揚げないと上がらない
今日は生憎の雨。
梅雨だから当然だし、仕方のないことだと割り切って傘を差して登校。
午後から本降りだから、今日はあまりお客が来ないだろうな。
「トーマ、聞いてる?」
今は休み時間中ということもあり、早紀の机の近くにいつものメンバーが集まって雑談中。
普段ならその中で一番うるさい早紀が、明らかに普段より低いテンションで話しかけてきた。
「聞いてるよ。でも昨日作った飯を、お前のためだけに特別に作ることはしない」
「なんでさぁ……」
いつもより勢いが無い文句を口にした早紀が落ち込む。
昨日お前がログインできなかったのは自業自得だから、特別扱いするはずがないだろう。
どうしても外せない用事、とかならともかくな。
「うぅ~。ただでさえ雨でテンションが上がらないのに……」
早紀のテンションがいつもより低い理由、それは雨だから。
こいつのテンションは晴れだと高く、曇りだと普通で、雨だと低い。
あと暑さの種類にも影響され、ジメジメした暑さだと余計にテンションが下がり、カラッとした暑さだとテンションが上がる。
今日は雨ということもあって蒸し暑いから、とてもテンションが低い状態だ。
お陰で登校中も比較的静かだし、教室にいる今もだいぶ大人しいから、できれば一週間くらいこの状態でいてもらいたい。
「あー、早くUPOにログインしたい」
ゲームの中から雨も暑さも関係無いからか?
でもUPOって、雨の降る降らないはともかく暑い寒いはあった気がするぞ。
「ここで残念なお報せよ。私と美蘭の塾の関係で、今日のログインは一日だけよ」
「そんな~、数少ない癒しの時間が……」
長谷からの通告に早紀が机に突っ伏す。
早紀にとっての癒しは、ゲームをすることと揚げ物を食うこと。
その時間が短いと知って、嘆くのは当然だな。
「じゃあせめて、揚げ物大量に作ってよトーマ。いっそ、三食全部揚げ物にして」
三食全部が大量の揚げ物なんて、現実だったら絶対に胃もたれしそうだ。
ゲームだからそんな心配は無いとはいえ、作る側としてはあまり気乗りしない。
「一食は揚げ物にしてやるから、三食全部は勘弁してくれ」
「そうね。私達も揚げ物ばかりはちょっとね……」
手を頬に当てた桐生が困った笑みを浮かべる。
「やーだー、三食揚げ物じゃないとテンション上がらないー」
早紀の場合は少しテンションが低いぐらいがちょうどいいと思う。
うるさくないし、やかましくないし、なにより平穏だから。
「ねー、お願い。三食揚げ物ー」
「早紀ちゃん、あまりしつこいと茹でもやしにされちゃうよ?」
さすが能瀬、よく分かっているじゃないか。
しつこく三食揚げ物を要求してくるようなら、今日のログイン中における早紀の飯は茹でもやしにするつもりだった。
「それは嫌だー。だけど三食揚げ物が食べたいのー」
低いテンションでも駄々をこねるとは、さすが揚げ物狂い。
これを収めるにはアレしかないか。
「だったら条件を付けよう」
「条件?」
「今日のログイン中の飯を三食揚げ物にする場合、それからしばらく早紀の飯だけ他の皆とは別メニューだ」
つまり、今回のわがままを通す代償として、しばしの間は皆とは別の飯を食ってもらうってことだ。
「安心しろ。別メニューとはいえ、手を抜くことはしない」
「そこはトーマだから大丈夫だって信じているけど、どんなご飯を出すつもり?」
「前に健から教えてもらった、地下飯を出す」
それを告げると情報提供者の健が驚き目を見開く。
「お前、アレをやるっていうのか!?」
「まあな」
どんな飯なのか分からない皆が首を傾げる中、地下飯について説明する。
地下飯とは、健が読んでいる某漫画に出てくる、借金返済のために地下で強制的させられている人達が食べている飯のこと。
一時期とても良い食事が出たそうだが、食事内容は基本的に粗暴かつ粗雑。
健が教えてくれたのは、その中でも特に酷い食事だ。
「ど、どんな食事なのさ……」
自分がゲーム内で食べることになる食事とあって、早紀は若干緊張しながら尋ねる。
