甘味好き巫女の気持ち
外が雨ということで、体育館でバスケをすることになった体育の時間。
フロアを半分に区切って男女に分かれ、向こう側にいる女子も同じくバスケをしている。
現在はチームを組んで試合中で、別チーム同士が試合中だから端に座って見学中だ。
「やっぱ梅雨ってのは嫌だよな。せっかく決めてきた髪が湿気で跳ねちまう」
同チームだから同じく見学している健が、跳ねた髪を直そうとしている。
どうせ運動すればまた跳ねるんだし、授業が終わった後で直せばいいものを。
「僕も梅雨は嫌だね。癖毛だから、ピンピンに跳ねちゃうし」
同じく同チームの晋太郎も跳ねた髪を気にしているけど、直そうとはしていない。
「俺も梅雨は嫌だな。店に来る客が減る」
「いや、俺達と嫌のベクトルが違くねぇか?」
だって俺、髪跳ねてないし。
それに客商売で客が来ないのは困るだろう。
「加えて厨房は何かしら火を使ってるから、結構蒸し暑い」
「あー、麺を茹でるお湯とかスープとかの蒸気もあるからね」
さすがは晋太郎、健と違って分かっているじゃないか。
「斗真の場合、他に梅雨で嫌なことといえばあれか? カビとか食中毒とか」
「そんなの梅雨に限らず、年がら年中気をつけてるわ」
食材を無駄にすることや、美味しく食べてもらう料理で苦しく辛い思いをさせること。
これは料理を提供する側として、絶対にやってはいけないことだ。
「まあ衛生管理は料理店の義務とも言えるからね」
「晋太郎の言う通りだ。健もちゃんと見習えよ」
「いや俺、別に衛生管理が悪いとかそういうこと言ってないよな!?」
よく言うよ。
昔梅雨に出しっぱなしにしていた煎餅を濡れ煎餅と勘違いして食べて、入院したことがあるくせに。
あっ、勿論うちじゃなくて健の家で起きた出来事な。
「それはそれとして斗真の腕、また筋肉ついたんじゃねえか?」
「んー? そうか?」
日頃から重い中華鍋や寸胴鍋を扱ったり、食材が詰められた段ボールを運んでいるから、自然と鍛えられちゃうんだよな。
お陰で体つきはしっかりしているけど、運動部に比べればそれほどでもないだろう。
「僕としては、筋肉がついているだけで羨ましいけどね」
筋肉のきの字も感じさせない自分と腕と俺の腕を見比べ、晋太郎は羨ましそうな目を向けてきた。
いや晋太郎、お前に筋肉は似合わないんじゃないか?
せめてもう少し堂々と出来ていれば、似合わなくもないと思うけど。
「晋太郎の場合は筋肉より先に度胸をつけろよ。人の目とか気にしないようなさ」
「おぉっ、健がまともなことを言った」
「どういう意味だ、それ!」
そのまんまの意味だ。
「そ、そう言われても、どうつければいいのか……」
特に視線を浴びているわけじゃないのに、自信の無さからオドオドして膝を抱えてしまった。
「だったら、うちでバイトするか?」
「えっ? 斗真君のお店で?」
「そうだ」
ホールで接客すれば、嫌でも度胸がつくだろう。
そうなれば、人前でオドオドするのも治るかもしれないし、女子とも普通に話せるようになるかもしれない。
「お、奥の方でひっそり皿洗いしていればいい?」
いや、なんでだよ。
そんなんで度胸がつくかっての。
「ホールで接客に決まっているだろ」
「むむむ、無理だよぉ。どうか奥の方でひっそり皿洗いで勘弁してよぉ」
この段階から既に度胸が必要なようだ。
うーん、親友ながらこの重症っぷりは心配になる。
「なんなら俺もやってやろうか?」
「健は駄目だ」
だって、絶対に女性客や瑞穂さんをナンパしそうだし。
お客様と従業員への迷惑行為駄目、絶対に。
「なんでだよ!」
「じゃあ仕事中、絶対に女性客や瑞穂さんをナンパしないって誓えるか?」
「……」
無言で目を逸らして悩むのが解答と捉えていいな。
