森の祈りと鋼の侵略者①
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ヴァネッサ
種族:ヴァンパイア
とある古城に独り住んでいた。幻術・護身術を得意とする。
ライア
種族:リザードマン
流浪の剣士。エルザとは幼馴染。
エルザ
種族:サイクロプス
鍛冶職人。ライアとは幼馴染。
花咲く都――ブルメリア。
色とりどりの花々が通りを彩り、季節外れの香草や珍しい花弁が風に揺れている。
水路沿いには香水の甘やかな香りがふんわりと漂い、人々の足取りも自然と緩やかになるようだった。
街のあちこちに咲く花々には、俺の世界でも見覚えのあるものもあれば、
この異世界でしか見られない鮮やかな種もある。
特に目を引くのは、植物系の魔物娘や妖精達が手入れしている特設の花壇。
彼女達が街に息づくことで、ブルメリアはただの観光地ではなく、
“生きた庭園”として人々に親しまれているのだと感じた。
俺達は長旅の合間、ここで束の間の休息を取ることにしていた。
昼間の広場は市場の喧騒と音楽家達の陽気な演奏に包まれている。
肩の力を抜いて、ただ歩くだけでも目に楽しいこの街で――俺は、ふと横を歩く彼女に目を向けた。
「ふふっ、ねぇカケル。この花、綺麗でしょ?」
リリアがそう言って、広場に咲き誇る鮮やかな赤い花に駆け寄る。
その姿はどこか無邪気で、けれど人目を引くほど華やかだった。
風が吹き抜け、彼女の藍色の髪が花びらのように舞う。
彼女は花に顔を近づけ、鼻先でそっと香りを確かめると、うっとりとした笑みを浮かべた。
その微笑みがあまりにも自然で、美しくて、俺はつい視線を逸らすのを忘れた。
「確かに綺麗だけど、なんて花なんだ?」
「『紅灯花』よ。夜になると、ほのかに紅く光ってランプの代わりになるの」
「へぇ~、でも夜に赤い光って……なんか怪しいな」
「ふふっ。実際、ある系列のお店じゃ、店先にこの花を飾って目印にしたりもするのよ」
「ある系列……?」
思わず首をかしげると、リリアは俺の耳元へ顔を近づけ、こっそりと囁いた。
「――異性としっぽりするお店♡」
不意打ちの甘い声と艶めいた表情に、一瞬、思考がフリーズする。
「……あ、なるほど、そういう……」
ようやく意味を理解した頃には、リリアはくすくすと笑いながら俺の反応を楽しんでいた。
少しだけ顔を赤くしている自分に気づいて、思わず視線を逸らす。
(くそ……完全に遊ばれてる。わかっててやってるな)
それでも、ふわりと香った花の香りと、彼女の楽しそうな笑顔が、
どこか、胸の奥にやさしく残った。
(リリアって……たまにすごく近い。俺を誘惑してるのか?)
いやいや、相手は男を魅了するエキスパートなのを忘れちゃいけない。
(でも、だったらもっと惑わしてくると思うんだけど…って何期待してんだ俺は!)
俺はそれまで抱いていたサキュバス像とリリアが重ならないことに違和感を覚えた。
(もっと、欲望に忠実で、気まぐれで、相手の心をかき乱すような……)
だけど、今俺の隣を歩いている彼女は──
花の香りに目を細めて、無邪気に笑うような、そんな表情をしていた。
(…本当に、サキュバスなのか?)
