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その正は誰がために①

登場人物

カケル

種族:人間

主人公。異世界に召喚された青年


リリア

種族:サキュバス

魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。


セレナ

種族:メデューサ

アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。


ヴァネッサ

種族:ヴァンパイア

とある古城に独り住んでいた。幻術・護身術を得意とする。


ライア

種族:リザードマン

流浪の剣士。エルザとは幼馴染。


エルザ

種族:サイクロプス

鍛冶職人。ライアとは幼馴染。


エリシア

種族:エルフ

精霊と心を通わせたり、精霊の力を行使できる。


トーラ

種族:ミノタウロス

ヴァルハールの町の自警団に所属。肉弾戦が得意。

照りつける陽射しが、これまでの旅路とは違う空気を運んでくる。

どこか浮き足立った雰囲気に、俺はつい歩調を緩めた。


「…ここから先が『ヴァルハール』。聞いてた通り、賑やかそうな町ね」

先頭を歩くリリアが眩しそうに目を細め、遠くの街並みを見つめる。

風に揺れる色とりどりの幟。祭囃子のような音楽が街道にまで届いていて、人々のざわめきが活気を物語っていた。


「祭りの最中ってやつか。こりゃあ、町の中はごった返してそうだな」

自然とそんな言葉が口をついた。

胸の奥が少しだけ軽くなる。

緊張の連続だった旅の中で、ようやく肩の力を抜ける時間が訪れた気がした。


いつもよりも軽やかな空気に、肩の力が自然と抜ける。

ここまでの旅は、正直いろいろあった。

戦いもあれば、逃げ場のないような緊張感もあって。

だからこそ、こういう雰囲気がちょっとありがたく感じる。

今日は、気を張らずに過ごせそうな気がするな。


「祭りなんていつ以来だろう」

ポツリと漏れた独り言に、すぐ隣から声が返ってくる。


「何言ってるんだ? ヴァルテリアの剣術大会も祭りみたいなものだぞ?」

振り返ると、ライアが得意げな顔をして腕を組んでいた。

確かに、あの大会も町中が盛り上がっていたし、屋台だって並んでいた。けれど――


「…あれは違うだろ」

思い返すのは、汗と緊張の連続、そして何よりも剣を交えたあの戦い。

胸に残るのは勝敗の余韻であって、今日のような浮き立つ気持ちじゃなかった。

そう考えると、今のこの穏やかな時間が貴重なものに思えてくる。


祭りの町――ヴァルハール。

元は小さな鉱山町だったこの地は、今や各地から人と魔物娘が集まる自由な都市のひとつだ。

特にこの時期に行われる『金星祭きんせいさい』は、

豊穣と平和への祈りを込めた年に一度の大行事として知られている。

旅を続けてきた俺達は、偶然耳にしたその祭りの噂に惹かれ、この街へと足を踏み入れたのだった。


「ふふ、とにかく。今日は、めいっぱい楽しむとしましょうか」

リリアの微笑みを受けて、俺もつられて小さく笑う。

そうだな。今日は、何も考えず、ただこの喧騒の中に身を置こう。


町に足を踏み入れた瞬間、思わず立ち止まった。

かつて鉱山で栄えたこの町は、もっと無骨で、

土埃と鉄の匂いが立ちこめているような場所だとばかり思っていた。

だが、今目の前に広がる光景は、その想像とはまるで違っていた。


道の両脇には、金属板や磨かれた鉱石が巧みに組み合わされて装飾されている。

昼の陽射しを浴びたそれらが、反射してきらきらと輝き、

まるで金属そのものが光を放っているようだった。

無機質なはずのそれが、不思議と温かみを帯びて見えるのが不思議だ。


あちこちに吊るされたランタンも印象的だった。

