願いのかたち、風に舞う熱砂のように③
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年。
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ラシール
種族:人間
王女パトラに仕える宰相。
早朝、砂丘の向こうに遺跡の影が見え始めた。
崩れた石柱が砂に沈み、乾いた風が骨のような音を鳴らしている。
「…あれか」
「座標と一致しています。間違いありません」
ラシールが落ち着いた声で応じる。
その横では、精鋭の兵士二人が警戒を怠らず、手を武器に添えていた。
リリアは日よけのフードを軽く押さえながら、眩しそうに目を細める。
「いかにも秘宝が隠されてる感じね」
セレナが口元を吊り上げながら呟く。
確かに、ただの廃墟ではなかった。砂の奥から、何かが息づくような気配。
視界の奥に、砂嵐のせいで半ば霞んでいた遺跡の輪郭が、徐々にその全貌を現しはじめていた。
――と、その時だった。
「おい、今の揺れ、感じたか?」
足元から微かに伝わってきた震動に、思わず声を漏らす。
立ち止まり、周囲を見渡すと、砂の表面がわずかに波打っているようにも見えた。
「何かしら、地震?」
リリアはそう呟くと、足を止めてゆっくりと周囲を見回した。
風で揺れる髪を押さえながら、僅かに首を傾げ、瞳を細める。
「違いますね。これは…」
ラシールが低くそう答えた直後だった。
「皆、下から何か来るわ!」
セレナの叫びと同時に、砂地が炸裂するかのように盛り上がり、巨大な影が飛び出した。
現れたのは、巨大なワームの尾を持つ異形の魔物娘。
下半身は節のある巨大な環状の胴体、上半身は人型の女性で、金砂のような髪が風に舞っていた。
褐色の肌に輝く黄金の装飾、踊り子を思わせる露出の多い衣装。
砂塵をまとったその姿は、美しさと猛々しさを兼ね備えていた。
そして、裂けた口の奥には鋭い牙が覗く。
「サ、サンドワームですぞ!」
ラシールが悲鳴に近い声をあげ、咄嗟に傍らの精鋭兵二人を盾にするようにして後退する。
怯えの色を隠しきれず、袴の裾が砂に絡みながらも必死に距離を取っていった。
「まて!俺達はただ、ここを通るだけだ。争うつもりはない!」
「我が名はドゥーナ。この砂を踏むならば、力で語れ。我の縄張り、生半可な覚悟では通れぬぞ!」
その声は揺るぎない意思に満ちていた。
視線が俺に向けられる。砂が巻き上がり、尾が地面を叩いて唸る。
どうやら、言葉は通じないらしい。いや、通じた上で、試されているのか。
「くそ…やるしかないってことかよ」
拳に闇の力が集まり、黒い靄のような気配が指先から迸る。
背後では、セレナがため息混じりに呟いた。
「なんでこうも最近、虫に縁があるのかしらね!」
彼女の周囲に魔力の奔流が集まり、蛇の髪が小さく震える。
指先に青白い魔法陣が浮かび上がり、今にも放たれんとしていた。
「ふふっ、モテる女はつらいわね」
軽口を叩きながらも、リリアの目は真剣そのものだ。
腰を落とし、脚に力を溜める仕草は、いつでも飛び出せる構えだった。
「砂に飲まれるが良い!」
ドゥーナが叫ぶと同時に、大地が鳴動した。
砂が巻き上がり、ドゥーナの巨大な尾が地を蹴る。
その勢いは凄まじく、地面が爆ぜるように弾け、嵐のような砂塵が舞い上がる。
砂を巻き上げて、奴が突っ込んでくる。
デカい――それだけじゃない。巨体のくせに、速い。
地を滑るような動きで一直線に突っ込んできたかと思えば、尾の先を振り上げ、振り下ろす。
まるで鉄塊を叩きつけるような重量感が、砂と一緒に襲いかかってくる。
「ちっ!」
ギリギリで身を引いた。風圧だけで頬が切れる。
ほんの少しでも遅れていたら、俺の体は砂にめり込んでた。
跳ねるように飛び退きながら、拳に闇を纏わせる。
「力を示せ――さもなくば、砂に還れ!」
咆哮と共にドゥーナの尾が俺を狙って、再び振り下ろされる。今度は真っ向から。
