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#3 集められた者たち

気がつくと、グアノは見覚えのない場所にいた。木々がまばらに生え、遠くには山が見えている。少なくともここは王都の付近ではない。国の南側、山地が広がる場所まで来たようだ。


(ここは…まだ魔導国の中なのか。だとしても、呪文も使わず、魔力の集中のそぶりも見せずに、これだけの距離を一回の転移で…?)


魔法の技術に驚いていると、女は口を開いた。


「さて、紹介が遅れたわね。私の名はキリヤ。グレーズ王国北部、カルム山脈のふもとに領地を持つ魔法使いの一族、セキガ族の長。」


セキガ族、という言葉を聞いてグアノは思い出す。それはカロストの南部に分布する魔法使いの一族だ。その特徴は、非常に高い魔法の技術と、赤い髪。かつてはカロスト最強の一族と恐れられた時代もあったという。なるほど、それならば相手が持つ技術の高さも納得がいく。


「私はグアノだ。」

「そう。さっそくだけど、移動の前に魔法を無効化しておきましょう。効果が現れると厄介だわ。」


キリヤはそう言って、グアノを指差した。キリヤから魔力が向けられたのを感じると同時に、体が動かなくなる。


「白き蛇よ、嚥下えんげの象徴よ。」


グアノは目を見開く。


(呪いを使えるのか?そうか、エルナンが使えたのなら、キリヤが使えてもおかしくはない。魔導国では最近になって知られ始めた魔法だが、セキガ族では一般的に知られている魔法なのか。)


だとするなら、セキガ族ならば、セクエの呪いを解く方法を知っているのかもしれない。


「その者に宿り、降りかかる魔のを飲み込み、打ち消せ。女王を継ぐ者、キリヤの名において、その者に相殺の誓いを立てよ。」


言いよどむことなく、キリヤは呪文を唱える。胸元を押さえられるようなわずかな圧力を感じた後、グアノの体に自由が戻った。


「…呪い、か。」

「そうよ。今使ったのは『相殺の呪い』。あなたに今かけられている魔法、これから受ける魔法の効果を打ち消すの。印は胸元につけたから見えることはないでしょうし、心配しなくても、一定回数効果が発動されれば自然と解けるようにしてあるわ。」


キリヤは淡々と説明すると、くるりと後ろを振り返った。


「さて、移動を始めましょうか。ここから浮遊魔法でグレーズ王国の領地へ向かうわ。」


そう言って、キリヤはふわりと体を浮かべる。グアノも続いて飛び上がろうとしたが、その前に体が浮かび上がった。すぐにキリヤの魔法で飛んでいるのだと理解する。


「悪いけれど、細かい説明は移動しながらにさせてもらうわ。」


そう言って、キリヤは滑るように動き出す。その速度に思わず息を呑んだ。驚くほど速い。グアノの倍くらいの速度は出ているだろう。


「…転移魔法で移動しないのか。その方が速いだろう。」

「確かにそうだけれど、魔力の消費が大きすぎるのよ。それに、その方法だと説明する時間が取れないわ。さっきは一刻も早くあの場から出るために転移魔法を使ったけれど、移動するだけなら浮遊魔法の方が効率がいいの。」


キリヤは言う。


「グアノ、さっきも話した通り、あなたに頼むのは王子の保護。」

「王子というのは、グレーズ王国の?」

「そうよ。彼は今、セキガの領地に人質として捕らえられているわ。」

「人質…?」


グアノは動揺する。グレーズ王国といえば、カロスト南部に位置する剣使いの国だ。その国の王子が魔法使いの一族に人質として捕らえているということは、彼女の一族は国に反逆しようとしていることになる。


「勘違いしないでちょうだい。私たちは別に、国家に反旗を翻そうという意思はないわ。無理な要求を通そうとしているわけでもない。王子の身を守るために、最善の方法をとっただけなの。王子からの了承も得ているわ。」


了承を得た上での人質というのは聞いたことがなかったが、しかし彼女がそう言うからにはそうなのだろう。グアノは国家転覆に加勢するようなことをするつもりはなかったが、かと言って国のあり方に文句を言うつもりもなかった。自分はあくまでも部外者なのだから。


(もっとも、もう部外者とも言えないほど関わりを持ってしまっているのかもしれないが…。)


「なんとしても、王子を死なせるわけにはいかないの。あの方は替えが利くような人物ではないわ。王子がいなくなれば、おそらくセキガは滅ぶでしょう。それを肝に銘じてちょうだい。あなたには直接関係のある話ではないのかもしれないけれどね。」


キリヤは表情を変えなかったが、真剣な口調でそう言った。


「王子の命を守ること。肉体だけではなく、精神面においてもそうよ。万が一にも、王子が危険にさらされることがあってはならない。王子に関しては以上よ。」


キリヤはそう言ってしばらく黙った。グアノはキリヤに尋ねる。


「セクエに関して聞かせてもらいたい。セクエがなぜお前たちの領地にいる?」

「それに関しては、私も全てを知っているわけではないの。と言うより、知らないことの方が多いわ。」


そう前置きして、キリヤは話し始めた。


「セクエが一族の領地に現れたのは四日前。見回りをしていた者がセクエを見つけ、捕らえたと聞いているわ。」

「捕らえた?」

「ええ。突然異種族の人間が領地内に現れたのよ。当然の判断だわ。しかもそれが膨大な魔力を持っていて、正常に対話ができる状態でなく、相手が何を考えているのか分からない状況だったのだから、むしろ殺すべきかと考えたくらいよ。」

