2.問題児
『サクラの樹事件』から1カ月。
すっかりサクラの花は散り、青葉が繁り始めた。
何事もなく平穏な学院生活を姉様たちと送っている。
災いは忘れた頃にやってくる。
この言葉を実感したのは奇数クラス(1・3・5組)合同で行う魔術の授業の時だった。
ちなみに、姉様と王子とゲオルグとクリステル様は偶数クラス(2・4・6組)なので別の授業を受けている。
アガサ様とマルク様と私は奇数クラスで、私とマルク様は同じクラスです。
先生による組み分けが終わった途端にペアになった子がいきなり私に魔術を解き放った。
これには教師も生徒もビックリ!
私は咄嗟のことで避けることが出来ず、その術をくらってしまった。
ほんのちょっぴり油断していた結果だ。
幸いだったのは水系の術だったことだろうか。
これが炎系の術だったら今頃、医務室どころか王立病院にて入院騒ぎになっていただろう。
そして父様達から盛大な雷を落とされるんだ……きっと。
「誰が勝手に術を放っていいといった!シルヴィ=バロー!」
先生の怒鳴り声に術室(魔術の授業のための特別教室)全体がビリビリと震えている。
生徒と教師全員の視線が術を放ったシルヴィ=バローに集中した。
よく彼女を見ると、サクラの樹事件の時の子だった。
名前も知らないし、クラスも違ったから今まで気づかなかった。
いや、記憶の片隅にいるだけで私にとっては重要な人物ではなかったから無意識にスルーしていたのかもしれない。
「レオン様、とりあえず着替えましょう」
アガサ様がそっとタオルを差し出してくれた。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。先生、服を乾かすために術を使ってもいいですか?」
「あ、ああ」
先生の許可を得て、私は炎と風の精霊を呼び出し、二人の融合魔術で濡れた服や髪を乾かした。
それを見ていた先生達の瞳がキラキラと輝いているような気がする。
精霊たちにお礼を言って振り返ると好奇心にあふれた視線が突き刺さった。
「あ、あの……」
「ああ、すまない。あまり見たこともない術だったものだからな」
我に返った先生がゴホンと咳払いをするとマルク様を筆頭に数人の男子生徒に取り押さえられているシルヴィ=バローに視線を向けた。
「シルヴィ=バロー。理由を聞こうか」
きょとんと首を傾げるシルヴィ=バローに教師の額に青筋が浮かび上がったように見える。
「むかついたからです」
「はぁ!?」
「存在自体がムカついたからです」
シルヴィ=バローの答えに誰もが何も言えなくなったようだ。
「あなたはムカついた相手にところ構わず術を放つのですか?」
抑え込まれているシルヴィ=バローの前に片膝をつき、顎を掴み上に向ける。
「それとも、相手が私だから術を放ったのですか?」
私の言葉に周りがざわめく。
「私が相手だからというのであれば、不問にしてください。先生」
「クレチアン!?」
先生が驚いたように私の隣りに立つ。
私は彼女の顎から手を離し立ち上がり、膝についた土を払落し先生に笑みを向けた。
「私自身を狙ったというのなら……売られた喧嘩は全力で買わせていただきます」
きっぱりと宣言すると先生方の顔色がどんどん悪くなっているようだ。
「そういえば、あなた……以前お会いした時、私が名乗ったのに名乗らなかったのはなぜです?あの場には殿下たちもいらしたのに……」
いまだに地面に抑えつけられているシルヴィ=バローを見下ろす。
「バロー家といけば数年間に男爵の爵位を賜った家だと記憶しているのですが……」
「私はそのバロー家の一人娘よ」
大声を上げるシルヴィ=バローに数人の者が首を傾げる。
「今年発行された貴族名鑑には男爵と夫人、ご子息のオルレアン様の名前と絵姿しか記載されておりませんし、バロー家が養子を迎えっという話も聞いたことありません」
「…………」
「貴女、本当にバロー男爵のご息女?」
私の問いにシルヴィ=バローは最後まで答えなかった。
騒動を聞いたほかの先生方が彼女を学院長室に連れていくそうだ。
「マルク様は、ご存知でした?バロー家に娘がいると?」
「いや、俺達の二つ上に優秀な息子がいることは知っていたけど、娘は知らないな」
「私も聞いたことがありませんわ」
授業が再開した後、私はマルク様とアガサ様とチームを組むことになった。
「バロー男爵は大変な愛妻家で有名ですから……妾腹ということはあり得ませんよね?」
「それはあり得ないと思います。バロー男爵の愛妻家ぶりは平民時代からですから……それに彼女は男爵にも男爵夫人にも似ていません」
きっぱりと言い切るアガサ様。
「では、彼女はいったい……」
顔を突き合わせていた私たちの頭にポン・ポン・ポンと軽快な音が鳴った。
振り返ると先生が苦笑しながら立っていた。
