蛇と魔法と終わりなき渇望③
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
リース・グランヴィル
種族:人間
アインベルグ魔法学院の保険医。
ユアン
種族:人間
アインベルグ魔法学院で突然魔法の能力を開花させた生徒。
理事長
種族:人間
アインベルグ魔法学院の現理事長。
「もう一度、生徒たちに聞き込みだ!」
俺達は再び学院内を駆け回り、手分けして情報を集めた。
「最近、ユアンを見たことあるかって?」
「うーん……あ、そういえば」
カフェテリアの隅に座っていた女子生徒が、ぽつりと答える。
「よく、裏庭にいるみたいだよ。最近、誰にも見られない場所を選んでるって話」
「裏庭……?」
「うん。裏庭の大きな枯れた木の下に、ぼんやり立ってるのを何回か見たって」
(裏庭……)
人気のない場所で何をしてるんだろう。
嫌な予感が、じわじわと胸に広がっていく。
中庭に戻ると、リリアとセレナもそれぞれ情報を持ち寄っていた。
「裏庭にいるって話、私も聞いた」
「私もよ。ここ最近、ほとんど授業にも出てないみたい」
リリアとセレナも同じ情報を掴んでいたらしい。
「……決まりね」
セレナが真剣な表情で言った。
「行こう、裏庭へ」
俺たちは頷き合い、学院の裏手へと向かった。
裏庭は、表の華やかさとは打って変わって、寂れた空気が漂っていた。
足元には落ち葉が積もり、かすかに風が吹き抜ける。
陽の当たらないその場所には、枯れかけた大きな木が、まるで墓標のように立っていた。
その下に――
「……いたわ」
リリアが小声で呟いた。
一人、佇んでいる影。
薄汚れた制服姿、ぼんやりと空を見上げて立っている。
──ユアンだ。
「声、かける?」
俺の問いに、セレナは一拍置いてから、静かに頷いた。
「気をつけて。……様子がおかしい」
リリアも頷く。
俺達はゆっくりと、ユアンへと歩み寄った。
(何かが、始まる)
胸の奥が、熱くざわめいていた。
◇ ◇ ◇
俺達は、慎重にユアンへと歩み寄った。
彼は枯れ木の下で、まるで置き去りにされた人形みたいに、ぼんやりと立ち尽くしている。
「ユアン……だよな?」
俺はなるべく優しい声で呼びかけた。
ユアンは、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
だが、その瞳はどこか焦点が合っていない。
虚ろな、まるで何かに操られているみたいな――そんな目だった。
「……俺は……」
ユアンがかすれた声でつぶやいた。
「もっと、強く……なりたかった……」
「誰かに、力をもらったのか?」
俺の問いに、ユアンは曖昧に頷く。
「……教えてくれたんだ。……欲しければ、手に入れろって……!」
その瞬間、ユアンの全身から、黒ずんだ魔力の気配が噴き出した。
「来るわよ!」
セレナが叫ぶ。
ユアンの周囲に、ビリビリと空気が震えるような圧が広がる。
このままだと暴発する――!
「ユアン、落ち着け!」
俺は思わず駆け寄ろうとした。
だが――
ズガァン!!
地面が爆ぜた。
「っく……!」
(助けなきゃ――)
そんな衝動で、俺は無意識に前へ出かけた。
「カケル、下がって!」
リリアが叫び、俺の腕を引っ張った。
視界の端で、ユアンが一瞬だけ正気を取り戻したように見えた。
「……いやだ……こんなの、俺じゃない……!」
その叫びとともに、ユアンは黒い魔力をまといながら、裏庭の奥へと逃げ出した。
「待て、ユアン!」
俺たちはすぐに追いかけようとした――が、
「ダメよ、下手に追うと危ない」
セレナが冷静に制した。
「今のあの子、まともじゃない。……まずは冷静に情報を整理すべきよ」
俺は悔しさをにじませながら、拳をぎゅっと握りしめた。
(ユアン……)
必ず助け出す。
このまま、終わらせてたまるか。
そう心に誓いながら、俺達は裏庭を後にした。
◇ ◇ ◇
裏庭から戻った俺たちは、学院の中庭近くの静かなベンチに腰を下ろした。
「……はあ」
思わず、深いため息が漏れる。
ユアンを見つけた。
けれど、あの異常な魔力の気配――
普通じゃない。
しかも、あの逃げ方も、まるで“何か”に追われるようだった。
「まさか、あんな状態になってるとはね」
リリアも眉をひそめながら呟く。
「放っておくわけにはいかないわね」
セレナも腕を組んで静かに言った。
俺は膝に肘を乗せ、指を組んで深く考える。
(ユアンは、教えてくれたと言ってた。じゃあ、誰に教えてもらったんだ?)
