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28.「旅立ちの日」

 トントンと扉を叩くと、「入れ」と声が掛かる。


「こんな日にまでお仕事ですかー? 勤勉ですね」

「こんな日だから時間作るために朝早くからやってんだよ」

「大変だなぁ」

「くそっ、他人事だと思って……」


 彼は口を開きながらもペンを走らせる。


「で、何の用だ」

「様子を見に来ただけですよ、最後なので」

「気色が悪いな」

「ひどいなー」


 石ころだった時はあんなに大人しかったのに。


「まぁ、俺もそう思うんですけど、俺が頼まれたのは、きらりとあなた、二人の事ですし。仕事は最後までやろううかと」


 彼の筆先が止まった。


「ミアが……オレの事を?」

「そんなに驚く事ですか? あの人は、この島が、あなたが嫌で出て行ったわけじゃないですよ」


 彼は固まって俺を見ている。


「次にあの人に会ったなら、“ヘタレは元気そうだった”とでも伝えておきますね」


 そう言うと、ようやく彼はくすりと表情を崩した。そうか……と、また一つ、肩の荷が下りたように、雰囲気を和らげた。


「……あぁ。“いつまでも待っている”と、付け加えておいてくれ」

「やだよ気持ち悪い。自分で伝えろよ」

「うるせーそれが出来ねーからお前に……もう何でもいいや」


 それではと、部屋を去ろうとすると、彼が何かを思い出したように、少しにやけながら、口を開く。


「お前、きらりとはどこまで行ったの?」

「……ぱぱうざーい」

「誰がパパだ」



 部屋に戻ってくると、仕切りの反対側の少女は、ベッドの上に座り込み、ただぼうっと窓の外を眺めていた。

 そこには長らく過ごした裏庭がある。見慣れた海と空がある。


「早めに支度しとけよ」


 彼女はゆっくりと振り返る。


「きのーのうちにしといたからだいじょーぶ……」

「意識の準備が出来てないねこれ」


 くいくいと手招きをされ、彼女のベッドに近づく、と、引っ張られ、彼女の胸元に頭を突っ込んだ。彼女の匂いの沁みついたパジャマに顔を埋める。柔らかい、彼女の温度を感じる。そのまま頭を抱き締められ、撫でられる。


