誓いの刃と、揺るがぬ瞳①
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ヴァネッサ
種族:ヴァンパイア
とある古城に独り住んでいた。幻術を得意とする。
ヴァルテリアの門をくぐった瞬間、
俺達は世界が変わったかのような熱気に包まれた。
「うわ……なんだ、ここ」
石畳の大通りを進めば、目に入るのは色とりどりの看板と露店。
鍛冶場からは鉄を打つ音が響き、食堂からは香辛料の香りが立ち込める。
魔物娘と人間が肩を並べて歩くこの街の雑踏は、異世界に来たことを改めて実感させる。
「にぎやかね……ここまでとは思わなかったけど」
セレナが眉をひそめ、慎重な視線で周囲を観察する。
人混みに飲まれるような不安と、緊張の色が表情ににじんでいた。
「ふふっ。私は好きよ、こういうごちゃまぜな場所」
リリアは楽しげに笑いながら、露店に並ぶ品々を次々と覗き込んでいく。
飴細工のような装飾や、光を反射する奇妙な鉱石に目を奪われているようだった。
一方、ヴァネッサは俺の胸ポケットで小さなコウモリとなって眠っていた。
日の光が苦手なせいか、「日中は活動したくない」と言って潜り込んでいたのだが、
鼻先がふるふると動いていたのを見る限り、意識はあるようだった。
「見て、カケル!この指輪、光るのよ!」
リリアがどこかの露店で見つけた奇妙な指輪を差し出してくる。
指先でくるくる回すと、ほんのりと緑色の光が明滅していた。
「いや、買わなくていいだろ。どう見ても偽物っぽいし」
半ば呆れつつも、その無邪気な笑顔に苦笑をこぼす。
「“っぽい”だけじゃ真実はわからないわよ? 試してみる?」
いたずらっぽくウィンクしながら、リリアは指輪を自分の指にはめてみせる。
その動作がやけに似合っていて、なんだかんだ似合っているのが悔しい。
「それより、ヴァネッサが欲しがってた日傘でも売ってないかな」
話題を切り替えつつ、周囲を見渡すと、魔法装備専門の露店が目に入った。
「あら、私よりヴァネッサを優先するのね」
リリアがわざとらしく唇を尖らせて、肩をすくめる。
その仕草が妙に可愛らしく、思わず言葉に詰まる。
「いや、そういうつもりじゃ……」
「はいはいそこ、イチャイチャしないの」
セレナがずいっと割って入り、リリアの後ろから冷ややかに突っ込んでくる。
それでも、どこか楽しそうな雰囲気が隠せていないのが面白い。
「そういうセレナこそ、何か欲しいものはないのか?」
俺が問い返すと、セレナはしばし考え込むように顎に手を当てた。
「そうね……魔術の本とかあるといいんだけれど。あと、珍しい香草とかも見ておきたいわね」
そんな風にやり取りをしていた時だった。
気を抜いて歩いていた俺は、通りの角で誰かと肩をぶつけてしまった。
「おっと、ごめん。大丈夫か?」
目の前にいたのは、一人の魔物娘だった。
肌はうっすらと青みを帯びた水色。髪はラズベリーピンクのショートボブ。
とりわけ印象的だったのは、顔の中心にひとつだけ――大きく潤んだ深い蒼の瞳。
その垂れ目の単眼が、まるで感情を押し殺すように、じっと俺を見上げていた。
簡素な服装で、黒のインナーにベージュのベストを羽織り、腰には工具を収めたツールベルトを巻いている。
焦げ茶の前掛けから覗く鉄紺のパンツはブーツにしっかりと収まっており、
両手にはすすけた革のグローブが嵌められている。
飾り気のないその装いには、仕事に妥協を許さぬ職人ぽさが滲んでいた。
更に、額にかけたゴーグルが、彼女の静かな気迫をより際立たせていた。
彼女は一瞬こちらを見上げると、そのまま目を逸らし、早足で立ち去ろうとする。
「……大丈夫」
低く、小さな声だけを残して。
「あの子……」
「知り合い?」
リリアが隣に寄ってきて、じっと俺の顔を覗き込む。
「んな訳ないだろ? この世界の知り合いなんて、リリア達だけだよ」
◇ ◇ ◇
露店の列を抜けた先、
一際重厚な扉の武器屋が、目の前に現れた。
扉の上には「鍛鉄房ファルマル」と刻まれた金属製の看板がぶら下がり、
店先には大小さまざまな剣、斧、槍が並べられている。
どれも実戦向きの重量感があり、見た目からして他とは格が違う。
「おお、これは……」
俺は思わず声を漏らし、店の中へと足を踏み入れた。
室内は薄暗く、鉄と油の匂いが満ちている。
棚に並ぶ武器の刃は、灯りに照らされて不気味な光を返し、
奥からはカン、カン、と無骨な槌音が響いていた。
無口そうな鍛冶師が、黙々と剣を叩いている姿が見えた。
「見るからに本物って感じだな」
俺は棚に並んだ細剣を手に取り、握りの感触を確かめながら、そっと軽く振ってみせた。
その動きには、最近の旅で鍛えられた分だけ、どこか様になっている気もした。
