タウンクエスト発生
ドゥームの指示で手伝いを開始してしばらく。
野菜の下処理やスープの灰汁取りといった、本当に補助的な仕事ばかり振られてるけど、厨房での手伝いを許されたばかりの頃を思い出す。
「ますたぁ、たのしそう」
「ああ、楽しいな」
昔を思い出して初心に帰った気分だ。
あの頃は緊張したし大変だったけど、同時に嬉しかったし楽しかったな。
そう思うと、なんだか気が引き締まってくる。
「トーマ君、スープを見せてくれ」
「はい!」
こっちへ来たドゥームへ、丁寧に灰汁を取り続けたスープを見せる。
「うん、よくできてるね。こっちは僕が仕上げるから、トーマ君はそこのパン生地を頼む。成形したら僕が用意した卵液を塗って、オーブンで焼くんだ」
「分かりました」
鍋の前を離れ、切り分けて寝かせてあるパン生地を成形して、用意されていた卵液を刷毛で塗る。
そういえば、こうやって卵を塗ったパンは作ったことがなかったっけ。
刷毛を入手できたら、これをやってみよう。
「ペッタラペッタラ、ペタララン」
イクトの擬音歌をBGMに作業を進め、焼く分に卵液を塗り終わったらオーブンで焼く。
その間に残りの生地を成形し、これにも卵液を塗っていく。
「ますたぁ、いいにおい」
「そうだな」
パンが焼ける香りが鼻を刺激してくる。
だけど現実では日々厨房であらゆる料理の香りを嗅いで育った身、作業には支障はきたさない。
良い香りだと思いながら卵液を生地へ塗っていき、オーブンが止まったら焼き上がったパンを取り出し、次の生地を素早く入れてオーブンを起動させる。
「わー、おいしそう!」
イクトの言う通り、焼き上がったパンは表面に卵液を塗ったから照りがあって美味そうだ。
「ますたぁ、ししょく!」
「駄目だ。これは俺達の飯じゃないから、試食できない」
「え~」
喜色満面の笑みが一転、凄く残念そうな表情になって触覚とレッサーパンダ耳がペタンと垂れる。
仕方ないだろ。これは俺達の飯じゃないんだから。
だけどそれは勝手に食えないってだけで、ドゥームが出来上がりを確認するために味見を許可してくれれば話は別だ。
「はっはっはっ。いいよ、一つ食べても。君を味見係に任命しよう」
「ほんと!? ありがと!」
試食していいと分かるや、手前のを一つ取ってかぶりついて満面の笑みを浮かべた。
「おーいしー!」
そうかそうか、良かったな。
って、あれ? 成形して卵液を塗って焼いたのは俺だけど、生地を作ったのはドゥームだよな?
それって味あるのか?
途中からとはいえプレイヤーの俺が手を加えたから、あるのか?
というかイクトはプレイヤーじゃないからそういうのは関係無いのか?
自分で食べてみれば手っ取り早く分かる。
だけど味見係を任されたのはイクトであって俺じゃないし、勝手に食うなんて以ての外だ。
「それは良かった。子供の舌は正直だからね、君が美味しいと言うのなら間違いはないだろう」
美味そうに食べるイクトにドゥームさんは満足そうに微笑んでる。
確かに子供は美味い不味いに正直だから、子供の美味いは信用できる。
イクトが実在しないデータ的な存在とはいえ、そこを疑うことはしない。
「町長は美味しい食事に目がないんだ。きっと喜んでくれるだろう」
美味いもの好きな町長か。
本当に単純に美味いものが心の底から好きなのか、それとも食道楽みたいな感じなのか。
雇われてるドゥームの表情からして、少なくとも嫌みな食通気取りじゃなさそうだ。
「さぁ、調理を続けよう。君も試食、頑張ってくれよ」
「がんばる!」
試食できると分かり、上機嫌に触覚とレッサーパンダ耳をピコピコ動かすイクトの姿が微笑ましい。
まあドゥームが頼んでるんだから良しとしよう。
おっ、次のも焼き上がったな。
「次のパン、上がりました」
「そうか。なら焼き上がったパンは全部、そこのバケットへ入れてくれ」
「はい」
指示通りに焼き上がったパンをバケットへ入れる。
これをテーブルの真ん中に置いて、好きなように取るスタイルで提供するんだろう。
「それが済んだら、魚の仕込みを手伝ってくれ」
魚? ここでは魚が手に入るのか?
