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桜の国の百合畑

限界悪役令嬢の愚痴を聞くだけの話

作者: れとると

 15000字ですが、特に複雑な話はありません。愚痴が長いだけです。


 悪役令嬢がめっちゃ愚痴って、ヒロインがそれを聞いてよしよしするお話。


 週末、お酒の肴にでもどうぞ。


 #愚痴の内容は彼女たちのものなので、適当に聞き流してくださいませ。


 #作者的には十分百合なので、タグは貼っておきます。


 # 他の短編と若干のかかわりがあるので、少し改稿しています。具体的には、インディ王子は第二→第一王子となりました。

 寝台で眠る父をその黒い瞳で見据え、ニアはぐっと腹の底に力を込めた。




 ペチュニア男爵領は南西国境近くにあり、さしたる産業もない。


 ニアはその家の長女として、15年ほど前に生を受けた。


 父たる男爵は学はないものの体力は無尽蔵で、その縦横無尽の働きをもって領の経営を支えていた。


 母は元は子爵家の出で、そんな父を補える才女であったが……ニアは母のおなかが引っ込んでいるところを、ほとんど見たことがない。


 屋敷には年中赤子の泣き声が響いており、しかし男爵家は使用人を多数雇えるほど潤ってはおらず、むしろ困窮していると言ってよかった。


 金も、労働力も足りていなかった。



 物心ついたころから弟妹の世話をし、侍女の真似事をして育ったニアは、しかし今年になって好機に恵まれた。


 領の経営状況が劇的に好転し、王都の学園に通えることになったのだ。



 数年前、王国は西の帝国との争いに、平和裏に勝利をおさめた。


 さる幼い公爵令嬢の働きが陰にあったと噂されるその歴史的快挙を機に、王国西部は賑わった。


 道はあっという間に整備され、賊は出なくなり、人や物が盛んに行き来するようになった。


 ペチュニア男爵領は南西に向かう要衝にあり、帝国はもちろん、南方の国々への経由地となった。



 父はさらなる激務に見舞われたが、人を雇う余裕ができ、屋敷には赤子以外の声も絶えなくなった。


 余裕ができた今のうちにと、母に強く勧められてニアは王都の学園に通うことになった。


 そうして相変わらずおなかの大きな母と、弟妹達に送り出されて、ニアは王都に向かった、わけだが。


 一月も経たぬうちに、呼び戻された。




 父はただの過労であったが、しばしの安静を要された。


 だが男爵家はいくつもの事業に手を出しており、男爵その人がいないと早晩行き詰まることが目に見えている。


 たくさんのまだ幼い弟妹達。おなかの大きな母。倒れた父。たくさんの領民たち。



 ニアは決断を迫られて。







 ◇ ◇ ◇







 酒場のカウンターで、日に焼けた細い手が静かにグラスを傾ける。


 出資している店の様子見に訪れてみれば、望外の品を出され、彼女はご満悦だった。



(この白身魚。甘みの強い白にとても合う。良いものを出してきましたね。

 難点は、このワインはうちの取扱品ではないこと。

 行商人の持ち込みとのことですが……北からの流れ物ですかね)



 グラスを置いて顔を上げる彼女の黒い瞳には、空の皿とカウンター向こうが映る。


 その視線の先で、店主がはつらつと客の相手にいそしんでいた。


 出資の増額を告げられたおかげか、彼は気合いが入っている様子だ。



(良い働きに、次はこちらが応えなくては。北は道の安全確保ができていない。

 危険を伴う販路になりますが、なんとか開拓して品を押さえましょう。

 この魚にはこのワインが実に合う。ぜひ仕入れたい。

 それに)



 カウンター奥からは視線を外し、顎に手を当て、女はじっと橙みのあるワインが踊るグラスを見つめた。



(これまで王国に入ってこなかった品が、流れてきたということは……商機です)



 彼女は静かに口元を緩める。そこへ。



「見つけたわ!」



 店の入り口から高い声と、ずかずかと歩み寄る足音が届いた。


 何事かと女が振り帰ろうとしたとき、その肩が掴まれ、無理やり後ろを向かされた。



「なんでヒロインがこんなところにいるのよ!」



 詰め寄ってきたのは、女。それも明らかに、高位貴族。


 見るからに年若く、いずこかの貴族の令嬢であると伺える。


 詰められた方の女は、小首を傾げながら記憶を探って、返答をそっと吐いた。



「ヒロイン、とは? 人違い……では」


「ペチュニア男爵家のニアでしょう! その黒髪、その黒目! 間違いないわ!」



 ニアは困惑をその顔に浮かべるものの、口元に反論が昇ることはなかった。


 代わりに。



「そのお話……ここでそのままなさるのが良いですか?

