森の祈りと鋼の侵略者②
俺たちは宿を後にし、ブルメリアの花香る通りを抜けて森へ向かった。
朝の街は、いつも通りのにぎわいを見せている。
やがて、足元の舗装が石畳から土に変わる。
香草の甘い香りに代わり、湿った土の匂いが鼻をかすめる。
「ここから先が、森の境界ね」
リリアが足を止め、目の前に広がる森へ視線を向ける。
鬱蒼とした木々が、壁のように連なっていた。
そして俺たちは、森の中へ足を踏み入れた。
森の中は、思っていた以上に静かだった。
足元で落ち葉を踏む音がやけに大きく響き、それ以外には仲間の呼吸と、枝葉の擦れ合う音しか聞こえない。
セレナが立ち止まり、森の奥を鋭く見つめた。
「……やっぱり、おかしいわ。魔力の流れがよどんでる」
ヴァネッサも、小さなコウモリの姿で俺の胸ポケットから顔を覗かせる。
「霊脈の揺らぎが、はっきりと感じられる。どうやら森のどこかで、流れが断ち切られているようだね」
ライアは無言のまま剣の柄に手をかけ、木々の奥を睨む。
「……獣の気配もない。静かすぎるな」
さらに森の奥へ進んでいくと、やがて木々の合間に不自然な空間が現れた。
苔むした石と木々の合間に、古びた小さな建物がぽつんと佇んでいる。
宿の主人が話していた、精霊を祀るための祠だろう。
だが、その祠は無惨に崩れていた。
屋根は半ば崩れ、柱はひしゃげ、中央の祭壇は粉々に砕け散っている。
祠の周囲には、何かが爆発したような跡と焦げ跡が残っていた。
「……これが、精霊の祠?」
思わず足を止め、声を漏らす。
祠へ近づくと、砕けた石片の表面には黒く焼け焦げた跡が点々と残っていた。
ヴァネッサが崩れた祠を見渡す。
「ふむ……随分と派手に壊したものだね。自然に崩れたとは到底思えぬ」
ライアが祭壇の裏へ回り、地面を指さす。
「こっちを見てくれ。罠の痕跡だ」
近づいてみると、地面から切れた金属製のワイヤーが覗いていた。
その隣には、黒く焦げた赤紫色の魔石の破片が転がっている。
「封魔装置の残骸……それも、かなり雑な作りだわ」
セレナが破片を拾い上げ、注意深く観察する。
ライアが崩れた祠を見つめ、唇を噛む。
「……許せないな」
ふと視線を巡らせると、近くの低木が根元から黒く枯れているのが目に入った。
葉は散り、残った枝もねじれたように干からびている。
エルザが枯れた葉にそっと触れる。
「……精霊がいないから……枯れた?」
「行こう。他の祠も調べてみよう」
仲間たちも頷き、俺たちはさらに森の奥へと進んだ。
森の奥へ進むにつれ、辺りの様子は次第に異様さを増していった。
木々はうねるように伸び、枝葉が空を覆うほど密集している。
昼間のはずなのに辺りは夕暮れのように薄暗く、湿った空気が肌にまとわりつく。
草木の匂いにも、かすかな腐臭が混じり始めていた。
やがて、二つ目の祠が現れた。
そこにあるのは、祠というよりも瓦礫だった。
柱も屋根も崩れ、中心にあったはずの祭壇は影も形もない。
周囲の地面には爆発の跡が生々しく残り、かすかに焦げた臭いも漂っていた。
(……さっきのより、新しい?)