この場にいる長谷と桐生と能瀬、さらには晋太郎と山本と狭山も注目する中、飯の内容を告げる。
その一、キュウリ定食。
ごはんとみそ汁に対して、おかずは塩すら振っていない生のキュウリが三切れ。
UPOでやるなら、新鮮なる包丁でキュウリを切って出すだけ。
ある種のライスセットのような定食。
その二、ゴマ定食。
ごはんとみそ汁に対して、おかずは塩も無く炒ってもいないゴマのみ。
薬味がメインを張るという、大胆にして奇抜な定食。
以前のアップデートにより、満腹度が回復しない代わりに味がするようになったから、不味いことは無い。
その三、茹でもやし定食。
ごはんとみそ汁に対して、おかずは茹でたもやしのみ。
これまでにわがままや文句に対して何度か告げた、飯が塩茹でもやしのみ。
それよりも塩は抜けるが、ごはんとみそ汁が付くという幾分かマシな定食。
その四、お米定食。
ごはんとみそ汁に対して、おかずはなんと炊いたお米、即ちごはん。
炭水化物同士を組み合わせた定食は数あれど、これはそれにおける一種の極み。
ごはんをおかずにごはんを食うという、禅問答か哲学の領域へ至りかねない定食。
その五――。
「どれもやだ~」
全部を伝えきっていないのに、早紀から低いテンションでの泣きが入った。
まだ大根おろし定食とか、刻みネギ定食とか、ハーブ定食とか、色々とあるぞ。
「普通にあったら、確実に暴動が起きそうな定食ばかりね」
「せめて塩味とおかわりは欲しいわ」
苦笑する長谷はともかく、桐生は塩味があっておかわりができればそれでいいのか?
「ちなみにごはんとみそ汁は、どういうの?」
「手抜きせず、ちゃんとしたものを作る。ただし、おかわりは無しだ」
「おかわり有りだとしても、あーしならそんな食事は全力で拒否るね」
無表情の狭山からの質問に答えると、嫌そうな表情の山本が首を横に振る。
「キュウリや茹でもやしはともかく、塩気が無くて炒ってもいないゴマでごはんを食べていたら悲しくなりそう」
絶対にそんなご飯は嫌という能瀬よ、虚しいとか情けないじゃなくて、悲しいなんだな。
安心しろ、能瀬にはそんな飯は絶対に出さないし、これは早紀のわがままを聞いてやることへの代償なんだから。
仮に能瀬のわがままを聞くとしたら――うん、あいつの気持ちを知った今なら、ちゃんとお願いされれば多少のわがままは聞いてやりそうな気がする。
上目遣いでお願いされる様子を想像して、つい甘くなったわけでは断じてない。
「分かったよぉ、一食で我慢するよ。その代わり、たくさん作ってよねー」
「了解。唐揚げでいいか?」
「全然オッケー!」
揚げ物を食べられると分かって、早紀のテンションが少し上がって声に張りが出た。
ギガントワイルドフロッグの肉は全部使ったけど、ボアオークの肉があるからあれを使おう。
醤油やワイバーンチェリーワインなんかで調味液を調合して、熟成瓶を使って最後の飯の時まで漬け込めば味は染みる。
衣には小麦粉プラス、何かを加えて揚げよう。
肉を浸け込んで味を付けるから、それ以外の要素を加えるべきだな。
ビリン粉、胡椒、粉状にした唐辛子、すりゴマ、ハーブ類。
そういった物を少量加えて、刺激や香りを出そう。
勿論、そういった物を加えない小麦粉のみも作る、
あの拠点なら魔力コンロは四つあるから、大量に作るとしても二度揚げは可能だから、揚げ方はそれでいこう。
熟成瓶は二つとも空いているから、大量の肉へ下味を付けるのも難しくはない。
もしも足りなさそうなら、追加の熟成瓶を転送配達で取り寄せよう。
いや、晋太郎達がログインするようになれば飯の量が増えるから、今のうちに買っておいた方がいいか。
だとすれば熟成瓶の数が増えるから、調味液に加える物を少し変えて、濃いめとあっさりめの二種類を仕込むこともできるな。
「おーい、斗真。まだ考察モードは続くか?」
健からの掛け声でハッとした。
「悪い、どう作るか考え込んでいた」
「料理バカの斗真のことだから、そんなことだろうと思ったよ。で、どういう唐揚げを作るの?」