「……似合うわね、意外と」
リリアが口元を緩め、少しだけ感心したように目を細めた。
「意外ってなんだよ」
俺は苦笑しながらも、まんざらでもなさそうにもう一振り、剣を振る。
「この斧……重っ!?リリア、持ってみて」
今度は俺が棚から取り出した大斧を両手で持ち上げ、リリアの方へ差し出した。
見た目以上にずっしりとした重量感があり、腕に負荷がかかる。
「えー…私、重いもの持てないのよねー」
リリアは肩をすくめて笑ったが、目はその斧の装飾にしっかりと興味を示していた。
まぁ確かに、女性に持たせるような代物でもないか――と俺は内心で頷く。
店内には他にも、魔力を帯びた双剣や、魔導刻印入りの手斧、異国風の長柄武器など、
ただの戦道具では済まされない“気配”を纏った品々が、整然と並べられていた。
(いい武器が揃ってるな……)
そんなことを考えながら、俺は黒曜石のような質感を持つ一振りの刀剣に手を伸ばしたその時──
「……ってことは、あんたも今年の大会に出るのか?」
店の奥で、常連らしき客が店主と話し込んでいる声が聞こえてきた。
低く、落ち着いた調子の中に、妙な熱気が感じられる。
「おうよ。剣術大会は剣士の晴れ舞台だからな。
あそこに立って勝てば、名声も報酬も一気に跳ね上がるってもんさ」
「去年は“疾風の双剣”が決勝まで行ったけど、あのリザードマンに負けちまったらしいな」
どこかで聞いたことのある種族名が耳に引っかかり、俺はふと表情を強ばらせる。
「リザードマン……」
リリアがそれを見逃すはずもなく、くいっとカケルの横に立つ。
「あ、カケル。その顔、出る気になってる?」
「いや……まだ何も言ってないよ」
そう言いつつも、彼の視線は掲げられた刀剣へと流れていた。
「ふふ、でも少しワクワクしてるんでしょ?そういう顔してる」
リリアはからかうような口調で言うが、どこか応援するような柔らかい声音だった。
「でも、俺剣の腕なんてからっきしだよ?それに、こういうのは出場条件とかあるんじゃないの?」
俺は肩をすくめ、あくまで興味本位という態度を崩さなかった。
セレナは会話に加わることなく、
壁に掛けられた黒銀の双剣をじっと見つめていた。
◇ ◇ ◇
店を出ようとしたそのとき、不意に背後から声が飛んできた。
「おい、そこの兄ちゃん!」
振り返ると、武器屋の店主が、片手でこちらを呼び止めていた。
立派な口髭を蓄えた無骨ながらも愛想のある男だ。
しかしその声には妙に切迫した色があった。
「ちょうどいいところにいるじゃねぇか。お前さん、剣術大会に出る気はねえか?」
「……は?」
突然の提案に、俺は思わず間の抜けた声を漏らした。
ただ店内を興味本位で見ていただけの自分に、そんな話が飛び込んでくるとは思ってもみなかった。
「実はな、大会に出場する予定だった若ぇのが、今朝、訓練中に腰をやっちまってよ。
エントリーは済んでるんだが、代役が見つからなくて困ってたところなんだ」
店主は少し乱暴に腕を組んで言うが、その瞳は真っ直ぐで、嘘は感じられなかった。
「……いや、俺は別に剣士じゃない。ただの──」
「剣士かどうかは関係ねぇ。お前さん、武器の握り方がちゃんとしてた。
その目もな、“何か”を乗り越えてきた奴の目だったぜ」
俺は言葉を失う。誰かに「戦う者」として見られたこと。
それはこれまで、自分でどう扱っていいか分からずいた力に、初めて“意味”を与えられた気がした。
「ふふっ、面白いことになってきたわね」
リリアが肩をすくめながら笑う。瞳の奥には興味と期待の色が浮かんでいた。
「まぁ、いいんじゃない?街の記念行事だし」
セレナもあくまで冷静に言うが、口元がわずかに緩んでいる。
「いやいやいや!無理だって!俺、剣の素人なんだぞ!?」
慌てて否定するカケルを、二人の視線がじっと見つめる。
「えー……最初から諦めるなんて、らしくないよー?」
「そうよ。それともアンタ、そんなに腰抜けだったのかしら?」
「二人して、煽るなよ……」
俺は頭をかきながら、深く息を吐き、再び店主に目を向ける。
「代役って……そんな簡単にいいんですか?」
「ああ、推薦があればな。俺が保証人になるってサインすりゃ通る。
ほら、これが大会のチラシだ。参加条件とかルールが書いてある」
俺達はチラシを手に取り、ざっと目を通す。
“魔法の使用は禁止”──その一文に目が止まった。
「これさぁ……俺の力、使っていいのか?」
つぶやいた声に、リリアとセレナが振り返る。
「身体能力や回復なら大丈夫。でも……転移は、ちょっと微妙ね」
セレナが表情を引き締めて答える。
「一応“魔術行使禁止”の大会だから、派手にやると反則負けになるかも」
「でも、あなたの力って魔法じゃないんでしょ?」
リリアが不思議そうに首を傾げた。
