4.「片鱗」
がさごそっ!
「魔物です!」
ぐしゃあ!
「流石ぁ!」
木陰から突如現れたイノシシの魔物は、膨らんだ純真の尻尾の蕾でひと殴り。おいおい瞬殺だよ。
「日も暮れてきたし、そろそろ夕ご飯にしますか」
血肉骨皮肉肉肉。解体の間に、雫と純真が頑張って火を起こしていた。お姉さまは寝てた。
「ん? お前、何か出てないか?」
と、見れば純真から、桃色の、煙のようなものが。
「疲れたら出てくるの」
あー……廃熱処理的な?
「有害な物じゃ、ないだろうな」
「私は平気よ」
「お前から出ているならばそうだろう。私たちにとって有害かどうかだ」
その言葉に純真は押し黙る。
「触って見ていい?」
と、雫が聞く。
「……え、ダメ、危ないものだったら」
「なら、なおさら確かめてみないと」
純真が雫に詰め寄られ身を退くが、逃げられない。雫はそのまま、立ち上る桃色の煙に触れ……びっくりしたように手を引っ込めた。
「しずく、どうした?」
「……へ?」
「何があった? 体は大丈夫? 手は?」
「え、いや、うん。だい、大丈夫」
「何があったの?」
「……え、いぃやその一瞬だったから! 何も分かん……なかった」
……んー?
「俺も確かめてみるね」
「ま、待って! ふーくんはダメ!」
……え、俺がダメ?
「私ならいいのか?」
「えっ……いや、おねーさんもダメかも」
「じゃあ俺が確かめます」
「ふーくんはダメ!」
「なんで?」
純真の目が不安げに揺れる。
「私が確かめる」
言い出したのは純白。
「……近寄らないで」
「ふん、その煙、どうせ碌でもない効果でも」
純白がそれに触れ、ぱっと手を引っ込める。
「お姉さま、何がありました?」
「……私に聞くな」
えぇ……。
「それは体に害のあるものですか?」
「害はない……と思うが」
純真はなおさら不安そうに聞いてくる。
「……ねぇ、何があったの? 教えてよ」
「……自分では分からないのか?」
「効果を感じたことは、無いから」
「……」
お姉さまも黙っちゃった。純真は、今にも泣きだしそうに、
「じゃあ俺も」
「ふーくんはダメ!」
「二人とも何も喋らないなら、俺が確かめて彼女に教えるよ」
「ふ、ふーくんはとにかくダメ。……私が、教えるから」
雫が純真の元に行き、耳元でこそこそと喋る。
「えっちな煙?」
「ぶっ!」
「ななんで言っちゃうの!?」
なるほどね。そりゃ俺は聞いちゃいけないし触れちゃいけないね。怖くて純真の顔が見れないが、純真当人は、意外にも平然と、俺に向けて聞いてくるには、
「えっちって、どういう意味?」
「俺は川で手を洗ってきますね解体で手が汚れていたので!」
「近寄らないで」
「……俺が怖い?」
「……自分が嫌」
戻ってくると一人、純真は焚火の輪から離れて座っていた。
「その体質は、君の性質を表すものじゃないよ」
俺の言葉が届いた様子はない。雫がつんつんと純真を突く。
「ねぇねぇ、もっかいあの煙出して?」
「……どうして?」
「いーから」
純真が尻尾を膨らませ、その辺の木々をなぎ倒した。南無三。また桃色の煙が彼女から滲み始め、その体を、雫がきゅっと抱き締める。
「……私に、変なことするの?」
「違うよー」
雫が、ぽんぽんと彼女の背を叩く。
「私は大丈夫、あなたのその煙に触れても。私はあなたを嫌いにはならないし、避けたりもしない。ね、だからあっちに戻って、一緒に座ろ?」
「しずく……でも」
純真が純白に目を向けると、ぶっきらぼう言い放つ。
「私の意思はそんなちんけな煙で左右されない。一々気になどしないさ」
「……」
そして純真の目が、俺にも向いた。
「あぁ、俺は大丈夫じゃないと思うのでしばらく離れていでぇ!」
ぼたぼたと、お姉さまの足の間に、白い泥が落ちていく。
「出来そうですかー?」
また一つ手に枝を取って、それは瞬く間に白い泥へと変異していく。まるで蝋細工でもあったかのように、枝が溶けるのは一瞬だ。彼女の手は泥だらけ。
さっきから、流れ出るその力が周りに及ぼすのを制御しようと、練習しているのだが。
「……つまらん」
「諦めます?」
純白は黙って再び手を伸ばし、練習用の枝を手に取り、溶かし、そして白い泥だまりを広げていく。
と、いつの間にか四人の中心に少女が立っていた。魔女のような帽子をかぶり、四人の中心には焚火がある、その素足は焚火に突っ込んでいて……ぐずぐずと、肉の焼ける臭いが……え?
