願いのかたち、風に舞う熱砂のように④
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ラシール
種族:人間
王女パトラに仕える宰相。
遺跡の内部は、思っていたよりも広大だった。
天井の高い石造りの広間に、複数の通路や部屋が枝のように分かれている。
気温は外よりもわずかに低く、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
古代の装飾が施された壁面には、砂で風化しかけた碑文や、魔法的な紋様が刻まれている。
崩れた柱、ひび割れた床、そしてあちこちに散らばる小さな瓦礫が、この場の歴史の深さを物語っていた。
「…意外と保存状態は悪くないわね」
リリアが天井のアーチを見上げながら言う。
「こっちは何かの供物台…?焼けた跡があるわ」
セレナは横に伸びた小部屋に入り、古びた香炉や石盤を見下ろしていた。
周囲を慎重に見渡しながら、指先でそっと香炉の縁に触れる。
「まさか、ここで儀式でもしてたのかしらね」
一方、ラシールはリリアと反対方向の部屋を調べていた。
ラシールは慎重に床を叩き、壁の空洞音を確かめている。
「ふむ…扉の類は見当たりませんが、この床…何かを“隠している”気配がありますな」
「隠し通路かしら。けど、適当に踏んで作動したら嫌ね…」
リリアが小さく息をつきながら、周囲の魔力の流れを探る。
彼女なりに警戒はしているようだった。
そんな中、俺は中央の広間へ戻っていた。
他の部屋よりも少し開けた場所で、床に妙な違和感があった。
「ん…?このタイル、ちょっと浮いてる…?」
他の床よりもわずかに段差がある。
俺は無意識に、興味本位でその上に片足を乗せてしまった。
――カチッ。
「……あ」
次の瞬間、床に淡い魔力の光が走る。
複雑な魔法陣が浮かび上がり、そこに俺の足元がすっぽりと収まった。
「カケル、下がって!」
セレナの声が飛ぶ。
俺の気配に気づいて戻ってきていたセレナが、反射的に走り寄り、俺に手を伸ばした。
「待って、それは――っ!」
しかし、彼女の指が俺の腕に触れた瞬間――
視界が白く弾けた。
まばゆい光と共に、世界がねじれるような感覚が押し寄せる。
足元がふっと浮き、重力の向きがわからなくなる。
セレナの手が確かに腕を掴んでいた。その力だけが、現実の重みとして残っていた。
光が収まった瞬間、足元の感覚が消えた。
重力がねじれたような感覚のあと、石床の上に思いきり叩きつけられる。
「ぐっ…!」
背中に鈍い痛みが走る。
呻きながら上体を起こしたとき、すぐ隣から声が聞こえた。
「っ…カケル、大丈夫!?」
すぐ隣で、セレナの声が響いた。
見上げると、彼女も地面に倒れ込んでいたが、すぐに起き上がってこちらを見ていた。
「まぁ…なんとか、な。一体何が起きたんだ?」
周囲を見渡す。石造りの空間――さっきまでいた広間とはまるで違う。
壁も、天井も、素材も違う。光源は壁に埋め込まれた淡い青白い水晶。見たことのない構造だった。
「多分、別の場所に転送されたのよ。私達」
そう言いながら、セレナは視線を巡らせた。
金色の瞳がわずかに細められ、壁や天井、床の様子を隈なく確認していく。
「…罠を踏んじまったってことかよ」
俺が呟くと、すかさずセレナのジト目が突き刺さる。
「そうね、まったく。ちょっとは警戒しなさいよね」
「ごめん、つい気になったっていうか…」
「今度から“気になったものには触らない”って契約書書かせるわよ」
はぁ、とセレナがため息をつく。けれど、その声音に責める色は少なかった。
むしろ、状況の不確かさに苛立ちをぶつけているようにも感じる。
