止まらない。まだ、声が微かに残っている。
それでも、飲まれなかった。
エリシアがそっと手を伸ばし、俺の肩に触れた。
「…ありがとう。大丈夫…もう、平気だ」
心配をかけまいと、俺はそう返した。
だが、胸の奥に残る黒い熱はまだ、完全には消えていなかった。
(…俺は…本当に、まだ俺でいられるのか?)
俺は、ようやく深く息を吐いた。自分が自分であることを、確かめるように。
そんな俺に、ふとジンニーヤが軽く手を掲げながら声をかけてくる。
「そう言えば、まだ聞いてなかったわね。カケル、貴方の“願い”」
その声はどこか戯けた調子だったが、真意を探るような光も宿していた。
俺は彼女と視線を交わし、一瞬だけ考え、首を振った。
「俺は…やっぱり、やめとくよ」
「えぇ?どうして?せっかくのチャンスなのに。どんな願いでも、一つだけ叶えてあげるって言ったのに~」
ジンニーヤが膨れたように唇を尖らせる。
だけど俺は、ゆっくりと微笑みながら答える。
「願いは…自分の手で叶えてこそ、意味があるだろ?」
その言葉にジンニーヤの目が細められる。
やれやれといったように肩をすくめて、唇の端をいたずらっぽく上げた。
「ふふん…つまらないわねぇ、そういうの。でも…素敵よ、貴方」
ジンニーヤはゆるやかに指を鳴らすと、背後のランプがきらりと光を放ち始める。
「ま、どんな願いであっても、この“国の中”でしか叶えられないけどね?」
「…それ、最初に言ってほしかったな」
思わず苦笑すると、エリシアが安堵したように笑った。
どこか張り詰めていた空気が、ようやく和らいでいくのを感じた。




