1.「魔王城の海街」
あのね! わたしね! おおきくなったら、パパみたいなりっぱなゆうしゃになるの!
*
「ねー」
ざざぁ、ざざぁと、寄せては返す波の音が空白を埋める。
「これどこに向かってるのー?」
「魔王城」
ざくざくと、砂を踏む足音は二人分。
「まおうじょー? 魔王さんに会いに行くのー?」
「魔王が居たのは昔の話。魔王は死んで、城も壊れて、今はもう骨組みすら残ってない。その更地に街が出来た。俺たちの目的地は、その海街」
広がる砂の大地、白を蝕む青い海。背後には俺たちの足跡が残っている。やがて波に飲まれて消えるのだろう。
「何しに行くのー?」
「さぁな。そこで、誰かに会えばいいらしいが」
「はー、よく分かんないなー」
「まぁ、それはいつもの事だな」
と、彼女がまた何か見つけたらしい、パタパタと駆けて行き、地面にしゃがみ込む。
「見て見てー」
「今度は何だ」
「なまこ」
うぇ。水に均された砂浜に、ぶよぶよの塊が横たわっている。彼女が拾った木の枝で突くと、得体の知れない粘液をぶゆぶゆと吐き出す。
「持ってくなよ」
「持っていかないよ、こんなの」
「こんなの言うなよ」
彼女のポケットは、既に拾ったガラクタでいっぱいである。ひっくり返せばさぞ砂が落ちてくる事だろう。
「……何してんの?」
「枝、もう一本ないかなって」
彼女がきょろきょろと見渡し、やがて見つけて持ってきた。箸のように持ちぶよぶよを掴み、雫は海に向かってぶん投げる。ぽちゃんと、間抜けに水音が響いた。すぐに波に飲まれて消えていく。
「よし」
彼女は満足げに波に揺れるぶよぶよを見つめた。
「こんな浜辺だったら、またすぐに打ち上げられるかもしれんぞ」
「その時はその時だ」
彼女は不要になった枝も海に投げつけ、また歩き出す。潮騒と砂を踏む足音と彼女の鼻歌が、俺の記憶に足跡を付けていく。それすらも、やがて波に飲まれて消えるのだろうか。
幻想の果てに海がある。海辺に小さな島がある。それはかつて栄華を誇った魔王のお城。今やその残滓は欠片も残らず、今ではただの田舎街。魔王を打ち破った勇者が治める、辺境の地の小さく平和な海街。
海岸線から少し離れた所に小さな島が見えた。砂浜を歩いていると、やがて岩礁に変わり、岩を積んで出来た港が見えてくる。一日数回しかないという定期便に乗り込み、しばし波に揺られると島に着く。島は岸からも見えていたが、泳いで行ける距離じゃない。泳いでいたとしても、泳ぎはしないけれど。
とたっと、軽い足音が桟橋を叩いた。
「おじさーんありがとー!」
「おー! 何もない田舎町だが、ゆっくりしてってなー!」
「ありがとうございましたー!」
港を出て少し登ると街が見えた。黒びた木材で建てられた家が立ち並び、街に佇む彼らの長閑な様子は、下町のようにどこか温かい雰囲気を感じる。挨拶を送れば柔和な笑顔が返って来た、異邦人である俺たちがぶつかる壁も無さそうだ。
「良さそうなとこだねー」
「だな」
「これからどこ行くのー?」
「知り合いの家がある筈だから、とりあえずそこにな」
「へー、こんなところに」
「こんなところ言うな。聞いてみるか」
道を聞いて、辿り着いたのはひときわ大きな屋敷。
門扉をカンカンと叩けば誰か出てくる。使用人のような簡素な服で身を包み、髪は赤く、活発そうな雰囲気を纏う、年上のお姉さんだった。
「何だお前ら」
口が悪い。
「ここに、ミアさんの家があると聞いて尋ねて来ました、はやてと申します」
「……ふーん? 同類には、見えないけど」
彼女はじろじろと俺を品定めするように眺める。
「まぁいい、主を呼んでくるからそこで待ってろ」
しばらくして現れたのは金髪の男、そこそこ高そうな服を着ている。
「ミアの知り合いだっつーガキどもはお前らか」
口が悪い。
「オレはアルト。うちに何の用だ?」
「俺ははやてと言います」
こっちはしずくですと、隣の少女を指さす。
「ミアさんに頼まれて、ここに来るようにと」
「……ミアに?」
彼が目を細めて俺を見る。
「……つー事はお前、あいつんとこの……」
「……あの、詳しい事はここで聞けと言われていて、俺もここで何をするか知らないのですが……」
「よし、付いてこい」
「え? あ、はい」
彼は敷地の中をずんずん進んでいく、大きな屋敷をぐるりと回ると、崖下に海を一望できる、広い裏庭に出た。
「お前、武器は何を使う」
「……武器ですか? 最近は双剣ですけど……え?」
「腰のそれか、ならお前の分は必要ねーな」
彼は、そこら辺に刺さっていた木剣を手に掴んだ。
「……武器なんて何に使うんです?」
「決まってんだろ。今からお前をボコボコにするために使うんだよ」
「今日はこの辺にしといてやるよ」
「恐縮です」
一生防いでいると、彼がその内へばった。膝に手を着き肩で息をする彼に、雫が寄っていく。