そう思ってしまう俺は、もうすでに彼女に魅せられてるのかもしれない。
◇ ◇ ◇
夕食後の宿のロビーは、どこかのんびりとした空気に包まれていた。
外はすっかり夜。窓の外では、花を模した光球が街路をやわらかく照らし、
まるで夢の中に迷い込んだかのような幻想的な光景をつくりだしていた。
そんな中、リリアが唐突に声を上げた。
「ねぇねぇ、今夜ってさ、部屋割りどうするの~?」
思わず顔を上げると、リリアがこちらをにこにこと見ていた。
セレナが少し険しい顔で聞き返す。
「…は?どういうこと?」
「つ・ま・り、誰がカケルと一緒の部屋になるかって話♪」
おいおい、そんな話、初耳だぞ……。
一瞬場が静まり返るのが分かった。
「そ、そんなのアンタが一緒になりなさいよ!」
セレナが思わず突っ込むが、リリアはまったく気にしていない様子で、楽しそうに肩をすくめた。
「えー、それじゃ面白くないじゃない?仲間も増えて来たことだし、
カケルもここで誰かと親睦を深めたいんじゃない?」
「えっ、そ、それは…」
急に話を振られた俺は、反論する暇もなく、みんなの視線に囲まれていた。
背中がむず痒くなるような、なんとも言えないプレッシャー。
「というわけで!」
リリアが手を叩き、場の流れを完全に持っていく。
「今夜、誰がカケルと一緒に寝るか――じゃんけんで決めようかっ♪」
じゃんけん……!?そんなもので決めるのかよ!?
「くだらない…が、興味深いな」
ヴァネッサが紅茶を傾けながら、面白そうに微笑む。
「…なんでそんな乗り気なのよ」
セレナがため息交じりにぼやく。
「べ、別に同じ部屋で寝るだけだろ…?」
ライアが顔を赤らめながら、やや早口で言う。
「……」
エルザは、無言でこちらを見ていた。何を考えてるのか、さっぱり読めない。
そのまま始まったじゃんけん。数回のあいこを経て、勝ち残った者は…。
「おお~、勝者はライア! おめでとう!」
リリアの拍手に、皆の注目が集まる。
「えっ…?た、確かに勝ったけど、いや、私は別に…っ」
ライアは明らかに動揺していて、視線を泳がせていた。
「ライア…顔真っ赤」
ぽつりと呟いたエルザの言葉に、俺もつい見入ってしまう。
「“寝るだけ”って言ってたくせに、明らかに動揺してるわよ」
セレナも呆れ顔で茶化す。
「う、うるさい! 本当に何もないんだからなっ!!」
ライアが声を張り上げた直後、リリアがにやにや笑いながら合鍵を振って言った。
「じゃ、そういうことで~。カケル、ライア、おやすみ~♪」
「……っ!」
ライアの肩がピクリと震えるのを横目に見ながら、俺達はそれぞれの部屋へと散っていった。
そして――
部屋の扉が閉まる音とともに、静寂が降りる。
ツインルームには、ベッドが二つと、控えめな明かりのランプ、木製のテーブルと椅子。
飾られているのは花の都らしい、色とりどりの押し花の壁飾り。
けれど、その優雅な雰囲気とは裏腹に、部屋の空気はどこかぎこちない。
ライアは無言で荷物を置くと、少し強めにため息を吐いた。
「…まったく、あいつらは」
「ごめん、巻き込まれてしまって…俺もびっくりしてた」
「べ、別に謝る必要はないけど…っ、でも、こんなことになるなんてな」
振り向いたライアの顔がまだ赤いのは、きっと気のせいじゃない。
俺はベッドの端に腰を下ろし、そっと視線を逸らす。
その先、ライアの荷物の端から、おそらくこの町で買ったであろう
一輪の小さな花がこぼれそうになっていた。
「…あれ?これ、花だよな?」
「っ……!」
「綺麗な花だな。誰かにあげるのか?」
思ったことをそのまま口にしただけだったけど、ライアは一瞬言葉に詰まる。
「い、いや。これは、べ、別に…せっかくだし、記念にと思って買ってみたんだ!」
どこかぎこちない言い訳。でも、その手元が少し震えていた。
「いいんじゃないかな。似合ってると思うよ」
そう言った瞬間、ライアが固まった。
あ、しまった。もしかして、言い過ぎたか?