「厳密には違うと思う。でも…観客から見たら、“魔法使ってる!”って誤解されるかもしれない」
俺は視線を落とし、そっと拳を握る。
この力は俺の中にあるもの。でもそれが他人にどう映るか、今まであまり考えたことがなかった。
「…なら、やれる範囲で、やってみるさ」
そう口にした瞬間、リリアの表情がぱっと華やいだ。
「うん、それでこそカケルね」
そしてしばしの沈黙ののち──
「……わかった。やってみるよ」
俺は自分に言い聞かせるように小さく、しかし確かな決意を込めて声に出した。
その背に、リリアがそっと言葉を添える。
「頑張ってね、カケル」
「……剣術大会か。やれやれ、また忙しくなりそうだな」
◇ ◇ ◇
夜が深まった頃、部屋の空気はすっかり静まり返っていた。
セレナは先にすやすやと夢の世界へ。
カケルも剣を枕元に置いたまま、穏やかな寝息を立ててる。
カーテンの隙間から差し込む月明かりが、床にそっと光を落としていて…なんだか、やけに静か。
私はうつ伏せのまま、その光を目で追って、ゆっくり顔を上げた。
窓の外に浮かぶ月は、綺麗で白くて、でも手の届かないくらいに遠く感じる。
カケルとセレナを起こさぬよう、そっとベッドから身を起こす。
ふとカケルの寝顔に目がいって――少しだけ、胸がざわついた。
…なにこれ。理由なんて分からないのに、眠れそうになかった。
気配を断って、足音も立てずに部屋を出る。
外の空気はひんやりしていて気持ちよくて、遠くから聞こえる酒場の笑い声が、
どこか現実味を失って響いていた。
ふわりと舞い上がって屋根の上へ。
夜空には満天の星と、柔らかな月の光。
街の明かりもきらきらと揺れているのに…胸の奥はぽっかりと空いたまま。
私はそっと息を吐きながら、屋上の縁に歩み寄る。
月明かりの下、その場所にはすでにひとつの影が佇んでいた。
夜の空気に溶け込むように、ヴァネッサが月を見つめていた。
ああ、そっか。吸血鬼の彼女にとっては、夜こそが“昼”なのね。
「……貴女も眠れないの?」
そっと声をかけると、彼女は肩越しに振り返って、月明かりの中で微笑んだ。
「夜は余の時間だからね…」
「ふぅん……吸血鬼って、本当にそういうところも“古典的”なのね」
「王道と言ってほしいものだね」
その軽口がなんだかおかしくて、ふっと笑ってしまった。
ほんの少しだけ、肩の力が抜けた気がする。
「月、綺麗ね」
「そうだろう?余はこの月明かりで浮かび上がる景色が好きでね。街の灯りもまた、悪くない」
ふたり並んで腰を下ろして、夜の静けさに身をゆだねる。
しばらくの沈黙のあと、彼女がぽつりと聞いてきた。
「君はどう思っているんだい?」
「何が?」
「……あの子。カケルの“力”のことだよ」
その言葉に、私はほんの少しだけ考え込む。
カケルの持つ力……どこまで強くなって、どこまで彼自身でいられるのか。
その輪郭すら、あの力に塗り潰されてしまう気がして――
そんな漠然とした不安が、旅を共にするうちに少しずつ膨らんできていた。
「…正直、怖いわ。彼が、どこまで彼でいられるのか…」
「やはり、そう思うかね」
ヴァネッサは頷いて、足を組み直す仕草すら優雅だった。
「だけど君は、その力を見ながらも、そばにいることを選んだ。案内役として──か?」
「……ええ。そのために選ばれたから」
そう答えたはずなのに、胸の奥にちくりとした痛みが残った。なんでかしら。
「本当にそれだけかい?」
「何が言いたいの?」
「まさか、あの子に“惹かれてる”なんてことは?」
私はわざと肩をすくめてみせる。
「……どうかしらね」
言葉にすれば簡単なはずなのに、喉が妙に詰まる。これって、なに?
「私は案内役。彼が無事に旅を終えられるように、それが役目」
「そうかね?でも君は、それを“盾”にしているようにも見える」
「……見間違いじゃない?」
「ふふっ。素直じゃないね」
その笑い声に、私は目を伏せてしまった。
なんだか、見透かされているようで――心地悪いのに、少しだけ安心する。
「ならば余が彼を虜にしても構わないのかね?」
「……好きにすればいいじゃない」
それが本心かなんて、わからない。
けど、そう言わなきゃいけない気がした。
「後悔しても、余は知らないぞ?」
「くどいわよ…」
「おっと、これは失礼。余としたことが」
からかい合いみたいなこの空気の中で、曖昧だった想いが、
ほんの少しだけ形を持ちはじめていた。
「…でも、彼が道を違えないことを祈るわ」
「そうだね。もし堕ちそうになったら──君が引き戻してあげればいい」
「…それはあなたでもいいんじゃない?」
「余は見届ける側だよ。今はね」
月が瓦の隙間から、静かに私達を照らしていた。
この夜の静けさを、私は忘れまいと思った。