「分かりました」
パンをパパッと移したら、すぐにドゥームの下へ向かう。
用意されてる魚はブラックバスみたいな頭をしてるけど、体が太刀魚なみに長い。
なんだ、この魚。
ロングテイルバス
レア度:2 品質:5 鮮度:81
効果:満腹度回復3% 病気状態付与
とても体の長い川に住むバスだが、体の半分ぐらいは尾の部分
それを激しく動かして外敵が寄るのを防いだり、払ったりする
生で食べると病気状態になるので注意してください
半分ぐらいが尾のバスか。
ブラックバスが食べられるのは知ってるし、寄生虫がいるから生食できないのは知ってる。
どうしても生食したいなら、長時間冷凍して身にいる寄生虫を殺さなきゃならない。
だからおそらくは、何かしらの方法で加熱するんだろう。
「魚は捌けるかい?」
「特殊な方法が必要でなければ、なんとか」
「だったら問題無いよ。僕の言う手順通りに捌いてくれ」
「分かりました」
ふむふむ。洗ってぬめりを取ったら頭を落としてヒレを切り取って、腹を開けて内臓を取り出したら洗って汚れを落とす。
その後に尾の先の方にキリを打ち込んで固定して、尾の方からおろすのか。
「頭に打ち込んで固定するんじゃないんですね」
「蛇のようなのならそれでもいいけど、見ての通り頭部は普通の魚だからね。とてもキリじゃ固定できないよ」
それもそうか。
頭を落としても胸側は割と厚みがあるし、下手に内臓を傷つけたら味に影響が出かねないから尾の方を固定するのか。
了解、納得した。
「じゃ、頼むよ」
「はい」
生食しないから普通の包丁を装備して、初めてやる捌き方だから注意しながら処理していく。
それでも物が魚だから、慎重になり過ぎて手が遅くなりすぎないようにできる限り手早く捌く。
「そうそう、そんな感じだよ。ふふふっ、こうしてると昔を思い出すよ」
「なにかあったんですか?」
おろした身はバットの方へ移し、中骨は頭と一緒にしておく。
これは明日の朝食のスープ作りの出汁に使うそうだ。
「昔いたんだよ、半ば弟子みたいにしてた若い子が」
いた、ということはもういないのか。
独立したのか辞めたのか、それとも聞いちゃいけないことになったのか。
こういう時は、下手に踏み込まない方がいいな。
「そのひと、いまどうしてるの?」
イクトオォォォォッ!
見学してるのは全然構わないけど、なに踏み込んでくれてんだよ!
ああでも、イクトはこういう時に空気読めるタイプじゃなさそうだからなぁ……。
「何年も前に、事情があって辞めちゃったよ。この町からも出て行っちゃったんだ」
「ふ~ん」
あっ、良かった。亡くなったとかじゃないんだな。
だけど独立したんでもなく辞めて、町からも出て行ったとは穏やかじゃない。
残念そうに話してるから、喧嘩別れとかそういうのではないんだろう。
身内に不幸があって帰らなくちゃならなくなった、なんていう設定なのかな。
ゲーム上のキャラだから予め設定されてるとはいえ、細かくやってるもんだな運営は。
「げんきにしてるかな?」
「ああ、そうだといいね」
イクトの問い掛けに、複雑さが垣間見える笑みでドゥームが答えた。
こんな話をしてる間も魚の下処理を続け、もうすぐ全部捌き終えるってところでふと思った。
今の会話の流れで、変なフラグが立ってないかと。
若干の不安を覚えつつ、処理の終わった魚へドゥームの指示で臭み抜きの塩を振っておく。
だけど不安とは裏腹に仕込みとイクトの味見は順調に進み、もう少しで終わろうとしていた。
「いやぁ、本当に今日は助かったよ。できれば毎日来てもらいたいよ」
「さすがにそれは……」
もうチェーンクエストは終了したとはいえ、ダルク達に付き合ってあっちこっち行かなきゃならないし、行った先にどんな食材や調理器具があるかも気になる。
だから気持ちは嬉しいけど応えられない。
「そうかい、残念だよ。じゃあこれで――おやっ」
話の最中に廊下の方が走る音が聞こえてきた。
それが何か分かったのかドゥームは苦笑いを浮かべ、徐々に近づいてくる足音がする廊下を見る。
やげて台所の入口へ姿を現したのは、狐の尻尾と耳が生え、やたらフリフリした黒の服を着る金髪でセイリュウなみに小柄な少女だった。
「今日の夕飯はなんじゃ!」
やや前のめりになって尋ねたのは飯の内容。
なにこの子、町長の娘さん?
「ん? 何者なのじゃ、そこの者達は」
しかも口調が老人風ときた。
子供のうちからこんな口調ってことは、祖父母に育てられたのか?
ということはこの子は町長の孫娘?