「正常に対話ができない、とは?」


グアノは考える。確かに、国を去る前のセクエは様子がおかしかった。少し考えるような間を開けて、キリヤが口を開く。


「…そう。一緒にいたのに、気づいていないのね。それなら知らない方がいいわ。」

「どういう意味だ。」

「そのままの意味よ。あなたはセクエについて何も知らない方がいい。知れば、きっと辛い思いをするわ。」

「だがキリヤ。さっきはセクエのところへ連れて行くと…。」

「確かにそう言ったわ。でも、あなたがセクエの事情を知らないのなら話は別。必要以上にあなたに教えることはできないわ。」

「それでは話が違う!」

「…一つだけ教えてあげる。さっきあなたに呪いをかけた時、セクエがあなたにかけた魔法から分かったことよ。」


語気を荒げるグアノに対して、キリヤはいたって冷静だった。


「セクエは決して、あなたを嫌ってはいない。」

「何?」

「セクエは、あなたが追って来ないように、わざとあなたを苦しめる魔法をかけた。苦しめるだけで、決して死なない魔法をね。彼女は、国を出ればあなたが追ってくることを分かっていたのでしょう。けれど、私が余計な手出しをしたばかりに、あなたはセクエを追いかけてしまった。それについては謝るわ。けれど、今あなたがセクエに会ったところで、セクエは喜ばない。それどころか、きっと…。」


わずかに言葉を詰まらせて、キリヤは続けた。


「セクエはあなたを殺そうとするかもしれないわ。今度こそ、本気で。」

「……。」

「今から戻るのも時間の無駄だし、呪いもあなたにかけてしまったから、王子の保護は引き受けてもらうわ。だけど、セクエに会わせることはできない。もしどうしても会いたいのなら、自分から会いに行って構わないわ。あの魔力なら、探すのはそう手間でもないでしょうから。」


口調は相変わらず淡々としていたが、キリヤがセクエの話をしたことを後悔していると、グアノはなんとなく感じていた。


(…知らない方がいい、か。)


セクエは自分に何か隠している。それはなんとなく感じていた。隠しているのか、話す機会がなかったのか、話す必要が無かったのか、どれが正しいのかは分からない。だがきっと、これはセクエが自分に伝えなかった『何か』なのだろう。


(知ってしまっていいのだろうか。もしキリヤが言っていることが本当なら、自分がしようとしていることは、セクエを苦しめることになるのではないだろうか。)


速い速度で通り過ぎて行く景色を横目に見ながら、もう後戻りはできないのだと再認識する。後悔に似たような感情が胸の奥に広がり、少しだけ苦しくなった。


(国を出たのは…間違いだったのか…?)


ーーーーーー


いない。どこに行ったんだ?森を駆け回っていたバリューガは足を止めた。


「おーい、いないのか?」


声を出してみるが、返答はない。気配も感じない。一体どうなってるんだ?嫌な予感が胸の奥にジワリと広がる。


フィレヌがいない。フィレヌはいつも、森の中にある鏡写しの世界に閉じこもっているはずだ。いつも通りなら、森の中に入ればかすかに気配を感じるのに。でも、何も感じない。まるで何もいないみたいに空気が澄み切っている。


最近は会っていなかったから、久しぶりに話でもしようかと思って森に来てみれば、この有様だ。まさか、追っ手に捕まってしまったのか?


「…あれっ?」


違和感を感じて、バリューガは辺りを見回す。誰かの気配がする。フィレヌかと思ったが、どうやら違うようだ。いや、そもそも気配と呼ぶには薄すぎる。何と言えばいいのだろう、それはまるで、残り香のような…。


(痕跡、って言うのかな…。誰かが、ここに来た?)


この気配には覚えがない。少なくとも、村の誰かではないだろう。外から来た誰かが、フィレヌを連れて行ってしまったのだろうか。


(追っ手に見つかったってことなのかな…。フィレヌ、大丈夫かな。)


どうしようもないと分かっているが、不安な思いが拭えない。だが、いないのにいつまでも森にいても仕方ない。


(セクエに続いてフィレヌまでいなくなるなんて…。)


正直、寂しい。身近な人がいなくなるというのは、こんなにも心細くなるものなのか。


村へ帰ろうと思い、後ろを振り返った瞬間、気配を感じた。フィレヌのものではない。さっき感じた、痕跡の気配と同じものだ。


「……っ!」


バリューガは無意識に魔道具の剣を構えた。なぜかは分からない。だが、何かとても嫌な予感がする。


「そんなに警戒することもないだろう?」


声が聞こえた。低い、男の声だ。


「どこにいる?」

「ここにいるさ。」


そう聞こえた直後、バリューガの目の前で小さな光の粒が集まって人の形になり、男の姿になった。炎から写しとったような真っ赤な髪をした男だった。


(赤い髪…まさかコイツ、フィレヌが言ってた…?)


全身に鳥肌が立つのを感じる。戦っても勝てないと、そう直感した。だが、どうすればいい?逃げたところで、逃げ切れるわけがない。


「やあ、はじめまして。」

「お前…誰だ?」


ニィ、と男の口元に笑みが浮かぶ。


「お前が知る必要は無いさ。」


男がそう言った途端、立っている感覚に違和感を感じた。足元を見れば、地面がぐにゃりとゆがんでいる。


「な、何だよ、これっ…!」


慌てて足を動かそうとするが、地面に張り付いてしまったように動かない。やがて歪んだ地面は粘土のようにバリューガの足を飲み込みはじめた。


「……っ?!」


怖い。何でこんなことになっているんだ?あの男はどうしてこんなことをするんだ?


