蛇と魔法と終わりなき渇望①
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
理事長
種族:人間
アインベルグ魔法学院の現理事長。
アインベルグの町を出て、小道をしばらく歩く。
木々に囲まれた細い道を抜けると、ふいに視界が開けた。
そして――それは、そこにあった。
「……うわっ、なんだこれ」
思わず立ち止まり、息を呑む。
丘の上に建っていたのは、まるで絵本の中から抜け出してきたような、石造りの大きな建物。
高い尖塔、アーチ状の窓、時を重ねて色褪せた壁には、ツタが絡まり、ところどころ蔦の影が揺れている。
どこか荘厳で、けれど温かみもあるその佇まいに、ただただ見入ってしまった。
「……あれが魔法学院?」
「ええ。アインベルグ魔法学院。結構古くからある場所なのよ。
一部じゃ“異才の集う石の館”なんて呼ばれてるわ」
リリアが肩越しに微笑む。
俺はゴクリと唾を飲み込んで、ゆっくりと歩き出す。
この学院に、何が待っているのか。
少しだけ、不安と期待が胸の中で入り混じっていた。
学院の重厚な鉄製の門をくぐると、目の前に広がったのは、想像をはるかに超える世界だった。
石畳の中庭には、小さな噴水があり、そこに腰掛けて魔法書を読んでいる生徒の姿がちらほら見える。
制服らしきローブをまとった彼らの姿は、年齢も種族もさまざまで、どこか自由な雰囲気が漂っていた。
建物の壁は厚みのある石造りで、木製の柱や梁には古い魔法文字が彫り込まれている。
中はなかなか広々としており、時折、天井近くの照明がふわりと淡い光を灯す。
魔石が埋め込まれたランプが、魔力でほんのりと光っているようだった。
「……なんだか、不思議な場所だな」
俺のつぶやきに、リリアが小さく微笑んだ。
「でしょ? こういうところ、嫌いじゃないの」
廊下に足を踏み入れると、大理石でできた床から“コツコツ”と音が響く。
その音すらも、この学院の歴史の一部のように思えた。
壁には古い肖像画がいくつも飾られ、過去の偉大な魔法使いたちがこちらを見つめてくるような気さえする。
奥へと進んでいくと、広々としたホールのような場所に出た。
受付のカウンターがあり、その後ろで資料をまとめていた職員らしき女性が、こちらに気づいて顔を上げた。
「ようこそ、アインベルグ魔法学院へ。何かご用でしょうか?」
リリアが一歩前に出て答える。
「ちょっと見学したいのだけれど」
「入学希望の方ですか?」
「いいえ、ちょっと資料とかいろいろ見て回りたいの。構わないかしら?」
俺は隣で、ひそかに心の中で呟く。
(できれば、元の世界に帰るための手がかり……そんなのが見つかればいいんだけどな)
「図書館のご利用でしたら常に開館しております。よろしければご案内しましょうか?」
「大丈夫よ。自分達でいくから」
リリアがにこやかに断り、受付とのやり取りはあっさり終わった。
リリアは廊下を先導し、俺も慌ててそのあとを追う。
何か手がかりを見つけなきゃ。こんなふうに、ただ流されてるだけじゃ――俺は、何も取り戻せない。
「リリアはここに来たことあるの?」
「ううん、入ったのはこれが初めてよ」
「え、じゃあ案内してもらった方がよかったんじゃ?」
「折角なんだから自由に見て回りたいじゃない?」
「そんな観光じゃあるまいに」
俺が苦笑すると、リリアは無邪気に笑った。
「でも、こういうときは楽しんだもの勝ちよ?」
その明るさに、また少しだけ、不安が和らいだ気がした。
◇ ◇ ◇
