現実を過ごす
現実へ戻ってきた。
体を起こしてヘッドディスプレイを外し、ずっと寝転がってて固まった体を伸ばす。
体がほぐれたらヘッドディスプレイを片付け、イベントのお疲れさま会兼イクトの歓迎会を開かないかってメッセージをスマホで打ち、ゲーム内で提案しなかった理由を添えて長谷へ送っておく。
送信を確認したら夕方からの営業の仕込みを手伝うため、準備を整えて店の方へ向かう。
「入るよ」
頭にタオルを巻いて前掛けを付けながら、既に仕込みを始めてる祖父ちゃんと父さんへ声を掛ける。
「おう、来たか。早速だが、餃子の餡作ってくれ」
「分かった」
祖父ちゃんに返事をして野菜を準備する。
うちの餃子の餡は豚ひき肉へみじん切りのタマネギと白菜とニラ、それとおろし生姜を入れる。
というわけでタマネギと白菜とニラを必要なだけ準備してみじん切りにしたら、生姜の状態を確認して皮付きのまますりおろす。
状態の良い生姜は洗って汚れを落とせば皮を剥かなくてもいいから、一つ一つ状態を確認してからすりおろす。
状態が良くないのが混ざってたら皮を剥くけど、皮付きの方が香りも良いし無駄が出ない。
見た目を気にするなら新鮮でも皮を剥いた方がいいけど、餃子なら肉と野菜に混ぜて皮で包むから気にしなくていい。
野菜と生姜の準備ができたら冷蔵庫から豚ひき肉を取り出し、ヘラでボウルへ移して刻み野菜とおろし生姜と醤油やら砂糖やら酒やらを混ぜた中華桐谷独自の調味液を加え、調理用の手袋を両手につけて混ぜ合わせる。
今は衛生管理が大事な時代だから、素手で混ぜることはしない。
ゲーム内ならそこに配慮する必要は無いものの、ここが現実である以上は衛生管理を無視できない。
現実は現実、ゲームはゲームでしっかり分別をつけないとな。
「斗真、今日はゲームでイベントがあったんだろ。どうだった」
「楽しめたし、ゲーム内とはいえ料理仲間もたくさんできたよ」
「そりゃあなによりだ。人生真面目だけじゃつまんねぇからな、遊びっつうもんも覚えねぇとな」
父さんからの質問に答えたら、祖父ちゃんが人生について口にした。
確かにその通りだと思うし、そういう点は俺に欠けていたことかもしれない。
でもなぁ……。
「若い頃、修行中の身なのに遊びが過ぎて極貧生活を送ってた祖父ちゃんに言われても、説得力が無いよ」
「おいこらそれ誰に聞いた。嫁か、嫁しかいねぇよな」
その通り、祖母ちゃんだよ。
遊びの内容が馬や自転車や船での競争だってことも、しっかり聞いてるからね。
「ふん! ちゃんと給料の範囲で遊んでたから借金はしてなかったんだ、問題ねぇだろ!」
「そのせいで、連日もやしを食って生活してたそうじゃないか」
そうだそうだ、父さんも息子として言ってやれ。
「うるせぇ! 借金生活よりマシだろ!」
そりゃマシだけどさ、そんなギリギリになるまで遊ばなくていいだろ。
なんでも祖母ちゃんに説教されて、ようやく控えるようになったって聞いたぞ。
今では定休日に少額で2、3レースしかやってないみたいだけど、当時は本当に酷かったって話だ。
「そういうお前だって、学生の時はかなりのもんだったじゃねぇか!」
「……言うな」
そうそう。これも祖母ちゃんから聞いたんだけど、学生時代の父さんはかなりのゲーセン通いで格ゲーマニアだったそうだ。
しかも相当強かったらしく、通ってた先では二つ名が付いてたとか。
だけど当時はプロゲーマーとかeスポーツなんて言葉すらなかったから、その道で食っていくなんてできるはずがない。
そのため単なるゲーム狂いとしか認識されず、これまた祖母ちゃんに厳しく説教されて改心したとか。
今の口数少ない父さんからは想像できない過去だから、話を聞いた時は驚いたよ。
「しっかしそんな俺らが祖父で父親なのに、よく斗真みたいな遊びそっちのけで料理に打ち込む真面目馬鹿が生まれたもんだ」
誰が真面目馬鹿か。
真面目で悪いことはないだろう。
「確かに」
父さんも同意するんかい。
「そういう意味じゃ、遊びに誘いに来る早紀ちゃんには感謝だな。遊びにのめり込み過ぎるのはよくねぇが、遊ばないのもそれはそれで心に余裕が持てないってもんだ」
そんなもんかね。
あっ、そうだ。早紀といえばテイクアウトの注文があったんだ。
「祖父ちゃん、父さん。早紀達からテイクアウトの注文が入った」
「おう、分かった」
「何を作ればいいんだ?」
仕込みをしながらテイクアウトの注文内容と受け取り時間を伝えると、ちょうど手が空いた父さんがそれをメモ書きにした。
「そんなに作っていいのか?」
「後から二人合流して、六人で食うから大丈夫だって。受け取りもその二人」
「あいよ。そういうことなら納得だ」
これでよし。
ところで仕込みだけど、餃子の餡を仕込んだら次は何すればいい?