「……あの、しずくさん?」

「ごほうび」

「……ごほうび? 何の?」

「おしえない」


 ぱっと、彼女の手が離れたので、名残惜し気に身を離した。


「ねぇふーくん」

「何だよ」

「きらりんとちゅーしたって本当?」


 ……。


「嘘だよ」

「本当だって事はきらりんから聞いてるから誤魔化さなくていいよ。どこまで行ったの?」

「急に起きたな」

「……」

「いや……そのそれはああいうあれじゃなくて、きらりが色々あったお礼に何かしたいって言ってでも返せるものが無いからって話の顛末なのであって」

「ふーくん」

「はい。何でしょう」


 彼女は、窓の外を向いて言う。


「私は、勝手に付いていくから。その……二人の、邪魔になっても」


 少しいじけたような、寂しさが混じったような、静かな声と、決意だった。


「勝手に付いてくるなら、邪魔も何も無いだろ」


 振り返った、彼女の瞳は揺れていた。


「邪魔じゃ……無いんだよね、私も……一緒に居てもいいんだよね」


 その頬を、むぎゅうと挟んだ。


「勝手にしろ。お前が良いなら、俺はいい」


 優しい言葉は送れなかったが、きっと、この熱は伝わったのだろう。


「うん」


 それを聞いた彼女は、にこやかに笑った。



「私が教え子たちの門出を見送る事になるとは、なんだか感慨深いですね」


 ここは大陸側の港。俺たちと、わざわざここまでついて来たきらりの保護者の皆様。


「まぁ、もうすぐ私も島出るんですけどね。折角ですし花吹雪でも散らしましょうか」


 彼が手をすぼめて振ると、パラパラと花びらが舞い散る。


「疲れるので今日はこんだけですね」

「その言葉が無ければ普通に綺麗凄いで終わったんですけどね」


 彼が姿勢を改め、俺たちに向き直る。


「世界は広いですよ。あなたが思うよりも。あなたが回り尽くすよりもずっと。冒険は楽しい。分かち合う仲間がいるなら、さらに」


 先生はソロですけどね、と言い掛けた言葉を呑み込んだ。


「存分に見て回ってください。決して、死ぬ事だけはない様に」

「はい」

「それでは皆さん、お元気で」


 港は綺麗に石が積まれ、平らな土地が出来ている。俺の立っているのは、その外、土の地面の上だ。

 彼は一歩、あちら側へと身を退いた。


「きらりっ!」


 と、カレンがきらりを抱きしめる。


「いつでも、帰ってきていいからな! いくらでも待ってるからな!」


 きらりもぎゅうと抱きしめ返す。


「うん……カレンも、カレンももう、この場所に……オレに縛られなくていいんだよ?」

「……違うぞきらり、ここがオレの故郷なんだ。ここがオレの居場所なんだよ。お前に縛られてここから出られなかった訳じゃない、オレは居たいからここに居たんだ」

「……うん」

「帰り、待ってるからな……!」

「うん……!」


 強すぎるくらい強く抱きしめて、離れて、彼女もまたあちら側に引いた。

 そして、落ち着いた渋い声が、猫の姿から発される。


「達者でな」

「……うん!」


 オオヤマネコのテスは、不器用にその一言だけを告げた。


「きらり!」


 最後に口を開くのは、アルトさんだ。


「何か困ったらいつでも呼べよ! 世界の果てでも駆け付けて何とでもしてやるからよ!」

「分かった!」

「しずくちゃん! きらりの事、色々頼んだぞ!」

「任された!」


 任せるのそいつかよ。


「それからはやて!」


 色褪せる事の無い、輝く金眼がオレを貫いた。


「きらりを泣かせたら許さねーからなー!」

「俺だけ脅しかよ!」

「じゃあなばかども、元気でなー!!」


 近いのに叫ぶなうるせーな。


「それじゃあ行くぞ」

「……うん」


 きらりは後ろ髪を引かれるように、何度も振り返る。海街の皆は、姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。

 俺たちの前には何処までも続く一本道。土を踏む足音は三人分。

 俺たちは歩き出した。



 そこは、かつては魔王城。勇者が魔王を打ち倒し、出来た更地に積み上げた、勇者が治める魔王城の海街。


 禍津鬼という生き物がいる。人を襲い、時に人に味方する鬼が居る。彼らは人との間に子を成すが、それが人とは限らない。時に彼らは人を襲う鬼となり、その多くは、最も近しい人に手によって殺されてきた。

 魔王は禍津鬼であった。勇者も禍津鬼であった。勇者は魔王が広げた悪評を拭い、禍津鬼の人界での居場所を築き上げた。その象徴こそ、彼が島に築いたかつては魔王城の海街。

 魔人の勇者が治める彼の地では、人と鬼との区別なく、人間たちが仲良く平和に暮らしているという。


 そして近頃、海街の勇者の彼に娘が生まれていたという。娘は勇者に憧れて、島の外へと飛び立ったという。


 そして彼女は今——



 *



 扉を控え目に叩く音がして、開けるときらりが居た。


「今時間ある?」

「あるよ」

「……しずくは?」

「風呂。聞かれたらまずい話なの? 行ったのは今さっきだから、まだしばらく帰ってこないと思うけど」

「ううん……まぁ、どっちでも。入っていい?」

「ご自由にどーぞ」


 彼女は迷いなく歩いていき、ベッドに飛び込んだ。


「そっち俺のベッドだけど」

「知ってる」

「止めろ臭い嗅ぐな」


 枕に顔を埋めすーはーしだしたきらりを引き剥がす。


「で、何の用だ」

「用が無かったら、来ちゃダメ?」

「面倒くさいこと聞くな」

「そういう事ストレートに言っちゃダメなんだよ」


 彼女は俺のベッドの上でペタんこ座りになる。近くに椅子を引き寄せ俺も座る。


「で、何の用だ」

「お礼をと思って」

「何の?」

「色々あったし、それ全部というか。あと、改めて仲間に入る儀式的なのも」

「そんなもんないが」

「そうなの? じゃあオレが作るね、手始めに――」

「ただお前が俺を好き勝手したいだけだろうからやだよ」


 彼女は、俺の枕を胸に引き寄抱える。


「はやて」

「なに?」

「ありがとう」

「おう」

「オレを助けてくれて。パパを助けてくれて。皆を助けてくれて」

「おう。……まぁ、助けたって言うか、助け合った感じだけど」

「あの日だけじゃ無い。この島に来てからずっと、オレは、はやてに助けられてきたから。ねぇ」


 きらりが距離を縮めてくる。


「どうしたら、オレははやてに恩を返せる?」

「要らないし、そんな大した事はして無いよ」

「体ならいくらでも好きにしていいよ」

「それお前が好きにされたいだけ……」


 彼女はふふと笑う。


「はやてが喜んでくれるならどっちでもいいよね」


 彼女はネコのようにのそのそと近づくが、胸元の緩い服だったので目を逸らす、だから反応できなかった。

 気が付くと、彼女の顔が目の前にあって、ぎゅっと瞑った彼女の眼、細いまつ毛が目の前にあって、柔らかい何かが唇に押し当てられていて。彼女の息が顔に当たる。

 ぱっと離れる、唇の濡れた所が少し冷たく感じるのは、直前まで温かいものが触れていたから。


「はやて」

「……なに」


 彼女はもう、何の衒いもなく笑う。


「好きだよ」

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