まあ仮にこの場でしないって言っても、本当に大丈夫か疑わしいところだ。
「もしもそんなことをしたら、もれなく祖父ちゃんの雷が降り注ぐぞ」
「やっぱやーめた」
だろうよ。今までに早紀と一緒に何発も落とされているからな。
「でで、でも、バイトは探してみようかな」
「おっ、本気か?」
「う、うん。まずは始めてみるところから、踏み出してみる」
あの晋太郎が自分からこういうことを言い出すなんて。
親友として嬉しく思うぞ。
「頑張れよ。なんなら探すの手伝うからさ」
「その時はお願いするよ。あっ、でも接客以外でね」
バイトの大半は接客だから難しい注文だな。
「ちくしょう! 俺も探してやる、女の子が多くてナンパに寛容なバイト先をな!」
あるかそんなバイト先。
普通そんなことをすれば、即叩き出されるって分からないかな、この年中下心丸出しは。
今朝も今朝で、毎年やっている夏服に切り替わったのがどうこうって自論を教室内で高校初披露して、女子から白い目で見られたくせに。
そう思った直後、力説していた健の顔面に弾かれたバスケットボールが命中。
幸い大事には至らなかったものの、鼻血を出して保健室送りとなった
さすがは健、こういうのは外さないな。
とりあえず顔を見合わせて頷きあった晋太郎と、保健室へ向かう健の背中へ手を合わせておいた。
*****
他のチーム同士で対戦中だから端で見学していたら、なんだか男子の方が騒がしくなったわ。
どうやら誰かが怪我したみたい。
あら、間宮君が鼻を押さえて出て行くわ。
「なに? 間宮ってば怪我したの?」
同じチームだから一緒に端で見学中の咲ちゃんが、間宮君を見て気にしているみたい。
「よく分からないけど、鼻を押さえて出て行ったわ」
「えー? まさか運動してる女子見て興奮したんじゃないの? やーらしー」
普通なら冗談として一笑するところだけど、間宮君ならあり得るかもしれないわね。
初対面でいきなり私の胸元をガン見した彼ならね。
「さっき顔にボールが当たってた。多分そのせい」
あら、そうなの。
体育館を出ようとしている間宮君に不信な眼差しを向けていたら、同チームの月ちゃんが真実を教えてくれたわ。
良かったわね間宮君。
月ちゃんのお陰で、ただでさえ地に落ちて地中に埋まっていた女子からあなたへの評価が、さらに深く埋まらずに済んだわよ。
「なーんだ、そうなんだー。あっ、見て見て。桐谷と後藤が間宮拝んでる」
「違うわよ、咲ちゃん。あれは拝んでいるんじゃなくて、冥福を祈っているのよ」
「冥福って……。たかが鼻血なんだから、物騒なこと言わないでよ美蘭」
同じく同チームの瑠維ちゃんから、呆れながら言われちゃった。
さすが、こんな時でも真面目ね。
「にしてもさー、桐谷も後藤も本当に人が良いよね。あの下心大王の間宮と友達してんだからさー」
まあ、下心大王なんて言い得て妙ね。
「早紀も含めて、幼い頃からの付き合いだものね」
その中の一人に数えられる早紀ちゃんは、現在静流ちゃんのいるチームと試合中。
あっ、調子に乗って無茶なドリブル突破を仕掛けて転んじゃったわ。
すぐに起きたから大丈夫そうだけど、無理はメッよ。
「腐れ縁?」
「仲良くしているから、それは無いわね」
月ちゃんの意見を否定して、座って後藤君と喋る桐谷君を見る。
腐れ縁は縁を切ろうとしても断ち切れない、好ましくない関係を指すからやっぱり違うわね。
なんだかんだで桐谷君も後藤君も、間宮君との交流が楽しそうだもの。
ただ、彼の下心丸出しの言動だけは好ましく思えないわね。
「ていうかさー、美蘭達はどうなの? 桐谷との関係って」
「急になによ」
「べっつにー。気になっただけー」
ニカーと笑う咲ちゃんが、なんだかイクト君っぽいわ。
そう考えると無表情の月ちゃんは、ミコトちゃんっぽい?
