19.「決戦」
たとえ何が起こっても、私の事を最後まで止めずに見ていて欲しい。
そう約束して、俺はここに来た。
ここは旧魔王城跡地。元々厳しい傾斜の付いた孤島だったのだろうが、魔王討伐時の戦いで荒れ、残骸降り積もるなだらかな平地の島となっている。頂上の尖った部分だけを上から叩き潰したように。
周囲は海、一面の青だ。空まで真っ青で、太陽は俺たちを見守ってくれるつもりのようだ。足の付かない揺れる水面が島の周囲を埋めている。
島の上には二人、向かい合って立っている。金髪金眼、黒いローブはお揃いだが、片や挑戦者、片や勇者。少女の瞳は揺るがない。父親の瞳は未だ不安に揺れるが、彼女の覚悟に合わせてすぐに定まるだろう。
「二人とも、準備はよろしいですか?」
「あぁ」
「うん」
「ルールの確認をしますね。武器手段何でもあり、降参した方が負け、させた方が勝ち。一対一の真剣勝負です」
二人とも、得物は剣では無いが。
「それでは始めます。用意——」
二者が色を纏う。片や塗り潰すような漆黒、片や色とりどりの虹の光。
「始めっ!!」
途端、彼女は黒に染まった。髪も瞳も、その皮膚の一部さえも黒に侵食され、凶暴な敵意が瞳に宿る、その彼女が。
瞬間、業火に覆われた。赤……いや、目も眩むような白熱の炎球、当たれば無事では済まない……普通の人間ならば。
炎の下に、潜り込むような影がある。炎の下に影などできる訳もない、あれは彼女、漆黒を纏った彼女だ。背中を焦がすはずの炎は黒い霞が喰らい、炎を潜り抜けた彼女が走り出す、彼の方へ。
一撃で仕留められるなんて、彼も思っていなかったのだろう、惑う事無き第二射、第三射の魔法が、彼女の軌道を襲う。烈風が彼女を吹き飛ばし、紫電が彼女の体に伸びようとするが、それは瞬く間に黒い霞がかき消した。
「アルト・バーストっ!!」
彼が掲げた手のひら、その矛先に爆風が生じる、それもまた、彼女の髪一本すら揺らさない。全てあの破壊の霞が塗りつぶしてくれるから。
遂に肉薄された、彼の顔に映っていたのは、笑顔だった。
「っはははははは!!! やるじゃねーか!!」
魔法使いは遠距離主体、そんな常識を彼は持たない。魔法格闘という特殊な戦法は、他ならぬ彼が広めた概念だ。速攻、近距離発動、そして自身の魔法が掠った程度では何のダメージも追わない丈夫な体が、その戦法を可能にする。接近戦こそ彼の華。そこに、彼女は飛び込んだ。
今までと比ではない、極彩色の光が次々と生まれ、現象となって二人を襲う。赤い光から烈火が生まれ、青い光からは水球が生まれ、水色の光が周囲を凍らせ、緑の光が砂塵を撒き散らし、紫の光が迸る紫電を生む。彼は五大属性魔法の使い手、その全てに優れ、通じている。
一方で彼女は中距離主体、優れた身体能力と纏う霞は近距離戦も可能にするが、卓越した彼の技術には遠く及ばない。霞は全てを受け止めきれない、漏れ出た光が彼女の体を襲い、また霞自身も時折彼女の体を掠り、蝕んでいく。
戦況は彼が優勢だった。彼女が劣勢だった。
「どうしたっ!! もう終わりか!!!」
途端、彼女の体を纏う黒の靄が……晴れた。いや、解けてしまったのではない、彼女が意図的に解いたのだ、あれは前兆、自信から溢れる力を一点に注ぎ込むための兆し。
それは、秘跡“魔術”——
「“混沌を(ケイアス)”!!」
彼の後方に黒点が生じた。小さな、小指の先にも満たない小さな一点だ。この晴れ空の下においてさえ、一切の光を持たない不気味な黒だ。数拍の後、それは膨張し、掻き消える。ブラックホールのように周囲を球形に刈り取り、ぱらぱらとその残り滓だけが風にそよいでいく。彼の姿は既に無かった。
入れ替わるように彼女の後方に回り込んだ彼が、その背中を蹴り飛ばす。
「ぐっ!!」
人並でない膂力を持つ魔人の一撃だ、普通の人間なら致命傷にも足り得る。同じく魔人である彼女でも、体が吹き飛び、衝撃は殺すものの呻く程の威力で。
彼女は膝に手を着き彼を睨む。
「はぁ……はぁ……!」
「もう終わりか? ちげーよな」
魔人の“魔術”。竜脈の“魔法”。性能で言えば遥かに前者が上回る。彼女は魔術主体であり、彼は魔法主体の戦法なのだから、使う術だけで比べれば、圧倒的に彼女が軍配が上がる筈なのだ。
しかし、息を切らしているのは彼女。
経験に及ぶものは無い。魔王を打ち倒したほどに、磨き上げられた彼の魔法に、敵う術を今の彼女は持っていなかった。
「……“世の理を——」
「使わせねーよ」
手のひらを彼に掲げた瞬間、彼女の体を光が襲う、彼女は避ける事を避けられず、詠唱は途切れる。
「まさか、オレの前で長々と呪文を唱える気じゃ無いよな」
「っアルト・ブリザード!!」
水色の光が大地を走り、凍て付かせ、彼の体に直撃する。彼女は魔法も使えるのだ、彼のように。……もちろん、彼のそれと比べれば、児戯に等しい威力だが。
白い霧の向こうに、顔色一つ変えず佇む彼の姿があった。
「もう一度言うが、これで終わりじゃねーよな」
「……っ!」
「……なぜ戻ってきた」
地鳴りがした。否、海鳴りが、海から、巨大な蛇が鎌首をもたげるように姿を現していた、否……それはただの海水の塊、竜の如き水の流れが海から這い出、頭上から彼女の体を襲う……これはこの地の属性、“水流”の魔法か。
避けられない、黒い霞で削り切れない、圧倒的な質量の濁流が彼女を襲う。飛び散る飛沫からもそれが分かる、滝のような水柱は地上で砕け、その周囲に逃れていく。
「……かはっ!! ごほっ、ごほっごほっ!!」
「なんでわざわざ戻ってきた!! 戻ってきたのは、オレを認めさせるんじゃ、無かったのか!!」
よろよろと、彼女は立ちあがる。その姿はずぶ濡れで、惨めで、襤褸雑巾のようにも思えた。
「……っ何とか言ったらどうだ!!」
「逃げねぇよ!!」
彼女の高い、綺麗な声が響いた。意志の強い、鋭い声が響いた。
「もう逃げねぇんだよ! これはオレの、大事な事だから!! てめぇがぐちぐちと不安を抱えたまま、オレはこの島から出ていけねぇから!!」
大事なことにまで手を抜いてしまったら、オレには何も残らない。そう言って、彼女はこの島に帰る事を選んだ。だから俺たちは島に帰ってきた。
「……っだったら――」
「うるせぇ!! まだまた始まったばかりだろうが!! 図に乗ってんじゃねぇよ!!」
「……もう手なんて!!」
「黙って見てろ!!」
彼女はその両目で鋭く彼を睨んだまま、その場に佇んでいた。その体から、うっすらと、靄のような黒が滲み出ていく。
「……お前、それ!!」
「ぁぁぁああああああああ――!!!!!」
「待て!! バカ止めろ!!」