 それとも、奥になさいますか?」



 金髪碧眼。今では希少となったが、王家の血が入っていないと出ないとされている色。


 その女に向かって体を傾け、ニアは囁くように続けた。



「ロベリア公爵のご息女、シーラ様」




 ◇ ◇ ◇




 ロベリア公爵家、およびその令嬢シーラに関してニアが知っていることは、そう多くない。


 田舎貴族の娘にとって、中央大貴族の令嬢など雲の上の人物だからだ。


 ましてやシーラは、例の王国の歴史的勝利に貢献した、と目される人物である。


 ニアが聞き及んでいるのは名前、いくつかの噂。あと知っているのは、彼女の発明や功績の数々くらい。



 だからこそニアは、今の彼女の姿に興味を惹かれていた。


 最初の威勢のいい様子とは異なり、シーラは奥の個室について座った途端、肩身狭そうに縮こまってしまった。


 女傑と噂される令嬢の印象とは、大きな開きがある。



(この委縮、先の勢い……気が強く、人の上に立つことに慣れた方ですね。

 味方、自陣、敵ではない傍観者の前では勢いづくものの、敵地単身なら話は別。

 交渉事なら脅しと宥めを混ぜて、敵のまま味方と思わせるところ、ですが)



 ニアは、持ち込んだいくつかの酒瓶や料理をちらりと見た。


 先ほどから、令嬢の視線がそれらを行ったり来たりしている。



(お客様のおもてなしなら、話は別ですね。

 分かりやすい方ですし、これは存分に楽しんでいただけそうです。

 やはり酒は楽しく飲み、飲ませなくては)



 席を立ち、テーブルを回りながらいくつかの酒瓶を手に取って見比べる。


 シーラの視線が寄せられるのを感じながら、ニアは穏やかな笑みを乗せて、口を開いた。



「まず……お名前をお呼びしても構いませんか?」



 先ほどは勢いで呼んでしまったが、爵位の上下関係というものがある。


 話すにしても、名乗るにしても順番というものがあった。


 ニアは男爵令嬢としての心得はほとんどなかったが、その程度の礼法は学んでいた。



「へ? ええ。いいわよ」



 対する令嬢の態度は寛大なものだった。ほとんど気にしていないというふうですらある。


 ニアは内心胸をなでおろし、そこに少しの敬意をおさめ、本題に入ることにした。



「では失礼して。シーラ様は、お酒は嗜まれますか?」



 シーラはニアと同い年のはずなので、飲むのは問題がない。


 飲めるか、飲んだことがあるかは別問題だが。高位貴族ならば教育の一環で飲まされるとも聞く。


 果たしてシーラは。



「…………飲んだことはな……いやあるけど、その」



 目を泳がせて、どちらともつかない言葉を残した。



(飲めないというわけではないが、経験は少なそう、と。では)



