2.「四重螺旋」
「……おい、なぜそいつが後ろに居る」
純白が、後ろに増えていた少女を指さす。黒いドレスに身を包んだ華奢な女の子だ。彼女は純真という。
「私はそいつに襲われ逃げてきたのだぞ」
「仲間にしときました」
「しときましたじゃないが」
「そんな事よりそろそろ自分で歩きません?」
「足が汚れるからやだ」
「その為に人類は靴という便利なものを発明したわけですが」
「靴はやだ」
我がままだなこの野郎。
暗い森の中、紛れるように潜む水流を見つけた。手を浸せばひんやりと冷たく、光の反射が無ければ気づかない程に透き通り、静かに流れている。水底の色鮮やかな水草が綺麗だ。水筒に水を汲んでいく。
「おねーさんは、何でそんな格好してるの?」
「何かを身に纏うのは苦手でな」
限度がある。下着と靴は履け。と、純真が近づいてくる。
「何も身に付けてないの?」
「こっこら、めくるな」
「そんな格好してるあなたが悪いわ」
どちらも悪いと思います。俺の後ろで何やってるんですか?
「身に纏うのが苦手って、何か理由があるんですか?」
答えるまでには間があった。
「……一枚、葉っぱを取ってくれ」
「お腹が空いたんですか?」
「君は私を何だと思っている」
一枚木々から若葉を拝借し、背中の純白に渡す。
「見ていろ」
後ろから伸びた純白の手のひらを見つめる。手のひらに、ただ葉っぱが乗っているだけ……と思えば、じわり、じわり、まるで燃え尽きるかのように、緑の葉っぱを端から白が侵食している。溶けている、葉っぱの周囲に白い泥が付き、ぼた、ぼたと彼女の手に落ちていく。
「こういう事だ。私に触れれば、大抵の衣服はダメになる。君たちも、出来るだけ私に触れない方がいい」
やがて葉っぱは跡形も無くなり、白い泥だけが残った。
「俺が触れている間は大丈夫ですよ」
「……そうなのか?」
「避雷針みたいなもので」
ぺしぺしとせがまれ、しゃがみ込むと彼女が手のひらを流水に浸す、白い泥が水にほどけていく。
「お姉さまに触れる時には、俺としずくは触れても大丈夫ですが、そっちの真っ黒少女は注意してくださいね」
「頼まれても触れないわ、ばっちいから」
純真が即答した。
「おいおい、薄汚れたお前が触れて汚れるのは私の方だろ。くれぐれも私に触れるなよ」
「手しか洗わないの? 全身浸さなくて大丈夫? 水で落ちるとは思わないけれど」
「お前も……いや、お前は洗わない方がいいか。汚れを落ちきるまで洗い続ければ、後には何も残らないだろうからな」
一瞬の沈黙の後、
「ちょっ、押さないで! 俺まで落ちる!」
「そもそもお姉さまのそれがだだ洩れなのがいけないんですよ」
ぱちぱちと火が爆ぜる、地面に数本の串と、そこに刺さった魚。滲み出した脂が滴り落ちると、一瞬だけ炎の勢いが強まる。
「違う」
「違いません。完璧に制御してください。偉大なんでしょ? お姉さま」
「おいおい余裕に決まってるじゃないか今までは不要だったからしてこなかったがやればすぐ出来るからな」
「街に着くまでには勿論できますよね」
「街までどれだけかは知らないがすぐ出来る今出来るほら出来」
彼女が手に持った焼き魚の、串の部分が溶けて、重力に引かれて地面に落ちた。べちゃっと。
「……」
「哀れね」
「それ、食べていいぞ小娘」
「ごめんなさい、私は食べ物に土を付けて食べる趣味は無いの」
「そうか、ぜひ試してみるといい、食べる時は出来れば手は使わずに。犬のようにむさぼる様はきっとお前にぴったりだ」
「言葉では分からないからお手本を見せてくれる? 試すかどうかはその後決めるわ」
「ほら、お姉さま。こっちをどうぞ」
落ちたのを水で洗ってきた、水っぽいがまぁ食べられなくはない。雫の料理の方が酷いしな。
俺の分を差し出したが、また落とすことを恐れてか、受け取らず、黙ってじっと見ている。
「……私に食事は必要ない」
「じゃあ私がもらうわ。美味しいし。私も必要ないけど」
「……」
純白が名残惜し気にそれを見つめる。
「俺が持ってますから、ほら、食べていいですよ」
「赤ちゃんみたーい」
「しずく、ちょっとその子抑えててくれる?」
雫が枝ごと焼き魚を少女の口に突っ込んだのを尻目に、純白の利き腕じゃない方の手を握る。
「俺は避雷針みたいな作用があるので、俺に触れてる間は枝への侵食も遅くなると思います。これで自分でも食べられますから、ほら、受け取ってください」
待っていると、差し出した魚の串に、ようやく彼女が触れた。純白が俺の手の方をぎゅっと握る、触れたままの木の枝は、無事だった。
「君は便利だな」
彼女が魚にはぐはぐと食いつく。食べ方汚い。
「自分で制御出来るようになるんですよ? ほら、そんなに急いで食べなくても逃げませんって」
「さっき逃げたぞ」
「もう逃げませんから、ほら、口元そんなに汚して」
「そんなのものは、食べ終わった後に拭けばいいのだ」
甘やかすとダメだったかなこの姉さま。
「食べ方汚ーい」
「……」
純白は、途端に背筋を伸ばして食べ始めた。上品に食べているつもりのようだが、口元にはべっとりと魚の脂が付いたまま。
「よし、背負え」
偉そうだなほんまこいつ。マシュマロお姉さまが俺の背中にのしかかる、すっかり彼女の旅の定位置だ。
「えらいぞ」
「偉くないんですけど。何様ですか」
「王様」
返答小学生かよ。
「へぇ、確かにそれなら色々と納得は行くわね」
「ふへへ、だろう?」
「そのつけあがった態度とか、だらしない体とか。自分の立場に溺れて人間としての品位を失ったそれだもの」
「そういうお前はきっと貧乏暮らしが長かったのだろうな、贅肉は無いが胸も無いでででで、こら、掴むな」
「折角だし私がちぎって減らしてあげるわ」
「済まないがこれはちぎってもお前の体にはくっつかんのだ、羨む気持ちは分かるが……っでででで、こら、握るなと」
俺の背中で暴れないでください。
「ねぇ、あなたはどう思う?」
「少年は私の体の方がいいよな?」
こっち来たし。
「どっちも魅力的だと思いますよ。もちもちなのも、スレンダーなのも」
両者が黙り込む。空いた沈黙にくいくいと、見ると雫が袖を引っ張っている。
「私はー?」
……。
「未熟なのは論外いっで!」
「水浴びがしたい」
森の細道を進んでいると、背中の彼女が言う。
「次に綺麗な水源を見つけたら、その時にしましょう」
「今がいい」
「今近くに無いですよ」
「さっきあった」
「結構前じゃないですか。どうせまだ歩くんですから、また汚れますよ」
彼女が静かになり、汚いのは嫌だと、か細く呟く。
「いっそどろどろに汚したら、汚れなんて気にならないんじゃないかしら」
「問題はもみ消しちゃダメだよ」
「旅路なんて汚れるものよ、一々気にしてなんていられない」
まぁ、その通りなんだけど。
と、雫がくいくいと引っ張って来てる。
「どした?」
「私も、水浴びしたいな」
「水源探すぞお前ら」
「なんで?」