バイト初日
木曜日の夜営業中、中華桐谷を訪れた客達は普段より盛り上がっていた。
主に常連や酔っぱらい連中を中心に。
理由は当然、今日がバイト初日の静流だ。
その静流は現在、動きやすい服装に店名入りのエプロンを付け、髪が料理に入らないよう三角巾を頭に巻いて慎重に料理を運んでいる。
今のところ大きなミスもなく、無難にそつなくこなしてくれている静流を、酔っぱらい達が話題に酒を飲む。
「くあー! ちっちゃい嬢ちゃんだったか! てっきり早紀ちゃん一択だと思っていたのによ!」
「はっはー、残念だったな! 昔からの幼馴染が勝つ時代じゃねぇんだぜ!」
「そういうお前だって、眼鏡の嬢ちゃんに賭けていたじゃねーか! 外したんだから、約束通りこの店で一番高い酒奢れよ!」
やっぱりこいつら、そういったことで賭けていたのか。
それはそうと、うちで一番高い酒だったな。
「母さん、三番テーブルに一番高い酒入るって」
「はいはーい、すぐに用意するわね」
「いや待ってくれ、三代目! 今日じゃない、今日は財布が厳しいから無理だ!」
「まあまあそう言わず、遠慮せず頼んで飲んでくれ」
「奢りだから飲むのは俺じゃねぇんだよー!」
頭を抱えて叫ぶ酔っ払いに、常連やそうでない客も関係無く店内が笑いに包まれる。
その中には来店早々に俺と能瀬のことを暴露した、見知った顔が二つある。
「若女将、こっち麻婆豆腐定食ちょうだい。辛さマシマシで」
「若女将さん、私は肉野菜炒め定食をお願い。あと、食後に杏仁豆腐も」
「二人とも、若女将はやめてー!」
真っ赤になって叫ぶ静流に、再び店内が笑いに包まれた。
静流をからかったのは塾の帰りに店へ立ち寄った長谷と桐生で、二人は静流の反応を見てニヤニヤと笑っている。
UPOが大型アップデートをする関係で今日はログインしないから、塾帰りに晩飯を食いに来たと言っていたが、実際は静流のバイト姿を見に来たんだろう。
おっ、からかわれても注文はちゃんとメモしているな。
よしよし、いいぞ。
「おーい、長谷に桐生。あまり静流をからかうようなら料金はそのまま、量だけ減らすぞ」
チャーシューを切りながら注意を促すと、二人の視線がこっちへ向いた。
「悪かったわ。だから、そういう露骨な実質値上げみたいな真似はやめて」
「ごめんなさいね。それにしても、ふふふっ。付き合いだした途端にこれだから、静流ちゃんは大事に想われているわね」
「はう、はううぅぅ……」
桐生からの指摘に、照れと嬉しさが混じった笑みを見せる静流。
それによってまた酔っぱらい達から冷やかしが入り、静流が真っ赤になりながら注文を通す。
「六番卓、辛さマシマシの麻婆豆腐定食と肉野菜炒め定食、食後に杏仁豆腐一つです」
「あいよ。斗真、肉野菜炒めやれ」
「分かった」
切り終わったチャーシューはチャーシュー麵に対応中の父さんへ渡し、肉野菜炒めへ取り掛かる。
一口大に切った豚肉、ざく切りのキャベツ、短冊切りのニンジン、もやし、斜め切りのネギ、そして細切りのタマネギ。
これがうちの肉野菜炒めの材料だ。
まずは火に掛けた中華鍋へごま油を入れて熱し、皮付きのおろしショウガを加えて香りを出す。
ニンニクじゃなくてショウガなのは、その方が日本人の口に合うからとのこと。
香りが出たら豚肉を炒め、火が通り難い順に野菜を加えていく。
業務用の火力が強いコンロと熱持ちの良い中華鍋だから、普通のフライパンでやるような一旦肉だけ外すといった工程を挟まずに炒め、頃合いを見計らって祖母ちゃんへ声を掛ける。
「祖母ちゃん、肉野菜炒めもうすぐできるから、定食の準備お願い」
「はいよ、任せておきな」
