8.「失敗してから」
「へー、ここが本当の魔王城ねー」
見上げると、彼が段差を降りてくる所だった。
「……どうして、ここが分かった」
「君の居場所? それとも結界で隠されたこの島の事? カレンに聞いたよ。姿が見えないならここだろうって」
「……」
彼は高い所から見渡す。そこからはきっと、屋敷のある島が見えている。陰になったここからは見えない。
「島は二つあったのか」
「……あっちは、パパが魔法で作った人工島」
「さらっとやべーこと言ってんな」
ここは日の光が薄い。太陽は島の反対側で、この辺りは岩や城址の凹凸の影となる。彼の表情も、私の表情も、きっと暗くてよく分からない。
「……何しに来た」
「特に用はないけど。一人だと危ないしね」
「オレを……殺しに……」
「その気はないよ。君のお父さんが来たら、俺は君の方に付く」
「……」
「あの人も、今は落ち着いてる」
ぽとり、ぽとり、滴が落ちる。
「オレが……オレが悪いんだ……全部オレが……」
「血の衝動ってのは、大変だね」
「違う、オレの意志で! オレがみんなを! みんなを……」
「まぁ、みんな無事だし良かったんじゃない? 君も含めて」
「オレは!」
振り返って、見えた彼の目には、真っ黒に染まってしまった私の髪と瞳が映る。父親譲りの鮮やかな金色は、真っ黒に塗り潰されていて。
「どうすればいい……どうして、どうして……」
「もう一回やってみればいいんじゃない?」
「っそんなこと! 一回失敗したのに!」
「次は出来る。きっとね」
「オレは! オレは皆を傷つけて! また!」
「今回はみんな無事だった。なら、次回はもっと安心さ」
「そんなわけない! ……嫌だ、怖い……オレは、みんなを、みんなを……」
私は、全てを台無しにしてしまいそうなあの感触をまざまざと思いだし、体が動かなくなる。
「なら二人きりで練習する?」
「……」
「二人なら、傷つける皆は居ないからね」
「……でも……はやてが……」
「大丈夫。君じゃ俺を傷つけられない。……実は秘密兵器が届いてね、今なら暴れる君でも止められる」
「じゃあ……して」
「え?」
「じゃあ、殺してよ! オレを!」
「その時が来たらね」
「……約束」
「約束が欲しいの? 仕方ないなぁ……」
彼が俯く私の顔を挟み、上げさせた。彼の瞳が鋭く私を貫いた。
「俺は君に誰にも傷つけさせないし。君に俺を傷つさせない。もし君が自分を失った時には、君が誰かを殺す前に、俺が君を殺す」
だから安心して暴れるといいと、彼は続ける。彼の言葉が、深く、心に刻み付いた。
「これで大丈夫?」
「……絶対」
「うん」
「絶対、だから」
「分かってるって」
「絶対……」
彼に体を預け、意識は急速に薄れていく。
*
「ただいまー」
「どうだった?」
部屋に帰って来て、しずくはそこに居た。
「今は疲れてぐっすり」
背中の、軽くて重い、温かい感触を振り返る。寝ている表情は安らかだ。
「そっちは?」
「みんな治したよ。みんな無事。誰も、跡も残らずにね」
「さすが」
きらりを雫のベッドに降ろす。
「しずく、ベッド借りるよ、しばらく」
「いいけど……どうするの?」
「これからは、出来るだけ離れないようにするから」
まだ彼女が目を覚ますことは無かった。何もかもを忘れたように、無垢な表情で寝息を立てている。
「一緒に寝るの?」
「一緒の部屋でな。まぁ……冒険者なら、野宿とか同じだし、部屋が同じくらいは……」
いい……かなぁ? 最近感覚が麻痺して来ている。そんな事を言ってる場合では、もちろん無いのだけど。
「私も一緒に居る」
「却下」
「私なら、きらりんを止められるよ」