火は灯されていないが、中に嵌め込まれた色とりどりの鉱石が陽の光を透かし、

足元の石畳に淡い光の模様を落としている。

赤や青、緑…それぞれの色が、まるで生きているかのようにゆらゆらと揺れていた。


「…花はないけど、これはこれで、ちゃんと彩られてるな」


気づけば、そんな言葉が口をついていた。

隣を歩いていたリリアが、俺の言葉に目を細めて笑い、肩を軽く揺らす。

「こういうのも素敵よね。冷たいはずの金属なのに、どこかあたたかく見える…」

見上げる彼女の横顔は、その装飾よりもずっと柔らかく、美しく映った。


「……すごく綺麗」

後ろから小さく、でもはっきりとした声が聞こえた。

エリシアだった。彼女は道沿いのランタンに見入っている。


「森の光とは違うけど……光が踊ってるみたい」

瞳を輝かせながらつぶやくその姿は、まるで光の中に溶け込んでいるようだった。

自然の中で育った彼女にとって、こういう人工の美しさは新鮮なんだろうな、と俺は思った。


「……この鍛造、悪くない」

今度はエルザの低い声。表情はいつも通りほとんど変わらないが、視線は真剣だった。

無骨な鉄の装飾を指先でなぞるように見つめるその様子には、

職人としての敬意のようなものがにじんでいた。


――この町なりの、祭りのやり方ってやつか。


少しずつ大きくなっていく人々のざわめき、遠くから聞こえてくる太鼓の音。

空気に満ちていく熱気に、心が自然と沸き立ってくるのを感じた。

ここから始まる祭りの時間――それが、すでにこの町全体をひとつの舞台に変えていた。


通りに足を踏み入れた途端、漂ってきたのは、甘い蜜菓子と香ばしい肉の焼ける匂いだった。


「うわ、すっげぇ……」

思わず声が漏れる。まるで空腹だったみたいに、腹の奥が鳴いた気がした。


「どれも旨そうだな……」


「ねぇ、カケル。あれ、一緒に食べない?」

リリアは色とりどりの菓子の屋台に目を輝かせていた。

普段はミステリアスな雰囲気の彼女が、

童心に帰ったような表情で菓子を指差しているのが妙に微笑ましい。


「いいよ、一緒に食べよう」


「ふふっ、じゃあ買ってくるわね」

俺の返事を聞くなりリリアはすぐさま二人分の菓子を購入してきた。

彼女が手にしていた二人分の菓子の片方を、俺の口元へ当然のように差し出してきた。

手が触れそうな距離で、ふわりと香る甘い匂い。


「はい、あーん」


「…いや、普通にくれよ」

こういうお決まりのやりとりをしているとデートしている気分になり、少し照れ臭くなった。


露店の多さに目移りしそうになりながら、俺は仲間達の様子をちらりと確認する。


「うん、うまいぞこれ。カケルも食ってみろ!」

ライアは香辛料がたっぷりと塗られ、焼き立ての湯気が立ち昇っている串焼きを片手に、

口の周りをタレで少し汚しながらも無邪気に笑っていた。

普段は武骨な彼女のこういう一面を見られるのは、なんだか得した気分になる。


「まったく、手が早いわよ」

呆れたように言うセレナだったが、彼女の手にもすでに饅頭の袋が握られていた。

俺の視線に気づくと、少し顔をそむけて袋を後ろに隠す。


「…別に、甘いものが好きとか、そういうわけじゃないから」


「なかなか趣があるな…この香り、誰かに似合いそう」

ヴァネッサはというと、興味深そうに小さな香水瓶の並ぶ屋台を覗き込んでいる。

ひとつ蓋を開けて香りを確かめると、静かに微笑んだ。


「…この溶接の仕方、勉強になる」

エルザは屋台の隅で、焼き物の飾りや金属細工の小物をその大きな瞳でじっくりと見つめていた。

その目は真剣で、職人としての血が騒いでいるのが分かる。


「これ、似合ってるかしら?」

エリシアはというと、花飾りの屋台に立ち寄っていた。

