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20.「決戦」ii

「待て!! バカ止めろ!!」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――!!!!!!」


 くるくると彼女の体の周りで渦を巻く、黒い力の流れは、彼女の体に吸い込まれていく。一度出したものが、彼女の体に戻って行く、のではない。あれは血から滲み出す力、放出の際に体を蝕み、そして取り込む際にも体を蝕む。彼女はその黒を体内で循環させ、急速に侵食させている、彼女の体を、より禍津鬼に近い方へ、より鬼へ近い方へ。人を喰らい、犯し、蹂躙する、理性なき鬼の方へと。

 とっさに放った彼の魔法は、せいぜいその影を一瞬揺らがせた程度だった。


「……ぁぁ……あぁ……」

「きら……り……?」


 返事は無かった。もう、黒い霞が晴れる事は無かった。顔は見えなかった、黒い靄が彼女の顔を覆い尽くしていたから。真っ黒に染まった彼女がそこに居た。

 次の瞬間、もうそこには居なかった。


「があっ!!!!」

「……っどうしてだよ!!!」


 彼女は彼に食らいついていた、両者は組み付き、その腕を伝って黒い霞が彼の体に伸び、蝕む直前に彼がその体を蹴り飛ばす。獣のように、彼女は地に四肢を喰い込ませ滑っていく。


「やはりお前は”負の禍津鬼”だった!! そのことが分かっていながら!! どうしてこの島に戻ってきた!! オレに殺されることが分かっていながら!!! どうしてこの島に!!!!」

「ぁぁぁあああああああああ!!!!」

「答えろきらり!!!」


 極彩色の光が彼女を襲う。次々と、暗闇が塗りつぶしていった。

 ”負の禍津鬼”。人を襲う禍津鬼の総称。禍津鬼には正負があり、負であれば人を襲う。正ならそうではない。その割合は、負が八、正が二割。

 ”正の禍津鬼”から、正の遺伝子がそのままに受け継がれる割合は八割。つまり、人の世で生きる禍津鬼から生まれる子供たちは、二割の確率で人を襲う、“負の禍津鬼”となる。

 魔王は”負の禍津鬼”であった。勇者は”正の禍津鬼”であった。二人は出会い、戦い、勇者が生き残った。勇者は荒れ果てた島の上に街を作り、やがて、一人の可愛らしい女の子が生まれた。


「お前はあの魔王と同じだ!!! どうしてオレはまた!!! 俺の家族を!! 殺さなきゃいけないんだ!!!!」


 魔王をその目で見て、その手で倒した彼は、娘の中に、魔王と同じ負の片鱗を見出していた。

一度、“負の禍津鬼”に転位した彼らを元に戻る事はない。”負の禍津鬼”は殺すしかない。二度と魔王を生み出してはならない。魔王の芽を見逃してはならない。それを、彼は誰よりも知っていた。

 知っていたから、彼女を鳥かごの中に閉じ込めた。


「お前が……お前がどうにかしてくれるんじゃなかったのか、はやて!!!」


 そしてある日、島に旅人が訪れた。彼は賢者の弟子を名乗った。その少年は知っていた、禍津鬼の事も、正負の遺伝子の事も、娘の事も。もう逃れる事は出来なかった。娘は自ら、破滅の道へと向かって行った。


「どうして黙って見ている!!! お前が、お前が——」

「お前はどこ見てんだ!! きらりから目を逸らすな!!」


 娘は鬼の血に触れ、蝕まれた。彼はよく知っていた、その姿を。人を襲う鬼の姿を。魔王の姿を。彼は知っていた、それと相まみえた時、己がどう動くかを。

 世界の平和の為。皆の平穏を守る為に。勇者は魔王を倒すだけ。


 勇者が次々と虹の光を繰り出した、虹の光から、数多の現象が生み出された。大地を砕き、空を裂き、風をねじ切り、鬼を撃つ。鬼は衝動のままに地面を跳ねまわり、勇者に向かって飛びかかる。

