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 王城の裏門前でレナート様を待っていると、一台の馬車が静かに止まった。その馬車からレナート様が降り立ったことに、わたしは驚きを隠せなかった。


「待たせてしまってすまない」

「いいえ……。あの、この馬車は……」

「友人が貸してくれたんだ……」

「友人ですか……」


 紋章はないものの、その馬車は近衛騎士とメイドが乗るにはあまりにも豪華で、まるで王族が乗るような馬車だった。


 レナート様にエスコートされ、躊躇しながらもわたしは馬車に乗り込んだ。馬車は劇場へ向かいゆっくりと動き出した。



 正面に座るレナート様の口元は硬い。やはり不満を感じているのだろうか。休日をわたしと過ごさねばならないことが、彼の気を重くしているのかもしれない。


(公演が終わり次第、速やかに帰路に就こう)



 そして、これ以上雰囲気を悪くしないためにも、わたしはレナート様に率直に打ち明けた。


「あ、あの……実はわたし、こういう経験がなくて……ですね……その、どうしたらいいのか……」


 幼い頃から婚約者がいたわけでもなく、結婚は突然決まった。その上、ロベルト様は前線への出征が決まっていたから、彼と出掛けることなどできなかった。一度だけ手紙を送ったけれどその返事もなく、わたしたちが対面したのは結婚式の当日だった。



「そうか……。気を楽にしてくれ。何も心配することはない」

「あ、ありがとうございます……」


 異性と出かけることが初めてであると打ち明けたわたしを気遣ってくれたのだろうか、彼はわずかに口角を上げてそう言った。



 わたしは少しの安堵を覚え、ほっと息を吐いた。






 馬車は劇場に到着し、わたしたちは降り立った。劇場の前には多くの人々が集まり、華やかな雰囲気が漂っていた。


 劇場の中は豪華で、観客たちの期待に満ちたざわめきが聞こえてきた。わたしたちは席に着き、幕が上がるのを待った。


 公演が始まり、役者たちが見事な演技を披露した。


 物語は、離れ離れになった恋人たちが数々の困難を乗り越え、再び巡り会うという感動的なものであった。


 けれど、物語に引き込まれながらも、わたしの心は次第に重くなっていった。


 恋人たちが再会するシーンでは、自分の境遇との違いに涙がこぼれた。


 ロベルト様に再会することなく、アシュフォード侯爵家を出たわたしとは違い、舞台上の恋人たちは、互いに愛を確かめ合い、再びの始まりを迎えていた。



(いいえ、違う……。わたしとロベルト様は、最初から何も始まってなどいなかった……)



「これを」


 レナート様の声に、わたしは現実に引き戻された。


「ありがとうございます……」


 わたしは彼が差し出してくれたハンカチで、そっと涙を拭った。






「ここで軽食を摂ろう」

「えっ!?」


 公演が終わり速やかに帰路に就こうと考えていたわたしは、レナート様の提案に驚きの声を出してしまった。


「他に行きたい店があるのか?」

「いえ、ありません……」

「喉が渇いた。君は?」

「はい、少し……」



 ふと、ジョシュア殿下の言葉を思い出した。『エスコートは頼んだぞ?』彼はレナート様にそう言っていた。なるほど、これはジョシュア殿下の名誉を守るための行動なのだ。



 わたしたちは劇場近くのカフェへ立ち寄った。カフェの中は温かい雰囲気で、香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。


 わたしたちは窓際の席に座り外を眺めた。窓の外には、街の賑わいが広がっていた。


 和平条約が締結された現在、先の戦争の傷跡を癒すように、人々は平和であることに感謝し、穏やかな日常を過ごしていた。



「とても感動的だった。特に恋人たちの再会シーンが印象的だったな」



 レナート様が満足げに先ほどの公演の感想を述べた。その声にはいつものわたしに対するそっけなさはなく、特別な人への想いが込められているようだった。


「そうですね……。素晴らしい舞台でした……」


 思わず胸が締め付けられるような感覚に襲われ、わたしはサーブされたコーヒーと共にその感情をのみ込んだ。






 カフェを出たあと、再びレナート様の提案でわたしたちは街で買い物をしてから海辺へ向かった。丘の上から見ていた海の浜辺に立つと、広がる青い海と穏やかな波の音が心を癒してくれた。


「ここからの景色も素晴らしいな」


 レナート様がそう言って、わたしの隣に静かに立った。


「ええ、いつも丘の上から見ていましたが、こうして近くで見るとまた違った美しさがありますね」



 (いつかまた、あの地へ赴くことがあるのだろうか……)



 対岸に見えるエレンデール王国を見て、わたしは心の中でそっと彼の幸せを祈った。



 そのとき、海からの強い風が吹きつけ、わたしはバランスを崩してしまった。レナート様は素早くわたしを引き寄せ、ギュッと抱きしめた。


「あ、ありがとうございます、レナート様。も、もう大丈夫です。前もありましたね。すみません、またご迷惑をおかけして」


 焦りながら彼の胸を押して離れようとしたのだけれど、レナート様はわたしを抱きしめたまま離さなかった。



(どうしたらいいの……!? これってエスコートの範囲を超えているわよね……!?)



 レナート様はわたしの頭に顔をうずめ、小さな声でつぶやいた。



「もう少しだけ、このまま…………」



 今にも泣き出しそうな彼の声には切なさが滲んでいて、わたしは何も言うことができなかった。ただ彼の腕の中に身を委ね、赤くなる顔を見られないように俯いた。






「まもなく日が暮れる。城へ戻ろう」

「はい……」


 レナート様はそう言ってわたしの手を引き歩き出した。


 わたしたちは再び馬車に乗り込み、穏やかな波の音を聞きつつ、ゆっくりと城へと戻っていった。







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