「おじさーん、次は私の番ー?」
「おじっ……いや、うん。君は必要ないかな」
「今のは何だったんですか?」
「あ? 歓迎してやってんだよ」
どこの部族の歓迎の仕方だよ。
「とにかくだ」
彼は俺に向かって手を差し伸べてくる。
「試練を合格したお前に頼みがある」
「この流れで快く引き受けてくれると思うなよ」
また付いてこいと言われ、今度は屋敷の中を進んでいく。なんなんださっきから。やがて扉の一つの前で立ち止まり、通される。応接用の部屋のようだ、テーブルを挟んで互いに座る。
「ところでお前、本当に何も聞かずにここまで来たのか?」
「まぁ、特には」
よくある事だし。
「よくここまで来たな……」
「あなたのことは聞き及んでおりますよ、アルトハイド卿」
「やめろ。……アルトでいい」
「分かったよアルト」
「敬語と敬意は忘れるな」
「敬意はもう無理かもしれないですね」
お茶だぜ!と、扉がバンと開いてさっきのメイドが入って来る。特にお咎めもなく帰っていった。今の突っ込んだ方が良かったのかな。
「で、頼み、聞いてくれんのか?」
「まぁ……ここまで来たからには……」
聞くだけね。
「そんで、頼みっつーのはな……」
彼はしばし躊躇った後に、口を開いた。
「うちの娘と、仲良くなって欲しいって……事なんだが」
……えっと、娘? この人と、あのミアさんの。
「嫌です」
「何でだよ。今聞くっつったろうが」
「聞きましたよ」
「応答の応じゃねーのかよ」
「嫌ですよ、あの人とあなたの娘さんなんてどんなお転婆が出てくるんですか。俺の手には負えません、無理です」
「どういう意味だこら。……いや待て、まぁ気持ちは分からないでも無いが、うちの娘はあれと違って——」
と、再び扉がバンと開く。また乱入赤髪メイド? と思ったら、入ってきたのは金髪の少女。目の冴えるような鮮やかな金髪、それは目の前の彼の髪と同じだ。少女は彼に駆け寄り腕を引っ張る。
「パパ、無理に頼んじゃダメだって言った……っ!」
「いや……しかしだな……」
その様子を、しばし呆然と眺めていた。二人を見比べる。
「その子が……あなたと、あの人の……子ども?」
「そうだ」
「拾い子?」
「見事に遺伝してるじゃねーか見ろこの鮮やかな金髪。正真正銘オレとあいつの、愛娘だよ」
視線を向けると、少女は恥ずかしそうに顔を赤らめ、彼の背中に隠れていった。
「その二人の間にこんな可愛い女の子が生まれるわけないだろ」
「かっ、かわいい……」
「もう一回歓迎しようか?」
ふむ。まじまじと彼の背中に隠れた少女を見定める。目に見える地雷は……無さそうだ。あくまで、目に見える所には、だけど。本当にミアさんの娘か? この子。怪獣みたいな感じを想像してたんだけど。
「この子ならいいですよ」
彼が何か言いたげに口をもごもごさせていたが、飲み込んだらしい。と、とたたと、大人しくしていたしずくがその金髪の少女に寄っていった。彼の背中に回り込まれ逃げ場がない。
「あなたは名前、なんて言うの?」
「えとっ……」
「私はしずく。あなたは?」
意識外に詰め寄る雫に押されながら、その少女は答えた。
「オレの名前は……きらり」
雫がきらりを連れて部屋を出て行くと、話しておきたい事があると言われ、俺とアルトだけが部屋に残った。
「何ですか?」
彼は沈痛な面持ちで黙り込む。次に口を開くまでの沈黙は、長かった。
ま、十中八九頼みごとの続きだろう。こんな辺境まで来て、“ただうちの娘と仲良くしてください”で終わるわけがない。どうせ面倒事が待っている。
「あいつは……いずれ暴走する」
「……」
暴走か。魔人の娘と聞いて、思い当たる事は一つ。
禍津鬼と言う種族が居る。
元は異界から訪れた異形の化け物だが、中には人間に与する者も居た。彼らは人と和解し、人との間に子を成して、生まれた禍津鬼の子どもたちは、すくすくと健やかに育っていった。
「そうなった時は……オレが……」
彼らの子どもたちはより強力な力を持っていた。そしてそれを制御する術を、子どもたちは持ち併せていなかった。子どもたちは、成長するにつれ膨れていくその力に、次々と呑まれていった。力に呑まれて、暴走して、そして殺されていった。その多くは、最も近しい者の手によって。
「オレが……オレの手で……」
ここは魔王城の海街。かつて魔王を打ち破った勇者が治める、辺境に出来た理想郷。勇者は、魔王がばらまいた禍津鬼への恐怖と偏見を、禍津鬼である勇者が魔王を倒した事により払拭した。そして、恐怖の象徴足る魔王の島に、勇者は平和な街を築き上げた。彼は今も禍津鬼の居場所を守り続ける。ここは勇者が治める禍津鬼の和平の象徴、かつては魔王城の海街。
彼は窓の外の月を見上げていた。
「殺さなきゃ……いけない」
そんな勇者の彼の元には最近、一人の可愛らしい娘が生まれていたという。