リリアが残骸に手を触れ、目を細める。
「……この祠、壊されたのは昨日……いえ、もっと最近かもしれないわ」
「……じゃあ、今も誰かが森の中で祠を壊してるのか?」
セレナが森の奥へ鋭い視線を向ける。
「ええ。まだ近くにいるかもしれないわ。急ぎましょう」
その時だった。
森の奥から、何かが裂けるような音が響いた。
ライアが険しい顔で森の奥を睨む。
「……人の気配だ。複数いる」
リリアも森の奥へ耳を澄ませる。
「……今の、叫び声じゃない?」
「行こう!」
俺たちは音のした方へ駆け出した。
木々の間をすり抜けながら、耳を澄ます。
枝が折れる音に、何かが激しくぶつかる音。さらにその奥から、切羽詰まった悲鳴が聞こえてきた。
茂みを抜け、視界が一気に開ける。
そこには、淡いエメラルドの髪をなびかせ、長弓を構える女性がいた。
足元は泥に汚れ、呼吸も荒い。
それでも彼女は矢をつがえ、震える手で敵を睨んでいた。
「下がって! 一歩でも近づけば、撃ちますよっ!」
彼女の前には、黒装束の男たちが数人立ちはだかっていた。
男たちは捕縛具や魔力を抑える札、見慣れない術具を手にしている。
「囲め!逃がすな!こいつはエルフだ、使えるぞ!」
「さっさと気絶させろ、適合率が落ちるぞ!」
「暴れたら呪縛符を貼れ!」
エルフの女性は一歩後ずさり、足元の枝を踏んで体勢を崩しかける。
気づけば、俺の体は動いていた。
「やめろ!」
叫ぶと同時に闇の力を使い、男の目の前へ一気に転移する。
「なっ――!?」
驚いて目を見開く男の顔面へ、思い切り拳を叩き込む。
鈍い感触が拳に伝わり、男の身体が大きく後方へ吹き飛んだ。
「な、なんだお前は!?」
「突然現れやがって……!」
動揺する男たちの間へ再び転移し、拳を叩き込む。
「ったく、あのバカ……! ほら、私たちも行くわよ!」
セレナが小さく舌打ちし、魔法を唱える。
手元に生まれた氷の槍が、男の足元へと突き刺さった。
その隙にリリアが男の背後へ回り込み、容赦なく蹴りを叩き込む。
「よそ見してる余裕なんて、ないわよ?」
ライアも剣を抜き、正面から男たちへ斬り込んでいく。
「まだやるつもりなら、容赦はしないぞ」
エルザは無言のまま、大きなハンマーを担いで一歩踏み出す。
そして、ひと振り。
敵の一人が、構えた術具ごと地面へ叩き伏せられる。
「ひ、引けっ……! こんな奴ら、聞いてない!」
「撤退だ! あのエルフは後回しにしろ!」
「急いであれの準備をしろ! 俺たちだけじゃ敵わない!」
男たちは叫びながら森の奥へ逃げていった。
それでも、エルフの女性はその場に立ち尽くしていた。
彼女は弓を握ったまま、呆然とこちらを見ている。
「大丈夫。俺たちは君を襲ったりしない」
俺は警戒させないよう、その場から声をかけた。
それでも彼女は弓を下ろさず、警戒の眼差しをこちらへ向けていた。
無理もない。あんな目に遭って、すぐに信じろという方が難しい。
「……あなたたちは、誰なんですか? どうして私を……?」
「俺たちは森を調べに来ただけだよ。君の叫び声が聞こえたから、放っておけなかったんだ」
エルフの女性は小さく息を吐くと、ようやく弓を下ろした。
「……ありがとうございます。助けていただいて」
「俺はカケル。君は?」
そう問いかけながら、改めて彼女の姿を見つめた。
鮮やかなエメラルドグリーンの髪が、腰まで流れている。
深い碧色の瞳には、まだわずかな警戒の色が残っていた。
華奢な身体を包むのは、セージグリーンと白を基調としたチュニック。
その上には、金色の葉飾りで留めたショートケープを羽織っている。
そして首元には、小さな木彫りのハープのペンダントが下がっていた。
「エリシアです。この森に住むエルフです」
エリシアはそう名乗ると、ちらりと森の奥を振り返った。
「最近、森の精霊たちの声が聞こえなくなったんです。おかしいと思ったんですけど……集落のみんなは『深入りするな』って言うばかりで」
「……それで、一人でここまで来たのか?」
彼女はこくりと頷く。
「……でも、誰も動いてくれないなら、せめて自分の目で確かめたかったんです」
リリアが困ったように笑う。
「一人で来るなんて無茶するわねぇ。さっきみたいな連中もいるんだから」
「私はただ……」
エリシアは少しだけ俯き、手をぎゅっと握った。
「……誰かを巻き込みたくなかったんです。私が一人で行けば、それで済むと思って」
セレナが小さく息を吐く。
「まったく……一人で抱え込んで、こんな目に遭ってたら意味ないじゃない」
ライアも剣の柄に手を添えたまま、エリシアを見る。
「勇気があるのは認める。だが、無茶と勇気は別物だぞ」
エリシアは少し驚いたように目を瞬かせると、やがて小さく微笑んだ。
そのとき、俺の肩に何かがぽすんと乗った。
顔を向けると、小さなコウモリ姿のヴァネッサが俺の肩に止まっていた。
「ふむ……なかなか見どころのある娘だね」
ヴァネッサは俺の肩からふわりと舞い上がった。
「余はヴァネッサ。気高きヴァンパイアの一人だ。覚えておくといい」
ヴァネッサは空中でくるりと身を翻し、そのまま人の姿へと戻る。
エリシアは目を丸くして、ヴァネッサを見つめる。
「……あなたたちは、一体……?」
「変わり者の集まり、ってところかしら」
リリアがさらりと返すと、エリシアの口元に小さな笑みが浮かんだ。