 令嬢の要領を得ない答えに、ニアは少しの気遣いで応えることにした。


 持ち込んだいくつかの酒瓶のうち、一つのコルクにオープナーを刺し、手早く開ける。


 広がる果実の香りを確認し、グラスに注いでシーラの前に置いた。中身が泡立つ。最近流行りの、炭酸酒だ。


 揚げた野菜を盛った皿とともに、勧める。



「酒精の少ない果実酒です。甘み、酸味が強い。

 少しの刺激がありますが、飲みやすく、飲んでも悪く酔いません。

 こちらの揚げ物と一緒にどうぞ」


「酒精……ああ、アルコールね。いただくわ」



 ニアがフォークの柄を向けて渡す前に、令嬢はひょいっと手でつまんだ揚げ芋を口に放り込んだ。



「ふぉ! 薄さ、塩加減、油っけ、いいふぁね」



 しかも口に物を詰めた状態で喋っている。酒には手を付けず、さらにもう一つ。


 ニアは微笑み、立ったまま揚げ野菜を一つ持ってかじる。



「ふぉの。ん。この薄さを出すのに苦労したそうです」



 そして別の酒瓶の栓を開けにかかる。慣れた様子でするりと開けると、大きめのグラスに豪快に中身を注ぎ込んだ。


 ニアが椅子に座り、グラスを手に持つのを見て。


 シーラが慌てた様子で、果実酒の注がれた器を手に取り、僅かにニアの方に傾けた。


 ニアは少し瞬いて。シーラの意図を悟り、グラスを近づけた。



「何に、致しましょう」


「ヒロイン発見を祝して、乾杯!」



 シーラが一方的に言って、勝手にグラスを合わせた。



「はい」



 ニアは揺れる酒を、少し笑って眺めた。




 ◇ ◇ ◇




「というわけなのよ」



 シーラは言い切って、また酒を口に運んだ。


 ニアは無作法だとは知りつつも、顎に指を当ててじっとテーブルの上を見つめる。


 シーラの語った内容は、荒唐無稽の一言に尽きた。



 彼女の話によると、ニアは「乙女ゲームのヒロイン」。シーラは「悪役令嬢」。


 ニアが学園に来ないと「イベント」が進行せず、悪役令嬢が婚約者たる第一王子に「断罪」されないらしい。


 断罪されないなら、それでよいのではと思えるのだが。



「私たちを描いた物語が、遠い世界にあり……シーラ様はそれをご存知。

 私がいないと物語は筋書き通りに進まず、それはシーラ様のお望みに適わない、と」


「ふぉうよ」



 令嬢は塩茹でした豆をほおばり、ぐびぐびと果実酒を呑んでいた。


 炭酸をそのように飲めばむせ返るものだが、シーラは慣れた様子である。



「私なら断罪などされたくない、と考えるのですが。シーラ様は違うと」


「んん。あなた理解早いわねぇ。それを前提に、いろいろ準備してきたのよ。

 でも全部、ぱぁになっちゃう」



 少しおかしな話だとは思ったが、ニアはそれよりもシーラのグラスに酒を注ぐ方を優先した。


 別に酔わせたいわけではない。シーラはそもそも顔色も様子もほとんど変わっておらず、酒には強そうだった。



「んっんっ! ぷあー! お酒おいしいわぁ」



 とても初めての飲みっぷりではない。


 酒を存分に楽しむ公爵令嬢のためにニアは一計を案じ、部屋に持ち込んでいた瓶を二つほど手に持ってシーラに見せた。



「次は別のものになさいますか?」


「あなたが飲んでるのは?」



 提案に対してシーラは良い食いつきではあったが、ニアの予想とは違う興味の持ち方をされた。


 彼女の飲みっぷりならば問題ないかと、ニアは質問に対して正直に答える。



「辛口ですし、酒精は強いですよ」


「じゃあそれをロック! あー……氷いっぱい入れて」


「氷は用意をお願いしないといけないですね。ちょっとお待ちを」



 ニアはテーブル隅についている石を叩く。


 薄い板のような画面が浮き出て、中には絵や字で酒場の品書きが浮かんでいた。


 画面を操作し、氷といくつかの食べ物を注文する。



「これも確か、シーラ様の発明でしたね」


「…………私は何もしてないわ。ただ思いついたことを、優秀な人間に伝えただけよ」



 ニアは続けて褒めようとしたが、口をつぐんだ。


 シーラの様子が、謙遜というようには見えなかったからだ。


 自分のしたことを、心の底から「大したことがない」と思っているようだった。



(威勢はいいものの、一方で自分を大きく見せることをしない。

 自己の評価が非常に低く……同時に、追い詰められてるように見受けられる。

 これは)



 彼女自身に興味を持ち、せっかくだから少しの話でも聞こうと思った、ニアは。


 口の中で言葉を転がし、その方向性を改めた。



「直ちに、とは参りませんが。私が学園に戻ることは可能です」


「ほんとう!?」



 素直に喜んでいる様子の令嬢に、ニアの目尻が少し下がる。



「それにあたって、学園やシーラ様の身の回りの様子を、聞かせていただけませんか?

 私、あちらを離れてもう長いので」



 ニアが領に呼び戻されてから、実に二年半が過ぎていた。


 だが学園の様子を知りたいというのは当然に方便で、ニアが求めているのはシーラ自身の話である。



 シーラは満面の笑みを浮かべ、グラス片手に揚げ鳥に手を伸ばしつつ。


 陽気に、話を始めた。



「いいわよ。じゃあまず――――」




 ◇ ◇ ◇




 かつてニアの母ルビーは、娘にこう教えた。


 「酒は人の疲れを推し量る道具だ」と。


 飲みたい・飲みたくない、おいしい・まずい、酔う・酔わない。


 同じ品を同じ人が摂取して、反応がここまで変わる飲食物は他にない、と。


 人の心身の疲れによって、それは左右されるのだと。


 ゆえに、自身は常に同じように酒を楽しめるようになりなさいと、そう飲み方を教えてくれた。


 もう16年は飲んでいないと笑いながら、学園から帰ってきたニアを迎え、暖かく教えてくれた。



 そしてニアは、こうも教わった。


 人に飲ませるときは、「酒を飲んで話をする以外に何もできなくなる塩梅で飲ませろ」と。


 泥酔はダメ。潰すのなど以ての外。そういう酒の飲み方をさせると、本性が出て互いによくない思いをする。


 浮いて沈んで何もできないような酔い加減を作り出し、疲れを吐き出させる。


 「余計なことをさせないようにする」。それが人を癒し、心の扉を開ける秘訣だ、と。





 かくて、ニアの計らいでご令嬢の心の扉は見事に開き。


 酒宴は、シーラの愚痴独演会になっていた。





「わたしがんばってんのよー?なのに王子ったらやれ可愛げがないだの贈り物は身に着けないだの誘いは断るだの。

 あんたの仕事をわたしがやってるからでしょーが!わたしはただでさえ帝国との融和のためにあっち行ったりこっち行ったりしてるのに!

 挙句には浮気疑ってくるし!浮気よ?うわき!明らかにわたしじゃない女の香りを漂わせてどの口が言ってんのよ!」


(いよいよもってきわどい話も出てきましたね。浮気って)



 嘆息を飲み込みつつ、ニアはまたシーラのジョッキに酒を注ぐ。


 二階の寝泊まりできる個室に、二人は酒宴の場を移し、かれこれ数十分。


 ニアの隣で、ソファーの背に緩くもたれかかるご令嬢は、愚痴が止まらなくなっていた。


 時々同じ話が繰り返されるが、ニアは自分も酒に口をつけながら注意深く聞き続ける。


 相槌はあってもなくてもいいが、意識と興味は常にシーラに向け、満腹と酒量に気を遣って持て成した。



 別に商売のため、情報収集のためにそうしているわけではない。


 ニアは単に、こうして人の話を聞くのが、とても好きだった。


 こういう酒の飲み方を、こよなく愛していた。



 父の名代など務まるわけもなく、それでも駆けずり回っていた頃。


 疲れ切った自分を癒してくれた、酒と母を思い出すから。



「最初は自分の破滅回避のためだったわよー?でもちょっと呟いたことを周りの人がガンガン実現しちゃうしさー。

 そんな中で私が怠けてたらお高く留まってるってやっかみが酷いのよ!男にはわかんないでしょうけど!仕事しないと!引きずり降ろされんの!

 わたしが手を抜いてるって判断されたら女の部下は言うこと聞かなくなるし!関係者は全員そっぽ向くのよぉ!わかるぅ?わかるわよねぇそうよねぇ。

 でもインディ王子もレオパルドもディオもわたしに遊ぼう出かけよう休もうってあほか!わたしだってそうしたいけどできないのよ!まとわりつくな嫉妬買うのよやめなさいよ!