「…俺達、閉じ込められたのか?」
周囲に扉らしきものは見当たらない。狭いわけではないが、出入口がない。
「そうね。出口も、ぱっと見なさそうだし」
「…リリア達、追っかけてこないかな」
胸の奥に、じわりと不安が広がる。
いつも後ろを振り返ればいたはずの誰かが、今はどこにもいない。
たった一人で放り込まれたわけじゃない。それだけが、唯一の救いだった。
「どこに飛ばされるかわからないんだから、迂闊に踏まないでしょ。アンタじゃないんだし」
「だから、悪かったって」
つい言い返したものの、これ以上弁解を重ねても意味はない。
言い訳をしている場合じゃない――そんな自覚が、喉元まで出かけた言葉を押しとどめた。
今すべきなのは、ここからどう動くか。
この空間をどう脱出するかだ。
小さく息を整え、気持ちを切り替えるように周囲へと視線を向けた。
「…とにかく、どこかに出口があるはずだ。隅々まで探してみよう」
「ええ、そうね。ここで立ち止まっても、始まらないし」
セレナがふっと表情を引き締め、俺の隣に並んだ。
◇ ◇ ◇
閉ざされた空間に、重苦しい沈黙が落ちていた。
壁を手で叩いたり、床を靴で軽く蹴ったりして、
抜け道や仕掛けを探していたが、無情にも返ってくるのは硬い音ばかり。
天井にも目を向け、光源や継ぎ目のようなものがないかと目を凝らしたが何も見つからない。
「…くそっ、どこにも出口らしきものがない」
苛立ちが声に滲む。何度見ても、何も変わらない四方の石壁。
ただの牢ではない。これは意図的に“閉じ込める”ことを前提とした構造だ。
「焦っても仕方ないわ。状況を見極めることが先決よ」
セレナが、落ち着いた声音で言った。
けれどその手は、ごくわずかに握られており、それが不安の表れに思えた。
「じゃあ雑談でもして、少し気を紛らわせようか」
ぽつりとつぶやきながら、俺は壁に背を預けてその場に腰を下ろす。
「…随分と呑気ね。まぁ、いいけど」
セレナも軽くため息をつきながら、その隣に腰を下ろす。
「願いのランプって、何でも叶えられるのかしら」
「眉唾物だよな。もし本当なら、もっと派手に争いが起きてるだろうし」
「そうよね。でも、だからこそ封印されてるのかもね」
セレナの言葉に、俺は軽く頷いた。
冷静な声に、張りつめていた心が少しだけ緩む。
セレナって、やっぱり頼りになる。そう思いながら、そっと彼女の横顔を見つめた。
「…セレナはさ。願いが一つ叶うなら、何を願う?」
その問いに、セレナは小さく目を瞬かせた。
意外だったのか、一瞬だけ表情が揺らいだ。
だがすぐに、いつもの冷静な仮面を被るように、淡々とした声で返してくる。
「アンタったら…ランプを手に入れても、私達は持ち帰る義務があるのよ?」
「わかってるって。例えばの話だよ」
冗談混じりに肩をすくめると、セレナは小さく鼻を鳴らして笑う。
しばらく黙り込み、セレナは目を伏せた。
どこか遠くを見るような瞳のまま、静かに口を開く。
「やっぱり…ティナを、生き返らせたいわ」
「ティナって…?」
「私の親友よ。魔法学院の頃、リースに魔力を吸われて…命を落としたの。前に話さなかったかしら?」
俺は顎に手を添えながら記憶をたぐる。リースが本性を露わにした時、
セレナと親しかった少女の話を軽く耳にした。だが、それ以上の詳細までは知らなかった。
「…はっきりとは聞いてないな」
俺がそう返すと、セレナは一瞬だけ目を伏せ、少し間を置いてから小さく呟いた。
「…あの子は、私の唯一の“友達”だったのよ」
静かな声だった。けれど、その響きは深く、胸の奥に染み込んできた。
「誰よりも優しくて、魔法の才能はなかったけど、努力家で…」