祖母ちゃんにごはんやスープの準備を頼み、火が通ってきた食材へ醤油や酒なんかを調合した中華桐谷の調味液で味付けし、軽く胡椒を振りかけて完成。
皿へよそったら祖母ちゃんが準備してくれた、ごはんとスープとザーサイの漬物が載せられた四角形のお盆に皿を置く。
「静流、これ桐生の肉野菜炒め定食な」
「あっ、はーい」
空になった皿を運んできた静流へ料理を渡し、空の皿は俺が受け取って流しへ運び、そのまま皿洗いをする。
「おっと、夫婦の共同作業だぜ」
「しかしこれで、本当の意味で三世代揃ったわけだ」
「四代目はいつになるだろうな」
はーい、そこの酔っぱらい達はちょっと黙ろうか。
料理を運んだ静流が頭から煙が出そうなほど真っ赤になって、祖父ちゃんが作った辛さマシマシの麻婆豆腐定食を長谷に提供した母さんにフォローされているから。
「ところで桐谷君、今日は早紀ちゃん来ていないの?」
箸を取りながら桐生が周囲を見回して尋ねる。
「ああ。どうせ金が無いだけだろう」
こういう時は確実に現れてからかいそうな揚げ物狂いの幼馴染だけど、店に来る以上は金が必須。
既に金欠気味のあいつが、来れるはずがない。
今頃は部屋で大人しくカップ麺でも食っているんだろう。
「揚げ物禁止にされたから、こっちへ食べに来ていると思ったわ」
香辛料で赤黒く染まった辛さマシマシの麻婆豆腐を、全く意に介さず食べている長谷の言う通り、UPOで揚げ物禁止にされた腹いせに現実で揚げ物を食いに来そうだけど、金が無いんじゃ来られないさ。
こっちは奢ってやる気なんかないし、そもそもあいつが原因の制裁なんだ、驕る理由も筋も道理も無い。
「うふふ。今頃、揚げ物食べたいって騒いでいるのかしら」
その光景が容易に浮かぶよ。
「前回のログインでの揚げ物禁止を言い渡されて、絶望していたものね」
「頭を抱えて蹲って、「あぁぁぁぁぁぁっ!?」って叫んでいたけど、からかい過ぎた早紀ちゃんが悪いから仕方ないわ」
そっ、悪いのは早紀で俺は悪くない。
「間宮の奴も桐谷と後藤の塩対応で、いつものように騒いでいたわね」
「咲ちゃんは月ちゃんに、本当にバイト代カットしないよね、って必死に聞いていたっけ」
ごはんに麻婆豆腐を載せて食べる長谷が健の様子を口にして、二人の空いたコップへ水を注ぐ静流が山本と狭山の様子を口にする。
どちらも早紀と同じで、やたらと冷やかしてきたから相応の報いを受けただけで、これも俺は悪くない。
「しっかしよう、三代目。瑞穂ちゃんが知ったら騒ぐぜ」
カウンターで一人飲みしている酔っぱらいの言うように、絶対に騒ぐだろうな。
こう、「お姉ちゃん聞いてないよ!」なんて言って。
「だとしても、放っておけばいいですよ。あの人は優しくしたらつけあがって調子に乗るので」
瑞穂さんとの交流の経験上、そうなるのは考えずとも分かる。
「おいおい、そんなこと言うなよ。なあ大将」
「いや、斗真が正しい。あいつはそういう奴だ」
エビチリを調理中の祖父ちゃんが肯定してくれた。
さすが祖父ちゃん、分かってくれている。
中華丼を調理中の父さんも無言で頷き、祖母ちゃんと母さんも「そうね」「あの子はお調子者だものね」と同意した。
これが日頃の行いというものです、今頃は晋太郎とバイトしているであろう瑞穂さん。
さて、洗い物は一旦これでよし。
主にラーメン類に使うネギの輪切りが尽きそうだから、追加を切っておこう。
「そういえば、イクト君達にとって静流ちゃんはどういう立ち位置になるのかしら?」
ふと思いついたように桐生が口にした内容が聞こえた。
別に俺と静流が恋人関係になったからって、イクト達には影響なんて無いんじゃないか?