 言葉と気持ちはありがたいけどだったらほんとちょっとは手伝って!自分の分はやってる?そうね学園のはね!次代の王侯貴族はそれじゃ足んねぇのよ責任ってもんがあんのよあんたらにはぁ!!」



 シーラの愚痴はとどまるところを知らない。


 ニアはわかりみが深すぎて、頷き人形になっていた。


 同性の目というのは、非常に非常に厳しいのだ。現在の立場より劣った様子を見せると、すぐ敵に回る。


 貴族の娘ばかりが礼法や教養を煩く言われるのは、男に気に入られるためではない。同性に蹴落とされないようにするためである。



 そしてどうにも男性はそのことが、理解できないようだった。


 ニアは少ない人生経験の中から、彼らは「人に見られる」ということにうまく考えが及ばないのではないか、と考えていた。


 あるいはその想定が甘いか、だ。思う何十倍も見られていて、気づかぬところで揚げ足をとられることなど、よくあることだ。


 あとそもそも甘い。考えが甘い。炎上してからやっと本気になる男性は、ニアの周りでは非常に多かった。


 どうにもそれは、シーラの身辺でも同じようであるが。



「わたし転生して独りぼっちだし……っ、でもお父さまもお母さまもやさしいし……っ、最近はエドワーズにかかりっきりだし……っ。

 破滅しないようにって頑張ってたら大変なことになって……っ、でももう引き返せないし……っ、みんなわたしに期待してるしぃ……っ。

 破滅ぅ。もう破滅したいぃ。婚約破棄されたら、示談金代わりにいくつか事業かすめ取って楽隠居するのぉ。

 お前王子の婚約者に相応しくないってめっちゃ言われるしぃ。もうやってらんないのぉ。

 もう陛下にはご了解いただいてるし手配済んでるし引継ぎ終わってるしあとはあのあほ王子が私を捨てればいいだけなのぉ。

 だからニアぁ。学園きてぇ。わたしを断罪してぇ」



 いい具合に泣きが入ってきたシーラの背にそっと手を回し、ニアは少し撫でる。


 最初は体が強張ったものの、ご令嬢はジョッキをテーブルに置き、むしろ全力でニアに寄り掛かってきた。


 許しを得たものと理解し、ニアは背中や後頭部をやさしくゆっくり撫でまわす。



 しばらく気持ちを宥めさせたニアは、そろそろ少しの刺激を与えることにした。


 このままでは気持ちよく寝てしまう。だがご令嬢はおそらく、まだ疲れを吐き出しきっていない。


 ニアはせっかくだしと、今宵は徹底的にシーラの癒しになる腹積もりだった。



「浮気を互いに疑われているならば、それを匂わせて円満に婚約解消。事業などについては応分してはいかがですか?

 事業それぞれに負担や利率の差があるでしょうが、それはよく知るシーラ様がご差配なされれば」



 ぐずついた様子のシーラの耳にニアが少しの言葉を入れると、彼女は跳ね起きた。



「ニアあったまいい!それだわぁ!婚約ぶっ壊して仕事も押し付けてやるんだから!

 えっへっへっへっへさすがヒロイン。ねぇうちくる?わたしの部下になるぅ?」



 今度は笑いが入るようになった。



「部下が増えたらお仕事が増えませんか?」



 正直部下にしてもらえるならそれはそれでよかったが、ニアは少しの水を差した。


 余り調子づきすぎると今度は酔いが回りすぎてしまうため、よろしくない。


 ニアはまだ浮き沈みの激しいシーラの様子から、もう少しため込んだものがありそうだと、そう理解していた。


 愚痴酒宴続行の構えである。酒を注いだグラスを持たせると、シーラはぐっと飲んでからまた話の続きに入った。



「そぉだぁそうだったぁ……部下はね?いいのよ。たくさん仕事してくれるの。

 でも全部見てなきゃいけないの勝手なことするのその実験はわたし印を押してないわよなのに事故起こすんじゃないわよ!

 注意事項は言っても忘れるし、紙にしたら平気で『読んでませんでした』とか言うし! 全員に同じこと10回ずつ申し渡してやっと伝わるのよ!

 赤ちゃんか?男はみんな赤ちゃんなんだなそうだな?

 女は女でさぁ……引き受けてくれたことは全力でやってくれていいんだけどぉわかるけどぉ。

 それ以上は絶対やってくれないのよねぇ、無理って逃げるのぉ。わかるわよ?私も女だし。責任から逃げたいの超わかるぅ。

 でもちょっとずつでいいから助けてよぉ全体をみてよぉあなたたちが頑張ってくれないと先がまずいしそろそろ限界なのぉ」



 案の定、ものすごく大量の言葉がずらーっと出てきた。


 おそらく悩みの芯に近いところだろうと察し、ニアは聞いた内容を頭でかみ砕きつつ、返答を舌に乗せる。


 幸いにもニアが幾度も悩み、知見のある範疇の話だった。



「現在の責任範囲を切り出して小事業にすると、彼女たちは頑張ってくれますよ」


「なんですとぉ!?それ採用だわ今すぐやらせてみなくっちゃ何人か燻ぶってるのがいるしそっか責任と少し多めの権限が要るのね!