こんな調子で仕込みが済み、営業開始前にスマホを確認したら長谷からのメッセージが入ってた。
お疲れさま会兼イクトの歓迎会は賛成で、これを餌に早紀のやる気を引き出して課題をやらせてるそうだ。
つまり早紀は、目の前にニンジンをぶら下げられた馬状態ってことね。
まっ、ちゃんと課題をやるなら問題無いか。
*****
今日も今日とて店には客が来てくれてる。
土曜日なのをいいことに、営業開始とほぼ同時にやってきて酒を飲んでる常連達。
店が混む前に来て、晩飯をゆっくり食べて楽しむ家族。
腹減ったと言いながら賑やかに入店し、大盛の飯物をガツガツ食べる運動部らしき体つきの学生達。
そうした客達へ美味い飯を出すべく、厨房は大忙しだ。
「斗真、ホルモン炒め用のホルモン用意してくれ」
「分かった!」
「ついでに豚キムチに使うキムチも頼む!」
「あいよ!」
頼まれた物を冷蔵庫から取り出してホルモンは父さん、キムチは祖父ちゃんの所へ置く。
そしたら無くなりそうな刻みネギを補充するため、ネギを取ってきて洗ったら輪切りにしてボウルの中へ入れている。
「斗真、ネギ切ってるんなら炒め物用のも頼む」
「はいよ!」
祖父ちゃんに返事をしたら、追加でネギを取ってきて炒め物用に斜め切りにする。
切り終えたらバットへ移して祖父ちゃんの所へ置き、次は注文の入った焼き餃子に取り掛かる。
「やっほー、桐谷!」
「こんばんは」
皮で餡を包んでると聞き覚えのある声がしたから、手は止めずに顔だけ店の出入り口へ向けたら鞄を持った山本と狭山がいた。
派手めの服装で小さく手を挙げて笑みを見せる山本に対し、狭山は控えめな服装で無表情だ。
「おう、来たか。早紀達から聞いてるぞ」
「なら話は早いね。頼んだの出来てる?」
「出来てるぞ。母さん、テイクアウトのやつ」
「はいよ」
受け取り時間に合わせて用意しておいた料理を母さんが取りに行く。
後は母さんに任せれば大丈夫だから、餃子を焼こう。
「おっ、三代目。新しい未来の若女将候補か?」
「四人もいるのかと思ってたが、もう二人いたのかよ」
「やるじゃねぇか。より取り見取り、選び放題だな」
はい黙れ、そこの酔っ払い共。
焼き台に油を敷いたら餃子を並べ、蓋を下ろして焼く。
「何言ってんだよ。あの二人も前に来たことあるだろうが」
「おぉっ? ああ、言われてみればそうだな。悪いな三代目、嬢ちゃん達」
謝らなくていいから、黙って酒飲んでてくれ。
「えっ、嘘。あーしってば、いつの間に桐谷の奥さん候補になってたの? もー、桐谷ってばそういうつもりなら言ってよー」
やめろ。照れたフリをしながらそんなこと言うから、酔っ払い共や常連達から冷やかしの声が上がってるぞ。
「そんな斗真君! お姉さんとは遊びだったの!?」
瑞穂さんは遊んでないで仕事してください。
こっちは焼き台の蓋を開けてお湯を注ぎ、また蓋をして餃子を蒸し焼きにする。
「酔っ払いの戯言につき合わなくていいぞ、山本」
「おいおいひでぇな三代目」
「しゃーねぇって。俺らが酔っ払いなのは事実だしよ」
「ちげぇねぇや。ハハハハハッ!」
まったくあの酔っ払い共は。
よくもまあ、毎回同じネタで騒げるもんだ。
「あははっ。分かってるって、桐谷。こういうのはノリだって、ノリ。ねえ月」
「私は反応してないから、同意を求められても困る」
冷静というか冷めてるというか、どちらにしても狭山は長谷と同じく常識的で助かる。
名前の件で色々あったそうだから他人との関わりは苦手とはいえ、山本から早紀を通して心を開いてくれてるから仲はそう悪くない。
基本的に悪ノリしがちな早紀や桐生や山本、それに健や瑞穂さんや店の酔っ払い共といった面々が周囲にいる身としては、常識的な対応をしてくれる存在はとても貴重だ。
さて、餃子が焼けたぞ。
「だけど桐谷君がどうしてもと頼むのなら、一考の余地はある」
あれぇ?