「別に影響は無いんじゃないの? あの子達は桐谷の従魔なんだし、UPOには結婚システムが無いんだし」
長谷は俺と同じ意見か。
そうそう、UPO内における俺の養子とか子供ってわけじゃないんだから、今まで通りだろ。
「あら、それだと面白くないじゃない。いっそのこと、静流ちゃんのことをママって呼ばせましょうよ」
「美蘭ちゃん、何を言いだすの!?」
別の卓の料理を運び終えた静流が、桐生の発言を聞いて真っ赤になった。
面白いか面白くないかの問題じゃないだろ。
しかも桐生のあの笑み、本気なのか冗談なのかイマイチよく分からない。
「……面白いかそうでないかは別として、そういうロールプレイを楽しみたいのなら有りね」
呆れた表情の長谷が言ったロールプレイは、何かしらの役割を演じて遊ぶことだよな。
知り合いで言うなら、エリザべリーチェのお嬢様口調とか、塾長のような特定のキャラをオマージュするような感じで。
話の流れからして、俺と静流が親でイクト達が子供っていう設定にするんだろうけど、そういう検討の余地が有りそうな感じに言わないでくれ。
でないと早紀や瑞穂さんとは違ったベクトルで厄介な桐生が、それを通そうとするから。
「だったらそうしましょうよ。ねっ、静流ちゃん。桐谷君との将来のためにも、子育ての良い事前勉強になると思わない?」
「こ、子育て、事前勉強……」
ほらみろ、通そうとする桐生のせいで静流が耳まで真っ赤になったぞ。
「おい三代目、イクトって誰だよ」
「まさかもう将来の子供に付ける名前考えているのか?」
はい、酔っぱらい達は全員黙れ。
ただでさえ面倒なことになりそうなのに、余計な横やりを入れられたら、なお面倒なことになりそうだから。
「斗真、イクト君達がゲームであなたが連れているゲーム上のキャラクターなのは、昨日静流ちゃんから聞いているわ」
「研修の合間にその子達の話を聞いて、画像も見せてもらったよ。ああいう可愛いひ孫の顔が、早く見たいねぇ」
「そうですね、お義母さん。私もあんな孫を見たいですよ」
母さん、祖母ちゃん、研修中に何やっているのさ。
それと気が早すぎるって。
あと静流、画像ってどういうことだ?
「ほら、たまにスクショで撮っていたやつだよ」
輪切りにした追加のネギをボウルへ移しながら視線を送ると、空いたジョッキを回収しながら教えてくれた。
そういえば、たまに撮っていたな。
主に情報をミミミ達へ提供するためだけど、それ以外でも撮影していたっけ。
注文の入っていた餃子を作るため、皮で餡を包みながらその光景を思い出す。
「桐谷はそういうの、撮っていないもんね」
「よければ私達が撮った情報提供用じゃない画像データを、後で送ってあげましょうか?」
長谷と桐生からの提案を聞き、UPOでの記念写真みたいなものを持ってないことに気づく。
料理や交流ばっかりやって、そういうのを疎かにしていたな。
「よろしく頼む」
「オッケー、帰ったら送っておくわね」
「斗真君、私が撮った画像データも送るよ」
「ありがとな、静流」
はてさて、どんな画像データが送られてくるのやら。
楽しみなような不安なような気分になりつつも、調理には集中。
そうして夜も遅い時間になり、客足も遠のいて店内が落ち着いてきた頃に、俺と静流は上がるように言われて奥へ引っ込む。
「はふぅ……疲れた」
引っ込んだ途端、静流はへなへなと座り込む。
休憩や晩飯のまかないで休んだとはいえ、バイト初日の緊張に加えて割と体力を使う飲食の仕事だから、疲れるのも無理はない。
「少し休んでから帰るか?」
「そうする」
頷いた静流をリビングへ通し、ウーロン茶を渡す。