図書館に着いて、小一時間ほど本と格闘してみたものの、収穫と呼べるものはほとんどなかった。
まあ、よく考えたら当然か。
異世界転生の本なんて、学校の図書館にあったらいろんな意味で問題だよな。
それに、本をじっくり読むのって昔から苦手なんだよな。目もしょぼしょぼしてきたし。
一応、図書館の職員にも聞いてみたけど、
転生の魔法自体が禁忌扱いらしく、変な目で見られる始末。
――魔王様、マジで暇つぶしにやっちゃいけないことやったんじゃないのか。
「リリア、一旦引き上げよう」
「あら、もういいの?」
「よくはないけど、ここにある本全部読むのは流石に骨が折れるよ」
確かに、元の世界には帰りたい。
でも、闇雲にやってたら、きっと何も掴めない。
もっと効率よく、ちゃんとした方法を探さなきゃ。
「これからどうしようか」
「学院の教師とかに聞いてみる?」
「……俺達、部外者だよ? そんな簡単に話が通るかな」
図書館を出て、中庭のベンチに腰を下ろす。
頭を抱えながら、どうするか考えるけど、
当然のように妙案なんて浮かびはしなかった。
――そのとき。
「きゃあ、ちょっと! 大丈夫!?」
本日二度目となる、悲鳴が耳に飛び込んできた。
……ほんと、なんでこうトラブルばっか続くんだ。
「どうしたんですか!?」
声のするほうへ駆け寄ると、学院の生徒らしき少女が、倒れている別の女生徒を抱きかかえていた。
どうしていいかわからない、そんな焦りの色が顔ににじんでる。
「急にこの子が倒れて、それで――」
「……ちょっといいかな?」
俺はそっと、倒れている女生徒の額に手を当てた。
熱は……ない。
「熱はなさそうだね。貧血かな?」
「この子、そんな病弱じゃないんです。それなのに!」
どんどん人だかりが増えてきた。
このままだと、部外者の俺たちが余計に目立ってしまう。
どうしよう――そう思った、そのとき。
「はいはい、アンタたち、どいてどいて!」
場を切り裂くような、勢いある声が響いた。
「あっ、セレナ先生!」
生徒たちの声に混じって、輪の中に入ってきたのは、
上半身は人間、下半身は蛇――
それに、髪までもが蛇になっている、異様な姿の魔物娘だった。
(メデューサ……だよな……)
「これは……魔力不足による一種の昏睡状態ね」
セレナ先生と呼ばれた彼女は、倒れている生徒を一目見て、すぐに症状を断言した。
「この子、大魔法でも使ったの?」
「いいえ、ただ私と一緒に歩いてただけで……」
周囲では、あちこちからざわめきが聞こえてくる。
「また倒れたって……」
「これで五人目だってよ……」
原因不明の不安が、じわじわと空気を重くしていく。
「とりあえず、そこの貴方。医務室まで運んで」
「俺? いや、どこにあるか知らないんだけど」
「はぁ?アンタ、部外者なの?……仕方ないわね。君、この子をお願い」
俺の返答にため息をつきながら、セレナは近くにいた男子生徒に指示を出した。
「ほらほら、アンタたち! 見世物じゃないんだから、さっさと解散!」
両手をパンパン叩きながら場を仕切ると、野次馬たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「ありがとう、助かったよ」
混乱を静めた彼女に礼を言うと――
「別に、アンタに礼を言われる筋合いはないわ」
冷たく、ピシャリと返された。
(えぇ……俺、何かしたっけ?)
「それより、アンタが犯人じゃないでしょうね?」
「はぁ!?」
思わぬ疑いに、俺は目を丸くした。
まさか、俺が倒れた生徒になんかしたとでも?