頭に似合いそうなリースを試しに当ててみては、恥ずかしそうに笑っている。


「ああ、似合っているよ」

俺はエリシアの横顔をちらりと覗きながら、彼女の独り言に返事をする。

一瞬、エリシアの肩がびくりと揺れ、こちらを振り向く。


「あ、ありがとうございます……」

ほんのり頬を紅く染めている彼女が、花の囁きのように控えめで優しい声を漏らす。

髪飾りをそっと指で押さえながら、どこか照れくさそうに視線を逸らす仕草が、彼女らしくて微笑ましかった。


皆思い思いに屋台を楽しんでいる。

そんな光景に、自然と笑みがこぼれた。

旅の途中、何気ない時間を過ごせることが、どれだけ貴重か。

こうして歩いているだけでも、皆の違った一面が見られて、なんだか心が温かくなった。


◇ ◇ ◇


屋台の並ぶ通りを歩きながら、ふと耳に届いたのは、

太鼓のような低く腹に響く音と、野次混じりの歓声だった。


「なんだろう、あっちの方……やけに人が集まってるな」


俺が視線を向けると、先に気づいたのはライアだった。

「あれは…広場の特設舞台だな。誰か、演武でもやってるのか?」


人だかりをかき分けて広場へ辿り着いた俺達は、その中央に組まれた特設の舞台を見上げた。

舞台の上に立つ一人の女が、観客の注目を一身に集めている。


赤茶の髪は短く刈り込まれたベリーショートで、風を受けて小さく揺れる。

左右の側頭部からは太く頑丈な黒い角が湾曲し、誇らしげに天を向いていた。

鋭い釣り目の瞳はカッパーのような金属の輝きを宿し、観衆の熱気を真っ向から受け止めながらも、臆する様子など微塵もない。


深く焼けた小麦色の肌には日々の鍛錬の痕跡が刻まれ、筋肉質で無駄のない体躯が軽装の隙間から覗く。

無骨な革のバンテージを巻いた腕や、装飾を排した簡素な胴着、その上から羽織った短めの格闘着――すべてが機能性と実戦を重視した構成だ。


膝下からは毛並みの整った体毛が覗き、蹄の脚が重心を低く保ったまま舞台の床をしっかりと踏みしめている。

その姿はまさしく猛牛――いや、堂々たる戦の使者。耳は牛のように丸みを帯び、周囲の歓声にわずかにぴくりと動いた。


飾り気は一切ない。煌びやかなアクセサリーも、色を添える化粧もない。

だが、彼女にはそれすら必要なかった。ただそこに立つだけで、人の目を奪う力があった。

ミノタウロスの魔物娘――それも只者じゃない。


「……強そうだな。鍛錬の質が違うし体幹がブレてない」


思わずそう呟いた俺の隣で、ライアも感心したように目を細めていた。


「うおおおおっらあああ!!」


その一喝とともに、拳が空を裂いた。風圧が客席にまで届く。

続けざまに素手で木柱を砕き、跳躍して蹴りの型を見せる。

その荒々しくも美しい動きに、観客たちはどよめきを上げた。

ただの見世物にしては、あまりにも実戦的すぎる。


「あの太い腕…本気で殴られたら、普通の人間なら即気絶ね」

セレナが腕を組み、真剣な目で舞台を見つめる。


「ふふ、見た目に違わず豪快な演武。見事なものだ」

ヴァネッサは涼しげな顔でいつの間にか手にした紅茶をすすりながら呟く。


「あの身のこなし、武道というより舞に近いですね…」

エリシアは、無意識に胸元で両手を組んで見入っていた。

金糸を思わせる長いまつげの奥で、翡翠色の瞳がきらきらと揺れている。


「へへっ、今日もキマってるぜ、トーラ姐さん!」

横から聞こえた少年達の声に耳を傾けると、

どうやら彼女はこの町の自警団の一員であり、かなり有名な人物らしい。


俺は再び舞台の上を見る。

拳を構えた彼女が、まるで何かと闘い続けているような目をしていた。

ただの演舞とは思えない気迫がそこにはあった。


演武が終わると同時に、観客席からどっと拍手と歓声が上がった。


「すごい迫力だな…」

思わず呟いた声は、祭りの喧騒にかき消された。