狭山、お前はそういうことを言うタイプじゃないだろ?
しかも真顔だから酔っ払い共や常連達がまた騒ぎだして、山本までニヤニヤ顔してる。
落ち着け、良くも悪くも早紀のお陰でこうした場面は何度も乗り越えてきただろ。
冷静に、餃子を皿に盛って提供しながら対応するんだ。
「珍しいな、狭山が冗談を言うなんて。祖母ちゃん、二番卓の焼き餃子二人前上がったよ」
「はーい」
「……さすが桐谷君。この程度の冗談なんて、簡単に看破するんだね」
当たり前だ。
伊達に早紀や桐生や瑞穂さんの悪ノリに慣れてない。
「んなことより、早く持って行けよ。今頃早紀の奴、課題でオーバーヒートした頭から煙を出しそうな感じで前のめりに机に身を預けて、半開きの口から魂が抜けそうになってる顔してるだろうからさ」
そんな姿を受験勉強や試験勉強で何度も見てきたから、想像するのは容易だ。
「はいはーい。んじゃ桐谷、またガッコーでね」
「またね」
母さんから注文の品が入ったビニール袋をそれぞれ受け取って、会計を済ませた二人が退店する。
ふう、これで少しは静かになるかな。
「おい、今度の若女将候補はどう見るよ」
「派手で明るい子と、ちょっと無愛想な前髪パッツン子か」
「本命が早紀ちゃんなのは不動だと思うが、派手な子は対抗馬になるか?」
「いや対抗馬は胸のデカい子かちっこい子だろ。それより前髪パッツン子が瑞穂ちゃん押しのけて、大穴になるんじゃねぇか?」
おいこら酔っ払い共、人の友人達で何をやってるんだ。
そういうのはテーブルの上に置いたスポーツ新聞の、競馬や競輪や競艇のところを見ながらやってくれ。
なにより、あいつらとは誰ともそういう関係じゃない。
「ねえねえ斗真君、お姉さんとは本当に遊びだったの?」
だから瑞穂さんは仕事しろ!
そう思った直後、瑞穂さんは祖父ちゃんに怒られて仕事へ戻った。
激しく揺れる胸で酔っ払い達から歓声を浴びながら。
*****
テイクアウト用のチャーハンと焼きそばが入ったビニール袋を受け取って、桐谷君の実家のお店を出て早紀の家に向かう。
早紀のご両親は仕事で不在だから、どうせ課題をやらなさそうな早紀のために集まって課題をすることになった。
主に早紀に教えるため。
私と咲は用事があってこれから参加だけど、どれくらい進んでるかな。
……きっと半分もできてないだろうね。
「でねー、バイト先の先輩ってば彼氏ができたからって惚気話ばっかでさー」
桐谷君の実家のお店で受け取った唐揚げと餃子が入ったビニール袋を手に、咲が今日の出来事を楽しそうに話してる。
確かファミレスのホールのバイトだったね。
「月は家の手伝いどうだった?」
「別に、普通」
うちは小さいながらも雑貨屋をやってる。
客層は主に咲のようなタイプの人達。
というのも両親が若い頃どころか現在進行形でそういうタイプで、そういう人向けのお店をやるのが夢だったんだとか。
ちなみに私は、そんな両親と両親の影響をガッツリ受けてる大学生の兄を見てきたから大人しくなった。
両親も兄も遊んでるみたいだから、私がしっかりしないとって子供ながらに思って。
今となって無用な心配だったと分かってる。
お店やってるだけあって両親は割としっかりしてるし、兄も賑やかで騒がしいのが好きなだけで、お金遣いが荒かったり女の人をとっかえひっかえしたり借金してまでギャンブルをしたりしてる訳じゃない。
「もー、お店でもそう無愛想なの? 客商売なんだから、せめてスマイルしなよ!」
そう言って見せてくれた咲の笑みは眩しいくらいに明るい。
そういう明るい笑顔は私には無いものだけど、名前のことでからかわれてた頃に救われたのもこの笑顔だから悪い気はしない。
「にぃ?」
見よう見まねでやってみたら、咲の表情は苦笑してて浮かない。
うん、その様子で全く出来てないどころか微妙だってのは察したよ。
「あはは。まあ悪くないんじゃない?」
「そう思うのなら苦笑いせずに言って」
下手な慰めは時に人を傷つけるんだよ?
