甘い一時
セカンドタウンウエストの町中をあらかた見て回った後、作業館にて昼飯用のパンケーキを焼く。
生地の作り方は公式イベントの時と同じ、卵を黄身と白身に分けて白身の方に砂糖を加えて魔力ハンドミキサーで泡立て、泡立ったら黄身と少量の水を加えて混ぜ、全体が黄色くなったら小麦粉を加えて泡だて器でざっくり混ぜただけのもの。
これを熱したフライパンで溶かしたバターで焼いてパンケーキの完成。
公式イベントの時に使ったプロリフィックオストリッチの卵じゃなく、普通の卵だから味わいも風味も劣るけど、十分に美味いし味見したイクトとミコトも美味いと言ってくれた。
そうして昼飯用にパンケーキを量産している様子を、正面に陣取ったイクトとミコトが身を乗り出して見物する。
「二人とも、危ないから下がれ」
「はーい」
「分かったんだよ」
注意を促すと素直に身を引いた二人を、傍で椅子に座っているセイリュウが微笑ましい表情で見守っている。
下の方が焼けてきたから、フライ返しで生地をひっくり返して両面をしっかり焼く。
「甘い香りが……」
「リアルで晩飯食ったはずなのに、腹が減った気分になる」
「おかしい、満腹度はまだ八割も残っているのに、何か食べたい」
甘い香りが漂っているせいか、周囲が騒がしい。
いや、正確には甘い香りだけじゃないか。
なにせ隣のコンロに置いた大鍋では、肉屋で貰った鶏ガラをタマネギやニンジンやネギやジンジャーなんかと一緒に煮込んで、鶏ガラ出汁を仕込んでいるからな。
パンケーキを焼きつつ鍋を確認し、焼き上がったパンケーキを皿に乗せて鍋から灰汁を取り、また生地を焼くといった流れを繰り返す。
「トーマ君、スープの味付けはどうするの?」
「できれば醤油にしたいけど、無いから塩一択だ」
個人的な好みで言えば、鶏ガラ出汁の味付けやラーメンにする時のタレには醤油を使いたい。
だけど無い以上は、有るものでなんとかするしかない。
「それと、出汁が取れたら前に作ったレギオンマッドザリガニの出汁と合わせてみようと思う」
勿論、出汁を全部使うわけじゃないから、ちゃんと単体も残しておくつもりだ。
「ダブルのスープだね。楽しみ!」
おおう、セイリュウの目がキラキラ輝いている。
しかも理解はしていないんだろうけど、美味そうと思ったのか満面の笑みのイクトと無表情のミコトも、正面からキラキラした目を向けてきている。
そんなに期待して、いざやってみたら期待外れでも知らないぞ。
美味い二つを合わせたからって、必ずしも美味くなるわけじゃないからな。
まっ、とりあえず今はパンケーキだな。
「ほいっと。これくらいあればいいかな」
それなりの枚数は準備できたから、仮にカグラがおかわりを要求しても大丈夫だろう。
だけど手持ちの卵は使い切ったから、どこかで買うかダルク達に獲ってきてもらう必要があるな。
さてと、鶏ガラ出汁の仕込みはまだ時間がかかるし、ダルク達からの連絡は入っていないから、空いたコンロでパンケーキの味付け用に練乳でも作るか。
作り方は砂糖を加えた牛乳を鍋でトロリとするまで煮るだけ。
一見簡単そうだけど、吹きこぼれないように火加減には気を配って、焦げつかないように混ぜなくちゃならない。
「ますたぁ、それもあまいの?」
「甘いぞ。これをさっきのパンケーキにかけるんだ」
「楽しみなんだよ」
できればジャムも用意したいけど、生憎とコンロが空いてないから今回は無しで。
「また何か作りだしした」
「一体、いつまで私達の作業を中断させるの」
「作りたい。でも下手に作業して香りに気を取られたら、失敗作を量産することになる」
おっと、メッセージが届いた。
双方の鍋を確認して火加減を調整したら、一旦手を止めてメッセージを確認する。
「ダルクちゃん達から?」
「いいや、天海だ」
なになに? 現実の明日、冷凍蜜柑達が暮本さんから教わったことを共有する集会を開くから、そこで現実で暮本さんから教わったこと教えてほしいだって?