 獣と化した彼女と彼の差は、依然として歴然だった。歴戦の勇者と、目覚めたばかりの鬼。結果は明白だった。


 潮風がそよいでいく。音は止んだ。


 もう騒がしい音はしなかった。鬼は地に伏せ、勇者がそれを踏みつける。鬼の体はボロボロで、足を退ける余力もなく、虚しい闘志の残り火だけが聞こえていた。

 彼が鬼に手のひらを向けた。それが、恐らく最期の一撃だった。放たれた最期の一撃が、体を大きく抉った。


 彼の体が、力なく地面に倒れた。幾百幾千もの禍津鬼を屠り続けた彼の体は倒れ、よろよろと鬼が起き上がる。

 遠くで海鳥が鳴いている。

 鬼が倒れた勇者を見下ろした。勇者は仰向けに倒れていた。勇者は最後、目を逸らすことなく鬼を見ていた。


「お前の好きな所へ行け……好きな所へ行って、好きなように生きろ。お前の、好きなように……オレの、負けだ……」


 頭を撫でようと、覚束ない手を伸ばした彼の頭に。鬼が拳を振り下ろす、死の一撃は。

 触れる直前で止まった。


 勝敗は決した。そう判断し、すぐさま彼の元へ駆け寄る。


「大丈夫ですか? まだ生きてますー?」

「……あぁ……?」

「無事みたいですね。致命傷では無いですが、すぐにしずくに治してもらいましょう」


 体の感覚が戻っていないのか、彼は掠れた声を上げ、頭を上げるのみだ。


「あれ……おま……え……? なん……きらりは……」

「きらりなら、そこに居ますよ」


 彼女は自分の足で立っている、とは言えふらふらだ。きらりの方は自然治癒でも治るだろう。倒れ掛かった所を、受け止め、優しく地面に下ろした。


「二人とも無事です。そして勝ったのはきらり。良かったですね。これで万事解決です」


 霞が徐々に晴れていく、鬼の血に体を任せていた彼女は、しかし人を殺す事は、勇者に、アルトに止めを下す事は無かった。鬼の血に全てを呑まれてすら、彼女はもう理性を失わない、その証明を、彼女は今、してみせた。

 黒い霞の中から、やがて彼女の顔が見える。意識はもう無いようだ、安らかな、無垢なきらりの寝顔が見えた。


「……まぁ、いいか」


 彼も、彼女の顔を見て、肩の力を抜いた。



 彼は寝っ転がって青い空を見上げる。状況さえ鑑みなければ、呑気なものだ。


「そろそろ体の痺れは取れました? きらり持ってくので精いっぱいなんで、自分で歩いてもらわないと困るんですけど」


 彼がゆっくりと肩を上げ、しかしすぐに、力なく下ろしてしまった。


「……無理そうだ」

「根性なしですね」

「うるせぇ……」


 悪態をつく元気はあるみたいだ。


「手、抜きました?」

「……抜いてないさ、全力だった」

「勇者の全力を、きらりが上回ったと?」


 きらりは強い。強かった。強くなったが……しかし、アルトを上回るほどではない。そう見ていたのだが。


「勇者なんて……いつの話だ……机仕事ばかりですっかり体は鈍っちまったさ」

「言い訳ですか? カッコ悪いですよ」

「お前な……」

 

 ふんと彼は鼻を鳴らす。


「……聞こえてなかったのか? オレが生きるより、そいつが生きる方が……良いと思っただけだ」

「あなたの目には、この子は魔王に見えていたのでは」

「魔王にだって生きる権利はあるさ……殺される責任も、あるがな……」

「そんなんで、生きてて幸せなんでしょうか」

「さぁな……それは、そいつ自身が決める事だから……俺自身がどうこう言うのはもうやめだ……そんな権利も、元々……」


 彼が、彼女の寝顔を、羨ましそうに見つめた。


「すまねぇ……眠い……一旦、寝ても……」

「いいんじゃないですか? お昼寝には、いい天気ですし」


 空を見上げる。吸い込まれそうなほどに深い青空だった。


「もう、やるべき事も、ここには無い」

「そう……か……」


 そして、彼もまた、夢の中に落ちていく。すぐに安らかな寝息を立て始める。目尻に宿った険は今は取れ、その寝顔は、腕の中の彼女とそっくりだった。


 静かな島の上だった。再びの戦いを終え、島は目も当てられないほど荒れていたが、今は静かな海の上。潮風が鼻をくすぐる。水飛沫が揺りかごのように鳴っている。海は静かで、格子の波が緩やかにすれ違うだけ。

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