今までは、ただ「魔力消失事件を調べる」ってだけだった。
でも、今は違う。明らかに、背後に誰かがいる。
「今わかってるのは、これだけだ」
俺は声に出して整理する。
「ユアンは、誰かに力を与えられた。その結果、異常な魔力を手に入れた。
そして、その代償として、正気を失いつつある」
「そうね。しかも、単なる自然発生じゃなくて、“誰かが意図的にやらせている”可能性が高いわ」
セレナも冷静に分析を重ねる。
「……誰か、ね」
リリアがポツリと呟いた。
その言葉に、ふと、リース先生の顔が頭をよぎる。
(あの時……一瞬見せた、あの冷たい目……)
「……なあ」
俺は二人に向き直った。
「リース先生って……なんか、変じゃなかったか?」
リリアとセレナが同時にこちらを見る。
「私も、少し思ってた」
リリアが頷いた。
「優しすぎるのよ、あの人。それに、生徒の魔力のことを話してたとき、ほんの少しだけ――」
言葉を濁すリリアに、俺は頷いて答えた。
「ああ。妙に……執着してた感じがした」
セレナは腕を組んだまま、じっと考え込んでいる。
「確証はないわ。でも、あの人がこの事件に関わってる可能性……考えたほうがいいかもしれない」
「じゃあ、次は……」
「リース先生に探りを入れてみる」
セレナが力強く言った。
新たな目標を定め、俺達は再び立ち上がった。
事件の背後に隠された真実は、すぐそこにあるはずだ。
◇ ◇ ◇
俺達は医務室に向かい、リース先生に話をすることにした。
学院の生徒――ユアンが異常な状態になっている。
放っておけば、さらに被害が広がる可能性もある。
(これは俺達の個人的な問題じゃない。学院全体に関わることだ)
「失礼します」
扉をノックして声をかけると、すぐにリース先生の柔らかな声が返ってきた。
「どうぞ」
医務室に入ると、リース先生はいつもの穏やかな笑みを浮かべて迎えてくれた。
「どうされましたか?」
「実は……」
俺はユアンのことを簡潔に報告した。
裏庭で見かけたこと。
彼の様子が明らかにおかしかったこと。
暴走しかけた魔力のこと――すべて。
リース先生は真剣な表情で、俺たちの話を静かに聞いていた。
「……そうですか。ユアンくんが……」
彼は小さく呟き、ふっと目を伏せる。
その仕草は、悲しんでいるようにも見えた。
けれど――
(……なんだ?)
ほんの一瞬。
その顔に、かすかな笑みが浮かんだ気がした。
次の瞬間には、いつもの穏やかな表情に戻っていたから、
気のせいかもしれない。
でも、確かに、違和感があった。
「ユアン君は、もともと魔法の才能には恵まれていませんでしたから……
きっと、何かにすがりたかったのでしょう」
リース先生は静かに言った。
「“何か”に?」
セレナが鋭く食いつく。
リース先生は目を細め、どこか遠い目をした。
「絶望した生徒は、時に、危うい力に手を伸ばすこともあるのです。
悲しいことですが、そうした子たちは……“正しい導き”がなければ、自分を見失ってしまう」
「正しい導き……」
リリアが小声で繰り返す。
その言葉には、何か重たい意味が込められているような気がした。
「ともかく、私からも理事長に報告しておきます。
どうか、皆さんもくれぐれも無理はなさらないように。……この事件は、非常に危険ですから」
優しい笑みで、そう告げるリース先生。
でも俺の中には、さっきのほんの一瞬の違和感が、ずっと刺さったままだった。
(この人、本当に……味方なのか?)
胸の奥で、そんな疑念が小さく、しかし確かに芽生え始めていた。
◇ ◇ ◇
学院の中庭に出たその瞬間、異様な気配に気づいた。
「カケル、あれ!」
リリアが指差す。
振り向いた先――
そこには、見慣れた制服姿の生徒。
けれど、まとっている空気は明らかに異常だった。
「ユアン……!」
ユアンは、中庭の中央でぼんやり立っていた。
その全身から、黒く淀んだ魔力が吹き上がり、周囲の空間を震わせている。
「やばい、また……!」
俺が駆け出しかけた、そのとき。
「下がって!」
セレナが俺たちの前に立ちはだかった。
彼女の蛇の髪たちが逆立ち、
冷たい黄金色の瞳が、真っ直ぐユアンを見据える。
「……私が行く」
「でも、危険だよ!」
俺の静止に対し、セレナは静かに首を振った。
「魔力の暴走は、まともな交渉なんてできない。
まずは、魔力を削いで正気を取り戻させるしかない」
言うが早いか、セレナは指先に魔力を集めた。
「燃えろ!ファイアボルト!」
いくつもの火の玉が生み出され、ユアンに向かっては真っすぐ飛ぶ。
ユアンも反応する。
黒い魔力を凝縮させ、荒々しいエネルギー弾を放つ。
──ズガァンッ!!