足首、膝、腰と、じわじわと埋まっていくバリューガを、男は面白そうに眺めている。どんなにもがいても体は全く動かない。今まで感じたことのない恐怖が胸を締めあげた。


(くそっ、何で…何でっ!)


ギュッと目を閉じる。その瞬間、パチン、と高い音が響いた。弾かれたような衝撃と共に、体が宙に放り出される。


「うわっ!」


突然のことで反応ができず、そのまま地面に叩きつけられる。バリューガはなんとか体を起こすと、男を睨みつけた。


「いってぇ…何すんだ!」


男は少しだけ驚いたような顔をしていた。地面に沈めたり、かと思えば弾き出したり、何を考えているのか全く分からない。


「へぇ、なるほど。これはキリヤが興味を持つわけだ。」

「何のことだよ!」


怒鳴るバリューガを嘲笑うように、男はまた笑みを浮かべる。その笑みが、たまらなく恐ろしかった。


「突然こんな事して悪かったな。もうあんな事はしないさ。安心していい。」


男はそう言って両手を広げて見せた。何もしない、と言うような口ぶりだが、どうにも信用できない。バリューガは立ち上がって再び剣を構えた。


「だから、警戒しなくていいって言ってるだろ?」


まるで友人に話しかけるような口調で男は話す。そしてゆっくりと、バリューガに近づいてきた。それに合わせてバリューガも少しずつ後ずさった。


「どんなに警戒したって無駄さ。」


男がそう言った瞬間、体が縛り付けられたように動かなくなる。


「うっ…。」

「安心しな。さっきと同じ事はしない。」


そう言って、男はバリューガを指差した。


「一瞬で終わる。」


ドン、と胸を強く殴られるような痛みが走った。息がつまり、体の力が抜ける。


(何で…何でこんなこと…。)


視界が揺らぎ、意識が遠のく。何が起こったのか分からないまま、バリューガは意識を失った。


ーーーーーー


「見えたわ。あそこが目的地、セキガ族の領地よ。」


そう言って、キリヤは前方を指差す。グアノはキリヤの示す方を見下ろした。


「ここが、セキガの領地…。」


辺りを見回しながらグアノは呟いた。眼下には高く連なる山々が見える。あれがカルム山脈だろう。


カルム山脈はカロストの南側に東西に連なる山脈だ。標高はそれほど高くはないものの、気流などの影響で気温が低く草木が育ちにくいため、獣もあまり生息していないとされている。実際、硬い岩肌が剥き出しになっている場所がいくつもあり、木どころか草さえまばらにしか生えていない。


しかし、大きな岩に隠れるようにしてあちこちに天幕が張られており、確かに人が生活しているのだと確認できる。


(こんな環境で生活しているのか?こんな土地では作物も育たないだろうに。)


見下ろしながら考えていると、不意にキリヤが軌道を変えた。集落には向かわず、山の中腹辺りに着地する。


「まっすぐ向かうのではないのか?」

「言ったはずよ。信頼できる手合いは少ないの。あなたのことを見られると面倒だから、人の目を避けて、ここから王子のもとへ向かうわ。」


そう言ってキリヤは歩き出す。グアノもそれを追った。大きな岩があちこちに転がっており、歩きにくい。しかしキリヤは慣れているようで、浮遊魔法も探知魔法も使っていないのに足取りは軽やかだった。


「あなたは私たちの容姿に見覚えがあるようね。」


しばらく歩いてから、唐突にキリヤが口を開いた。


「どうして私たちのことを知っているのかしら?」


キリヤは足を止め、後ろにいるグアノに振り返った。二人の距離は少し離れてしまっていたため、グアノはキリヤに追いついてから足を止めて答えた。


「お前たちから接触してきただろう。なぜその理由を私に尋ねる?」

「…なるほど、あなたはそう思っているわけね。」

「どういうことだ?」

「私は魔導国に行くまで、あなたのことも、セクエがあの国にいたことも知らなかったのよ。彼は独断で、長である私に何の報告も無しに領地を出て、あなたたちと接触した。」


キリヤは前を向き、再び歩き始める。それを追いながらグアノは考えた。


(全てエルナンの独断だというのか?エルナンの口振りは、あくまで集団でセクエを狙っているという風だったが…。)


「一族の長として、彼の行動は把握しておきたいところなの。彼が何を狙ってあなたたちに接触したのか、教えてもらえるかしら。」


グアノはキリヤを追いながら話を続けた。


「奴は…エルナンは、セクエを狙っていた。国に来たときはすでに、セクエにかけられた呪いのことも、彼女が置かれた状況も知っていた。」

「呪い…そうね。細かく調べたわけではないけれど、セクエに呪いがかけられていることは私も確認しているわ。」

「私はセクエにかけられた呪いを解こうとしていたが、その方法が分からなかった。エルナンはそれも分かった上で、どうせ救えないのなら手放せと言ってきた。」

「それでも、あなたは彼女を国に留めたのね。」

「…どうしても、彼女を手放すわけにはいかなかった。私はエルナンを止めようとしたが止められず、殺されかけた。」

「殺されかけた?」


キリヤは再び足を止め、グアノを振り返る。その顔には明らかな動揺の色が見えた。キリヤに合わせてグアノも足を止めた。


(あからさまに驚いているな。そんなにおかしなことか?たしかに方法は手荒だったが、邪魔者は排除するというやり方はそれほど不自然ではないような気がするが…?)