彼女の瞳は遠くを見つめていた。まるで、その姿を思い出すかのように。
「他愛のない話をしたり、将来の夢を語ったり。彼女と過ごした時間は、私にとってかけがえのないものだった」
ぽつり、ぽつりと落ちる言葉。そのひとつひとつが、どこか壊れそうなほど脆くて、儚かった。
彼女の語る“あの子”との思い出が、どれだけ温かく、
そしてどれだけ深い傷になっているかが、言葉の節々から伝わってくる。
「でも、リースに魔力を吸われて…気付いた時には、もう…」
セレナの言葉が途切れる。喉の奥で何かが詰まったような声。
俺はその沈黙が何を意味するか、もう知っていた。
「…あの時の私は、何もできなかった」
悔しさ、無力さ、自責――そのすべてが、声の奥に滲んでいた。
「セレナは悪くない。そんなの、誰にも――」
思わず口を挟んでいた。でも、彼女は静かにかぶりを振った。
「ありがとう。でも、私はずっと心のどこかで、あの子を助けられなかった自分を許せないでいるの」
それは責任感とか、義務とか、そういう言葉じゃ言い表せない、もっと深い感情だった。
「だから、もしまた会えるなら、あの子に謝りたい」
セレナの瞳は、どこまでも真剣で、どこか祈るようだった。
強くて、冷静で、誰よりも気丈な彼女の奥に、こんなに脆い想いがあったなんて。
俺はただ、彼女の言葉を心に刻みながら、その横顔を見つめていた。
「アンタは何を願うの?」
セレナがふいにそんなことを訊いてきた。
「…俺?」
驚いて顔を向けると、彼女はじっとこちらを見つめている。
視線をそらすわけにもいかず、俺は曖昧に笑いながら言葉を濁した。
「そうよ、今度はアンタの番。願いが叶うなら、何を望むのかって話」
俺は言葉に詰まり、視線を宙に向けた。
何を願うか…それは多分、ずっと心の奥に押し込めていた問いだった。
浮かんでくるのは、父の姿。母の声。妹の笑顔。
あの世界で過ごしていた、何気ないけど温かな日々――“家族”の記憶だ。
「やっぱり…元の世界に帰りたい?」
「えっ…?」
俺はセレナのほうへと振り返る。
「そんな顔してるもの。誰か、大切な人を思い出したような顔」
彼女の声は静かだったけれど、どこか優しくて、少しだけ寂しさを滲ませていた。
何も言い返せなかった。
言葉が喉の奥でつかえて、出てこない。ただ、胸の奥がざわつくばかりだった。
「帰りたいのよね?この世界じゃなくて、元の…アンタの故郷に」
セレナはそう言って、小さく微笑んだ。
その表情が、普段のツンとした雰囲気とは違っていて…不意を突かれたように俺は目をそらす。
「俺は…」
何か言おうとしたけれど、まとまらなかった。
「いいんじゃない…そのためにアンタは旅をしてきたんだから」
セレナの言葉は、まるで受け入れてくれているようで、でもその優しさが逆に、俺の胸を締めつける。
だから、思わず訊いてしまった。
「セレナは…俺がいなくなって、寂しくならないか?」
一瞬、彼女の目が見開かれる。そしてすぐに、いつもの調子で声を跳ね上げた。
「な、なに言ってんのよ!私は別に、アンタがいなくたって…!」
「…そうか。なら、いいんだ」
俺は、どこかほっとしたような、でも何か大切なものを落としたような気分でそう答えた。
「後は、他の皆がどう思ってるかだよな」
ふと目を上げて、天井を見つめた。まるで、仲間達の顔がそこに浮かぶかのように。
だが、その時だった。
「ん…?」
ぼんやりと眺めていた天井に、何か妙な“揺らぎ”があるような気がした。
目を凝らすと、それは錯覚ではなかった。
空中の一部に、まるで砂粒が静かに漂っているように、キラリと光を反射しては消える。
「…セレナ。あそこ、見えるか?」