炎と闇がぶつかり合い、爆風が中庭を吹き抜けた。
俺たちは咄嗟に身をかがめる。
「うわっ!」
セレナの魔法は、正確で、無駄がない。
一撃一撃がユアンの暴走した魔法を確実に相殺していく。
だけど。
(ユアンの魔力、まだ衰えてない……!)
まるで底なしだ。
「っ……!」
「凍てつけ!アイスランス!」
今度は鋭い氷の槍がいくつも生み出され、ユアンに向かって放たれる。
ユアンは闇の壁を作りだし、防御態勢に入る。
壁は異常に硬く、セレナの魔法をものともしない。
見るとセレナがわずかに肩で息をし始めている。
「魔力は……無尽蔵じゃない」
彼女は自分に言い聞かせるように呟く。
「持久戦よ。奴の魔力が枯れるまで……叩き続ける!」
セレナが次の詠唱を唱える。
ユアンの頭上に巨大な岩の塊が生成され、そのまま落下していく。
「落ちろ!ロックフォール!」
ユアンのエネルギー弾が空中の岩を狙い撃つ。
砕け散った岩の欠片がユアンへ自動追尾する。
ユアンの暴走した魔力が咄嗟に全方位に壁を展開する。
(……すげぇ)
俺は拳を握りしめた。
ただ強いだけじゃない。
状況を見極め、冷静に勝ち筋を作り出してる。
「くっ……!」
セレナが魔力を振り絞り、次々と魔法を放っていた。
だけど、ユアンの黒い魔力が、なおも暴れ続ける。
(このままじゃ、セレナが……!)
俺は拳を握りしめた。
なにか、なにかできることは――
そのとき。
「カケルくん!」
声が響いた。
振り向くと、理事長が駆け寄ってきていた。
「これを使いなさい!」
理事長が差し出したのは、手のひらに乗るほどの、淡く光る小さな珠だった。
「それは暴走した魔力を一時的に封じる結界の珠。
命中させれば、短い間だけでも動きを止められるわ!」
「……わかりました!」
俺は珠を握り締め、大きく息を吸った。
(絶対に、外せない――!)
ユアンは再び魔力を溜めようとしていた。
中庭に、張り詰めた空気が満ちる。
俺は狙いを定めた。
「いっけえええっ!!」
渾身の力で、珠を投げる。
玉は空を裂き、一直線にユアンの胸元へ――
──バシィン!!
透明な光が一瞬だけ広がり、ユアンの体を包み込んだ。
黒い魔力が押さえつけられ、彼の動きがピタリと止まる。
「今だっ!」
セレナに向かって叫ぶ。
「焼き尽くせ!ブレイズエッジ!!」
燃え上がる炎の刃が、ユアンの魔力の塊に突き刺さる。
──爆発する熱風とともに、ユアンの身体が崩れ落ちる。
静寂。
俺達は急いで駆け寄った。
ユアンは、気絶していた。
でも、もう黒い魔力の暴走はどこにも感じない。
倒れたユアンを見下ろしながら、俺は小さく息を吐いた。
(これで……少しは、救えたのか?)
リリアが、ほっと胸をなでおろす。
「これは……」
セレナがユアンの右手の平を見つめている。
「どうかした?」
「これが魔力を吸収する刻印ね」
「じゃあ、やっぱりユアンが犯人!?」
「そうなるわね。でもちょっと待って…」
セレナが刻印を指でなぞる。
「触れて大丈夫なのか?魔力が吸収されるんじゃ」
「彼に意識がないんだから大丈夫よ」
「…この術式、どこかで」
暫く刻印に触れていたセレナが急にハッとする。
リリアと俺が見守る中、セレナの顔色が、見る間に険しくなった。
まるで何か、思い出したくないものを思い出したみたいに。
「セレナ?」
呼びかけると、セレナは小さく息を呑み、
迷いを振り払うように言った。
「二人共、私についてきて」
俺達は倒れているユアンを理事長に任せ、足早に去るセレナを追いかけた。