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その温もり  作者: 夢都
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お兄さま

私の部屋に来ても、お兄さまは私の手を離そうとはしなかった。そのまま私をソファーに座らせると、もう片方の私の手も取り、目の前に片膝をついてとても真剣な目で私を見つめる。


「希夜華、もうやめよう」


いつもより少し低めの声音で、優しくそっと抱きしめるように、一言、そう言われた。私は、何て答えるべきなんだろう。何をやめるのか。なぜやめるのか。そもそも、私はお兄さまとは口をききたくない。まだ、許してない。

ただ、お兄さまの顔をジッと見返すだけの私の手を、さらにギュッと強く握られる。


「それでも、それでも良い。希夜華、僕は諦めないよ。あの時も今も、僕の考えは変わっていない。どうか、忘れないで。君は僕の妹で、何よりも愛しくて、大切な僕の宝物なんだ」


そう言ってお兄さまは立ち上がり、「おやすみ、希夜華」と、少し寂しそうに微笑むと、最後に私の右頬をさらりと撫で部屋を出て行った。

暫くは何も考えられなくて、考えたくなくて、気づいたらベッドに横になっていた。無意識の内に寝る準備を整えていて、横にに広がる色素の薄い茶色の髪から、ほのかにシャンプーの香りが漂っていた。

薄らと、丁寧に学習机に置いてあるピアノのレッスンバックを見たのを思い出す。佳奈恵さんがバックを預けた時に、そのまま置いといてくれたのだろう。

週4で通っているピアノレッスンは、昔、いい加減辞めろと両親に言われた習い事だった。プロのピアニストを目指すわけでもなく、これ以上学んでも、金と時間の無駄だと、切り捨てられそうになった。もう充分、教養はついたからと。それなのに、こうやって今も続けられているのは、お兄さまのおかげだった。どうやって説得したのかはわからなかったけれど、いつの間にか気づいたら何も言われなくなった。

幼い時、広くて暗いこの部屋で1人で眠るのが怖くて、誰にも気づかれないように声を潜めてよく泣いていた。そうしていると、いつの間にかお兄さまが現れて、「大丈夫だよ。お兄さまがいるよ」と抱きしめてくれた。お兄さまの腕の中は、暖かくて気持ち良くて、何よりとても安心した。

お兄さまは、いつも私を暖かく照らてくれる。決して、太陽のように眩しくはないけど、月のように朧げでもない。確かにそこにいて、いつでもあの温かい手で私を抱きしめてくれる。

お兄さまが望んでいる言葉を、あの時も今も私は持っていない。持っているのは、疑問と怒り。本当は分かっている。お兄さまもわかっている。

それなのに、お兄さまは言うんだ。


「希夜華、この家から出よう」


言外に「両親を捨てる」と言ったようなものだった。たぶん、実際に親子関係を破棄するとか、絶縁するとか、そういう意味ではない。きっと、精神的な意味だ。そして、お兄さまは、もう既にそうしていた。表面上は家族を演じながら、両親に本当の笑顔を見せることはなかった。両親は気付いているのだろうか。たぶん、気づいてなどいない。お兄さまには甘い両親は、お兄さまに関して盲目的な所が昔からあった。そして、お兄さまは息をするように嘘を吐ける人だった。きっと、私に「家を出よう」と言う前から、ずっと昔から、お兄さまは、お父さまとお母さまを、捨てた。

お兄さまにとって、私は唯一の家族になった。両親のように、私を切り捨てようとはしない。私はまだ、お兄さまの妹でいられる。大好きなお兄さまの妹でいられるなら、何だってできる。だけど、私に両親を捨てることはできなかった。

記憶が蘇る。大きな手とお酒の香り。痛くて、痛くて、でも泣いたら、もっと痛いから、必死に声を押し殺す。喉が焼き切れそうだ。背中が熱い。遠くで鞭の鳴る音が聞こえた。

ギュッと目を瞑る。記憶の奥底に押し込めるように。カタカタと震える体を、抱きしめるように丸くする。


「ごめんなさい、ごめんなさい...」


無意識に何かを呟きながら、意識はいつの間にか暗闇に沈んでいった。

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