「エルナンが、あなたを?」

「そうだ。その時は気を失っていたから、明確な事は答えられない。だが、セクエが助けてくれなければ、私は確実に死んでいただろう。私の意識が戻った時、すでにエルナンは国を出ていた。エルナンがなぜセクエを狙ったのかは分からない。」

「エルナンが使っていた魔法の種類を教えてもらえるかしら。」


キリヤは険しい顔つきのままそう言った。グアノはその様子を疑問に思ったが、それを問うことはせず、エルナンとのことを思い出しながら答えた。


「基本的には影魔法を使っていた。幻覚魔法を使った防御魔法も使っていたな。それから、月光を利用した冷気の魔法、あとは…。」


グアノは言葉を濁し、しばらく考えた。


「これは魔法なのか分からないが、催眠魔法に近い魔法も使われた。呪文も、魔力の集中も無かったが、エルナンの声を聞いているだけで、思考が乱れるような…。」


グアノは思い出す。あの戦いの中で、エルナンに声をかけられた瞬間、諦めのような、絶望のような感情が沸いたのを覚えている。あの状況で、自然に生まれる感情ではない。何らかの魔法を使われたのだと思うが、そんな魔法は聞いたことがない。


「なるほどね。その魔法については知っているわ。最近になって開発されたばかりだから、あなたに詳細を教えることはできないけれど。」


(新しい魔法なのか。なるほど、それなら見覚えがないのも納得できる。)


グアノが口を閉じると、キリヤはグアノから視線を逸らし、顎に手を当てて考え込んだ。


「でも…そう。エルナンがその魔法を、ね…。」


キリヤは再びグアノに視線を戻す。


「貴重な情報、感謝するわ。何が目的だったのか、彼に詳しく聞く必要がありそうね。」

「エルナンのこと、本当に何も分かっていなかったのか?」


グアノは尋ねる。無断での行動だったとはいえ、エルナンが初めてこちらに接触してきたのは随分前のことだ。こちらの状況を知っていたことも考えれば、行動に移していたのはそれよりもさらに前ということになる。それまで、エルナンに不審な点が何一つなかったとは考えにくい。


「ええ、分からなかったわ。一族の長ともあろうものが、情けない話だけれど。」

「そうか…。」


まあ、いくら少数民族とはいえ、一族全員を完全に管理することなどできないということだろう。魔導国とは違い、兵士のような機関もおそらくは無い。それも仕方のないことなのかもしれない。


ふとキリヤに視線を戻すと、キリヤはグアノから視線を逸らし、胸元を押さえていた。呼吸は普通で、相変わらず無表情だったが、心なしか顔色が悪い。


「…キリヤ?」

「なんでもないわ。気にしないで。」


そう言って、キリヤは目を閉じて一つ深呼吸をした。手を下ろし、再びグアノに向き直る。


「行きましょう。王子の所まではあと少しよ。」


グアノに背を向け、キリヤは再び歩き出した。グアノはキリヤの様子を不審に思ったが、それでも黙ってキリヤの後を追った。


二人は黙々と歩き続けた。足場の悪い岩場を歩くのもだいぶ慣れてきたが、今自分が山のどの辺りにいるのか、見当もつかない。下っている事は間違いないが、こんな道ともいえないような道を辿って、本当にセキガ族の集落に着くのだろうか。


そう思い始めた頃、キリヤが大きな岩の前で足を止めた。高さだけでも人の三倍はある、巨大な岩だった。


「着いたわ。ここよ。」

「ここ…?」


思わず呟く。見てみれば、たしかに大きな岩の隅に天膜が張られている。だが、人が一人入れるかどうかという大きさだ。


(こんな所に王子が…?)


首を傾げるグアノをよそに、キリヤは身をかがめて天膜の中へ入っていった。グアノは怪しみながらも天膜の入り口を手でめくり中を覗いた。


中を見て、驚いた。随分と広い。天井は高く、周囲はぐるりと岩壁に囲まれている。部屋の中央には火が焚かれており、空気を入れ替えるためなのか、天井付近にはいくつか小さな窓があいていた。それ以外には窓はないが、壁には明かりとなる魔道具が設置されており、中はぼんやりと明るい。


(岩をくり抜いて作ったのか…。外からでは全く気づかなかった。)


部屋の中央、グアノから見て焚き火の向こう側に一人の青年がおり、それに付き添うようにキリヤが立っている。すぐにその青年が王子なのだと理解した。


「グアノ、近くへ寄りなさい。」


そう促され、グアノは青年へと近づく。しかし、ある程度近づいたところで、青年から違和感を感じ、グアノは足を止めた。


(魔力を…持っている……!?)