いやいや。未熟な修行中の身で誰かに教えるなんて、そんなおこがましいことできるはずがないじゃないか。
いくらゲーム内のこととはいえ、修行中の身である以上、これは絶対に譲れない。
誰かに教えるのなら、自分ができるような腕になってからだ。
それに暮本さんの教えならいいよね、みたいな感じがあるけど、なんで暮本さんの教えだけ特別扱いしなくちゃならないんだ。
本職を志す俺にとって、現役の祖父ちゃんや父さんからの教えも、正しい情報なら本やネットで知った知識も大事なものであってそこに違いはない。
なのに暮本さんの教えだけを特別扱いするなんて、それは祖父ちゃんや父さんに失礼だ。
よって、これらを踏まえてこの話は断ることに決定。
とはいえ相手の心証を悪くしたくないし、今後の関係も考慮して、断りの文面には注意をしよう。
「天海さん、なんだって?」
「それがな」
一旦表示を消して鶏ガラ出汁に浮いた灰汁を取り、練乳を混ぜながら天海からのメッセージの内容と、それへの返事と理由を話す。
練乳と鶏ガラ出汁の仕込みをガン見しているイクトとミコトは聞いていないけど、ちゃんと聞いていたセイリュウは納得してくれた。
「トーマ君がそう思うなら、それでいいと思うよ」
「ん、ありがとな」
これが単純に集会への誘いで、することが料理談義や勉強会ならダルク達と相談したいところだけど、こういった話は正直乗り気がしないからな。
「あっ、ダルクちゃん達からのメッセージが届いたよ。ハチミツを入手したから、今から戻るって」
「分かった」
パンケーキは準備済みだし、バターはアイテムボックスにある。
練乳もいい感じに煮詰まってきたから、味見のために小皿へ移し、冷却スキルで冷やして味見する。
練乳 調理者:プレイヤー・トーマ
レア度:1 品質:5 完成度:76
効果:満腹度回復3%
HP最大量+10【1時間】
砂糖を加えた牛乳をトロミが出るまで煮込んだもの
ほどよい甘さでとても食べやすい
このままお菓子や果物にかけても、料理に使ってもいいです
甘さと濃さと風味は悪くない。少し煮すぎたのかトロミが強い感じがするから、すぐに火を止めて冷却スキルで冷やす。
中身を道中で買っておいた瓶へ移して鍋底を確認すると、焦げつきは無い。
それを確認したら味見を求めて身を乗り出すイクトとミコトへ練乳を乗せた小皿を渡し、天海への返信をする。
文面は相手への配慮もしつつ、自分の意見をしっかり書いておいた。
とはいえ、それをどう受け取るかは相手次第だから、どんな反応が来るか少し不安だ。
気持ちを落ち着かせるため、鶏ガラ出汁の様子を確認しつつ練乳を作った鍋を洗い、美味しかったという感想付きで返された小皿を洗っていると天海からの返事が届いた。
内容を確認すると、俺の意見を了承した旨と、無理を言ってごめんなさいという謝罪が書かれていた。
「天海さん、なんだって?」
「こっちの考えを分かってくれたよ」
少しホッとしたけど、なんか気にしているみたいだからアフターケアをしておこう。
あまり気にしなくていい、今後もよろしくという旨を書いて送信っと。
こっちはこれでいいとして、ダルク達が戻ってくるまでは鶏ガラ出汁の仕込みをしつつ、あれを仕込んでおくか。
取り出すのはストックしておいたバゲット。
これを乾燥スキルでさらに水分を飛ばしたら、ボウルの上でおろし金ですりおろしてパン粉にする。
「あっ、それって昨日ダルクちゃんが言っていたやつ?」
「そうだ。これでカツやフライも作れるぞ」
前に作ったコロッケのタネ入り春巻きもいいけど、やっぱりこうした衣がある方がいいからな。
尤も、今回のログイン中は揚げ物作らない宣言をしたから、使うのは次回以降になる。
そうして鶏ガラ出汁の確認をしながら仕込んだパン粉は、備え付けのボウルから手持ちの丼に移してアイテムボックスへ。
後は帰ってくるのをゆっくり待とう。
使った道具は片付け、椅子を用意して鶏ガラ出汁の仕込みを続けつつ待つこと十数分後、ダルク達が帰ってくるより先に鶏ガラ出汁の方が完成した。
鶏ガラ出汁 調理者:プレイヤー・トーマ
レア度:3 品質:8 完成度:91
効果:満腹度回復2% 給水度回復11%
風耐性付与【小・2時間】 俊敏+3【2時間】
鶏ガラと数種類の野菜を煮込んで作った出汁
灰汁を丁寧に取ったので色と同様に澄んだ味わい
