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その温もり  作者: 夢都
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報告

以前とは設定を変えてる部分があります。ご容赦ください。

それから、あの事件から彼の変わったところはもうひとつあった。先生に対して媚を売るようになったこと。媚を売っていると言うには、少し語弊があるかもしれないけれど、先生に嫌われることを恐れている節があることは確かだった。雫先生のことがトラウマになっているのか、あの子のことがトラウマになっているのかは分からないけれど、あれから彼の態度が変わったのは明らかだった。


「雑用...ですか?」


音楽室の窓から夕陽が差し込んで、奈月さまの顔に影が一瞬かかった。


「そう。ちょっと、書類整理を手伝っていてね」


曖昧に困ったように笑った。これは、これ以上この線に踏み込んでくるなという警告。私としても、特にこの話題に然程の興味は無かった。


「そうですか。お疲れさまです」


だから、あっさりと引き下がれる。それに正直、今回の試験結果で頭がいっぱいで、余計な詮索する余裕などない。

彼は「よくできました」とでも言うように、深く笑った。器用なことだ。この笑顔に騙されてる人は、この学園にはいっぱいいることだろう。


「うん。それで、仕事が終わって帰ろうかと思ってたところに、ちょうど綺麗なピアノの音色が聴こえてきたから...」


それでちょっと気になって覗いちゃった、と彼は悪戯っ子のように笑った。けれど、やっぱりその目は決して楽しそうに煌めいてはいない。


「そうでしたか。お帰りになるところだったなら、そろそろ行かないとお迎えの運転手さんも心配なさっているかもしれませんよ?」


気遣っているふりして「さっさと帰れ」と言ってみる。彼は手元の高級そうな腕時計を見て、「それもそうだね」と呟いた。


「じゃあ、またね。凛城さん」


「また」なんて2度とこなくても良いと思いながら、背中を向ける彼に手を振った。私も、そろそろ帰るつもりだったけれど、余裕を持って後15分くらいはここにいよう。どこかで奈月さまに追いついてしまうかもしれない。それでは、彼をせっかく追い出した意味がない。

運転手の携帯に後15分くらいで帰ると連絡しておく。すると、すぐに「了解しました」とシンプルで簡潔なメールが届く。

それにしても、奈月さまは本当に何の用だったのか。どうせなら、東堂さまとご一緒に来てくれるか、奈月さまとではなくて東堂さまが現れてくれたら良かった。東堂さまに褒められたのなら、たとえそれがお世辞だとしても、とても嬉しかったに違いないのに。

ピアノの椅子に座り直して、弾くでもなく何をするでもなく、音楽室の時計の音だけが規則正しく働いているのを黙って聞く。窓から差し込む夕日の鈍いオレンジ色が薄闇を照らしていた。

それから、奈月さまと再会することもなく、無事に家に帰る事ができた。時刻は6時半を少し過ぎており、すでに両親は帰宅していた。そのまま、すぐに夕食となり、いつものようにそこで日々の報告をする。試験結果の報告を感情を悟られないように、なるべく淡々とした口調で伝えることに徹する。


「7位だと?何を考えている?」


お父さまがいつもよりも更に目を凍らせて、問いかけてくる。それでも、声も態度もいつもと変わりなく、だからこそ、その視線だけでとてもお怒りなことが伝わってくきた。

目の前に座って夕食を食べるお母さまの口元に、うっすらと笑みが浮かんだのが、目の端に映った。


「申し訳ございません」


目の前にある美味しそうなせっかくのご飯も喉を通らず、スープをスプーンでひと匙すくってはロボットのように繰り返し口に運ぶ。


「ふん。誰に似たのか」


お父さまは眉間に皺を寄せて、とても低い声でボソリと呟いた。あまり大きか声でなかったはずなのに、その声は妙に響いて、普段は乱れることのないはずのお母さまの姿勢は、珍しく肩がほんの少しだけ揺れた。

そしてその次の瞬間には、まるでそれは私のせいだと言わんばかりに鋭い目を私に向けるのだ。お母さまの私を見る目には、羞恥と後悔、そしてそれ以上の憎悪が宿っていた。


「ごちそうさまでした。お先に失礼します」


お父さまとお母さまの視線から逃れるように、まだ食事の途中だけれど、早々に退出する。とても食べれる気がしなくて、ご飯を殆ど残してしまった。

幼い頃の記憶は、空き缶や空き瓶、食べかけのお弁当、未洗濯の服たちが散乱した狭いアパートの部屋だった。とても薄い布団を頭まで被って、必死に息を潜めて、隙間から覗いていたのを覚えている。小さなちゃぶ台に空き缶や空き瓶に埋もれるようにして眠っている金髪の女がいた。今はもう、それしか覚えていないけれど、とても恐ろしくて逃げたくて、泣きたいのをとても我慢していたことだけは、とてもよく覚えている。

あの金髪の女が何者なのか、私には分からない。けれど、何となくあれが私の実の母親なのだろう。お母さまは、当時いきなりお父さまに連れてやって来た私を見て、何を思ったのだろう。お母さまは、世間体の為にも私を拒絶することもできず、自分が不倫されていたという現実を私を見る度に思い出すのだろう。せめて、私がお父さまにそっくりな容姿だったら良かった。お父さまやお兄さまのように真っ直ぐで綺麗な黒髪に綺麗に輝く真っ黒な眼をしていたら良かった。そうすれば、少なくともお父さまもお母さまも自分達の嫌な過去を思い出さずに過ごせるのに。お兄さまだって、お父さまとお母さまを捨てることにはならなかった筈だ。私、本当は知ってる。お兄さまがお母さまを憐れんでること。お母さまを憎めないでいること。だって、お兄さま、なんだかんだ言いながらお母さまのことよく見てる。


お兄さま、ごめんなさい。私、もっともっと頑張るから。だから、どうかお父さまとお母さまを諦めないで。


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