13.「空威張り」
「ただいまー」
屋敷に戻ると、モップを持った給仕服のカレンが出迎える。
「おかえりー」
「……ただいま」
「お、今日は起きてんな」
「……」
「ん? どうしたきらり」
彼女は居心地が悪そうに目を逸らす。
「……別に、何も」
「おー、そーか。髪と目はまだ黒いまんまだな」
「……おう」
「黒髪も似合うなー。やっぱ地がいいからなー」
「……うん」
カレンの前では大人しいなやみりん。
「じゃあ仕事があるからまた後でなー。あ、料理のリクエストがあるなら聞くぞー」
「……何でもいい」
「そーかー」
「……カレンの料理は、何でも美味しいから」
「えへへ、ありがとなー」
彼女の姿が向こうに消えた。
「おいおいカレン相手だと随分殊勝じゃ無いですか」
「あ?」
「何でもないです」
首に手を回されてる状態なので発言には気を付けよう。
部屋に戻るまでの道で、彼の後ろ姿を見つける。
「おーい、パパー」
「誰がパパだ」
彼が嫌そうに振り向き、意識のある彼女を見て、体を強張らせる。
彼も、彼女も何も言わない、沈黙が続いた。
「大丈夫ですよ」
「……」
「術の使用直後から安定してます」
「……本当、か?」
恐る恐る、彼が彼女の方を見る。
「……きらり?」
反応が無かった。彼女は顔を逸らし、彼の視線から逸れようと頻りに身をよじっている。くいとせがまれ、掴んだ手を離すと、彼女が足を下ろした。そのまま……ずるずると床にへたりこむ……確認すると息が荒い、
「きらり! おいどうし——っ!」
「静かに。慌てないでください」
床に座った彼女に目線を合わせる。
「大丈夫。何があっても、俺が止めるよ」
彼女は息を荒げる、睫毛を震わせて、
「……おい、やっぱり制御なんて出来て——!」
「アルトさん!!」
抑えきれず声を荒げ、彼を睨み返した。
「どうしてそんな目できらりを見るんですか!!」
「……っだが――!!」
「娘でしょう、あなたのっ!!」
大声の後、空いた沈黙に、彼女の喘鳴が廊下に響く。
「……今は離れていてください。大丈夫です、すぐに落ち着きます」
「……」
「お仕事も忙しいでしょうし、俺に任せて大丈夫ですよ」
彼は何かを言おうとしていたが、言葉が見つからなかったらしい。小さく、「すまない」とだけ言って、この場を去って行った。
「飴食べるー?」
手のひらを見て、ぱしんと払われた。ころころと地面を転がる。
「……石じゃねーか」
「おいおい雫の大事なコレクションだぞ、丁重に扱えよ」
「何食わせようとしてんだよ」
空色の石を彼女の机に置いた。彼女が横たわるベッドの傍に椅子を引きずり座る。
「……あっち行ってろよ」
「残念ながら監視役を兼任しているんですよー。やみりんの寝顔が合法的に見放題なので」
「……お前の前では寝ない」
「起きて俺とお話がしたいの? 嬉しいなー」
彼女が俺から視線を逸らし、天井に向いた。そのまま、ゆっくりと口を開く。
「怖くないのか……オレが」
「そんなかわいい顔と声ですごまれてもねぇ」
「真面目に答えろ」
「俺は強いからね」
「……強かったら……怖くないのか」
……。
「どうだろうね。知識があると、人間は臆病になるから」
「知識があるから……怖いのか」
「そうだね」
「じゃあ何のために、知識を増やすんだよ」
「怖さを紛らわせるためじゃない?」
「……お前の言ってる事は、さっぱりだ」
「君は勇敢なんだろうね」
彼女がのそのそと体をよじり、あっち側を向いた。
「……臆病だよ」
か細い声だった。窓から入り込む潮風が、かき消してしまいそうなほどに。
「背中から、抱きしめてあげようか?」
ちらと、視線だけ寄越した。
「やってみて」
「……」
体が止まった。
「……臆病者」
「……いや、違う違う、今の間は……あれだから、その、しずくが帰って来たら見られたら色々と誤解が生まれるかなぁって」
「軟弱……風見鶏……骨なしチキン……」
覚束ない声だった、彼女の目蓋は、ゆっくりと閉じていく所だった。
「“過去が積み上がるほどに怖いものさ。大きな成功をした人間ほど、多くの失敗を知っている”」
“視える過去と未来に縛られて、動けなくなってはいけないよ”。