キリヤはこの反応に気付いたようで、グアノがそばに来るのを待たずに話し始める。


「この方が、グレーズ王国第一王子、アルダ様。あなたももう気付いたようだけれど、この方は剣使いの王族でありながら魔力を持っておられるわ。」

「魔力を…なぜ。」


グアノは尋ねる。剣使いは生まれながらに魔力を持たない。だからこそ魔法を使えず、戦闘の際には魔法ではなく剣を振るうことから、剣使いという呼び名がついたのだ。


「この方は、魔法使いの、それもセキガ族の血を引いておられるの。」

「……!」


ゾワリと全身に鳥肌が立つのが分かった。驚きと恐怖が混ざったような感情が胸の内に生まれ、鼓動が早くなる。


「混血…?」

「そう言うこともできるわね。」

「……。」


言葉が続かない。魔法使いと剣使いの混血など、今まで考えたこともなかった。基本的に二つの種族は対立関係にあり、魔導国でさえ両種族の住む区域は分けられているというのに。


「…キリヤ、もういい。あとは私と彼とで話をしよう。」


何も言えずにいるグアノを見かねたのか、唐突にアルダが口を開いた。


「しかし、王子…。」

「お前も、あまり長くここにいるわけにはいかないだろう?お前の邪魔になりたくはない。」


少し不安そうにするキリヤに対して、落ち着いた口調で王子は言う。キリヤはそれでもしばらく動かなかったが、やがてグアノに向き直って言った。


「それじゃあ、後は任せるわ。分かっているとは思うけれど、くれぐれも失礼の無いように。」


睨むような視線をグアノに向けた後、キリヤはそれ以上何も言わずに外へ出ていった。残されたグアノはまだ動けず、ただ呆然と王子を見つめるだけだった。


「…無理もない。私のような存在が希有である事は自覚している。だが…。」


王子は困ったような顔で微笑んだ。


「この距離では話もしづらい。もう少し近くへ寄ってはくれないか?」


そう言って、王子はその場に腰を下ろす。敷物が敷いてあるわけでもない、剥き出しの地面に迷いなく座り込む様子を見て、グアノは驚いた。


「この国は暖かいが、山地のここは冷える。火のそばで温まりながら話をしようではないか。」


そう言って、王子は火のそばに置いてあった薪を一つ火にくべた。その動作は、とても一国の王子のものとは思えなかった。グアノはおずおずと王子のそばへ寄り、腰を下ろした。


ーーーーーー


(…それにしても驚きね。まさかグアノがセクエのことに気づいていないなんて。)


山を下りながら、キリヤは考えていた。グアノが全て分かった上で、それでもセクエを探しているというのなら、キリヤはそれを止めるつもりはなかった。セクエがなぜセキガの集落に現れたのかは分からないが、セクエの身を案じる者がいるのなら、その者の近くにいた方がいいと思っていたからだ。


だがグアノは、セクエに何が起こっているのか、なぜ今のような状態になったのかを理解していない。何も分からないのなら、無理に知る必要性はない。知ってしまうことで、おそらく二人は辛い思いをするだろう。


(こんなことなら、連れてくるべきではなかったかしら。でも…いつまでも王子の監視にあたれるほど私には時間がない。頼れる者がいない今、複数のことを同時にこなすのなら、やはり部外者の手が必要になる…。)


キリヤは足を止めずに考える。今自分にできる最善手は一体どれなのか、見極めなければ。


(間違えるわけにはいかないの。『女王を継ぐ者』として、私は一族を守り抜かなければならない…。)


ー何を言っている?ー


声が聞こえて、キリヤは足を止めた。近くに人影は無い。だが、背後から囁かれているような、あるいは頭の中に直接響くような声が、キリヤには確かに聞こえていた。


ー部外者を領地に入れておきながら、剣使いの王子を敬っておきながら、それでもなお、お前は間違えてはいないと?ー


キリヤは両手を握りしめる。その手が少しだけ震えていた。


ー勘違いするな。お前は間違いを犯した。一族を危険に晒した。一度や二度ではない。一族の長でありながらお前は…ー


いつの間にか少し俯いていた顔を上げ、キリヤは足を進める。


ー忘れるな。我々はいつも、お前を見ているということをー


聞こえる声を振り払うように、キリヤは首を横に振り、歩みを止める事はしなかった。


(分かっているわよ、そのくらい。でもね、私はあなた達とは違う。あなた達の犯した罪を、私は二度と繰り返さない。繰り返すわけには…いかないのよ…!)


ーーーーーー


セキガ族の領地は草木の育ちにくい山岳地帯に位置している。平地は少なく、家を建てる事ができないため、一族の者は元々ある岩をくり抜いて作った小屋に住んでいる。


また、気温は低く、土地も痩せているので、通常の方法で作物を栽培する事は難しい。そのため、数少ない平地を耕して畑を作り、そこに魔道具を設置して作物の成長を助けている。無論、その魔道具は全てセキガ族によって作られたものだ。


当然、その魔道具を管理する必要があるわけだが、エルナンはそうした仕事を任された者の一人だった。腕は優秀で、魔道具の整備について他の者に指導することも多い。そして今、彼はその仕事に取り掛かっているところだった。畑に水を撒くための水魔法の魔道具の調子が悪かったので、その整備をしていたのだ。


不調の原因は簡単なことで、岩にこすれてできた傷から魔力が抜けてしまっていたのが原因だった。魔道具に魔力を再び注ぎ、傷を塞げば元通りに機能するようになるだろう。


わずかな魔力の流れ方から傷を見つけ出し、それを丁寧に塞いでいく、中には故障とは言えないような小さな傷もあったが、それも放置すればいずれ故障に繋がる。エルナンはどんな傷も見逃すまいと、魔道具を手に取って様々な角度から眺めていた。


