15.「くすんだこたえ」
「おねーさまー、偶には二人で遊びに行きませんかー?」
ベッドで窓の外を眺めている、彼女が振り向く。
「外に出たいのなら、俺が足となりましょう」
「外は風が気持ちいいですね」
「君が着せたコートのせいで、ほとんど感じられんがな」
「少しの間だけなら、脱いでもいいですよ」
「いい。私は温かい方が好きだからな」
背中に乗った彼女が、腕を回してぎゅううと絞めてくる。温かい……心地が良い温度。
「俺も柔らかいものが好きなので、ウィンウィンですね」
「君は相変わらずだな」
「お姉さまこそ」
「私は何も悪い事などしていないぞ」
「奇遇ですね、俺もです」
「ならば……このままでいいか」
「そうですね。誰に、何と言われようと」
ふわふわもちもちお姉さまは、今日も背中で揺れている。涼しげな風が、通りを吹き抜けていく。
「ねぇ、お姉さま」
「なんだ?」
「世界を滅ぼそうと考えてさえいなければ、誰も死ぬことは無かったんです」
俺は無感情にうそぶく。
「あなたが」
*
「私は帰ることにした。今まで世話になったな」
彼女は唐突にそう言った。
「何ですか? 私たちだって理由が無ければこんな田舎町でいつまでものんびりしてませんけど。待機命令が出ているんです、この街で」
「そろそろ防衛戦の残党狩りも落ち着く頃ですし、暇なんですね」
「暇では無いです、待機命令です」
訪れたのは騎士王隊の宿の部屋、そこに居たのはくつろいでいた天勁ちゃんと夜空ちゃん。
「藍鉄さんは?」
「例の人形の調査を」
「二人は?」
「待機命令です」
「お姉さまのお別れパーティーやるんですけど、来ます?」
「はぁ、呑気なものですね。私は暇じゃないんですけど。彼女にさして思い入れは有りませんが、美味しいものが食べれるなら行きますね」
「来るなら、準備も手伝って欲しいんですが」
「仕方ないですね」
暇じゃねーかお前。
「夜空ちゃんはどうしますー? ……夜空ちゃん?」
彼女は虚空を見つめたまま、ぼーっと。俺の声が届いてない。
「斬って中身確かめます?」
「止めてください」
「心配しなくても本物ですよ」
まだトラウマ治ってないからねこっちは。
「今日はあんな感じで上の空なんです」
彼女の体に触れると、ようやく気が付いた。
「なに?」
「お姉さまのお別れ会やるんです、夜空ちゃんも来ません?」
「あなたね……私たちは暇じゃ無いのよ」
「じゃあ天勁ちゃんだけ貰っていきますね」
「いや先輩も同じだし……先輩?」
天勁ちゃん先輩はすでに乗り気な事に夜空ちゃん後輩は気づく。
「やる事がない時は息抜きをすべきなんですよ」
「……えっと」
「この部屋で待つのも彼の部屋で待つのも同じ事、ほら行きますよ、我が後輩」
天勁ちゃんが腕を引っ張る。最初に会った時と比べて大分ゆるくなったね天勁ちゃん。誰のせいだろ。
「まぁ、やる事無いしいっか」
暇じゃねーかお前も。
「……何やってんのあんたら」
「あ、お帰りお父さん!」
「誰がお父さんよ」
「お母さん!」
「そっちじゃ無いわよ」
藍鉄さんは、既に割と楽しんでいた騎士王隊娘二人を見つける。
「ふ、副団長……」
「こ、これは違くて……」
悪事を見つかった子犬のようにおろおろとする二人を見て、藍鉄さんは表情を緩める。
「……ま、最近気を張りっぱなしだったしね。今日はいいわよ」
「藍鉄さんも一緒にどうです?」
「……ごめんなさい、私は」
そりゃそうだ。流石に三人共ゆるゆるは不味いか。待機命令だしね。
「じゃあ後で料理持って行きますね」
「えぇ、ありがとう」
わいわい騒いで、曇りが紛れるくらいに楽しんで、けれど騎士王隊の彼女たちが居なくなると。
翳る彼女が見えてしまった。純真は泣き出す。声も出さず、しくしくと。
「あなたが居なくなって……せいせいするわ……」
「そうか」
「ようやく……目障りだったあなたが消えて……私の生活は平穏になるの……」
「それは良かったな」
ばっと、純真はお姉さまの服を掴んだ。顔を伏せて彼女は声を上げる。
「最初から出会わなきゃよかった……! 仲良くなんて、ならなきゃ良かった……! 気を許したりなんて、しなければ……」