 ねね、男はどうすればいいの?」



 愚痴ではなく、相談になってきた。悩みが底をついたのだと判断し、ニアは笑顔を浮かべる。



「ほっときましょう。爆発炎上させたら自分から責任を果たしに来ます。

 逃げそうなやつは追い出し、背負い込む人を取り立てて、部下と権限をつけてやればよいのです」


「あ、なるほどわたしが全部やっちゃだめなのね?だからいつまでも赤ちゃんなのかそうかぁよっし王子どももそうしちゃろ。

 ぐへっへっへっへ。仕事地獄を味わうがいいわぁお酒おいしぃ……んっんっんっ」






 ソファーで眠りだした令嬢に、そっと毛布をかける。


 ニアは仕事から私事に至るまでの大量の愚痴を聞き、シーラに深く情けを向けていた。



(この人には……味方がいないのですね)



 優秀な娘だからと子離れしてしまった両親。


 身近だが無理解な王子たち。


 頼りになるが頼ってくる部下や、多くの関係者たち。



 その状況下で孤独に、ニアより何倍も長く苦難の時間を駆け抜けた公爵令嬢。



(味方がいないのは、私も同じ、か)



 父母は頼りになるが、道が同じなわけではない。


 事業上の協力者は多く、彼らは仲間とも呼べるが、ニア個人の味方とは言い難い。


 部下や関係者もそうだった。ニアのために、と奮闘する者はいない。



 ニアもまた、その人のためにならば、と奮起する相手は……いなかった。


 少なくとも。


 これまでは。



(この程度では、シーラ様の疲れと孤独を、癒しきれない)



 ニアには、「転生」という状況は今一つ理解が及ばない。


 だがこの令嬢が強い孤独を抱え、疲れ切り、ついぞ本来なら敵であるはずの「ヒロイン」にまで頼りだしたことは、理解していた。


 本当に限界を迎え、破滅寸前なのだ。この国を大きく変え、自身にチャンスをくれたその立役者が。



(このお方を……私に光を与えてくれた方を、ただ王都に帰してはならない)



 ニアは少しの明かりを灯し、机に向かう。ペンを手に取り、便箋に文字を綴り始めた。



(時の人と呼ばれる、偉大な方の一晩をいただいた責任は――――果たさなくては)



 ただの男爵令嬢にできることなど、限られている。


 まだ20にも満たない小娘の力など、たかが知れている。


 それでも。




 ◇ ◇ ◇




「ほわぁ、これはぁ!? 私やらかした!!」



 悲鳴のような声を聞き、ニアは瞼を開き、ぼんやりと焦点を合わせにかかる。


 隣で薄布に身を包んだ公爵令嬢が上体を起こし、顔を赤くしてあわあわしていた。


 ニアは肘をつき、自身も体を起こしにかかる。着乱れがひどく、肩ひもを直した。


 窓からは、温かな日差しが差し込んできていた。



「シーラ様。お寝苦しそうだったので、服はあちらに」



 シーラが深夜にうなされていたので、ニアはなんとか服を脱がせ、寝台に運んだ。


 以降はよく眠れた様子で、ニアもいつの間にか隣で意識を失っていた。



「…………ニア。私あなたに、何かした?」


「いいえ。よくお話いただいただけです」


「ほ、ほんと?」


「本当です」



 綺麗な金髪をぐしゃりとかき乱しながら、手で頭を押さえるシーラ。


 痛むというよりは、記憶を念入りに掘り返しているといった様子だ。


 ニアは少しおかしくて……寝起き早々、満面の笑顔になっていた。



(ご自身が何かを〝された〟とは、聞かないのですね……ん?)



 そして自身の考えに、少し驚く。


 同性同士でそのようなことが「ある」と考えていることに。


 あるいは、シーラならば、と考える自分に驚いた。


 ニアは頭を振って、その考えから目を背ける。



(そういえば)