「そうか。今日もやってくれると良かったんだけど」
「……」
「お前ときらりを隔離するってわけじゃ無い。四六時中一緒に居るのは、俺だけで十分って事。今はね」
「……私も一緒に居る」
「好きにしろ。きらりの寝相がいいといいな」
「寝相は……あんまり良くないけど」
彼女の髪を侵す黒は、少しずつ先の方から抜けてきている。起きる頃にはその髪や瞳の色、粗雑な口調も、元に戻っている事だろう。
「……ねぇふーくん」
「なに?」
「きらりん……きらりんは……」
彼女はしばらく言葉を探していたようだが、結局、何も見つからなかったらしい。
「私は……きらりんの事が、好き、だから……」
「そうか」
「私は……」
宙ぶらりんの手の平が、艶やかな黒髪を優しく撫でた。
ぴくり、僅かな身じろぎを感じて目を覚ます。
「起きた?」
仕切りの向こうに行けば、寝ぼけまなこで周りを見渡す彼女が居る。
「ここは……」
「俺たちの部屋」
「うん……」
窓からは月明かりが差し込む。暗い部屋を照らすのはそれだけ。くきゅるると小さく鳴る。
「お腹空いた?」
「……うん」
「食堂に行くか。カレンが、残してくれてるはずだから」
屋敷から、外廊下を通って本棟に行く。やけに涼しげな潮風が吹き付ける。
「優しいね」
「なにが?」
「……そういうとこ。しずくもそう……」
彼女は少しずつ語る。
「しずくはオレに優しくて、いっぱい優しくしてくれて……どうしてオレなんかにこんなに優しくしてくれるのかって、不安になる、そわそわする……いつ、裏切ってしまうんじゃないかって」
聞こえるのは歩く音と俺たちの声だけだ。聞く者は他に居ない。
「好きなんじゃ無いの?」
「好き……オレが……オレの、どんなとこが……」
「さぁね。可愛いとことか?」
「可愛い……見た目の、事?」
「知らない。本人に聞いて」
「それもそうだね……うん」
食堂に着いた。覆いがされた器を見つけて彼女の前に出す。そのまま一人、彼女は食べ始める。
会話が続くことはなく、ぽつり、ぽつりと僅かな言葉が投げられるのみ。
そうしているうちに一人の来訪者が現れた。
「盗み聞きですか?」
問いかけると、姿を現す。
「……心の準備をしてただけだ」
「随分遅くまで起きてますね」
「お互い様だろ」
「俺はきらりの連れ添いで、今さっき起きましたよ」
「……」
彼の視線がきらりに向いて、きらりもゆっくりと、彼を見返した。
先に目を逸らしたのは、彼だった。
「……はやて、話がある。面を貸せ」
「しばらくはきらりから目を離せないので。ここでお願いします」
「……ここじゃ無理だ。きらりには聞かせられない」
「きらりの話でしょう? きらりに聞かせられない話なら、聞きませんけど」
「……」
彼は俺と彼女の間で視線をさまよわせる。
「……きらりの、処遇の話だ」
「どうするんです?」
勇者である彼は魔王の芽を見逃せない。父親である彼は娘を殺せない。在るべき姿に彼は挟まれ、どっちつかずのままで居た彼が、出した決断は。
彼は、ゆっくりと口を開いた。
「……お前に、任せる事にした」
「……」
「……オレが出した決断じゃきっと……どうあがいても、きらりの為には――」
つかつかと駆け寄り、彼の頬を思いっきり殴った……つもりだったが、頑丈な彼は少し眉をひそめたくらいだ。まぁ少しだけ気は晴れたからいい。
「そうですか。ではきらりの事は。俺が責任を持って」
「……」
「話はそれだけですか?」
「……あぁ」
彼はそれきり何も言わずに、この場を去って行った。
「どうして……そんなに怒ってるの?」
彼を殴りつけた拳を開くと、まだわなわなと震えていた。