こんなに苦しくなんて無かったのにと、純真の言葉は消えていく。お姉さまは純真を、どうすることも出来ないまま、ただ縋りつく純真を、困ったように見下ろすだけだ。
「おねーさん、いーの?」
「……帰るしか、無い。私が取れる、選択肢は」
「純真は本音を言った。でもおねーさんは誤魔化してばっか。そのままで行くつもり?」
「誤魔化してなど……」
ぽすと、雫がお姉さまの体を殴る。
「帰りたくないなら帰りたくないって、言って」
ぽすと、また殴る。
「一緒に居たいなら、一緒に居たいって言ってよ」
ぽす、ぽすと何度も殴る。やがて、雫までもが彼女に抱き着き、さらに動けなくなる。逃げられなくなる。
「言葉に……出したら……言って、しまったら……私は……」
「うるさい、早く」
「……わた、私は……」
声が震えている。じっと、彼女の言葉の続きを待つ。
その時だった。
ギィィと耳障りに音を軋ませ、部屋の扉が開いた。
そこに居たのは知らない女だった。
「……どちら様でしょう、パーティーならば飛び入りの参加も受け入れていましたが、生憎ともう、締めてしまった所でして」
その女性は、俺など気にも介さず、彼女に言う。
「迎えに来——」
「お゛ま゛え゛ぇぇえ!!」
唸るような声を上げたのは……雫?
「何しに来たっ!! おねーさんに近づくなっ!! 帰れ!! 二度とその顔を見せるなっ!!」
「しずく、一旦落ち着いて」
遮るように三人の前に立った。
「……どうやら、お姉さまにリンゴを届けてくれたのは、あなたのようで」
「えぇ。大人しく、その子を渡してくれると嬉しいのだけど」
喚く雫を抑えつけ、その女に話しかける。
「……お姉さまは支度に少し時間が掛かりますので、その間俺とデートでもいかがでしょう」
「……へぇ、デート?」
「エスコートいたしますよ、きっと、見慣れない街でしょうから」
「風が気持ちいいですね」
「どうかしら。私には感じられないわ」
人通りの少ない夜の街を、あてもなく歩いていく。背景に、時折カタカタと風車が駆ける。……何から聞いたものやら。
「悲しい事でもあったんですか?」
「……どうして?」
「顔色が、優れないようで」
「……いつもの事よ」
「あなたにとって良くない事が、起こる事が?」
「私の周りを渦巻く世界が、ひどくつまらない事が」
言葉遊びのような問答は続く。
「目を凝らしてみれば、面白いものも見えてくるかもしれません」
「もう見飽きたの」
「見慣れたものが、あなたの視界を隠しているのかも」
「そうね。だからこうして、見知ったものを振り払っているのかも」
「目を楽しませるのは目新しいものばかりですか?」
「……いえ、気に入ったものも、見つけていたの」
彼女は俯く。
「掴んで、手から零れて行くばかりだけれど」
「不器用なんですね」
「大事に持ってたつもりだった。結局、壊したのも私」
と、今度は彼女の方から聞いてくる。
「ねぇ、あなたはあの少女から、私の事を聞いた筈でしょう? 私の事を憎みはしないの? それとも、あなたにとって、あの子は大事では無い? どうしてあなたは呑気に、私と肩を並べて歩けるのかしら」
「負の先入観を持って人を見れば、救えるものも失ってしまうと、最近学んだばかりでして」
「……そう」
結局、助けられてなんて無かったけど。……けど、アイガは救えたのだ。きっと、この人とだって、話せば——
「どうしても、彼女を連れていく気ですか」
「えぇ。世界の為だもの」
「……あなたの世界の内に、彼女は入っていないのでしょうね」
「救える者なら救う内に入る。救えないから……救わない。彼女はそう言っていた。だからこれは……必要な……」
彼女……ね。随分と独善的な考えだ。
当たりの景色は、街の門を抜け、郊外に出てきた。緩急なだらかな草原が広がる。
「他に、手立ては無いんでしょうか」
「彼女の子機が潰えれば、意識が本体に戻って、体を蝕む幾千の呪毒の中で飢え、乾き、悪神が伸ばした手を朦朧と掴み、暴れる竜が世界を飲み込むの」
……それが彼女のシナリオ?