ふと魔力のを乱れを感じて、エルナンは作業の手を止める。そして、感じ慣れないその魔力に顔をしかめた。


(異種族の魔力…。連れてきたのはキリヤか。)


小さくため息をつく。エルナンは再び魔道具をいじりながら考えた。


(またなのか。キリヤは何を考えているんだ。セキガの領地に異種族を何人も連れてくるなんて…。)


どうして異種族に領地を侵させるようなことをするのか、キリヤに問い詰めても答えてはくれなかった。一族の長たるキリヤの考えることなのだから、きっと何か意味があるのだろうと思って気にしないでいたが、最近はそうも思えなくなってきている。


(きっとあの男だ。あの男がキリヤに何かを吹き込んだに違いない。あいつが領地に来てから、一族は変わってしまった。平等だったはずの一族には上下関係ができて、キリヤは皆の前にあまり姿を現さなくなった。その現状を皆が不安に思っていることにも気付いているはずなのに。)


気づけばエルナンはまた作業の手を止めていた。とても作業できるような気分になれない。


(…女王がいれば、何か違っていただろうか。)


ふと、そんな思いがよぎった。セキガ族には元々女王がいたのだ。女王の下には一族全員が平等であり、争いも無く、他の種族に領地を侵されることも無かったという。


だが、今は女王はいない。遥か昔、忘れ去られてしまうほど遠い昔に、その血は途絶えてしまった。その時代のことははっきりとは語り継がれてはいない。ただ、女王を継ぐはずだった娘が剣使いによって人質にとられ、そしてそのまま殺されたのだと言われている。


今の一族の頂点に立つのは女王ではなく、『女王を継ぐ者』、正しく言うなら『女王の意思を継ぐ者』といったところか。王家の分家の血を引くキリヤの家系で、キリヤは十年ほど前、母親からその役目を受け継いだ。その直後、母親は力尽きるように死んでしまったが、それでもキリヤは今まで立派に一族の長としての役目を果たしてきた。


(そんなキリヤがなんで、一族を裏切るようなことを…。)


エルナンは考えるのを止め、首を横に振った。キリヤの魔力が近づいてくるのが分かったからだ。妙なことを考えていると、あらぬ疑いをかけられかねない。本当なら、こんなことを意識することすら、おかしなことなのだが。


天幕をめくり、キリヤが中に入ってくる。エルナンは魔道具を置き、キリヤに向き直った。


「どうしたんだ、キリヤ。」

「あなたに確認したいことがあるの。」


冷ややかに、まるで感情などないかのようにキリヤは言う。


「あなた、長である私に何の報告も無しに領地の外へ出たわね?」

「…いきなり何を言うんだ。出るわけがないだろう。そもそも外に用事がない。」


エルナンは答える。だが、キリヤは引き下がらなかった。


「そう。あくまで認めないというわけね。」

「だから、何のことだか分からないと…。」

「黙りなさい。」


語気は強くなかったが、刃物のように鋭い口調でそう言われ、エルナンは言いかけた言葉を飲み込んだ。


「証拠は揃っているわ。覆すことは不可能と思いなさい。私が確認したいのはあなたが領地を出たという確証ではなく、あなたが何を考えていたのかよ。」

「……。」


エルナンは視線をキリヤから逸らし、頭に手を当てた。


(キリヤは…何を言っているんだ…?)


エルナンには全く身に覚えがなかった。一体いつの話をしているのだろう。最後に領地を出たのはどれほど前か…。


(そういえば、あれはいつのことだったか。)


なぜそれを思い出したのかは分からないが、何か、妙な夢を見たような気がする。考えてみれば、その前後数日間の記憶が思い出せない。あの時、自分は何をしていた…?


「何も言うつもりはないということかしら?」

「僕は本当に何も知らない。領地の外へは出ていない…!」

「証拠は揃っていると言ったはずよ。」

「…どこに証拠があるっていうんだ。」


無駄だと思いつつも、エルナンは言い返す。キリヤは呆れた口調でその問いに答えた。


「まず一つ。この前、あなたの気配が領地の中から消えたという情報が入ったわ。この段階ではまだ確証にはならないけれど。」


(『この前』か…、やはり最近のことなのか。気配を消すような魔法を使った記憶はないし、領地から消えたのなら、他の者の魔法の影響か?)


「二つ。情報の真偽を確かめるため、私はあなたの魔力の痕跡を辿ったわ。そしてたどり着いたのが、魔導国だった。分かるわよね?カロスト北部に位置する大国。領地の外どころか、グレーズ王国の中ですらないわ。」


(魔力を辿ったのか。ずいぶんと手間のかかることをしたものだな。)


魔法使いはその場にいて活動しているだけで、少しずつではあるが魔力を消費する。少なすぎる体力を無意識のうちに魔力で補っているので当然なのだが、その際にその場に魔法を使った時のような痕跡が残るのだ。


もっとも、消費される魔力があまりに少ないため、追跡には精度の高い探知魔法と優れた察知能力が必要になる。もちろん、時間が過ぎるほど痕跡が薄れていくため追跡は困難になる。国外までの距離を追跡するには相当な労力と技術が必要になるだろう。一族の中で最も強い魔法使いであるキリヤでも、そう容易にこなせる事ではないはずだ。


(それに、魔導国?ずいぶん離れているな…。領地の外へ出るだけならまだしも、そんな遠くへ、なぜ…?)