「どうと言われても、普通に友達としか言いようがないわよ」
そうね、私も瑠維ちゃんと同意見ね。
桐谷君とは友達であって、それ以上でも以下でもないわ。
「なら、関係じゃなくてどういう目で見ているの、って聞かれたら?」
あらまあ、ここで月ちゃんが無表情で攻めてくるなんて。
意外な展開に瑠維ちゃんはちょっと驚いて、咲ちゃんは興味深そうにしているわ。
「それ、あーしも気になる! 秘密にするから教えて!」
さすがは咲ちゃん、この手の話題にはグイグイくるのね。
「早紀と静流は分かりやすいけど、二人は分かりにくいから知りたい」
確かに、あの二人の桐谷君に対する気持ちは分かりやすいわね。
早紀ちゃんは幼馴染、親友、気楽に接せられる気安い相手。
静流ちゃんは、恥ずかしいからと桐谷君の前ではあまり見せないけど、明らかに好意を持っている。
うふふ。二人が桐谷君をどういう目で見ているか、とても分かりやすいわ。
「んでんで? 美蘭と瑠維はどーなの?」
「どうと言われても、同じ常識枠の苦労人仲間としか見ていないわ」
あら、瑠維ちゃんは桐谷君をそういう目で見ているのね。
「常識枠? 苦労人?」
「主に早紀が振り回してかき乱した場を、落ち着かせるための同士って感じね」
あら、言われてみるとしっくりくるわね。
頭の中がフィーバーしやすい早紀ちゃんが引っ搔き回した場を治めるのは、大体桐谷君と瑠維ちゃんだもの。
同じ状況に立たされていても、静流ちゃんと後藤君はオロオロするのが関の山、間宮君はお腹を抱えて笑うぐらいでしょうし、私も早紀ちゃんらしい言動を微笑みながら見守るだけ。
苦労しているのは桐谷君と瑠維ちゃんぐらいだから、実にその通りね。
うん? でもそれって、私が常識枠じゃないってことかしら?
「苦労してんだねー、瑠維ってば」
「でも早紀の普段の言動を見ていると納得」
「でしょう? だから同士である桐谷の存在はありがたいわ」
あらー? やっぱり私ってば、瑠維にとって常識枠に入ってないの?
苦労人の同士じゃないと、常識枠に入れてくれないの?
少しショック……。
「それで、美蘭は桐谷をどういう目で見てんの?」
おっと、矛先が私に向いたわね。
だけど特に隠すことは無いから教えてあげるわ。
「私が桐谷君に対して向けている目、それは……」
「「「それは?」」」
「推しよ!」
「「「……」」」
あらら? どうして無言になるの?
「お、推し?」
「推しって、あれ? アイドルとか声優とかの」
「推し活とかいうやつの、推し?」
「そうよ!」
なんだ、分かっているじゃない。
分からなくて黙っちゃったのかと思ったわ。
「な、なんで推しなの?」
「うふふ。だって料理している時の桐谷君って、いかにも夢に向かって頑張っていて輝いて見えるんだもの」
そういう人は身近で他にもいたけど、その中で一番輝いて見えたのが他でもない桐谷君。
これはもう、推すしかないじゃない!
「これはもう、推すしかないじゃない!」
あらやだ、心の声と口にした声が一致しちゃったわ。
なんだか恥ずかしい。
「そ、そうなんだ」
「へ、へー。意外かもー」
瑠維ちゃんと咲ちゃんの反応がイマイチだわ、どうしてかしら?
「分かる!」
「「えっ?」」
「料理している時の桐谷君は、今まで見てきた夢を追う人達の中で一番輝いて見える!」
あらあら、無表情のまま珍しく自己主張する月ちゃんが私と同じ気持ちだったなんて。
「でしょう? だったら月ちゃんも一緒に桐谷君を推す?」
「具体的にはどうやって?」
「まずやるべきは、貢ぐことね」
「「「……はい?」」」
あら? どうして月ちゃんだけでなく、瑠維ちゃんと咲ちゃんもキョトン顔なの?
「ねえ美蘭、どうして貢ぐの?」
「対象の推しを応援するため、貢ぐのは当然じゃない!」
だけど真面目な桐谷君は応援のためって名目じゃ、お金とか食材を渡そうとしても受け取らないでしょう。
かといって桐谷君のグッズがあるわけじゃない。
だからUPOで食費名目でお金を、食材調達名目で食材を渡せると分かった時は密かに歓喜したわ。
遂に推している相手に貢げるんですもの。
あっ、勿論節度を守って貢ぐわよ。
身の丈以上に貢いで自分が破滅したら、元も子もないもの。
「当然、なのかな?」
「さー?」
「ああ、それでUPOで食費や食材を渡すときに貢ぐって言っているのね」
瑠維ちゃんが頭痛そうにしているけど大丈夫かしら?
「で、どうかしら月ちゃん。UPOを出来るようになったら、一緒にトーマ君に貢がない?」
「そこまでは無理。推すのはともかく、貢ぐのは美蘭に任せる」
あらま、残念。せっかく同士ができると思っていたのに。
だけど一人でも続けてみせるわ。
桐谷君、これからも頑張って貢ぐから良い料理人になってね。
「ねー。美蘭ってあーいう子だったの?」
「たまに何考えているか分からない時はあるけど、今回は極めつけだわ」
「瑠維が美蘭を常識枠に入れていない一端が知れた」
うん? 顔を寄せてボソボソと何を話しているのかしら?
私、何か変なこと言った?