俺が指をさして告げると、セレナも天井を見上げて目を細めた。
「…確かに、光が微妙に揺れてる。屈折してるのかしら。あそこだけ、光の通り方が違うわ」
言いながら、セレナは辺りを見渡し、何かを探るように歩き出す。
「この水晶。もしかして、この光源が干渉してるのかもしれない。逆に、光を遮断すれば何かが見えるかも」
セレナの推論に従い、俺は遺跡の壁際に設置された水晶に近づいた。
ひとつ、拳を握り直し、叩き割る。
パリンッ、と硬質な音が響き、室内の光が一気に落ちた。
闇に包まれる感覚。だが、完全な暗闇ではない。
目が慣れてくると、さっきまで何もなかった空間に、
うっすらとした足場のようなものが、浮かび上がっていた。
「…見えたか。あれが道ってことか」
俺は小さく息を吐き、闇の力で足元の空間に転移する。
ふわりと足場に降り立つと、下から微かに震えるような反応が伝わってきた。
どうやら、この足場は幻ではないらしい。
足場の先には、壁がそびえていた。
何の装飾もない石の面。だが、どこかが微かに窪んでいるように見える。
そっと手を伸ばして、そこに触れる。
指先に伝わる違和感。押してみると、わずかに“カチリ”とした音が鳴り、壁が低く唸りをあげて動き出した。
「…これは」
揺れる床。遺跡の奥に、今まで閉ざされていた通路が、ゆっくりと姿を現した。
「出口だ!行こうセレナ。どうやら正解だったみたいだ!」
壁が開いた先は、ひんやりとした空気の満ちる通路だった。
石造りの床には所々に砂が溜まっており、天井の装飾も朽ちかけている。
「ここが…次の階層か」
俺は一歩踏み出し、セレナと並んで進み出す。
通路は薄暗く、ところどころに古びた燭台があったが、炎はすでに尽きていた。
するとの先。遠くに、揺れる明かりと数人の影が見えた。
「あれは…!」
リリア達だ。リリアの後ろには、ラシールと精鋭兵らしき姿も見える。
彼女達はこちらに背を向けて、何かを話している様子だった。
「リリア――!」
「カケル!」
リリアが真っ先に駆け寄ってくる。
俺は思わず歩を早め、彼女の姿をしっかりと視界に捉えた。
「無事だったのね!」
リリアの瞳が潤んでいた。その顔を見て、胸がきゅっと締めつけられる。
「ああ、そっちも無事でよかった…ほんとに」
すぐ後ろにセレナも追いつき、やや息を整えながらリリアに視線を送る。
「分断された時は、さすがに冷や汗が出たわ。アンタ達はどうやってここまで?」
セレナの問いに、リリアは小さく息を吐いて応じる。
「…あの後、しばらく進んだ先で階段を見つけたの。
扉が閉ざされていて時間はかかったけど、ラシールさんの魔法でどうにか開いたのよ」
ラシールは後方から歩いてきて、落ち着いた口調で口を開いた。
「扉には封印の痕跡がありました。古い魔術でしたが、解読はどうにかできましたよ」
相変わらずの余裕のある態度だが、その額にはわずかに汗が浮かんでいた。
「こっちは密室の部屋に閉じ込められてたわ」
「…ふむ。やはり一筋縄ではいかぬようですな」
ラシールが顎に手を当て、思案深く呟いた。
「とにかく、無事に再会できて何よりだわ」
リリアが小さく息を吐き、張り詰めていた肩の力を抜くように微笑んだ。
「でもこの階層も気は抜けないわね。あまり長居しない方がいいでしょ」
セレナが周囲に鋭い視線を走らせながら皆に警告する。
ラシールは一歩前に出ると、やや芝居がかった口調で告げた。
「では、先に警戒のため、少し先を調べておきましょう。
精鋭二名もお供させます。何かあればすぐに戻りますゆえ」
その言葉と同時に、ラシール配下の兵士が静かに頷き、前方へと歩を進めていく。




