食堂
保健室になんとか到着すると、よほど顔色が悪かったらしく、先生に問答無用でベットに連行される。
暫くして目が覚めると、だいぶ頭痛も治まりスッキリした気がした。ふと、時計を見るともうお昼の時間だった。体調も少しは回復した気がしたので、先生に一言声をかけてから、お昼を食べに食堂に行くことにした。
この学園の食堂はまるで高級レストランのようだ。丸いテーブルには真っ白なテーブルクロス。天井を見上げればシャンデリア。足元は綺麗に磨かれた白い床。料理を提供しているのは、有名なレストランで働いたことのあるシェフだという。この学園はOBや生徒の親たちの寄付も多く、この食堂もそれらのおかげなのだろう。勿論、初等科から高等科、大学に至るまで全て同じだ。
食堂は相変わらず大勢の生徒で賑わっていた。その様子に、そういえば1人で来るのは初めてだったと思いだす。その事に少し不安になって、思わず進めていた足を止めた。
その時だった。
前から歩いてきた男子生徒と肩がぶつかる。一瞬、何かがフラッシュバックした。それは黒い靄のようですぐ消え去ったはずなのに、何故かそれがとても恐ろしいものだと知っていた。
「あ、すみません」
低い声が上からした。うまく頭が回らなくて、声をした方を見る。私が呆然として、黙っていたのが悪かったのだろう。男子生徒が私に手を伸ばしてきた。その手を見た瞬間、大きな掌が被った。その掌の向こうに男の人の映像がブレて重なる。何かの映像が蘇る。
ーーや、ーーて、ーーさーー、ーるーー!!!!
その映像はとても曖昧で遠いのに、体がどうしようもなく震える。視界がどんどんぼやけていく。これ以上、何も思い出してはいけない。自分の吐く息が遠くなっていく。
あれ?息ってどうやってするんだっけ?
「凛城さん?」
最初に感じたのは爽やかなミントの香り。背中に触れる少し冷たい手。耳元で囁かれた涼やかな低音。なぜかそれらにひどく安心した。忘れかけていた呼吸を思い出す。黒い靄も映像も全て爽やかな風に吹かれ消えていく。ぼやけていた視界が徐々にクリアになって、目の前にいる男子生徒の、心配しながらも困惑している表情が見えた。彼に重なってブレながらも存在していた影は、跡形もなく消えさっている。
「あ、すみませんでした。今日は、元々体調が少々優れなくて、心配を、おかけしました。私は、大丈夫です」
慌てて姿勢を正してにっこり笑う。男子生徒は安堵したようで、後ろで心配そうに見守っていた友人と共に食堂を出ていった。
「助かりました。改めてお礼を言わせて頂きますわ。奈月さま」
一息ついて、先ほどから隣で存在感を放っている人物に顔をむける。その際に、背中に触れていた手がすっと離れて、ミントの香りも同時に遠くなった。
「どういたしまして。凛城さんが誰かと揉めているように見えたからさ、心配したんだ」
少し茶色がかった黒目を細めながら、大袈裟に肩を竦めてみせるこの男は、私を心配したのではなく、私に絡まれていると思った男子生徒を心配していたに違いない。
「そうでしたの。心配してくださりありがとうございます」
「それほどでも。それにしても、本当に具合悪そうだね。大丈夫?」
途端にまた近くなるミントの香り。この香りにいつもホッとしてしまうのはなぜだろうか。間近にある彼の顔はいつもの胡散臭い笑顔と違って、本当に心配してくれているのか珍しく真剣な顔に見えた。
「えぇ。先程まで保健室で少し休んでいたので、これでも多少は回復しました」
「そう?無理しないでね」
私の返事を聞くやいなや、一瞬でいつもの胡散臭い笑顔に戻る。それと同時にまたしても遠ざかるミントの香り。それが少し残念で、ふと、この香りと同じ香水つくれないかなと、頭に浮かんで消えた。