散りぬるをも、なお君を④
昼下がり、雅の屋敷に一人の女中が姿を現した。
狸の耳とふさふさとした尻尾を揺らし、柔らかな笑みを浮かべている妖怪娘だった。
「皆様を景継様の城までご案内せよ、との拙のお役目にございます。どうぞ、こちらへ」
雅の手配による案内人らしい。
俺たちは彼女に導かれ、城へ向かうことになった。
町を抜けると人通りはまばらになり、やがて静かな山道へと変わっていく。
道は徐々に傾斜を増し、両脇には竹林や松林が生い茂っていた。
風が吹くたびに葉擦れの音が響き、町の喧騒はすでに背後へと遠ざかっている。
「……ずいぶん奥に建ててるもんだな」
ライアがぽつりと呟く。
たしかに、想像していたよりも城までは遠かった。
城下町の外れではなく、あえて町と距離を置いた高台に築かれているらしい。
防御を重視した、まさに山城と呼ぶに相応しい立地だった。
道は幾度か曲がりくねり、途中から石段へと変わる。
森の奥からは小さな沢のせせらぎが聞こえ、辺りの空気もどこかひんやりとしていた。
まるで日常から隔絶されていくような、不思議な感覚が胸に広がっていく。
「……何というか、こんなところに住んでるだけで権威を感じそうね」
セレナは額ににじんだ汗を指先でぬぐいながら呟いた。
狸の女中は変わらぬ足取りで、先を進んでいく。
やがて森の隙間から、山肌に沿うように築かれた白壁と黒瓦の天守が見え始めた。
だが、そこへ至るにはまだ幾つもの坂と曲がり道が残されていた。
太陽は傾き、伸びる影が俺たちの足元を長く染める。
空も夕暮れの橙から、淡い紫色へと移ろい始めていた。
「殿様の住む場所ってのは、どこもこう険しいもんなのかね」
トーラは首筋の汗を手で拭いながら、軽くぼやいた。
時計で言えば、すでに五時を過ぎただろうか。
登城道を進むにつれ、城の持つ「隔絶された支配者の領域」という空気が、その存在感を濃くしていく。
「この道のり、帰る頃にはすっかり夜だね」
声のした方へ目をやると、小さな黒いコウモリが俺の肩にしがみついていた。
ヴァネッサだ。
彼女は小型のコウモリに姿を変え、しれっと俺の服の中に紛れ込んでいた。
その姿を見たセレナが、ジト目を向ける。
「……アンタは変身できるから楽でいいわよね」
コウモリ姿のヴァネッサは、小さく翼を動かしながら涼しげに応じる。
「貴族には貴族の嗜みというものがあるのだよ。ふふ、うらやましいか?」
セレナはわずかに頬を膨らませ、ふんとそっぽを向いた。
そんなやりとりに、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
やがて長い坂道を登りきると、白壁の大きな城門がその威容を現した。
高く厚い門扉と、その上にそびえる高櫓。
まるで俺たちを睥睨するように、静かな威圧感を放っている。
門前では、数名の人間の兵が槍を手にこちらへ警戒の目を向けていた。
狸の女中が一歩前へ進み、丁寧に頭を下げる。
「ご案内の客人をお連れしました。雅様より命を受け、殿のもとへお通しするよう申しつかっております」
だが、門番の一人が首を横に振った。
表情こそ柔らかだが、その口調は断固としている。
「申し訳ありませんが、殿からの直々の通達がなければ、客人であってもお通しするわけには参りません」
淡々と告げるその声音には、警戒の色が滲んでいた。
俺たちは顔を見合わせる。
ここまで来て、まさか門前払いを食らうとは。
「そこをなんとか……雅様からの御遣いです。確認を取っていただければ――」
リリアが柔らかに取り成そうとするが、門番は再び首を横に振る。
「恐れながら、殿は今、御内にてご静養中にございます。余計な騒ぎをお許しになるお方ではございません」
「……こういう無駄なやり取りが一番疲れるんだよな」
ライアが小さく舌打ちする。
埒が明かない。
そう思いかけたその時、背後から柔らかな足音が響いた。
ほのかな香りが、風に乗って鼻先をくすぐる。
「まぁまぁ、お堅いことはおやめなさいな」