頭をひねるが、やはり心当たりがない。もし誰かに仕組まれたことなのだとしても、目的が読めない。


「そして三つ。魔導国で、あなたに会った者を見つけたわ。」

「……!」


エルナンは驚いてキリヤを振り返った。目撃者がいるのなら、魔力だけでなく、本当に自分自身がその地にいたことになる。いや、誰かが自分の姿に化けていた可能性もあるが、そこまで手の込んだことをする必要はないはずだ。そんなことをすれば、むしろ目立ってしまう。となれば、本当に自分が…?


(だが…それでも思い出せない。きっと、思い出せない数日間の間なんだろうが…。まさか、操られていたのか。いや、だが、そんなことがありえるのか?)


セキガ族は他の魔法使いよりも優れた魔法の技術を持つ。中でも催眠魔法を扱うのが得意で、それはエルナンも例外ではない。高度な催眠魔法を使うためには、それだけ自分の精神を強く持たなければならない。それはつまり、催眠魔法にかかりにくいということにも繋がる。その自分が、何も思い出せないほど深く操られるなんてことが果たしてありえるのだろうか。


「でも…それでも、僕は…。」


言い返せなくなってエルナンは言いよどむ。キリヤは呆れたようにため息をついた。


「そう。これでもまだ認めないと言うのね。」


吐き捨てるようにそう言って、キリヤはエルナンの喉元を指差した。


「ここは基本的にはあなたしか使わない作業小屋だったわね。ちょうどいいわ。しばらくここで静かに、自分の侵した罪の重さを考えていなさい。」


キリヤが魔力を向けてきたのが分かる。何をしようとしているのか、直感的に分かった。


「キリヤ、まっ…!」

「赤きイバラよ、無垢の象徴よ。」

「あぐっ…。」


キリヤが呪文を唱え始めると同時に喉に痛みが走り、エルナンは言葉を詰まらせた。


「その者の首を絞め、首をお前の花の色に染めよ。女王を継ぐ者、キリヤの名において、その者に口封じの誓いを立てよ。」


冷たい声で、キリヤが淡々と呪文を唱える。喉の痛みはさらに激しくなり、エルナンは喉を抑えてその場に倒れ込んだ。


「あっ…がぁ…!」


首が焼けるように熱い。熱は首全体を囲むように広がっていく。それはまるで、焼けた針金で首を絞められているようだった。


(なんで…どうしてだ、キリヤ。僕は何もしていない。していない、はずなのに…。)


痛みが収まってもなお、エルナンは動けなかった。荒く息を繰り返し、ようやく顔を上げると、キリヤはまだそこに立ってエルナンを見下ろしていた。


「あなたに一つ、いいことを教えてあげるわ。」

「……?」


喉が痛くて、思うように声が出せない。キリヤは続けた。


「もうじき、『女王を継ぐ者』は消える。あなたが無駄な抵抗をしないというのなら、新たな女王の姿を拝ませてあげるわ。」

「……!」


キリヤはそれだけ言うと、くるりと後ろを向いて小屋から出ていった。


(『女王を継ぐ者』が消える…?新たな女王…まさか、キリヤは…?)


エルナンは首を横に振った。今はそんなことを考えている場合ではない。自分にかけられた呪いについて調べなくては。


(印は首…イバラ、無垢の象徴…。『口封じの呪い』か。)


キリヤの呪文から自分にかけられた呪いの内容を推測する。これは口封じの呪いで間違いないだろう。


口封じの呪いは、文字通り相手の言葉を封じ込む呪いだ。具体的な効果は確か、言葉を言おうとしても口から出た途端に音が消えてしまうという内容だったはずだ。だが、それならばこんな痛みが出ることはない。


(呪いのかけ方が雑すぎる…。そのせいか。)


呪いというのは不安定な魔法なのだ。定められた手順と呪文を守れば効果は正しく発動されるが、どれか一つでも誤ると全く違う効果に変わってしまうこともある。今の場合、呪文を唱えている間、エルナンの体が固定されていなかった。そのため魔法が完全に体に定着せず、効果が変わってしまったのだろう。


(状況によっては、呪いが解けなくなる可能性もあるのに…。いや、そもそも解く気なんて無いのかもしれないな。キリヤのあの様子じゃ、僕が何を言ったって聞く耳を持ちそうにない。)


エルナンはため息をついた。小屋の入り口の天幕に目をやると、何か光の幕のようなものが張られているのが分かった。


(あくまでここから出すつもりはない、と。)


セキガ族が使っている小屋は、岩をくりぬいただけであるため、風化によって崩れてしまうことがある。それを防ぐため、それぞれの小屋には崩れないようにするために補強する魔道具が必ず設置されている。そしてその魔道具は、効果を切り替えることで小屋への出入りを禁じることができるのだ。元々は集落に異種族が攻め込んできた際などに捕らえておく牢屋として利用するために作られた魔道具だ。この荒れた岩山で、小屋にできるほど大きな岩は少ない。限られた資源を有効に使うため、最近になって開発されたものだった。


魔道具のその構造を作ったのはエルナンだが、肝心の魔道具が小屋の外に設置されているため、内側に入れられた者は出ることができなくなる。普通の小屋を牢屋として使用するための魔道具なのだから当然だ。この魔道具は入口だけでなく、小屋全体を覆うように結界を張るので、天井を壊したり穴を掘ったりして外に出ることも不可能だ。