トーラは額の汗をぬぐい、豪快に笑いながら観客に手を振っていた。

鍛え上げられた体躯と豪快な笑み――その姿には、近寄りがたい威圧感と、

それを打ち消すような温かさが同時にあった。

拳を掲げて見せたその仕草ひとつに、会場から再び拍手が湧き上がった。


「おねーちゃん、かっこよかったー!」

「また見せてねー!」

子供達がわらわらと駆け寄ってくる。彼らを見下ろすトーラはしゃがみこみ、

小さな頭を順番にわしわしと撫でていた。


「ははっ、ありがとよ。けどアタイみたいになりたいなら、毎日腕立て百回な!」

冗談めかして笑うその姿に、思わずこちらも頬が緩む。


「トーラ姐さん! 今日も最高だったよ!」

商人風の女性が手を振っている。トーラは肩で笑いながら、気さくに手を振り返した。


「おうよ!アタイに惚れたって遅いからね!」


「…人気者みたいだな」

ライアが腕を組みながらぼそっと呟く。


「ただの騒がしい女にしか見えないけど」

セレナが眉をひそめるが、その声色はどこか柔らかい。


「けど、なんか見てて気持ちがいいな」

俺がそう返すと、誰もが少しだけ黙り、演武場の余韻に浸るように目を向けた。


そのときだった。

演武場の片隅、観客のざわめきの向こう――彼女と、目が合った。


トーラは子供達に囲まれながらも、ふとこちらに視線を向けていた。

金色がかった瞳が俺を捉える。

まるで見透かすような鋭さと、陽だまりのような温かさが同居する、不思議な眼差しだった。

一瞬、時間が止まったような感覚に陥る。


彼女は驚くでも、睨みつけるでもなく――ただ、じっとこちらを見ていた。

俺もつられるように見返してしまう。視線を外せない。

それは威圧でも敵意でもなかった。

どこか試すような、あるいは懐かしさすら含んだような……妙に胸に残る、そんなまなざしだった。


やがて、彼女は片方の口角を上げて、茶目っ気の混じった笑みを浮かべた。

それは挨拶にも似た、無言の“了解”にも似た表情だった。


「……」


俺が何か言う前に、トーラは子供達に背を向けると、演武場の裏手へとゆっくり歩き出した。

大きな背中と、蹄の足が土を蹴る音が、やけに鮮明に耳に残った。


◇ ◇ ◇


演武が終わり、観客たちが次の催しへと移っていく中、熱気の余韻だけが会場に残っていた。

俺たちはその場に立ち尽くし、無言のまま余韻を味わっていた。

土煙の立つ演武場に、まだ拳の唸りが残っているような気がした。


その時、不意に張りのある声が届いた。

「おい、そこのアンタ!」


反射的に振り返ると、先ほど演武を披露していたミノタウロスの魔物娘トーラが、

腕を組みながらこちらに歩いてくるところだった。

近づいてくる彼女の存在感はまるで岩のようにどっしりとした圧を持ち、どこか威風堂々としていた。


「さっき目が合っただろ?なんか言いたげな顔してたからさ」

目が合った瞬間、彼女の鋭い金色の眼差しが俺を射抜いてきたのを思い出す。咄嗟に言葉が出た。


「いや、見とれてしまってね…すごかったよ。迫力も、技も、全部」

俺の言葉に、彼女はふっと目を細めて、にやりと口元を吊り上げた。


「ま、見せモンだけどな。でもありがとよ」

と、彼女は腰に手を当て、やや胸を張るようにして続けた。


「アタイはトーラ。この街の自警団に属してる。治安維持も祭りの盛り上げも任されてんのさ」

その口調は気取らず飾らず、それでいて不思議と安心感を与えるものだった。


「それにしても、あんたら…旅人って顔してんな。祭りは初めてか?」


「まあな。俺の名はカケル。彼女達は仲間だ。今日は祭りを楽しみに来たんだ」

俺の言葉に、トーラは俺の背後のリリア達にほんの一瞬だけ視線をやった。


「へぇ、そいつはいい。なら――案内してやろうか?