 別のことに意識が向いたニアは、昨夜の話で気になることを思い出した。


 彼女はまだ着替える前に、せっかくだからとシーラに聞いてみることにした。


 公爵令嬢と、男爵令嬢に戻ってしまえば……とても聞ける話ではない。



「シーラ様。今少しばかりお話をお聞きしても、よろしいですか?」


「ん? いいわよいくらでも。なに?」



 未だ気安い様子の令嬢を、少し嬉しく思いながら。


 ニアは疑問を、その口から紡いだ。



「シーラ様は、婚約者を。インディ第一王子殿下を、どう思われているのですか?」



 もう酒はない。


 本心を聞けるとは、限らなかった。


 だが薄着で、他に何をできるでもない、この目覚めたての気だるげな時間は。



「きらい。だいっきらい」



 おそらくシーラが本当に言いたくて、だが絶対に口に上らせてはいけない一言を、引き出した。



 当然にシーラとインディ王子は、政略を踏まえての婚約である。


 嫌いだろうがなんだろうが、結ばれて子をもうけなければならない。それが貴族の倣いだ。


 だからこそ、シーラの本心は漏れ伝わってはまずい。要らぬ破滅を、招くことになるだろう。



 ニアはシーラの大事な気持ちを、そっと胸の奥にしまってから。


 泣き笑いのような顔をしている令嬢を、静かに、穏やかな表情で見つめた。



「容姿端麗、文武に優れ、人気もある方……というお噂ですが」


「それは事実だし、私にとっても優しくしてくれるわ。贈り物も欠かせないし、愛も、囁いてくれる。

 いい男よ。魅力もあるし、今はともかく、いずれは立派な国王陛下になるでしょう。

 でも。何と言ったら、いいのかしらね……」



 良い言葉が見つからない様子のシーラ。しかしニアは、理解した。


 不満はない。だがきっと、シーラには大きな不安があるのだと。


 その不安が、嫌悪になるのだと。



 だがニアがそれを口にするのは……覚悟が要る。明らかに不敬だ。普通は、不興を買う。


 時の人・ロベリア公爵令嬢シーラに一睨みでもされたら、ニアはもう生きていくことすら困難になるだろう。



 それでも。


 ニアは、腹の底に力を込め。


 シーラのために、奮起した。






「彼はシーラ様の、()()()()()()から、ですね?」






 まだ顔の赤い令嬢が、じっとニアを見る。青い瞳の縁に、少しの雫が浮かぶ。



「シーラ様を断罪される役は、インディ王子殿下なのですよね?

 つまり彼は、事と次第によっては、貴女の敵に回る。

 そのような者は――――味方とは、呼びません」



 ニアにも裏切らない味方など、いたことはない。


 だが()()()()()()()()()()()()()、はっきりとわかる。


 誰かの味方とは。利害程度で敵に回ったり、愛情が尽きた程度で裏切ったりするような……そんな覚悟不足でなれるものでは、ないのだ。



「はっきりと敵になると知れている相手が、どれほど自分を愛しても。

 安心など……できませんものね。寝所を共にするなど、ぞっとします。

 嫌いになっても、致し方ないのでは」


「ぐす。それは……()()()()こと? ニア」



 いまだ寝巻姿のニアは。


 「自分がシーラの味方になる」という意図が、全部伝わってしまったことに観念して。


 唇から少しの笑い声を漏らした。



「はい。いつでもいらしてくださいませ」


「なによぉ。一緒に来てくれないのー?」



 口先をとがらせる令嬢がおかしくて、漏れ出る笑い声が増える。


 ニアは、学園に戻っても良いとは言った。


 しかし。シーラをこのまま王都に帰し、いさせるわけにはいかない、とも思っている。



「はい、こちらを」



 ニアはサイドテーブルに手を伸ばし、分厚い封筒をとってシーラに渡した。



「帝国との融和が始まって以来、上級貴族の方はいまだ西方に公式訪問されていない。

 そちらには、私の知る限りの西方一帯の詳しい情報を書き起こしました。

 それから、現状の問題点と今後の展望についても」



 ニアが何も促さずとも、シーラは中身を取り出し、確認していく。


 素早く彼女の目が動き、1分もかからず書類は読み切られたようだった。



「確かに。争いは終わったのに、西方辺境伯は今もなお帝国を強く敵対視している。

 彼を御して抑え、この地域を速やかに発展させようと思ったら。

 強い権限を持った中央の人間の派遣が、急務だわ……ぁ」



 内容を理解し、それが十分脳に染み渡ったのか……呟く令嬢の瞳が、見開かれていく。


 ゆっくりと顔を上げるシーラに。


 ニアは、柔らかく微笑みかけた。



「僭越ながら。ご適任かと、思いまして」


「――――いいでしょう。必ず私が、もぎ取ってくるから」







 ◇ ◇ ◇







「今夜は、何に?」


「ヒロイン発見一周年を期して! ……そういうの、重たい?」


「いいえ――――「乾杯」」



 グラスの静かな音に続いて。



「こんなところにいたのかシーラ!」



 二人がいる一年前と同じ店に。まだ若い、男性の声が響いた。


 店の入り口からカウンターまで真っ直ぐやってきたのは、華美な旅装に身を包んだ、金髪碧眼の男。


 彼はシーラの空いた手を強引にとって。



「さぁ、王都へ帰……なに?」



 簡単に、振り払われた。


 腰を上げかけるニアを制し、グラスをカウンターに置いたシーラが立ち上がる。


 お相手や歓待はしなくてはいいということだと、ニアは理解した。


 ニアはそっと店主を招いて、もてなしは不要、騒がしくなると耳打ちしておいた。


 店主はカウンターの奥へ向かい、常連の幾人かに言伝している。



「仕事の引継ぎはすべて行い、私は陛下の命で正式に西方監督として赴任しております。

 王都には10年は帰りません」


「なっ、では俺との結婚は!?」


「あら、そちらも両家合意のもと、正式に破談となりましたが」


「あんなものは無効、無効だ! 俺はお前を愛しているんだぞ!」



 正論でばっさり切り捨てるシーラに、身振り手振りを交えて訴える貴公子。


 そのまま、口論へと発展した。


 ニアもグラスを置いて、二人の方へ体を向ける。


 そして胸の内で、そっと呟いた。



(これはシーラ、不安にもなるはずです……)



 ニアのインディ第一王子に対する第一印象は、あまりよろしくなかった。


 美形で目を惹くし、本人もある程度それを自覚している様子で大仰に振る舞っている。


 だがその長所は、あくまで他人を自分の思い通りに動かすために使われている様子だった。


 ニアがインディ王子を一口に言い表すなら、口悪く言えば「女の腐ったようなやつ」だ。


 責任と職務の範疇にすら力を尽くさず、他人を攻撃することに躍起になるような、そんな男。



(私なら絶対に無理です。シーラ、よく我慢していましたね……)