「先ほどお伝えした、料理ギルドで依頼を受けた方とそのお連れ様ですよ」
あっ、案内してくれたメイドの女性だ。
子供相手とはいえ、雇い主の娘か孫娘だから口調は丁寧にしてるんだな。
「ああ、そうかそうか。そうじゃったか」
「それと、お願いですから廊下を走るのはおやめください、町長」
えっ、この子が町長!?
「そうは言っても、飯が何か気になるのじゃ!」
「もういい御歳なんですから、落ち着いて行動してください」
「仕事はちゃんとしとるじゃろう! 落ち着かんのは飯の時だけじゃ!」
腕を組んで自慢気に言うことじゃないぞ。
そしていい御歳って、実年齢は何歳なんだ。NPC相手とはいえ、女性に年齢を聞くのは失礼だから聞かないけど。
「ちょーちょーさん?」
「うむ、いかにも!」
イクトの問い掛けに肯定の返事をすると、町長は両手を腰に当てて薄い胸を張った。
「我がこのサードタウンジュピターの町長、狐人族のローエンなのじゃ!」
狐人族なのは見れば分かる。
でも町長なのは、未だに納得も理解も追いつかない。
「ちなみに、もしも我のことをのじゃロリババァ及びそれに準ずる呼び方などしようものなら、精神的に辛い制裁を受けてもらうのじゃ。よいな!」
「はーい!」
「……はい」
元気よく返事をするイクトに続き、一応返事はしておく。
精神的に辛い制裁って何。そもそも、そんな失礼な呼び方をする人なんているのか?
いくら相手がNPCで、見た目に寄らず年齢を重ねてる設定でも普通言わないだろ。
「気をつけるんだよ。前に手伝いにきてくれた人は、今のを聞く前にうっかり言っちゃって酷い目に遭ってたから」
その人って、プレイヤーか?
それともそういう出来事があったっていう設定か?
本当にプレイヤーだとしたら、NPC相手とはいえ失礼な人だな。
「で、今日の夕飯はなんじゃ?」
「パンとスープと魚の――」
メニューを聞いてローエンの表情が子供の笑顔みたいに輝いていく。
どうやらこの人は食道楽じゃなくて、単純に美味いものが心の底から好きな人のようだ。
こういう人への料理だったら、また依頼があれば受けてもいいと思えるよ。
「ふっふっふっー、楽しみじゃな」
気分良く台所を出て行くローエンに、メイドの女性が溜め息を吐いた。
「はぁ。お食事の時のご様子も、もう少し落ち着いてくださるといいのに」
「そう言うなリコラ。あの方は昔からああなんだし、あの頃のふさぎ込んでいた時期に比べれば元通りじゃないか」
苦笑いを浮かべながらメイドの女性、リコラにローエンのフォローを入れるドゥーム。
設定とはいえ、ああいう人でもふさぎ込んでた時期があったのか。
「おっと、待たせてすまないね。これで依頼は完了だ、手伝ってくれてありがとう」
なんか最後の方で変なフラグが立った気がしたけど、ひとまず仕事は完了。
イクトと一緒に町長宅を後にして、料理ギルドで依頼完了の手続きをして報酬を受け取った。
「ますたぁ、つぎはどうするの?」
「そろそろ俺達も、晩飯の準備をするぞ」
「ばんめし! ごはん、なに?」
食事の内容を聞いてたローエン以上の輝く笑顔が、弟可愛くてなんでも作ってやりたくなる。
だけど落ち着け、ちゃんと計画的にやらないと。
とりあえず作業館へ行ったら、泡辣椒と塩レモンを仕込んで、晩飯は入手した生鮮なる包丁と冷却スキルを試すためにサラダうどんみたいな料理を。
『全てのプレイヤーへお報せします』
ん? アナウンス?
しかも全てのプレイヤー向けで、周りも反応してるからワールドアナウンスってやつか?
『サードタウンジュピターにてタウンクエストの条件が満たされました。ただいまよりゲーム内で3時間後、タウンクエスト【復讐の死霊使い】がサードタウンジュピターにて行われます。詳細は全てのプレイヤーへメッセージにてお送りしますので、参加希望者はご確認の上でご参加ください』
ここでタウンクエストだって!?
しかも場所ここだし!?