「やってみろよ!」
拳を振るった。闇の力を纏ったそれが、ドゥーナの尾と激突する。
「ぐっ…!」
衝撃が骨に響いた。弾かれた。
相手の尾は、ただの肉じゃない。
岩でも混ざってるのかと思うほど、硬い。
「閃光よ、唸れ!ライトニング・スパーク!」
セレナが指を鳴らすように呪文を解き放った瞬間、鋭い雷光が迸った。
空気を裂くような音とともに、眩い稲妻がドゥーナの上半身を正面から貫く。
「ギュウゥッ!」
ビリビリと走る電流に身を震わせながらも、ドゥーナはすぐに顔を上げた。
瞳には怒りの光が宿り、鋭くセレナを睨み据える。
「小癪な蛇娘め…!」
「うそっ、効いてないの!?」
セレナがわずかに顔をこわばらせたが、それでも電撃の痕跡はたしかに残っている。
ドゥーナの褐色の肌には焼け焦げたような跡が薄く浮かんでいた。
「…いや、効いてる。けど、決定打じゃないってことか」
俺は目を細めながら呟く。
確かな手応えはあったはずなのに、まるで火に油を注いだような迫力で、ドゥーナの闘気はむしろ増している。
「ふふっ、いいわね。私、そういう手応えのある相手、嫌いじゃないわ」
リリアがくすりと笑う。唇の端を吊り上げ、目の奥に戦意の光を宿していた。
軽口を叩きながらも、その体勢には一分の隙もない。
彼女の蹴りが本気になったとき、どんな敵でも無視できない。
「ならば、その言葉、後悔と共に砂に還せ。――砂よ、巻け!」
地面が揺れ、突如として砂嵐が舞い上がる。
「っ――視界が!」
乾いた砂粒が渦を巻いて周囲の視界を遮った。
砂の粒が目や口に入り込みそうになる。
咄嗟に袖で拭いながら、足を踏みしめた。
だが、足元がわずかに沈む感触がした。
「くそ、足場が崩れてる!リリア、セレナ!位置を――」
叫びかけた俺めがけて、ゴウッと地面が唸り、何かが下から突き上げてきた。
「――っぐあああっ!!」
巨大な尾が砂を突き破って飛び出し腹部に直撃する。
衝撃と共に視界が回転し、地面を数度跳ね飛んだ。
肺の中の空気が一気に押し出され、何が何だかわからないまま砂地に叩きつけられる。
「がっ…あ、く…!」
体がきしむ。右脇腹に激痛。肋骨の何本かがイってるかもしれない。
それでも必死に頭を上げると、地中から這い出たドゥーナが、
獲物を仕留めた獣のようにうねる尾をゆっくりと振っていた。
「フフ…やはり柔らかいな、人間の身体は。多少力を込めただけで、面白いくらい飛ぶ」
「…っ、てめぇ…!」
吹き飛ばされた衝撃で全身に痺れるような痛みが走る。
俺は歯を食いしばって立ち上がった。
闇の力がじわじわと体を修復していくのを感じるが、再生にはもう少しかかりそうだ。
(くそ…まともに食らっちまった…)
「風よ、我らに道を!ウィンドテイル!」
セレナの声とともに、突風が吹き荒れた。
巻き上がっていた砂が四方へと散り、視界が一気に晴れていく。
「何!?この風は…!」
ドゥーナが思わず唸るような声をあげ、周囲を見回す。
「ふふっ、油断したわね」
リリアが砂煙の中から舞うように跳躍し、ドゥーナの懐に迫る。
「はっ!」
鋭く振り上げた脚が、勢いよくドゥーナの腹部を蹴り上げた。
「ぐっ…!?」
重たい音とともにドゥーナの体がのけぞる。
(今だ…この隙、逃さねぇ!)
再生途中の体に無理を強いるように、一歩踏み出す。
闇が霧のように足元から立ち上り、俺の体を包む。次の瞬間、意識が空間を裂いた。
――転移。
視界が一瞬にして切り替わる。目の前には、腹部を押さえてぐらつくドゥーナの巨体。
全身の力を拳に集中させて、彼女の顔面めがけて渾身の一撃を叩き込む。
「喰らえっ!」
ドゴッ!
鈍い音とともに、手応えが走る。だが、殺すつもりはない。
ギリギリの加減で力を抑えた。あくまで、威嚇と反撃の意思表示だ。
「ぐぅっ…!」
ドゥーナの頭が大きく仰け反り、砂を巻き上げながら数メートル後退する。
(…悪いが、これでおあいこだ!)