 ニアは一年前の彼女の吐露を、未だしっかりと覚えている。


 はっきり嫌いと言い切るくらいだから、よほどのものだろうと思ったが。


 つまりシーラから見た王子は……「愛していると騙る敵」。


 ニアは一年経ってようやく、シーラを追い詰めていた核心が理解できた。


 彼女は最も身近であるべき未来の夫に、愛と同時に恐怖を植え付けられていたのだ。


 だからこの公爵令嬢は、実力と成果の割に自己評価や自己肯定感が非常に低かった。


 それを踏まえ、ニアは言い合いからつかみ合いに発展しそうな二人を止める手立てを、一考した。



 彼女は腹の底に、ぐっと力を込める。



「8年5カ月。シーラ様は王都で激務をこなし、その御勤めを立派に果たされました」



 金髪碧眼の二人が、立ち上がったニアを振り返る。


 そしてシーラは……僅かに身を引いた。顔が少し青くなっている。


 ニアは怖がらせてしまったかと反省したが、少々抑えが効かなくなっていた。



 正直なところ…………ニアは、とても怒っていた。


 シーラを追い詰めた相手を目の前にして、自身でも不思議なほどに怒りを感じていた。



「シーラ様から引継ぎされた新体制で、王都の業務が回り始めてから、まだ5カ月と聞きます。

 たったそれだけで――――――――もう逃げだされたのですか?」


「な、なんだと貴様!?」



 王子の顔が、朱に染まった。図星だ、とニアは確信する。


 かつてシーラはあまりの激務と重責に限界を迎え、自らを破滅させて解放してくれるだろうニアを求めて西方に逃げ出してきた。


 このインディ王子も同じ、ということだ。



(だがあまりに、不甲斐ない。それにもっとひどい。

 シーラはただ、自身の身に余る範囲を整理したかっただけ。

 この男は、自分の仕事をシーラに押し付けようとしている)



 ニアは質の悪い揚げ物を大量摂取したわけでもないのに、胃がせり上がる勢いでたいそう胸焼けがしてきた。


 むしろ胃液が油に変わったようですらある。もちろん煮立っている。鶏肉が一瞬で蒸発するだろう。



「シーラは俺のものだ! 愛し、十分可愛がり、気にかけた!

 満更でもなかったろう、そのくらいはわかっている!

 俺は愛しい彼女を連れ戻しに来ただけだ、仕事のことなどまったくの的外れだ!」



 ニアの眉がぴくり、と動いた。


 この期に及んで言い訳まで始め、しかも()()()()()()



(――――――――許せない)



 ニアは、父を愛していた。敬愛していた。


 だがたった一つ許せないことがあった。


 それは母に苦労をかける言い訳に――――いつも愛を引き合いにだすことだった。



「愛していて、その愛が受け入れられていれば、相手は自分のものになると。そうお考えなのですね」



 ニアの怒りはガンガン上がっていたが、インディ王子は何を思ったのか冷静さを取り戻した。



「フン。愛を知らぬ愚か者であったか。それが当然、それが自然の摂理であろう」


「――――なるほど、王子殿下。あなたは獣と変わらぬのですね」


「は、な!?」



 ニアは少しだけ、息を吸い。


 ありったけの罵詈雑言を、一息に放った。



「愛があれば何もかも許されると思っているのは、下半身に支配されたタダの獣だと言っているのです。

 私の父は母を10回孕ませました。命の危機すらある出産を10回も強いたのです。

 合意があっても受け入れられる範囲を超えています。人間ではない、畜生のやることです。

 相手を慮る心が少しでもあれば、こんな行為に愛と名付けたりはしない。

 あなたがやっていることも同じことです。愛してさえいれば、限界を迎えるまで人を働かせてもいいと?

 シーラは医者が体を張ってでも止めようとするくらい深刻な過労状況だったのですが?

 愛で飢えは満たされないのですよ? 疲れもとれないのですよ? 腹は膨らみますが、それが艱難辛苦だとわかっているのですか?

 いいえわかっていませんねその顔は。妊娠など大したことではないと思っている。なんなら堕胎を迫ったこともありますねあなた?おや図星ですかその顔。

 本当に愛深くて獣のようなお方ですね婚約者以外にも等しく愛を振りまいているとは驚きです。

 ほらさっさと帰って彼女たちに愛を振りまいてきなさいよそれがあなたの仕事なんでしょう?だから振られた業務なんて自分の仕事じゃないと思っているのでしょう?

 それともシーラが始めたことだからすべて彼女の責任で自分には何の関係もないと思ってます?ああそうですかこの国の王子ってのは国の発展をさっぱり考えない能無しであらせられた。

 ご自身の能力を全部愛を注ぐのに使ってしまわれているのだからしょうがないのですよね?