ちょうど次の演武まで時間も空いてるし、名物屋台とかも知ってるぞ?」


唐突な申し出に、俺達は少し顔を見合わせた。

その静かな間を破ったのは、意外にもライアだった。


「悪くないな。地元の奴の案内なら、いい店に間違いはないだろう」


そう言って、彼女はニッと口元を緩める。

トーラも応じるように軽く鼻で笑った。


「はは、心配ご無用。アタイが勧めるのは、本当にうまい店ばかりだぜ?」


周囲の雰囲気が一気に和らぐ中で、リリアがふふっと微笑む。

「じゃあ、案内してもらおうかしら?お祭りは、詳しい人と回ったほうがずっと楽しいもの」


そのやり取りに続くように、俺はうなずいた。

「じゃあ、頼むよ。トーラさん」


「トーラでいいって。さ、ついてきな!」

快活な声を残して、彼女はくるりと背を向ける。

その背中を見ながら、俺はこの町での新たな出会いに胸が高鳴るのを感じていた。


◇ ◇ ◇


祭りの案内を一通り終えたトーラは、俺達を広場の一角へと連れてきた。

色とりどりの提灯が風に揺れ、露店から漂う甘い香りが鼻をくすぐる。

その中心で、トーラは満足そうに腰に手を当て、胸を張った。


「ま、こんなとこかね。うちの町も捨てたもんじゃないだろ?」

その自信たっぷりな姿に、俺達は思わず笑みをこぼす。


「ありがとう、トーラさん。とっても楽しかったですわ」

エリシアが感謝の言葉を口にすると、トーラは笑いながら頭をかき、照れ隠しのように鼻を鳴らした。


「へっ、礼なんかいらないっての。アンタら、よそ者だけど、妙に気が合いそうだったからな」

言葉とは裏腹に、その口調はどこか柔らかくて、まるで昔からの仲間に接するようだった。


「じゃあ、アタイは次の演武の準備に戻るからよ」

そう言いかけた瞬間だった。


「だからよ、俺が先に頼んだって言ってんだろうが!」

怒鳴り声が耳を打った。すぐ近くの屋台で、男が屋台主に詰め寄っている。

腕を振り上げ、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。


「…注文の順番でもめてんのか」

周囲の客も気まずそうに視線を逸らし、場がぴりついた空気に包まれていく。


トーラは一つため息をついた。

「…やれやれ」


彼女はゆっくりと歩み寄りながら、軽く声を張る。


「オイ、そこの兄ちゃん、声がでかいぞ!」


その声は低く、落ち着いているのに、妙に胸に響いた。

「アンタら、ここがどこだかわかってんのか?祭りの屋台だぞ?喧嘩するなら、広場の外でやりな」


彼女の言葉に、男が口を開きかける。

だがその刹那、トーラが一歩、蹄の足で地面を踏み鳴らした。

重く、確かな音が地面に響く。まるで威嚇のようなその一歩に、男はたじろいだ。

トーラの眼差しは鋭く、揺るぎなかった。まるで町全体を背負う者のような、そんな覚悟が見える。


「…す、すまねえ」

男は舌打ちしそうな顔をしながらも、視線を逸らし、しぶしぶと頭を下げて屋台から離れていった。

周囲の緊張がふっと緩み、ざわついていた空気も元に戻っていく。


「流石、自警団やってるだけあるわね」

セレナがふっと肩の力を抜き、腕を組んだまま一歩前へ出る。

その瞳は、さきほどまでとは違い、どこか感心したように細められていた。

トーラの毅然とした対応に、守る者としての確かな実力を見たのだろう。


「迅速に解決……慣れてる」

エルザはそんなセレナの隣で、小さく頷く。

その一つ目はじっとトーラの背を見つめていた。

無表情の中にわずかに滲む敬意。

まるで鍛冶場で使い込まれた武器に対するような、静かな憧れがそこにはあった。


俺は、言葉が出てこなかった。

トーラが立ち去った男の背中を見送りながら、ふと見せたその横顔に目を奪われていた。

誰かのために動ける力。誰かを守るという意思。それが自然と滲み出ている――


「やっぱり……かっこいいな」

思わず漏れた言葉は、心の奥からこぼれた本音だった。

胸の奥にじわりと広がるあたたかな感情。

まるで、かつて憧れたヒーローを目の当たりにしたかのようだった。


「気になるの? ああいうタイプ」

そこに、リリアのからかうような声が滑り込んできた。


「いや、そういうんじゃないって……!」

そんなやりとりを交わしているうちに、トーラが戻ってきた。

両手を後頭部で組んで、どこか気の抜けたような笑みを浮かべている。


「ったく、油断したらすぐこれだよ。ま、ああいうのがいると、見回りも退屈しないんだけどさ」

昼間の演武で見せた猛々しい姿とは異なる、町を想い、守ろうとする一人の誇り高き戦士の顔だった。

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