「そ、そんなっ…訳ないだろ…」
耳まで真っ赤に染めながら、ライアはそっと荷物の中にしまい込んだ。
その仕草はなんだかとても、大切なものを扱うように見えた。
ライアは何か言いかけたように口を開きかけたが、
結局何も言わずに視線を落としたまま、ベッドに腰を下ろした。
薄いランプの明かりが、彼女の横顔をやわらかく照らしている。
俺も言葉を探したが、うまく口に出せなかった。
何を言えばいいのか、言うべきなのかわからない。
沈黙が流れる。それでも、不思議と気まずくはなかった。
むしろ、この静けさが少しだけ心地いいとさえ思ってしまった。
きっと、今日だけは、この沈黙も特別な時間だ。
それぞれのベッドに入り、ランプの灯りを落とすと、部屋はほの暗くなった。
窓の外では、夜風に揺れる花灯りがかすかに瞬いている。
けれど、なぜか眠気はやってこなかった。
目を閉じても、頭の中がやけに騒がしい。
(…さっきの花のこと、気にしてるかな。いや、そんな深い意味じゃなかったと思うけど)
そんなふうに考えていたとき、隣のベッドから小さなため息が聞こえた。
「…カケル」
名前を呼ばれて、反射的に返事をする。
「ん、なに?」
「お前、ほんとに…似合ってるなんて、思ったのか?」
しばらくの沈黙のあと、ライアがためらうように問いかける。
一瞬、意味が分からず固まる。けれど、すぐに思い出す――花の話だ。
「ああ……うん。嘘じゃないよ。ライア、そういうの、意外と……かわいいところ、あるんだなって」
「な、なんだそれ……っ」
布団の中で身じろぎする気配。照れているのが、声のトーンでわかった。
しばらくの静けさが続いたあと――
「…お前のその真っすぐなところ、ズルいな」
「そうか?」
「うん。だから…困る」
その一言が、妙に胸に残った。
けれど、それ以上の言葉は続かない。
二人の間には再び静寂が戻る。
でも、さっきよりも、少しだけ温かい静けさだった。
ライアの寝息が、やがて落ち着いたリズムになっていくのが、隣のベッドから伝わってくる。
その音が、なぜだか妙に心を安らげてくれた。
俺も目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整える。
今夜は、不思議と――悪い夢も見なさそうな気がした。
静かに流れるその時間の中で、俺達はようやく、深い眠りへと落ちていった。
◇ ◇ ◇
静かな朝だった。
窓のカーテンの隙間から、やわらかな陽の光が差し込んでいる。
それが頬に触れて、うっすらと意識が浮かび上がってきた。
まどろみの中で少しだけ伸びをして、ゆっくりと目を開ける。
昨夜の出来事が、夢だったような。
でも少しだけ胸の奥に残っているような、そんな気配を感じていた。
隣のベッドを見ると、ライアが静かに寝息を立てていた。
乱れた寝癖の髪と、布団に半分だけ隠れた横顔。
その表情はいつもよりずっと穏やかで、どこか無防備だった。
こんな顔、初めて見るな…。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、そっと目を逸らす。
俺は静かにベッドを抜け出し、着替えを済ませると、音を立てないようにして部屋を出た。
階下の食堂に降りると、窓際の席にはすでにリリアとセレナの姿があった。
パンとスープの香りが漂う、穏やかな朝の空間。
「おはよ~、カケル。どう?昨夜はぐっすり眠れた?」
リリアがカップをくるくる回しながら、悪戯っぽく笑いかけてくる。
その笑みの意味は――言わずともわかる。
「…普通に、な」
できるだけそっけなく返すが、声が少しだけ上ずってしまった気がした。
リリアはニヤニヤと笑みを深める。
一方、隣のセレナは黙ってパンをちぎりながら、呆れたようにぼそっと呟いた。
「朝から茶化してんじゃないわよ…」
苦笑いしながら席に着くと、タイミングよくヴァネッサも現れた。
優雅な所作で席に腰を下ろし、花の紅茶をひとくち。
「どうやら、昨夜は皆それぞれに“興味深い時間”を過ごしたようね」
その言葉の含みを誰も拾わなかったが、リリアだけがこっそり笑っていた。