それでいてコクはあるので飲んだ際の満足感もある
情報、色合い、香りは問題無し。
そして肝心の味を確かめるため、お玉で小皿に注いで口にする。
……よし。うちの店では豚骨も加えているから、それに比べれば大人しいけど旨味は十分にある。
白濁になるまで煮込む鳥白湯も考えたけど、やっぱり作り慣れた清湯の方がいいな。
さてと、露骨に味見したいと視線で訴える二人にも味見させるか。
「はいよ。熱いから気をつけろよ」
再度小皿にスープを注ぎ、イクトとミコトに手渡す。
「わーい」
「イクト、ちゃんとふーふーするんだよ」
そうそう。熱いから冷まして飲むんだぞ。
「おーいしー!」
「透き通っている見た目通りのあっさりした味わいだけど、しっかりした強さも感じる美味しいスープなんだよ」
『レエェェェイッ!』
『レッサーァッ、パンダアァァァァッ!』
具体性は無くとも、満面の笑顔で触覚とレッサーパンダ耳を激しく動かすイクト。
無表情ながらもしっかりと感想を述べて、両手でサムズアップするミコト。
どっちもありがとう。
だけどミコト、サムズアップする際にグローブを鳴らすのは余計だ。
香りにつられてこっちを見ている人達とセイリュウの表情が、一瞬驚いたものに変わったぞ。
「何度聞いても慣れないね、その鳴き声」
「そう? 実に良い鳴き声なんだよ」
『レエェェェイッ!』
『レッサーァッ、パンダアァァァァッ!』
苦笑いするセイリュウにそう返事をしたミコトの感性が、どうにも理解できない。
あと無暗に鳴らすなって、また周りが一瞬驚いたから。
そう思いつつ鶏ガラ出汁を布で濾し、出汁は一旦アイテムボックスへ入れて出し殻は処分する。
そして煮込みに使った鍋を洗い、別の鍋に牛乳を注いで弱火で温めていると、満面の笑みを浮かべるカグラを先頭にダルク達が帰ってきた。
「ただいまトーマ君! はいこれ、ハチミツね!」
浮かれているカグラが差し出したのは、何故か蜂の巣の塊。
そこからハチミツが垂れそうになっているから、急いでボウルを出して巣の塊を受け取ってハチミツを溜める。
「どうして巣なの?」
「そりゃあ、巣にハチミツを溜めているからでしょ」
一般的なハチミツの採取方法も巣から採取するから、ダルクの言う通りハチミツが詰まった巣をくれるのは分かる。
だからといって、巣をそのまま渡されるとは思わなかった。
どうやらフレッシュビーは、大きくて人語を喋るだけでなく豪快なモンスターのようだ。
「驚いたわよ。対価の野菜を渡したら。ハチミツたっぷりの巣を持ってくるんだから」
「そんなことして、巣は大丈夫なのか?」
「フレッシュビー曰く、巣はまた直せばいいから気にするな、ですって」
いやまあそうなんだろうけど、だからって巣を引っぺがして持って来られたら驚くって。
常識人枠のメェナが、理解はしていても納得しきれていない表情になっているぞ。
「それでトーマ君、パンケーキは?」
「もう準備してあるぞ。ついでに練乳も用意しておいたから、欲しければかけてくれ」
「欲しい欲しい! たっぷりかけたい!」
飛び跳ねるほど喜ぶカグラの胸元が大きく揺れている。
こういうのは見ないのがマナーというもの。
雑念が入らないよう、まだ垂れているハチミツをボウルへ入れるのに集中。
やがて垂れてこなくなったら、念のためボウルに溜まったハチミツの情報を確認しておく。
フレッシュハニー
レア度:2 品質:3 鮮度:73
効果:満腹度回復3%
フレッシュビーから貰ったハチミツ
しつこさの無い食べやすい甘さが特徴
お菓子に掛けたり紅茶に混ぜたりだけでなく、料理に使っても美味しいです
内容からして現実のハチミツのような、ボツリヌス菌への心配は無いみたいだな。
交換のために渡した野菜や木の実の品質や鮮度によって、ハチミツ自体の品質や鮮度も決まるって話だから、数値としてはこんなものなんだろう。
「さあトーマ君、早くパンケーキ食べましょう!」
「落ち着け、飲み物を用意するからもう少し待て」
ハラスメント警告が出そうなほど迫るカグラを宥め、温めた牛乳を火から下ろして人数分のコップへ注ぐ。
ここへ匙で取ったフレッシュハニーを加えて混ぜ、ハチミツホットミルクの完成。
ホットハニーミルク 調理者:プレイヤー・トーマ
レア度:2 品質:7 完成度:90