(あとは…呪いの効果がどう変わったか、だな。いろいろ試してみたいところだが、知らないうちに効果が発動されて死んでしまったら困る。…呪文から憶測を立てるしかない、か。)


キリヤは確か、赤きイバラ、と言っていた。呪いの効果は基本的に、印の模様と色で大まかな効果が決まる。


(イバラは無垢の象徴…。汚れがなく純粋であることを象徴する。この際は言葉という『雑音』を消すという意味で使われているはずだ。おかしなところはない。だが、色は赤か…。)


エルナンは思い出しながら考えた。


(不自然だな。口封じの呪いをかけるなら、普通は命令に従うという意味を込めて、従順を象徴する青を使うのが一般的だ。赤は確か…罰の象徴。痛みがあったのはそれが原因か?)


エルナンは首を横に振った。


(駄目だな。よく分からない。魔道具の扱いなら慣れているが、魔法を使うのは一族の中でも苦手な方だからな…。偏った知識しかない。)


ここでできることはない。今はとにかく、待つしかない。待ったところで、自分の罪が無くなることなどないのだろうが。


(だが、本当に思い当たることなんて無い。僕は…何をしたんだ?)


エルナンはため息をつき、天井を見上げた。この小屋は火を焚くための炉が無い。この季節、夜は冷える。幸いなことに、ここは魔道具の整備のための小屋なので、魔道具がいくつか置いてある。ここから出られない以上、それを使って寒さを凌ぐしかない。エルナンは立ち上がり、魔道具の並べられた棚に目をやった。


ーーーーーー


小屋から立ち去りながら、キリヤはひとつ深呼吸をした。嫌な汗が頬を伝う。魔力を使いすぎてしまったようだ。


さすがに二回連続で呪いをかけたのは無理があったかもしれない。呪いは効果が長く継続するため、連続して使用することを前提としていない。魔力の消費も当然大きいが、体力の消耗も激しいのだ。キリヤは立ち止まり、汗を手で拭って息を整えながら考えた。


(エルナンは声を封じて監禁。動けなくしておいたから、邪魔をされる心配はない…。一仕事終わりね。あとはグアノと王子の件。まあ、何事もなく終わるでしょうけど。)


グアノがこちらを裏切って王子に手を出すことはしないと思っているが、それが確証を持てるほどかと言えばそうではない。念のため、呪いをかけると同時に催眠魔法を使っておいた。催眠魔法と言ってもかなり弱いもので、軽く暗示をかけたにすぎない。だが、これでグアノは反射的に王子を守ろうとする。もし仮に『奴』がグアノを操って王子を殺そうとしたとしても、自分が判断を誤って王子を殺そうとしたとしても、王子の身は守られるはずだ。


(それから、例の剣使いの件についても同時進行で進めなければならないし、奴の動向も探っておく必要がある。グアノが来たことによってどういった動きを見せるか、気をつけて見ていないと…。気が休まる暇も無いわね。)


近付いてくる気配に気付いて、キリヤはその方を振り返る。赤い髪の男がこちらに向かって歩いて来ていた。男が何を言うよりも早く、キリヤは口を開く。


「随分と遅かったわね、カイサレオ。私はもうエルナンの追跡も終えて、監禁まで済ませたところよ。」


そう言われた男は呆れたように肩を竦めた。


「それは悪かったな。何せ大陸を実際に行き来するのは慣れていないんだ。仕方ないだろう。」

「それなら、任せてほしいなんて言わなければよかったじゃない。ここまで時間がかかると分かっていたなら、初めからあなたには任せなかったわ。」

「随分と冷たい言い方だな。悪かったと言っているだろう。次からは身の程をわきまえるさ。」


そう言いながらも、カイサレオに反省した様子はなかった。キリヤは呆れてため息をこぼす。


「…まあ、済んだことは言っても仕方ないわ。それで、彼は今どこに?」

「お前が用意していた小屋に入れておいた。今は意識は無いが、すぐに目覚めるだろう。早めに様子を見に行くことをお勧めする。」

「あなたにしては手際が悪いわね。記憶操作くらいならあなたにもできるでしょう。」

「考えがあってのことさ。この件はお前に任されている。それなら、操作した記憶とお前の考えに食い違いがあるとまずいだろう。肝心なところはお前がやった方がいい。」


その言葉に、キリヤの目つきが鋭くなる。


「それならばなおさら、あなたがなぜ自分でやると言ったのかが分からないのだけれど?」

「なに、ちょっと興味があっただけさ。お前が興味を持つ剣使いっていうのが、一体どんな奴なのか。」

「なら聞いてもいいかしら。彼を見たあなたの意見は?」


カイサレオはしばらく言葉を選ぶように黙り、そして口を開いた。


「あの力…確かに脅威にはなり得る。だがそれ以上に、あいつには興味をそそられる。端的に言うなら、まあ…面白い奴ってところだな。調べ甲斐がありそうな奴だ。」

「そう。やはり脅威にはなり得るのね。利用価値があるかも含めて、やはり深く調べる必要がありそうね。」


そう言って、キリヤは歩き出す。そして振り返ることもなく、カイサレオに向けて言った。


「私は様子を見に行くわ。あなたは引き続き、外部からの侵入者がいないか警戒していなさい。」


やれやれ、と言ってため息をつくカイサレオの声を背中で聞きながら、キリヤは少し足を早めた。

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