「これだから部外者の立ち入りは制限しろって言ってるのに、理事長ったら」
完全に俺のことなんて眼中にないらしい。
「とりあえず、アンタたち。ついてきなさい」
「どこに?」
「いいから黙ってアタシについてきなさい!」
セレナは眉間にしわを寄せ、ずかずかと歩き出す。
リリアは肩をすくめて、俺に苦笑いを向けた。
(……なんか、波乱の予感しかしないんだけど)
俺も観念して、そのあとを追った。
◇ ◇ ◇
「この男が犯人です!」
「待て待て待てー!」
理事長室へ連れてこられた俺は、開口一番セレナの理不尽な宣言に思わず叫んだ。
「なによ、うるさいわね」
「そりゃそうだろ、いきなり犯人扱いされたら!」
「だって見た感じ怪しいじゃない。その見たこともない真っ黒な服、黒魔術師?」
ビシッと俺を指さすセレナ。
……まあ、確かにこの世界じゃ浮く格好かもしれないけど。
「これは、その……」
「これは最先端のファッションなのよ」
リリアが、口ごもる俺を優しくフォローしてくれた。
……リリア、マジで女神。
「そんなわけないでしょうが!」
なおも疑いの目を向けるセレナに、さすがに俺もイラッとしはじめた。
「まあまあ、セレナ。そう決めつけるのはよくありませんよ」
柔らかい声が間に入る。
――理事長だ。
人間のおばあちゃんのような見た目で、親しみやすさを感じる。
「でも理事長――」
「昏睡した生徒は、今日が初めてではないのでしょう?」
「それは、そうですけど……」
「それにこの方たちは、きちんと受付を通して学院に入っています。怪しい者なら、そんなことしないでしょう?」
理事長の言葉に、俺はうんうんと力強く頷く。
「なら、証明しなさいよ!」
「ええっ、どうやって!?」
セレナは机の上に置かれた装置を手に取り、俺に突きつけた。
「ここに手をかざして」
「……それで?」
「いちいち説明しなきゃダメ?」
めっちゃ面倒くさそうな顔される。
そんなに怒ることかよ……。
「それは、魔力を送る装置です。魔法使いなら、魔法陣が白く光りますよ」
理事長が代わりに、優しく説明してくれた。
要するに、簡単な魔力チェックってわけか。
まあ、どうせ俺に魔力なんてないだろ。
そう思いながら、恐る恐る装置に手をかざした――その瞬間。
魔法陣が、黒く、ぬるりと光りだした。
「なんじゃこりゃ!!」
誰よりも俺が一番驚いた。
なんで光ってんだよ!?しかも黒!
「なに、この気味の悪い魔力は……」
セレナが眉をひそめる。
理事長も、目を丸くしてこっちを見ていた。
「リリア、これ、どういうことだよ!」
「さぁ? 私にもわかんないなぁ~」
「やっぱり怪しいわよアンタ!」
「いやいや! 白く光ってないだろ!?」
「光ったこと自体が問題なのよ!」
バチバチと火花を散らす俺とセレナ。
セレナの髪の蛇たちまで、一斉に睨んできてる。
(頼むから、石化だけは勘弁な……)
「まあまあ、装置の不具合かもしれませんし。
それに、私はこの子から悪意を感じませんよ」
「理事長……」
「セレナ、もし本当に気になるなら、一緒に事件の調査をさせたらどうかしら?」
「それは……」
名案だ!
自分で身の潔白を証明できるじゃないか!
「はい! それ、賛成です!」
俺は勢いよく手を挙げた。
リリアも苦笑しながら、あとに続く。
でも、さっきから気になってたんだけど――
“事件”って、そんなにヤバいのか?
「実は今、この学院で原因不明の魔力消失事件が起きているのです」
理事長が、窓の外に目をやりながら静かに言った。
「被害に遭った生徒たちは、皆才能ある優秀な教え子たち。
そして……全員、いまだ昏睡状態のまま」
「え、さっきは一時的って――」
「あ、あれは、場を落ち着かせるための方便よ!」
セレナがバツの悪そうに言い訳する。
「我々教師陣が魔力を分け与えようと試みましたが、それでも回復の兆しは見えません」
(それって、かなりマズくないか……?)
「過去にも同じような事件がありましてね。まだセレナが生徒だった頃のことです」
「理事長、その話は……」
理事長の言葉を、セレナがそっと制した。
「ああ、ごめんなさい。……今は現状の解決が先ですね」
「つまり、原因を突き止めて、被害に遭った生徒たちを目覚めさせればいいんですね?」
「ええ。巻き込んでしまって申し訳ないけれど」
「大丈夫ですよ。濡れ衣は晴らさないといけませんし」
俺はセレナの方に向き直り、にっと笑って手を差し出した。
「これから、協力するんだし」
「……ああ、そうね」
パンッ!
あっさり手をはたかれた。
(……こりゃ、仲良くなるには時間かかりそうだ)