だからって傷つくことはないけどね。
咲が私のためを思って、優しい気持ちから言ってくれたのは分かってるから。
でも今のやり取りで、私の笑顔が全くなってないことがよく分かった。
「……ごめん」
目を逸らして謝ったということは、さっきのは嘘だと認めるのね。
ならばよろしい、許してあげよう。
「気にしないで。それより早く早紀のところ行こう」
「だね。桐谷が言ったのは大袈裟だとしても、早紀がノビてそうだもんね」
幼馴染関係にあって真面目な桐谷君が言うんだから、あながち大袈裟とは思えないよ。
「そーいえば月ってば、桐谷がどうしてもって頼むなら嫁入りするって言ったじゃん? あれ聞いて、あーしちょっと驚いたよ」
誰も嫁入りするなんて言ってない。
「違う。一考の余地があるってだけで、嫁入りするとは言ってない」
「ありゃ、そうだっけ? まっ、いっか。あれって冗談だったんっしょ? なら気にしなくていいよねー」
「……まあね」
とは言ったものの、本心は冗談なんかじゃない。
将来のことなんて一切考えてなくて、今通ってる高校だって学力と通いやすさで選んだから、どうしてもそこに通いたいってわけじゃない。
家を手伝ってるのだって一種の義務感で、家を継ぎたいとか売ってる品が好きとかじゃない。
だからこそ将来やりたい事を明確に決めてて、そのためにお店を手伝ってる桐谷君の姿を見た時は凄く羨ましくて、咲の笑顔以上に輝いて見えた。
おまけに数品とはいえお店で料理を出してるし、味も美味しいから余計に羨ましく思えた。
何も考えず、ただ生きてきただけの私と違って将来を決めてその道を突き進んでるんだから。
しかも作る料理が美味しい。
ここ重要だから二回言ったよ。
そんな桐谷君が継いだあのお店を若女将として支える未来なら、将来の選択肢として一考の余地はある。
さっきも言った通り桐谷君がどうしてもって言うか、この先もやりたいことが見つからなくて桐谷君に相手ができてなければ、ぐらいの話だけどね。
「どしたの? 黙っちゃって」
「なんでもない。ちょっと考えごと」
もしも後者になった時は、どうやって押し掛け女房になろうか考えてただけ。
はっ! これが将来を考えるってこと!?
なんとなく将来を考えるコツを掴んだ気がする!
桐谷君、ありがとう。
この調子で将来やりたい事を見つけられて実現できたら、お礼として初任給で桐谷君の料理を食べに行くからね。
「さーて、早紀はどうしてるだろねー」
「さあ」
きっと桐谷君の言ってた通りだと思う。
そう思いながら早紀の家に行ったら出迎えてくれたのは瑠維で、その瑠維に通された早紀の部屋では、早紀と静流と美蘭が瑠維の席を空けて机を囲んでた。
「いらっしゃい、二人とも」
「うふふ、待ってたわよ」
「唯一の住人はこの調子だけど、揚げ物出せば復活するから気にしないで」
この調子だっていう早紀は桐谷君の言ってた通り、課題でオーバーヒートした頭から煙を出しそうな感じで前のめりに机に身を預けて、半開きの口から魂が抜けそうになってる顔をしてる。
「すげーね、桐谷の言ってた通りだ」
「だね」
これ本当に大丈夫なのかと思ってたけど、瑠維の言う通り唐揚げをビニール袋から出して目の前に置いたら秒で復活した。
で、肝心の課題はどうなの? 明日のためにブーストかけてとても頑張ったけど、まだ四割半?
当面の目標は日付が変わるまでに七割だから、食事が終わったら厳しく教えてあげる。
安心して、私と咲はもう八割方終わらせてあるから教える余裕はあるよ。