効果:満腹度回復1% 給水度回復14%
魔力消費軽減【微・2時間】 風属性強化【微・2時間】
フレッシュハニーの甘味が利いたホットミルク
軽く温めた程度なので、猫舌でも安心して飲めます
甘くまろやかな味わいにホッとしてください。ホットだけに
最後のシャレは余計だぞ、説明文。
それはさておき自分の分で味見すると、確かに甘くてまろやかな味わいに気持ちが落ち着く。
さあ、味見は済んだから早く準備をしよう。
でないと、早く早くと急かすようにソワソワしているダルクとカグラとイクトとミコトが暴走しかねない。
というわけで、出来立て熱々な状態で皿に乗せたパンケーキをアイテムボックスから出し、トッピング用にフレッシュハニーとバターと練乳を並べ、飲み物としてホットハニーミルクを添えてナイフとフォークを置く。
「さあ、食ってくれ。トッピングはこの三つを好きに使ってくれ」
「ありがとう! いただきます!」
「「いただきます!」」
「いただきますなんだよ」
真っ先に反応したカグラにダルクとイクトが続き、少し遅れたミコトの後に俺とセイリュウとメェナも食べ始める。
「ん~、あまーい!」
幸せそうに食べるカグラだけど、フレッシュハニーと練乳をこれでもかとパンケーキにぶっかけている。
牛丼の汁でいうなら、汁ダクどころか汁ダクダクってぐらいに。
「このハチミツ、すっごく食べやすくていくらでも食べられるよ!」
そう言ってバクバク食べるダルクは、バターを塗りたくってフレッシュハニーをたっぷりかけている。
カグラほどじゃないにしても、掛けすぎじゃないか?
「はちみつ、あまくておいしー!」
「しつこさの無いすっきりした甘さが、素朴な味わいのパンケーキにとても合うんだよ」
両隣で食べているイクトとミコトはバターと練乳無しで、フレッシュハニーだけをかけている。
俺とセイリュウはバターを薄く塗ってフレッシュハニーを少しかけ、メェナはそれに少量の練乳も加えて食べている。
「パンケーキ、祭り……!」
「あそこにジャムがあれば完璧じゃない?」
「私としては、チョコレートソースやヨーグルトソースが欲しいわ」
こっちではまだ甘いものは珍しいのか、周囲がざわついている。
だけどこれは俺達の昼飯だから、大金を積まれようとも脅されようとも食べさせない。
「ハチミツ入りのホットミルクも合うわね」
「なんかお昼ご飯っていうより、朝ご飯かおやつみたいだね」
それは言うなダルク。
これは昼飯、昼飯なんだ。
自分にも言い聞かせるように心の中でそう呟いた後、これからの予定を尋ねる。
午後はダルク達は町の外へ出て、朝に赤巻さん達から聞いた川へ魚を釣りに行くそうだ。
そして今夜はセカンドタウンウエストに泊まり、明日はサードタウンウラヌスを目指しつつ、これも赤巻さん達から教わったフルーツトレントやトライホーンブルを狩るとのこと。
「ウラヌスといえば、前にダルクが行ったことがあったな」
「まあね。初のタウンウエストが発生したのに、皆がログアウトしちゃった時にね」
だって仕方ないじゃないか。
あの時、俺は店の手伝いがあったし、カグラとセイリュウとメェナはお前の家から帰らなくちゃならなかったんだから。
「だったら道案内はよろしくね」
「まっかせて! バッチリ案内するよ!」
自信満々に胸を叩くけど、ダルクの場合はそうやって自信がある時の方が不安だ。
中学時代、試験前にしっかり勉強したと言っては範囲を間違えたり、その勉強がヤマを張ることでそのヤマを外したりしていた。
当然ながらカグラとセイリュウとメェナもそれを知っているから、どこか不安そうにしている。
「念のため、私達の方でも情報を集めておきましょうか」
「そうね」
「賛成」
「なんでさっ!?」
納得できない様子で叫ぶダルクだけど、これまでの経験則からいえば当然の対応と言える。
そんな様子を眺めつつ、自分の午後の予定を組み立てる。
まずは料理ギルドへ行って貢献度を上げるために依頼を受けて、その後は鶏ガラとレギオンマッドザリガニの合わせ出汁の試作と晩飯作り。
晩飯は合わせ出汁が上手くいったらそれを使って、上手くいかなかったら鶏ガラ出汁を使って塩ラーメンを作る。
それと料理ギルドで買えるようになった、レッドバスの切り身かタンポポシープの肉で一品作ってみるかな。
勿論、事前に単体の味見をしてからな。