こいつは誰——
瞬く間に全て終わっていた。……いや、俺の意識が途切れていたのか? いつの間にか見える景色は変わり、俺の視点は空中にあった。見下ろせば銀の触手が胴に巻きつき、浮いた足が宙を掻く、背中に激痛が走る、俺の体は木に固定されており……何だ、何が起こった?
蛸のような、水銀のような、廃油のような虹色を表面に滲ませた銀色の触手が、俺の体を固定していた。それは、それらは、突然現れた少女の服の中から生えている。膨大な量の触手が、その魔女からは生えていて。
その一本は純真の左胸にも生えていた。それは丁度膨らんでいる所で、やがて膨張を止め、萎んでいき、触手が抜けた後には、真っ黒な穴だけが残った。
「……な、なん、何を、お前」
「あれ、起きてたの?」
「ど、どうして彼女を」
その少女は平然と俺に話しかけてくる。
「知ってる? 私たちは大事な物は体の中に隠すの。簡単に取り出せるから」
純真から抜けたその触手の先には……鍵。
「それ、だけの為に……彼女を」
「忘我お兄様の鍵を奪ったんだもの、少しは懲らしめてあげなくちゃ」
全身から力が抜けていく、頭の回転が、ぎしぎしと軋んでいく、純真が、純真が、俺が呆けていたせいで、純真が——
「そんなに落ち込まなくても。死んで無いし」
「……え?」
触手に掴まれ、振り回され、純真の真上に吊るされた。目の前には純真が居て、彼女の心臓が在るべき場所には大きな穴が開いていて……あれ? 服の穴よりも、体に開いた穴の方が……小さい? 見ていれば、それは徐々に塞がってきている……治っている、のか。致命傷の筈のそれは、有り得ない治癒速度で埋まってきている。
「あなた、そんなにこの子が大事? この子の色香に惑わされたのかしら。ふふ、面白いね」
「……目的は、鍵だけか」
「うん。興味の無いものは置いてってあげる。今は。それじゃあまたね」
二度と来るな。彼女の体が水銀のようにどろりと溶け、虚空に消えていく。なんだったんだ……今のは。
落とされた俺は、よろよろと純真の傍に移動した。ゆっくりと上下する彼女の胸を眺めながら、静寂に浸っていると。
「終わったか」
振り向けば、気を失った雫と、それを背負ったお姉さまが居る。
「こっちの少女を頼む」
自分で歩けるんですねとか雫を抱える力あるんですねとか純真には触れてはダメですよとか言いたい事が詰まった挙句、何も言えないうちに、
純白が純真を抱き上げる。
「お姉! 様……」
白い泥に、純白の触れた箇所から純真の体が変わっていく……事は無かった。
「言っただろう、すぐに出来るようになると。……どうした、私は眠い。さっさと戻るぞ」
純真の穴から漏れ出す鮮血の赤が、純白の衣を汚していく。純白は、汚れを厭う事は無く、壊れ物でも扱うかのように純真の体を抱いて、焚火の元へと帰っていった。