朝食を取り終え、リリアが食後のコーヒーをのんびり啜っている頃、
宿の主人がテーブルの食器を片付けにやってきた。
「お味はいかがでしたかな?」
白髭の初老の宿主は、朗らかな笑みを浮かべながら声をかけてくれた。
「とっても美味しかったです。特にこのハーブスープ、香りが素敵ですね」
リリアが微笑んで返すと、主人は目を細めて嬉しそうに頷く。
「ありがたいねぇ。このあたりは森の恵みで成り立っているようなものだからね。
香草や花の蜜、きれいな湧き水も…。ただ、ここ最近は少し気になる話も耳にするようになってね」
――その言葉に、俺達の空気が少しだけ変わった。
「気になる話…?」
セレナが警戒気味に問い返すと、宿主は声を落として続けた。
「森の奥で、精霊の祠がいくつか壊されているらしいんだ。
誰がやったのかも、なぜなのかも分からない。ただ、昔から精霊様を祀ってきた祠だ。
そんなものが壊されるなんて、滅多にないことさ」
俺は思わず姿勢を正した。精霊の祠――森を守る存在に対する冒涜とも言える。
空気が引き締まる中、リリアが顔つきを凛とさせた。
「あの森にはエルフの集落もある。まさかエルフ達の仕業じゃないだろうしな」
主人の言葉は、静かだが確かな疑念を帯びていた。
リリアは唇に指を当て、少し考え込むような仕草を見せる。
「リリア?」
気になって声をかけると、彼女はふと目を細めて俺を見る。
「実は昨日、街に入った時にちょっと気になる話を聞いててね。
森に漂う魔力が弱ってきているだとか、怪しい人影を目撃しただとか。
植物って微細な魔力に敏感だから、あながち間違いでもないかも」
リリアの声は穏やかだったが、そこにある“違和感”を確かに掴んでいた。
セレナが静かに息を吐き、表情を引き締める。
「…たしかに、ここに来た時から、どこか空気の流れが変だった」
彼女のそういう感覚は本当に頼りになる。
学院での事件でも、誰よりも早く異変に気づいていたのはセレナだった。
「せめて様子だけでも見に行ければ安心なんだが…。
…もし良ければでいい、アンタらのような旅慣れた人達に、森の様子を見てきてもらえると助かる」
俺は仲間たちの顔を順に見た。
皆既に気配を察している。
「わかりました。…放っておいて、後で何かあったら後悔しそうだし、見に行ってみます」
口にしてみて、ようやく覚悟が定まったような気がした。
誰かに強いられたわけじゃない。けれど、無視するにはこの話は、引っかかる。
「ありがとう。無理はなさらんでくださいな」
宿主の言葉に軽く頷きながら、俺は胸の奥で静かに気持ちを固めていた。
「精霊の祠を壊すなんて、ただの悪戯とは思えないしな」
ライアが腕を組みながら言った。
その目は真っすぐで、騎士としての誇りがにじんでいる。
彼女にとって“敬意を欠いた行為”は、それだけで見過ごせないことなのだとわかる。
「ふん、人間の仕業か、それとも別の何かか…いずれにせよ不敬極まりない」
ヴァネッサがカップを置き、ゆったりと立ち上がった。
その動作は優雅なはずなのに、妙な迫力がある。
そんな中、宿主が言葉を選ぶように口を開いた。
「人間…もしかすると、トラディアの…」
その聞きなれない単語に、俺の耳が反応した。
「…トラディアって、何ですか?」
自然と声に出していた。
「森を抜けて山を越えた先にある商業都市の名だよ」
宿主の言葉に、リリアが眉をひそめる。
「その街なら知ってるわ。でも、あんまり良い噂がないのよね」
「ああ、特にアンタ達のような魔物娘にはな」
リリアから聞いたことがある。人間の中には、魔物娘を忌み嫌う者たちがいるという話
――それが、現実味を帯びて感じられた。
「山を越えてこっちまで来るのは簡単なことじゃないが、ない話ではない」
「そのトラディアの人間たちの仕業ってことですか?」
そう尋ねると、宿主は周囲をちらりと見てから、低く答えた。
「あまり大きな声では言えないがね」
重たい一言が、テーブルの上に静かに落ちる。
花の都ブルメリアを包んでいた穏やかな空気が、少しだけ冷たく変わった気がした。