夜食に軽く何か食べるか聞くと、この時間に食べるのはやめておくと返された。
そういえば前に、腹回りがどうとかでちょっとだけ大変な目に遭ったっけ。
静流の言い方がアレだったから勘違いを生んで、生徒指導室まで連行されたんだよな。
「どうかしたの?」
「前に静流が教室で、腹が出てきた責任を取って、なんて言って勘違いを生んだ時のことを思い出していた」
「あう……。その節は、紛らわしい言い方をしてごめんなさい」
「もういいって、幸いにも笑い話で済んだしな」
あの時はマジで焦ったがな。
「で、でも、そういうことしちゃえる関係にはなっちゃったんだよね」
それはそうなんだけど、そんなに恥ずかしがりながら言うのはやめてくれ。
なんかこう、変な想像をして申し訳ないから。
「落ち着け静流、俺達まだ学生なんだから節度を持とう」
「だ、だよね! 節度を持たなくちゃね!」
うんうん、節度を守るのは大事だぞ。
「あっ、そういえば、部屋にお菓子を置くのを辞めたから、あれからログアウト後の間食はしていないよ」
明らかに話題を変えようとしている。
だけど俺もそうしたから、ここは話に乗ろう。
「それはなにより。でも、腹は減っているんだろう?」
「そこはグッと我慢しているよ。お陰で改善しつつあるよ」
何が、なのかは腹回りや体重と分かるから、聞かないのが礼儀というもの。
良かったなとだけ返し、自分用のウーロン茶を飲む。
「次はバイト疲れの空腹で間食しないよう、頑張らないと……」
「途中で晩飯にまかないを食うんだし、大丈夫じゃないか?」
「そこは今日これから分かること」
確かに。部屋に菓子を置くのは止めたそうだけど、頑張れよ。
こんな感じでしばし雑談を交わした後、明日もあるから静流を送り届ける。
それぞれ自転車に乗って昨日と同じ帰路を行き、家の前まで送ったら帰って明日の確認。
特に提出する課題は無いから準備だけ整え、いつものように激カワアニマル動画を見て癒されていると、長谷から約束の画像データを送ったというメッセージが届いた。
さらに桐生と静流、連絡を貰ったから自分も画像を送るねというメッセージが早紀からも届く。
スマホじゃ重そうだからパソコンの方で画像を受け取り、開いて中身を見ていく。
「結構あるな」
転職や種族進化した時に撮ったもの、何故か大量にある俺が調理している姿、叫びながらヘドバンするミミミの写真、ポッコロとゆーららんがかぶりつきで俺が調理する様子を見学している写真。
おっ、早紀以外の皆はフォルダ毎にきっちり分けてある。
このイクト達の画像をまとめたものを見てみるか。
俺と手を繋ぐ姿、かぶりつきで調理の様子を見ている姿、就寝時の寝ている姿、戦う姿、海で遊んだ時の水着イクトと水着ミコト、シクスタウンジャパンで着たファッション用の着物姿、ミミミとヘドバンをしているのもあった。
「なんか懐かしいな」
それほど昔ってわけでもないのに、そんな風に感じてしまう。
つい表情を緩めながら目を通していると、桐生から届いたデータの中に推し画像というフォルダがあった。
気になって開くと、俺と静流――UPOでの画像だからセイリュウか。
上手く角度を調整して、ツーショットになるように撮ったものばかり。
中にはイクト達が紛れ込んでいるのもあるけど、データ名が推し親子ってどういうつもりだ。
あいつめ、いつの間になんてものを撮っているんだよ。
しかも当たり前のように、水着や着物のツーショット風の画像もあるし。
……ひとまず、これは厳重に保存っと。
さて、明日もあるし、見るのはほどほどにしてさっさと寝るか。