9.「個別授業」
「皆さん、おはようございます」
繰り返す波しぶき。いつもの砂浜。
「先生腕大丈夫ー?」
「えぇ。しずくさんが居てくれたおかげでピッタリ元通りです。隻腕孤高のヨウなんてカッコいい二つ名を考えていたのですが、無駄になっちゃいましたね」
彼は呑気に言う。
「せんせーそれ孤高じゃ無くてぼっちやで」
「孤高です。それにしても良くあんなもの覚えてましたね。どうして隠していたんですか?」
あぁ、それなら、
「俺が口封じしてたんですよ。人を集めても困るので」
「確かに、回復系の魔法にしては効果が高すぎましたね」
「代償もあるから、片端から治して回ったら、しずくの身が持ちませんし」
「代償? あの魔法の代償は、確か老化の抑制では無いのですか?」
なんであんたが知ってんだ。雫が振り返って俺を見る。
「そうなの?」
「しずくさんは知らなかったんですか?」
「……何で、先生は知ってるんですか?」
「昔、同じような魔法を使う知り合いが居たので。“これで婚期を逃しても若いままだ!”と、むしろ喜んで使っていたような」
「ほんとだよ! デメリットないじゃん! ふーくんの嘘つき!」
こうなるから教えてなかったんだよ。
「確かに年を取らなくなるのは魅力的かもしれないけど、肉体の固定化が進むことによるデメリットはまだまだ未解明で……」
「……?」
「……師匠曰く、“必要があれば渋るな、ただし極力使わせるな”って」
「空ちゃんが? じゃああんまり使っちゃダメかー」
俺の言う事も素直に聞いてくれると嬉しいんだけどね。
と、そうだ、きらりが話に置いていかれていた。
「きらりにも説明しとくと、しずくはほぼ完璧な治癒術が使えてな。致命傷以外は全て元通りにする優れものなんだけど、効果が高すぎて、広まると面倒な事になる。きらりにも極力秘密にしておいて欲しいんだけど……きらり?」
きらりは固まって、ただじっと、ヨウ先生の腕を見ていた。
絞り出すように、きらりは声を発した。
「……せんせい……うで……」
「はい、腕ならこの通り。元気ですよ」
「違う……そうじゃなくて……オレ……先生の腕傷つけちゃって、先生を……先生を!」
「大丈夫ですよきらりさん。しずくさんが綺麗さっぱり治してくれましたし、ほら」
「でも! ……ごめん……なさい……っ! 先生にはいっぱいお世話になって、それなのに……っ!」
きらりはまた、ぽろぽろと泣き出した。一方で、彼の表情は平常運転だ。きらりの正面に来て、腰を屈めて視線の高さを合わせる。昨日は殺されかけたというのに、彼女に対して物怖じ一つしていない。図太い。
「そう言えばまだ言ってませんでしたっけ。きらりさん、私は別に、あなたの為に家庭教師をやっているわけではないのですよ」
「……?」
何を言い出すのかと、彼女が涙に濡れた顔を上げる。
「私がこの島に来たのは、とある方へ貰った恩を返すため。それは一生を掛けても返しきれないほどの恩です。その過程で腕の一本や二本を失う事は、大したことではありません。命を奪われたら怒りますけどね」
「……でも」
「あなたが昨日私を襲ったのは些細な事。むしろ、あの人の娘の反抗期にしては、緩いくらいでしょうか」
「でも……先生……っ! オレ……っ!」
「私は気にしていませんよ。あなたが気にするかどうかはまぁ、自由にしていいですが。あなたがどうしてもと割り切れないというのであれば、ご馳走でも奢ってくれれば私は嬉しいですね。腕は一から再生したので、栄養が足りてない気もしますし」
あれは体内の栄養分から肉体を生成しているわけではないので気のせいですね。
「だから、大丈夫ですよ」
先生が、彼女の頭を優しく叩いた。
彼女は先生にしがみ付き、しばらく泣いていた。
「それじゃあ先生、俺たちは人の居ない所に行くんで」
「私は構いませんが……本当に大丈夫なのですか? あなただけで」
「無策でこんな事言いませんよ。愛用の武器が届いたんです」
「そうですか……」
笑いながら振り返る。
「きらりが魔術を使いこなせるようになったらまた三対一で相手してください、その時に見せますから」
「しずくさんの反則的な治癒魔法、きらりさんの魔術、それに匹敵する強さをはやてさんが手に入れているのなら、謹んでお断りしますが」
「再戦しますからね。ボコボコにされた仕返ししますからね必ず」
「まぁ、とは言え所詮あなた達なのでいいですよ。楽しみにしておきましょう」
この先生は本当に……。
「では、しばし頼みましたよ」
「はい」
舟に揺られて少し。大陸側の砂浜にやってきた。ここなら人も居ない。
「じゃあきらり、始めるか」
懐からそれを出す。白い包帯が持ち手の部分に巻き付いた、尖った石片だ。包帯の端を解き、手のひらに巻き付ける。
「……それ、なに?」
「さそりのしっぽ」
正式名称“リャクナの飛槍”。
解いた瞬間、巻き付けていた巻き発条のように包帯がたわみ、先に付いた尖った石が宙を舞う。緩やかな円を描き、俺の背後に持ち上がり、安定する。それは、まるで蠍の尻尾のように。
「な、なにそれ」
「師匠が作った謎武器。この包帯の部分に力を入れると」
くいと持ち手を捻ると。ゴムのような、シリコンのような包帯に力が伝わり、反響し、意思ある生き物のように包帯がたわみ、反動に耐えながら手を固定していれば、先端の尖石がきらりの顔の隣の空を貫く。ふわり、彼女の金髪が揺らぐ。
「帯の部分が自在に動く」
「なにそれ」
「力を籠める強さや角度で帯の形が変わるんだ」
分布の仕方がめちゃくちゃだから、普通の人にはまず扱えない、ほぼ俺と師匠の専用武器。
「へぇ……なんか、凄い武器なんだね……」
「普通の人が使うとまぁ、ただの綺麗な石のナイフなんだけどね」
再び特定の方向、特定の強さで力を籠めると、包帯が鋼線のようにたわみ、しゅるしゅると腕に巻き着き、石が手元に戻って来る。
「尾のない蠍が持ったなら、比類なき攻撃の手を得る。安心するといい、もし君が暴走したのなら、瞬きもしないうちに君の意識を刈りとるから」
「ただいまー」
「おや、はやてさん。どうでしたか?」
背中に乗せた彼女を振り返る。鮮やかな金髪は先まで黒にくすんでいる。
「今日もダメでした」
「そうですか。まぁ、次は上手く行きますよ」
「そうですね。……ところでしずくは、何してるんです?」
見れば彼女は砂浜に突っ伏している。その脇には透明な石の山が。
「大地と一体になる練習ですか?」
「そんなものはありません。彼女は魔力回復に魔石が使えると聞いたらしく、大量に持ってきたのですが、多大な精神的苦痛が伴う事を知らなかったみたいで、まぁそれでも頑張って数回魔力が空になるまで魔法の練習を続けてたんですが、案の定ぶっ倒れましたね」
「止めてやれよ」
また無茶な方法を。
またも白い呑気な海鳥が彼女の頭を止まり木にしている。