22.「一応」
「ふーくん。私って子供作れるの?」
「……」
飲みかけていたお茶が彼の口から零れだす。
「はい、ハンカチ」
「あぁ、ごめん……今なんて?」
「私って子供作れるの?」
「……保健の授業、聞いてた?」
「……秘跡? みたいなやつの代償で、私の成長が止まったなら、私は子どもは作れるのかなって。思って」
あぁ、そう言う事と、彼は目を細める。胸元から琥珀色、中にオーロラの輝きを閉じ込めた勾玉を取り出し、一瞬力を籠め、渡してくる。
「自分で聞け。師匠の方が詳しい」
原理はまるで分からないが、通信機のようだ。これも魔道具とかいう奴なのだろうか。
“……今度は何だ。また危急の用で無かったら、金輪際君からの連絡は——”
「空ちゃん、聞きたい事があるんだけど」
仏頂面の声に割り込んだ。
“……しずくちゃん? はやてはどうした、また倒れたか”
「ふーくんに質問したら、空ちゃんの方が詳しいって」
“……僕は辞書でも無いぞ。……何が聞きたい”
「私って子供作れるの?」
“……いわゆる、第二次性徴と呼ばれる――”
「そうじゃなくて。私の秘跡の代償が、何とか」
“……あぁ、“天の書”の代償か”
彼女は答えをすんなり教えてくれる。
“産むのは難しくなる”
「……」
“君のそれは、現象に対して払うべき代償が極めて軽い。君が名を上げて世界中のケガ人を治して回る、なんて使い方でもしない限り、そこまで進むことも無いだろうけど”
「うん……うん? じゃあ大丈夫……なの?」
“心配は要らないだろう、君の体が本来然るべき段階まで成熟しているのなら、ほぼね。完全に望めなくなる、とはいかないまでも、産むまでの時間が人より掛かる、かもしれないが。知らなければ、それが秘跡の代償によるものだったと分かるかどうか”
「わ、分かりやすく言って」
“余程無茶な使い方をしない限り産めなくなる事は無いよ。安心したまえ”
「……そっか」
“だからと言って、無制限に使っていいわけではないぞ。僕としては、極力使わない事をお勧めする”
「……うん、ありがとね、空ちゃん」
“……僕は君より年上なのだが……まぁいいや”
空ちゃんの声音は一旦変わる。
“ところで、なぜそんなことを聞いて来た? 君たちにはまだ早いぞ”
「別にまだ作らないしふーくんと作るとも言ってないし」
“僕もそこのバカが相手だとは言ってないが”
「……」
“彼の方はどうだい? また勝手に秘跡を使って無いだろうな”
「勝手にも何も一回も使えないんですけど」
ふーくんがぼやく。怪しかったけどね、使えてたら。
“もしもの際は以前のように君の体液を飲ませるといい。少しの間だけ、秘跡の進行を緩和してくれる。決してゼロにはならないが”
ふーくんの動きが止まる。そう言えば初耳だったか。
「……その以前とやら、俺知らないんですけど。俺また知らない間に何かされた?」
「分かった。右腕一本くらい食べさせれば十分かな」
“やめろ。洒落にならない”
いや、流石にしないし。必要が無ければ。
“聞きたい事というのは、それで終わりか?”
「うん。ありがとねー空ちゃん」
さよならの言葉も無しに通信が途切れ、透明な勾玉に宿っていた光が萎んでいく。
「はい。ありがと」
いまだ固まる彼がぐぎぎと手を動かし受け取った。
「……何で、そんな事気になったの?」
「聞きたい?」
「……」
へっ、チキン野郎め。
*
「ふーくん!」
横たわる彼に躊躇わず魔法を使う。天から輝く水滴が滲み出し、彼の体に落ち、ぼんやりと光が覆う。
彼は隠れ島の一角で倒れていた。島の地面は荒れているが、彼らの倒れるそこだけは、綺麗の整っていた。まるで台風の目のように。
「ふーくん! ふーくん!」
命に支障は無いのだろう、見えていた傷は血塗れの腕だけだ、それももう無い。治った、という事は生きている……良かった。
「しずくさんすみません、援護をっ!!」
彼が言い終える前に、輝く水滴は先生に降り、欠けた彼の体を埋めていく。
彼が向かい合って戦っているのは黒い人影。黒い霞が触れた箇所は全て、抉り取ったように消えていく。
ヨウ先生が言うには、あれがアルトさんだという。
「っぐぅ!!」
黒い霞に抉られ、体の中身すら見えるほど欠損したカレンに、空かさず滴を届ける、すると瞬く間に傷は消えていく。
先生が言うには、カレンと、大猫のテスが向かい合ってる方のあの黒い影が、きらりんらしい。
海上で怒号と衝撃が迸る。薄い、透明な板を駆け、千匹の銀の群れの相手をしているのは、前に聞いた千鳥とかいう奴だろう。穢れた銀色の球殻は宙を舞い、呑み込むもの全てを塵と化し、蠅のように、騎士王隊の彼らに襲い掛かる。
小さな島の周囲で繰り広げられる戦いの状況は、至ってシンプルだ。禍津鬼対人類。見境なく人を襲う彼らを、私たちが止めている。
そして戦況は最悪だった。
「どうなってるのこいつら!! いくら撃ち込めば動かなくなるの!?」
「グルルァァァァアアアアアアア!!!!」
「きらりっ!! 目を覚ませっ!!!」
「アルトさん自我を取り戻してください、アルトさん、アルトさん!!!」
チルチルチルチルチルチルチルチルチルチル――!!!!!
嵐のような怒号の群れをかき消すのは、遠くで擦れる、耳障りな千鳥の音。
「ぐぅっっ!!」
「音魔導士の“咆哮”!! “咆哮”!! “咆哮”!!!」
「ァァァァアアアアアアアアア!!!!」
敵に疲労の色は見えず、ただこちらだけが削れていく。誰も死んでは無い、私の治癒魔法があるから。だが魔法を使い続け、私の意識は朦朧とし、汗も冷えてくる。
倒せる見込みは無かった。あの二人が元に戻る兆しも、見えなかった。
経緯は分からない。ここに来た時点で二人とも、いや三体ともに、“暴走”していたのだ。
人を襲う禍津鬼に対して、取れる手段は一般的には一つだという。
殺すしかない。誰かが殺される前に。
「……っが!!」
また一つ、先生の体に穴が開き、輝く雫が先生に降り注ぎ、体を癒し、私の体は冷えていく。
戦況は最悪だった。私たちはただじりじりと奴らに削られていった。柱は私の治癒魔法で、それが無くなったらみんなはすぐに死んじゃって、けれど恐怖か寒気か私の手先はかじかみ、意識もぼやけてくる。
「ふーくん!!」
戦況は最悪だった。倒れ伏す彼に、縋りつくしかないほどに。
「ふぅ……くん……」
腕から彼が滑り落ちる、その上に、私の体は倒れたらしい。