「マジか!?」
「よっしゃっ! この前のには参加できなかったから、やってやるぜ!」
「くぅ、連続ログイン可能時間がやばいのに」
周囲のプレイヤーがざわつきだし、異様な雰囲気になってきた。
「ますたぁ、みんなどうしたの?」
雰囲気に当てられたイクトが、ちょっと怯えながら脚にしがみついてきたから大丈夫だと落ち着かせる。
そこへ、タウンクエストの詳細が届いた。
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≪タウンクエスト・復讐の死霊使いについての詳細≫
サードタウンジュピター付近の地下墳墓の奥深くで秘密の部屋が見つかった。
そこに隠れ住んでいた死霊使いが自身の存在を知られ、行動を開始。
死霊使いはサードタウンジュピターを追放された過去がある復讐者。
その復讐を果たすため、多数のアンデッドを率いて侵攻しようとしてる。
プレイヤーは自警団や兵士達と協力して死霊使いを撃退し、町を守れ。
開始時刻:ゲーム内時間で2時間58分後
場所:サードタウンジュピター
クエスト成功時:隠しスキル【死霊魔法】と隠し職業【ネクロマンサー】解放
参加時間とクエストへの貢献度に応じた賞金を授与
クエスト失敗時:サードタウンジュピター崩壊
ゲーム内で三年間、ギルドや商店といった町の機能が低下
アンデッド軍団は付近のサードタウンかセカンドタウンへ進軍
*途中参加可能
*タウンクエストは一つの町につき一度きりです
*町の崩壊による影響は全てのプレイヤーへ適応されます
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『おぉぉぉっ!』
詳細が届くと前の時と同様に、周囲どころか町全体から上がったように歓声が響いた。
驚いたイクトの脚にしがみつく力が増し、さっきよりギュッとくっ付いてる。
それにしても、黒幕は死霊使いで襲ってくるのはアンデッドか。イメージとしては、ゾンビ映画みたいなものか?
しかも開始時刻が前回より早い。これはタウンクエストによるのか?
おっ、ダルクからフレンドコールだ。
『トーマ! 今のワールドアナウンス聞いて、タウンクエストの詳細見た!?』
応答した途端にダルクの声が響いた。落ち着け、声を荒げるな。
「聞いたし見たぞ。お陰で町中のプレイヤーが盛り上がって、イクトが驚いて怯えてる」
『そんなのどうでもいいよ!』
こいつ、イクトが怯えてるのがどうでもいいだと。
次の食事は辛いのを出してやろう、そうしよう。
『僕達はもうすぐ町に着くから、広場で合流するよ! じゃっ!』
一方的に用件だけ言ったら切ったよ、あいつ。
うん、やっぱり次の飯は辛いものに決定。
「ますたぁ? どうしたの?」
「なんでもない。広場に行くぞ」
「はーい」
ダルク達と合流するため、イクトと手を繋いで広場へ向かう。
道中に擦れ違うプレイヤー達は戦闘職を中心にやる気に満ち溢れてて、武器がどうだのポーションがどうだのと騒いでる。
発生直後にログアウトした、前回のタウンクエストの時もこんな感じだったのかなと思いながら歩き、広場に到着すると人だかりができていた。
「なんだ? あれ」
「ますたぁ、ひといっぱいだね」
何事かと近くにいた男性プレイヤーに声を掛けると、タウンクエストを発生させたプレイヤーの一人が、死霊使いについて説明してるらしい。
つまりこれは、そのプレイヤーの話を聞きに来た人だかりってことか。
ダルク達のために聞いておきたいけど、イクトがいるのにこの中へ割って入る勇気は無い。
と思いきや、声を掛けた男性プレイヤーが親切に教えてくれた。
だけど死霊使いについて分かってる情報は、それほど多くないそうだ。
分かってるのは黒いローブで全身を覆って顔もフードで隠してたこと、声からして男ということ、そしてそれなりにレベルがあったプレイヤー達が手も足も出ないほど強いということだけ。
戦い方としては十体以上のスケルトンを同時に召喚して操り、闇魔法を使ってたという。
「なるほどな。じゃあ、この人だかりはそれを聞きに?」
「いや、もっと情報は無いかと押し寄せてる連中さ。情報提供者は無いって言ってるのに、しつこく聞いてるようだぜ」
そりゃまたご苦労なことで。
しつこく聞いたからって新しい情報があるわけでもないのに。
呆れ混じりに人だかりを眺めてて、ふと気づいた。
「プレイヤーの一人は、ということは他にもいるのか?」
「ああ。そいつらは冒険者ギルドへ報告に向かったらしい。なんでも前回は報告が遅れて、自警団や兵士の迎撃体制や町長による統率も遅れててんやわんやだったらしい。塾長がプレイヤー達をまとめてなければ、どうなっていたかって掲示板で話題になってたぐらいだぜ」
そういうことか。そして塾長、さすがです。
しかしこういう時、戦わない俺はどうすればいいだろう。
ダルク達と合流できたら聞いてみよう。
「あーっ、いたっ! トーマ、お待たせ!」
噂をすればなんとやら、早速合流できたよ。