呆れて首を横に振ったと思ったら、次の瞬間には目を輝かせる早紀。
そんなだから、揚げ物狂いなんだよ。
「静流としては、もう少し見ていたかったんじゃないのか? 考え込む桐谷の凛々しい表情を」
「どういう意味かな!? どういう意味なのかなっ!?」
やめてくれ、狭山。
そういう振りは真っ赤になって慌てる能瀬だけでなく、その気持ちに気づいてしまった俺にも少なからずダメージがくるから。
「別に」って呟いてムフッと笑う狭山め、絶対に分かってやっているだろう。
あと長谷と桐生と山本は、ニヤニヤ笑うな。
健と早紀、ダメだこりゃってジェスチャーをするんじゃない。
正直、苦笑している晋太郎と暖かな笑みを向けるクラスメイト達が、一番マシな気分だよ。
「で、どういう唐揚げ作るの?」
テンションが戻りつつある早紀へ考えていた内容を告げると、徐々に目が輝いていく。
するとここで、新たな参戦者が登場。
「桐谷君、私用に粉状にした唐辛子やビリン粉だけを衣にした唐揚げを作って」
真剣な表情の長谷が眼鏡の位置を直しながら、激辛唐揚げを要求してきた。
まあ予想はいていたから良しとしよう。
「だったら私の分は、砂糖を衣にして作って」
唐揚げに甘口のソースを掛けるか、衣に少量の砂糖を加えるならともかく、衣が砂糖だけの揚げ物なんて聞いたことがないぞ。
砂糖でコーディングした豆類や煎餅はあるけど、さすがに唐揚げでそれはどうかと思うぞ、桐生。
「乾燥スキルで麺から水分を抜いて砕けば、衣になると思うよ桐谷君」
すごく真剣な表情の能瀬から、そこまで麺を使うかと思える指摘が入った。
最近は米が主体でストックのパンと麺を余らせているし、食感の変化を与えるって意味では有りだから、それはやってもいいか。
決して、キリッとした表情で提案する能瀬に対して、甘い考えを出したわけではない。
「僕は味が良くて辛くなくて量があれば、どんな味付けでも構わないよ。仮に全部同じ味でも、人気唐揚げ店の一日の販売量くらい食べられる自信があるよ」
だからお前は揚げ物狂いなんだよ、
ゲーム内だからその量を食べられるんであって、現実でその量を食べられるわけがないだろう。
ほらみろ、健や晋太郎や長谷達だけでなく、今のを聞いたクラスメイト達ですら、それは無理だろうって反応をしているぞ。
あと一部の少食っぽい連中は、大量の唐揚げを想像したのか胃の辺りに手を添えて、気分が悪そうな表情になっている。
「……材料と追加の道具類の費用を全額出してくれるのなら、やってもいいぞ」
「えー。そんなことしたら、装備を強化するための費用が無くなるからやだ」
わがままを叶えてやる以上は、相応の対価が必要。
それを出さない以上は、常識的な量しか作れないし作らない。
幾分かテンションが戻りつつある早紀とその辺を協議し、金を出さない代わりにしばらくの間さっき挙げた定食の数々を出すことを条件にしたら、向こうが折れて常識的な量に留める形で決着。
恨めしい目を向けても、こっちは譲らないぞ。
なお、この会話の影響か今日のうちのクラスは昼休みに食堂で唐揚げ定食を頼む人が多く、その中に早紀がいたのは言うまでもない。
そうして午後も学校で過ごし、昨日決まったバイト先の研修へ向かう晋太郎を見送り、一旦帰宅して店を手伝う。
朝より雨が強くなったこともあって客は少なく、さほど忙しくはないまま迎えた今日のログイン。
前回ログアウトした拠点の内部へ降り立つと、外は物凄い豪雨だった。
「なんでさぁ~……」
俺のすぐ後に現れたダルクが拠点の中で力なく項垂れ、カグラ達が苦笑し、イクト達がどうしたのと首を傾げる。
というかUPOって雨が降るんだな。
これについて頼れるメェナへ尋ねると――。
「今までが運良く雨の日に当たらなかっただけで、降ってはいたのよ。場所によっては雪が降るし、強風が吹く日もあるわ。運が悪ければ嵐の日もあるしね」
そういうことか。
まあいい、さっさと最初の飯と昼用の飯、それと夜の唐揚げ用の肉を仕込んでおくか。