 だから」



 口をぱくぱくとさせ、二の句を継げなくなっている王子に。


 ニアはその黒い瞳に強く力を込め、向ける。



「女のシーラはやり遂げたことが、男のあなたにはできないと、そう仰るのでしょう?」


「ぐ、きさ、ま」



 ニアに煽られて、インディ王子の顔が怒りのあまり、赤も青も通り越して白くなり始めている。



 最初のやり取りから、ニアはインディという人物像を大まかに把握していた。


 恥をかかされた、プライドを傷つけられた、そういうところに目が向きやすい人物だと。


 そしてこういう手合いは。



(恥をかかされそうだと思う矛先を、ぐるぐる回してやればよいのです)



 現に、王子の注意はシーラから反れ、完全にニアに向いていた。


 もっと冷静な人間であれば、ニアなど無視してシーラを連れ帰ることに注力しているはずである。


 彼の在り様を確信したニアは、王子の怒りの矛先を。


 一気に、変えにかかった。



「私やシーラ様ではなく」



 ニアは店内をぐるり、と見渡した。


 王子の視線が、わずかにニアの動きに釣られる。



「国王陛下が、あなたの仲間が、そして()()()()()が!」



 ニアは言葉に、最高の笑顔を付け加えた。


 奥で冷えた目線を向ける、満面の笑顔を。



「あなたがシーラに劣っているのではないかと、ずっと見ていますよ」


「あ、ぐ!?」



 存外によく刺さったようで、王子の顔からは完全に血の気が引いた。



「シーラが8年5カ月。男で、いずれ王弟になられるあなた様は10年、いえ15年は頑張れますよね?」


「~~~~ッ!! 失礼する!!」



 インディ王子は憤慨と狼狽を抱えたおかしな顔をしながら、脚をもつれさせつつ踵を返し、大きく足音を立てて店の外へ出て行った。


 彼が出て、しばらく。



 耐えかねたかのように――――店中が笑いに包まれた。



「…………みなさん、笑いすぎでは。シーラまで」


「だって、だってもう、ヒィーッ」


「酔っ払いどころか、王子まで口喧嘩でのしちまうとは! さすがニア様!」


「えげつない悪口がご令嬢からバンバン飛び出て、最高だぜ!」


「む……」



 客に喝采され、呼吸困難になっているシーラの背中をさすりながら、ニアもつられて少し笑顔になっていた。



 酒好きのニアは絡まれることも多い。


 そして撃墜率は150%。口論で撃退し、そのうち半分が拳で止めを刺される。



「今日の相手は、さすがに手を上げられないので……あれで片付いて、何よりでした」



 インディ王子はまだやりかけの仕事があるうちに逃げ出してきたのだろうと、ニアはそう読んだ。


 そこがきちんとしている人間ならば、シーラの彼に対する愚痴もそこまで酷くなろうはずもない。


 そして誰かに咎められると暗に含めれば、王子は勝手に見えない視線に怯えて逃げ帰るだろう、とニアは考え……概ね、その通りだったようだ。



(あの様子なら、帰ってみれば本当に大変なことになってて、私たちのことなど忘れてしまいますね。きっと)



 そうでないなら、不敬を働いたと後日に兵が差し向けられてもおかしくはない。


 さすがにそうなったら、ニアは遠慮なくシーラを頼るつもりだった。


 代わりに面倒な元婚約者を追い返してやったのだから、そのくらいは罰が当たるまいと。


 だが。



「大丈夫よ、ぶん殴っちゃっても。私が守ってあげるわ」



 ご令嬢はこういうところは大盤振る舞いだった。



「気持ちは嬉しいですけど、それでは私が納得しません。自分でできることは、自分でします」


「さすニア!」



 当たり前のことをシーラに褒められて、ニアとしては少々気恥ずかしさが勝った。


 再び椅子に座り、グラスの中身を一気に飲み干す。


 シーラもまた同じように酒をあおり、二人そろって次の飲み物を注文する。



「酒の勢いで言ってしまいますが。アレと恋愛ができないのは、無理もありませんね」


「酔わないくせに何言ってんの。というかニア、恋愛とか興味あるの?」


「酔いますよ潰れないだけです。恋愛は――――」



 興味津々という様子のシーラの口ぶりに、ニアは閉口した。


 彼女としては興味よりも、恐怖が勝るのだ。


 3年ほど前にニアの両親は大喧嘩し、ようやく母の腹は大きくならなくなった。


 いくら愛情があっても、あそこまでされては人生の損失だと、ニアはそう思っていた。


 父が外を駆けずり回っている間の母の苦労を、全部見てきた娘としては、とても歓迎できない。


 もちろん同じ仕事をした身としては父の労苦も理解してはいるが、それとこれとは話が別だ。


 先ごろ思わずぶちまけてしまったが、父を畜生だと思っているのもニアの偽らざる本心だった。


 同じような男に当たってしまったらと思うと、身の毛もよだつ。特にインディ王子のような愛深い輩など、本気でごめんだった。



「いえ。迂闊に恋愛などして子どもを宿すことになっては、本気で困りますから」


「あー……ニアんちはねぇ。ってことはさ」



 シーラは次のグラス……かつて最初に会った時にニアが飲んでいた、非常に酒精の強い酒を一気に飲み干した。



「わたしも酒の勢いで言うけど。

 孕ませなきゃ、いいのね?」


「……………………ん?」


 この日もまた、公爵令嬢の心の扉は開かれた。


 ついでにニアの分も、無理やりこじ開けられたが。


 彼女はこの夜のことを、飲み過ぎて覚えていないと言い張っている。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 全体的には筋通ってて面白い [気になる点] > 贈り物は身に着けないだの誘いは断るだの 誘いは王妃教育だの王命だの優先で断っていいけど、贈り物身に着けないのは 物によっては婚約者の義務放棄…
[一言] えっ、百合? 百合の花が咲いちゃった? ガールズラブのタグ見逃した? まあ、無能な獣相手だったらそっちの方が良いか ✧◝(⁰▿⁰)◜✧
[一言] うっかり原作ブレイクしたせいでヒロインが学校に来れないパターンかあ・・・原作よく学校にこれたなヒロイン
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