拳を叩き込んだ感触が、拳骨を伝って返ってくる。手応えは、しっかりとあった。
ドゥーナは僅かに身を引き、顔をしかめながらこちらを見据える。
その瞳の奥に――怒りや敵意ではなく、興味と警戒、そして何より、認めたという色が見えた。
「…見事だ、人間!」
その声は怒りを含んだ咆哮ではない。敵にではなく、強者に向ける言葉だった。
「この砂を踏み荒らす者ども…ただの愚か者かと思ったが、違ったようだな」
ドゥーナは大きく息を吐き、そしてその尾をゆっくりと引いた。砂を巻き上げていた動きが止まり、空気が静まり返る。
尾の先を地に突き立てるようにして、彼女は堂々と身を起こした。
臨戦態勢を解いたのだと、誰の目にも分かる動きだった。
「お前達は力を示した。故に今は矛を収めよう」
ドゥーナは静かに、しかし威厳を持ってそう告げる。
緊張の糸が解けたように、セレナがため息をついて歩み寄ってきた。
「ふぅ…まったく、アンタってば。無茶ばっかりするんだから」
肩に手を添えてくるその声は呆れ半分、心配半分だった。
すぐ隣で、リリアがこちらを振り返る。
肩越しにウィンクしながら、くすりと笑った。
「ふふっ、でも、ちゃんと決めてくれるんだもの。流石ね」
「…やれやれ。治ったとはいえ、骨が折れたんだぞ?普通の人間なら死んでるって」
そうぼやきつつも、どこか満足している自分がいるのがわかる。
痛みの残る拳を軽く振ってみせると、二人の笑みが少し柔らかくなった。
――そうして、ドゥーナとの戦いは静かに終わりを告げた。
◇ ◇ ◇
風が止み、砂のざわめきすら消えた。
荒れ狂っていた戦場の気配が、今は嘘のように静まり返っている。
その中心で、ドゥーナがゆっくりと顔を上げた。
褐色の肌に走る小さな傷、腹に残る蹴り跡、そして頬に刻まれた拳の余韻。
だが、それらを痛みとして受け止めている様子はなかった。
むしろ、瞳の奥に宿るのは――静かな観察の光だった。
「…しかし貴様、先程の拳、手を抜いていたな」
低く落ち着いた声だった。
怒りでも嘲りでもない。ただ一つの真実を、探るように突きつける声。
俺は、わずかに息を吐きながら口を開いた。
「殺す気はなかった。こっちは“話し合う余地がある”って、そう思ってたからな」
沈黙が一瞬、流れる。ドゥーナは目を細め、やがて静かに言葉を継いだ。
「…愚かな情けと、切り捨てることもできた。だが、あの一撃には確かな“覚悟”があった」
長い尾をゆるりと地に伏せ、彼女は一歩、こちらへにじるように近づく。
「俺達は、王命で“願いのランプ”を探しに来たんだ」
核心を告げると、ドゥーナの眉が僅かに跳ねる。
「王命?…お前達、女王パトラの使いか」
「正確には、“試練を与えられた者”ってところね」
そう言って、セレナは俺のもとへと歩を進め、肩をポンと叩いた。
その仕草には、軽い労いと共に、明確な意思表示が込められていた。
まるで『この男が、その資格を持つ者よ』と、ドゥーナに伝えるかのように。
「ふむ…女王がこの場所を試練と定めたのであれば、それなりの意味があるのだろうな」
ドゥーナはそう呟くと、長く伸びた尾を砂に這わせながらこちらを見た。
「あのランプは、ただの秘宝ではない。その“力”が誰の手に渡るかで、この国の命運は大きく変わる。
だからこそ私は、この地を守り続けてきた。侵入者には、相応の“覚悟”を問う必要があったのだ」
その声は、戦士としての誇り、そして番人としての使命に満ちていた。
「だったら、ここを通してくれ。
俺達は、そのランプを“正しく”扱うべき者として、それを証明しなくちゃならないんだ」
俺は嘘偽りない言葉を伝え、まっすぐに彼女を見返す。
ドゥーナは、まるで心を覗くように俺の目をじっと見つめた。
やがて、わずかに口元を緩めると、静かに頷いた。
「よかろう。貴様の目は信用に値する。行くがよい」
尾を軽く振ると、背後の砂をすくうように一陣の風が巻いた。
それはまるで、砂漠の門がひらいた合図のようだった。
「この先には罠や封印が残されている。無知な者では、砂の墓に沈むだろう。だが…貴様らならば、辿り着けるかもしれんな」
