本日の講義は2時間20分遅れで始めます。ご迷惑をおかけ致します。
「『死にたいけど死ぬ勇気がありません。誰かに殺してもらいたいけれどその為の行動力がありません。毎日毎日毎日毎日ほんの些細なくだらないどうでもいいつまらないことで事あるごとに死にたくなりますが、それを素直に誰かに相談することもできず、またそれを相談したところでなにが変わるわけでもないと思うので、結局いつも家に帰ってから一人で首を締めたり手足を切ったりして気を紛らわせています。
前向きな人が嫌いです。そういった人は私のような人間を見ると命の重みだの生まれてきた幸せだのという話に着地してそこから様々な方向に飛び立ち挙句あなたは一人じゃないと言っておきながら自分一人が不幸だと思っては駄目だと掌を返します。誰も自分が世界で一番不幸だなどと言ってはいないのに。そして生きていればいつか幸せになれるだの言葉に詰まれば生きていることが素晴らしいだのと政治家のようなティッシュペーパー一枚の厚さもない自慰的な話題に気を逸らします。幸福な人生だったかは死ぬ時にしかわからないし、産まれてしまったことは間違いなく皆等しく最大の不幸であるのに。
後ろ向きな人が嫌いです。そういった人は周りの人間がもっている悩みや不安を自分一人のものと勘違いして不幸に酔い、SNSに馬鹿げた自己顕示欲と共に薄く切り裂かれた皮と肉とそこから滲み溢れ出る赤い液体の写真を載せて、「今日は嫌なことがあったからまたやっちゃった、誰か慰めて〜」と剥き出しの承認欲求で性欲を抑えられない猿達を釣って悦に浸ります。自分の価値を認めて欲しい、生きる理由が欲しい、生きる理由を与えてもらいたい、いや価値と理由があるはずだ与えられるべきだと遠まわしにデータの海に投げ込んで沈んでいきます。人間の価値など死んだ後に他者が勝手に決めつけるもので生きている間に考えても無意味で、生きる理由など死ぬ勇気がないからという以外にありはしないのに。
死にたい死にたいと思い続け言い続けていますが、死ぬということがどういうことなのかわかりません。死んだ経験がある人がいれば是非紹介してもらいたいです。死ぬとはなんでしょうか。生命活動が終わることと認識していますが、それがわかりません。生命活動が終わったらどうなるのでしょうか。自我は脳が発する電気信号のパターンのようなものという曖昧な認識で止まっていますが、生命活動が終わり電気信号が止まったらどうなるのでしょうか。散々言われ続けている無という状態になるのでしょうか。無とはなんでしょう。無になったらそれまではどうなるのでしょう。
宗教では自殺を禁じているものが多いようですが、それが神の教えだとするなら随分と性格の悪い神だと思いませんか。私と気が合いそうなので一度話してみたいものです。その際にはポテトチップとコーラでも持っていきたいと思います。きっと神とやらは気に入ってくれるでしょう。
もし天国と地獄のような所謂死後の世界というものが存在するとしたら、それはどちらにせよ苦痛でしかないですよね。或いは六道輪廻を抜けて悟りを開いたとしてもそれで何が変わるのでしょうか。死が無とイコールの関係であるならば、死後の世界と呼ばれるものが存在してしまっては永遠に死ぬことができなくなってしまいます。神も仏も性根が腐っているのでしょうか。それとも腐らせるものも無くなってしまうほど病んでしまったのでしょうか。死は無期懲役の減刑と言いますが、本当の意味で生というものが無期懲役であった場合、いくら減刑されようと死は永遠に訪れることはないでしょう。
私のことを面倒な人間だと思いますか。私は思います。あなたのように、他の人間達のように、無感情に無感動に無表情に生きれたら、人間社会の中での語るに及ばない幸せを謳歌した気になれるというのに、私はまたこうやって時間を無駄にしています。私はいつも一つの事柄を簡単にそのままを理解しようとせず、様々な、いえ無関係な方向からそれに対して考えを巡らせているのです。大抵の人がガラスのコップを見て「ガラスのコップだ」というのに対して私はガラスの成分、厚さ、透明度、高さ、空洞の深さ、重さ、置いてある場所、その置いてあるものが机なのか椅子なのか床なのか他の何かなのか、ではそれらを構成する物質は何なのか、またガラスに映り込んでいる景色はどうなのかを考え話します。気が違っていると思いますか。そうですね、私もそう思います。でも何が違うのでしょう。あなたと私で違うのはどこで同じ部分はどこでしょう。ああ、すみません、違っているのは気だと先程自分で言ったばかりでしたね』。
これは先日、私の知人の紹介で顔を合わせた方が話してくださった内容ですが、さて、このような人の精神状態は安定しているとは言い難い。統合失調症なのか鬱病といわれるものなのかの判断が非常に重要です。ですが生と死という問題に対しての考え方は興味深い部分もあります。例えば『人間の価値は当人が死んだ後に他者が決めるもの』というようなことを言っていましたが、なるほど、これは私も同意見です。その人が生きた時代でその人がどれだけ重要な人物であろうと、それで世界全体が大きく変わることはありません。リンカーンは暗殺されましたが、アメリカという国は滅んではいませんからね。
そうですね、先の話をした人に対して…………松村君、どのような印象を抱きますか?」
「サイコパスです」
「なるほど、流行に敏感な君らしい答えですね」