艶やかな声音に、振り返る。
そこに佇んでいたのは、一人の女性だった。
透き通るような白い肌に、凛とした上品な顔立ち。
切れ長の瞳には、落ち着きの中にも底知れぬ妖艶さが宿っている。
長く流れる金色の髪からは白銀がかった狐耳が覗き、その背では九本の尾がゆるやかに揺れていた。
恐らく、九尾の狐だろう。
その佇まいからは、一目で他とは違う格が感じ取れた。
身に纏うのは、椿の花柄が刺繍された桃色の着物。
艶やかでありながら派手すぎず、彼女の気品を引き立てていた。
「これは失礼いたしました。妾は椿。景継様にお仕えする五華衆の一人にございます」
――五華衆。
その言葉を聞いた瞬間、俺たちの間に緊張が走った。
互いに顔を見合わせる。
椿はそんな俺たちの反応を楽しむように、柔らかく微笑んだ。
「景継様より、異国の客人をお通しせよとの仰せを預かっておりますわ」
門番たちは一瞬戸惑ったものの、すぐに恭しく頭を下げた。
「はっ、椿様……御意にございます」
ギィィ……と重々しい音を立て、城門が開かれていく。
俺たちは椿の導きに従い、その中へと足を踏み入れた。
城門をくぐると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
城内は静まり返り、まるで外とは別世界のようだった。
白壁の回廊が幾重にも続き、庭の池や石灯籠が夕暮れの光に浮かび上がっていた。
◇ ◇ ◇
「どうぞ、こちらへ」
椿は変わらぬ余裕を漂わせながら、先を歩いていく。
その後ろ姿には一切の隙がなかった。
俺たちは言葉少なにその後をついていく。
幾つもの廊下や曲がり角を抜けるうちに、城内がまるで迷宮のように感じられてきた。
やがて案内されたのは、一室の座敷だった。
障子は固く閉ざされ、外の景色はほとんど見えない。
静まり返った室内には、どこか異様な閉塞感が漂っていた。
「殿は間もなくお越しになりますゆえ。しばしご息災にてお待ちくださいますよう」
椿は柔らかな笑みを崩さぬまま一礼し、音もなく襖の向こうへと消えていった。
静寂が降りる。
障子の向こうからは、庭の虫の音だけが微かに聞こえてくる。
それ以外に、人の気配は感じられない。
「……随分と静かね」
リリアが部屋の中を見回す。
そのまま、時間だけが過ぎていった。
差し込む光は次第に薄れ、障子の向こうが藍色に染まっていく。
やがて夕闇が辺りを包み、外はすっかり夜の色へと変わっていた。
それでも、誰一人として現れない。
セレナが眉をひそめる。
「さすがに変じゃない? 殿が現れるどころか、誰の足音もしないわ」
俺も同じ違和感を覚えていた。
妙だ。いくらなんでも静かすぎる。
「……ちょっと見てくる。ここから先は警戒した方が良さそうだぜ」
トーラが立ち上がる。
「私も行こう」
ライアも続いて腰を浮かせた。
だが、二人が襖に手を掛けた、その瞬間だった。
ふわり、と空気が歪む。
足元から、薄靄のような白い霧が漂い始めた。
耳鳴りのような低い音が頭の奥で響き、感覚がぐらりと揺らぐ。
「っ……!? これは!」
思わず声を上げ、手を伸ばした。
だが、その手は誰にも届かない。
仲間たちの姿が、霧の向こうへ溶けるように霞んでいく。
次の瞬間、まったく別の部屋に立っていた。
広さも、空気も、何もかもが異なっている。
薄暗い障子の奥に人の気配はなく、壁際に置かれた行灯が微かに揺れているだけだった。
(……何だ、ここは?)
困惑しながら周囲を見回す。
さっきまで隣にいた仲間たちの姿は、どこにもない。
幻術なのか、罠なのか。それとも、何か別の現象なのか。
今の俺には判断がつかなかった。
ただ一つ確かなのは、仲間たちと引き離されたということだけだ。
小さく息を吐き、気持ちを落ち着ける。
「……とにかく、皆を探さないと」
障子へ手を伸ばし、音を立てないよう部屋を出る。
この城全体が、何か見えない力に歪められている。
そんな嫌な感覚が、背中にまとわりついていた。




