第10節:ソディウム・ヴェイパー、あるいは幽霊
その空間にはアナクロニズムが流れていた。見る人が見れば、懐かしのミレニアム――すなわち西暦2000年前後の香りがしたことだろう。ここは、今や廃墟銀座と化した横浜駅北口の放水路のほとり。交番さえも無人で、窓から闇が覗いていた。そして、このストリートには、かつて一世を風靡したソディウム・ヴェイパーが通電していた。その強化ガラスには強い電極が封じ込められていた。その内圧は低く、たくさんの電子が、向かい合った電極間を渡り歩いていた。アーク放電だった。
「ボヤ」
波長589nmのモノクロームな光線に照らされて、彼女は一層人間らしく見えた。まるで映画の中身を取り出してきたかのようなスクリーンがそこにはあった。
「笑うなら笑ってよ。」
自分がいかに滑稽なことをしているのか、私はちゃんと把握していた。だからこれは自虐だった。アスファルトの冷たい道路は少し湿り気を帯び、彼女は一層人間らしくなったが、しかし笑わなかった。私は安心した。そして彼女は言った。
「笑わねえよ、端崖サンの存在がどんだけ安定してるか分かってるからな。――――本当に、端崖サン無しでは私なんかがここに立つことはなかった。」
彼女は、すぐ私の存在強度を引き合いに出すところがあった。まだ幼いからだ。シー・イズ・スティル・ヤング。もちろん、彼女は、私の恋人なんかではなかった。わかっていた。
私は、過去を思い返した。それは以下のようであった。
「ゲボッ! ゲボボゲボ!」
嘔吐。
それが、街路樹恐怖症の彼が負う運命。とある夏の夜にアカシックレコードのクロスポイントに立たされた彼は、こうなった。この状態を手にしたのだ。灰色の吐しゃ物は樹木に溶け込んだ。金木犀の甘い香りが、そこらを駆けていった。
「アパー、ヒー、ヒー(悲鳴)。」
ドンチャンドンチャンドンチャン
我が名は紙パック式掃除機! パワーフル・アンド・カッカカカカコンパクト! えへええへへえへ、てめえらはみんなゴミだ、我が相対的基準によれば! だが絶対的なゴミなど存在しうるのだろうか? しかし、だが
「まーたうるせえ奴が現れたな、ゴミめ。」
ゴミゴゴゴゴミ!?!?!?!?!? この私がゴミだとぉ!? 笑わせる、笑わせてくれるじゃないか!!! アッハハハッハハハッハハハッハッハッハ!!!! ヒッハハヒッハヒハヒヒハハハハアハハアハッハハ!!!!!! ゴミ反射。ゴッミ反射! リフレクティブ・ゴミ! Trash! おもしれえ! 今私はめっちゃ幸せだ! あまりに面白くて、笑い死んでしまいそうだ!!! ウッ(突然心臓が停止した音、そうお前の耳にも聞こえるだろう?)
「――――始末、完了。」
あの懐かしき血煙を肺活量一杯に吸い込んで、まったく、いい風が吹いているものだ。この横浜の地には。
お前も、そう思わないか?
――――以上だ。むろんこれで全部というわけではないが、いずれにせよ大したものではない。私はまさしく学者であって、このような過去の夢に囚われるわけにはいかないのだ。彼女も、なんだか心配そうにこちらを見ていた。幽霊に心配などという感情があるかどうかは疑問だが。
我々の隣にはコンクリートで囲まれた用水路が流れていて、その幅は5メートルほどなのだが、その中央がパックリ割れた。突然の事であった。割れたところからは、"人間"が出てきた。黒い人間だ。人間の影だ。
「ヒャ」
彼女は驚いた。まるで怪物を見たかのように。
用水路の黒い水に濡れて、それは立ち上がった。私は時代の終わりを感じた。あの"人間"たちは我々のかつての姿、そう私は信じているからだ。
しかし、彼女の立ち直りは迅速だった。彼女の精神は歪に磨き上げられていた(だが、それは私自身によって!)。頭皮を突き破り、彼女の大脳皮質から神経の束が伸びた。それはあたかも輝く流星のように見えた。夜空の芥は"人間"の実体を貫き、それを単なる虚像にした。その晩はこれで終わった。
ソディウム・ヴェイパー:1932年に発明された道路用照明器具。橙色の、ほとんど単色光に近い光を放つため、"幽霊"とのコンタクトに使用しやすい。21世紀に入ってから使用例が減り、今に至ってはその姿を見ることは稀である。
結局現実世界の話の方が書きやすいんだよね 中間部は"無"をキメてテンションが変なときに書いたので変だと思います。