「子機を維持する事は?」
「あなたが今持ち出して、危険に曝している所よ。……そうで無くとも長くは保たないけれど。私の力なら繋ぎ留めることが出来る。体も、命も、意識も、永遠に。そして二度と動き出すことは無い。竜は永遠に眠るの」
じゃあダメだよ。
「呪毒を払う事や、悪神に接触させない事は」
「それが出来ないから彼女は先んじて爆発させようとしていた。世界が、余裕のあるうちに」
「でも……失敗した」
「私が勝手にシナリオを変えた。私が中途半端に……あの子も救おうとしたから……代わりに彼女が……」
それが前回の結末か。
彼女は足を止め、振り返り、俺の方を向いた。
「私は救世班鎮圧“背徳”。“救世”の意志を継ぎ、私がこの世界を救うわ。邪魔はさせない、誰にも。あなたにも」
名を明かして宣言したという事は、お喋りは終わりか。
「あなたがその人を、一時の気の迷いで犠牲にしたか、自分の目的の為に犠牲にしてしまったか、どちらにするのかはあなたの自由ですが」
俺は怖じる事無く見返した。
「俺は諦めませんよ、最後まで」
「話し合いでどーにかなりませんかー」
草原にて一人、彼女の前に立つ。
「言葉が通じても、会話が通じるとは限らない。会話が通じても、意志が通じるとは限らない。意志が通じても、要求が通るとは限らない。覚えておく事ね」
「どっからダメです?」
「全部」
「こりゃ手厳しい」
覚悟を決める。
「それじゃあ始めますか」
「はぁ……はぁ……」
俺の手の平の前に、ぴくりとも動けない彼女の顔がある。
「また……あなたに負けるのね……」
「俺にとっては、一回目ですけど」
「敵なんて皆……殺してしまえばいいのに……」
「そんなの楽しくないじゃないですか」
「……そう。……そうね、ふふ、楽しくない。そうだわ」
彼女に奪った力を返すと、空中に縫い留められた彼女が地面に降り、代わりに俺が動けなくなる。
「けーせーぎゃくてん」
「あ、こら、俺が一回勝ったんですから俺の勝ちですよ……ちょっ! どこ触ってるんですか!?」
ピタリと止まった俺の体の表面を、彼女がなぞっていく。
「このままあなたを嬲るのも楽しそうね」
「背徳の姉さま!?」
「冗談よ。あなたの勝ち。私はあなたの言うことを聞くわ、何だって」
「な、ならまずは脇の下から手を抜きましょう? ね?」
「あら、いくらでも聞くとは言ってないの。それが私へのお願いでいいの?」
「だっ、第一はっ! 純白に手を出さない事ですっ!」
「強情ね、その余裕いつまで持つかしら」
あ、あひゃっ、あひゃひゃひゃひゃ! なっ何が始まるんですか!?
「は、背徳のお姉さま!?」
「うりうり」
「うりうりじゃないです!」