その声音には、わずかな期待と、試す者としての冷静な距離が混じっていた。
「…礼を言う、ドゥーナ」
俺の言葉に、彼女は軽く顎を引くだけで応えた。
まだ完全に打ち解けたわけじゃない。
それでもこの出会いは、確かに“敵”から“対話の相手”へと変わった。
砂漠の番人。強き誇りの守人。
その視線の先に、俺達が進むべき道が確かにあった。
穏やかな緊張が解けた空気の中、ふとリリアがくるりと周囲を見回した。
「…そういえば、ラシール達ってどこにいったのかしら?」
先ほどまで後方にいたはずの白いローブ姿が、どこにも見えない。
砂煙に巻かれた混乱の中で、気づかぬうちにいなくなっていたようだ。
セレナが眉をひそめ、鋭い視線を巡らせる。
「まさか、さっきの戦闘に怖気づいて逃げ出したんじゃないでしょうね」
半ば呆れたように言ったその瞬間、彼女の視線がある一点で止まった。
遺跡の奥――崩れかけたアーチの先。
影を落とす入り口の付近に、ローブをまとった三つの人影が立っていた。
「…おい、あれラシール達じゃないか?」
俺が指を差すと、セレナが軽く舌打ちする。
「アイツ、どさくさに紛れてあんなところまで!」
リリアも目を細め、すぐに判断を下すように声を張った。
「行きましょ。あそこ、入口に間違いないわ」
俺達は足早に、遺跡の入り口へと駆け寄った。
砂地に足を取られつつも、互いの顔には警戒の色が浮かんでいた。
そしてラシール達の目前まで近づいたとき、
あの男はまるで待っていたかのように、やけに明るい声で口を開いた。
「いやいや、さすが“黒き者”ですな。見事、サンドワームを打ち倒されましたな」
白いターバンの下、薄く笑うその顔には、一切の汗も焦りも見られない。
口元の演技じみた調子が、かえって白々しく響く。
「倒したんじゃない。力を証明しただけだ」
俺は静かに言い返す。
その言葉に、ラシールは目を瞬かせ、そしてますます芝居がかった調子で応じた。
「おお、もちろん、もちろん。まことご立派な振る舞いでした」
だが、その調子に騙されるほど俺達は甘くない。
「アンタ、まさか抜け駆けしようとしてたんじゃないでしょうね」
セレナが一歩前に出て、睨みを利かせながら問いかける。
声には冷えた棘が含まれていた。
「とんでもない。私は皆様と違い、非力でしてな。無用な争いに加わっては、かえってご迷惑になると思いまして」
ラシールは手を広げて見せながら、悪びれた様子もなく続けた。
「ですので、皆様が戦っておられる間に、遺跡の入り口の安全を確保していたというわけです。いわば、後方支援ですな」
その言葉の軽さに、リリアがふっと鼻で笑う。
「ふぅん。どうかしらね?」
彼女の目は笑っていたが、口元はまるで冗談を受け取っていないような鋭さを宿していた。
「で、中には入れるんだろうな?」
わざと語気を強めた俺の声に、ラシールはまるで待ってましたとばかりに頷いてみせる。
「ええ、もちろん。先ほど簡単に調査いたしましたが、付近に目立った仕掛けや罠はございませんでした」
どこまで本当かわかったもんじゃない。
だが、今は立ち止まって疑うより、一歩進むほうが得策だ。
「よし…なら、行こう。皆、くれぐれも慎重にな」
俺は仲間達に振り返り、声をかける。
リリアが軽く手を上げて応じ、セレナは無言でうなずいた。
遺跡の入り口は、半壊したアーチの奥にぽっかりと開いた闇の口のようだった。
ひんやりとした空気が微かに流れ出しており、外の熱気とは対照的な温度差が肌に触れる。
砂の上に残る古びた彫刻。壁面を走る風化した模様。
どこか、何かを“封じていた”場所のような重苦しさが漂っていた。
一歩、足を踏み入れると、音が吸い込まれるように小さくなる。
背後から吹き込む風が衣の裾を揺らし、どこか見えない視線に見られているような錯覚がよぎる。
この奥に、ランプがある。
それが試練なのか、それとも罠なのかはまだ分からない。
だが、もう迷いはない。
俺達は、遺跡の闇の中へと、静かに歩を進めた。