「いろいろと気になることがあると思うが、今は授業に集中してくれ」
「「「はーい」」」
「『はい』は短く」
「「「はい」」」
私達の返事に先生は笑みを浮かべるとほかの生徒のところに移動した。
「そういえば、レオンはまた新しい術を編み出したの?」
「え?」
「先ほどの服を乾かした術ですわ。私も初めて見る術でしたわ」
「え?」
あの術は兄様がよく使っていたから一般的な術だと思ったんだけどどうやら違うらしい。
「兄様が毎日使っていたから一般的なものだと……」
「兄様って……ベルナール様?」
「うん、ベル兄様が湯浴みの後、よく使っている術で私にも使えるってことで教えてもらったんだけど」
ベルナールとは私の兄でクレチアン家の跡取り。
騎士団の近衛部隊に所属している。
ベルナール兄様は剣よりも魔術の方が得意であるが、それを仕事にしたくないと騎士の道を進んだ変わり者である。
魔術の授業の後はお昼休みなので姉様を迎えに行くと、違うクラスのはずの王子たちが集まっていた。
「姉様、何かあったのですか?」
姉様に近づくと王子が苦笑しながら1通の手紙を差し出した。
「先程、お前たちの授業で起きたことに関する件についてだ」
「なぜ殿下がそのことを?」
「授業中に学院長に呼び出された」
「……ご苦労様です」
マルク様と王子の軽快な会話を聞きながら手渡された手紙を凝視する。
「えっと、私が見てもよいものでしょうか?」
それはかなり重要な書類ではないだろうか。
私がおいそれと見てもいいものではないような気がするのだが。
「構わない。学院長からお前に渡すように頼まれた。被害者であるお前が見ずにどうする」
それなら普通私に直接届けられるはずではないだろか?
疑問が顔に出ていたのか、王子は小さく頷くと場所を変えようと私たちを中庭に連れ出した。
サクラが散ってから中庭でお昼を食べる生徒はまばらだからだろう。
私達は中庭の片隅に建てられている東屋に案内された。
私達全員が入ると、防音の結界が張られた。
「殿下?」
「これから話すことは他言無用。といってもいずれはバレるだろうけど、それまでは秘密にしておいてくれ」
王子の言葉に私達は頷く。
東屋のテーブルにお弁当を広げ、食べながら話すことになった。
うん、時間が勿体なので効率よくするためにね。
ちなみに提案したのが姉様なので王子はあっさり頷いた。
あの『サクラの樹事件』から王子は姉様のいう事は何でも聞いているような気がする。
うん、甘やかしているのがまるわかりであるが、姉様はそのことに気づいているのかいないのか……
王子を手のひらで転がす姉様……という図案が頭から離れないのはなんでだろう。
もし、このまま王子の思惑通り上手く婚姻を結んだとしたら……
確実に王子は姉様の尻の下にひかれている未来しか見えないのはなぜだろう。
まあ、二人が幸せならいいか。
「手紙を読んでわかったと思うが、レオンにいきなり術を放ったシルヴィ=バローはバロー家の人間ではない」
私が受け取った手紙を読み終えた後、王子は全員に読むように回覧させた。
「バロー家の人間ではない者がなぜバローの名を名乗っているのですか?」
姉様監修、私の力作のサンドイッチを手にしながら聞くと王子はため息をつきながら
「この学院が国が認めた者しか入学を許可していないことは知っていると思う」
王子の言葉に全員が頷く。
国が認めた=貴族=身元がしっかりしているってことなんだけどね。
「彼女は魔力を膨大に所有していて、その力をコントロールする為に特例としてこの学院に入学することを許可された平民だ」
「バロー家との関係は?」
「バロー男爵の姉の嫁ぎ先の親族の一人。バロー家との血のつながりは一滴もない」
「それなのにバロー家の名を名乗るのはおかしいのでは?」
スコーンにイチゴのジャムを溢れんばかりにたっぷりとつけているクリステル様。
その隣でアガサ様はシャキシャキのサラダを無言で食べている。
マルク様はチキンを口いっぱいに頬張っている。
ゲオルグはサンドイッチを美味しそうに食べている。
「平民が特例と言えども入学したと知れば反発する者が出てくる。悲しいことに選民意識が強い者が多いからな。そこで、入学前に国王の御前でバロー男爵に後見人なってもらいバロー家縁の貴族令嬢としてバローの名を名乗ることを一時的に認めたのだが……本人はバロー家に養女に入ったと思っているらしい」
王子の言葉に全員が驚きの表情を浮かべる。
「えっと、そのことを本人には……」
「ちゃんと伝えてあるし、しっかり理解するまで理事長室から出れないようにしてきた」
王子が浮かべるちょっぴり黒い笑顔に誰もが何も反論しなかった。
「で、レオン宛の手紙に書いてある通り、『サクラの樹事件』しかり、今回のことにしかり、彼女にはレオンが教育係となるよう学院長から命令が下った」
「ちょっと待ってください殿下!レオンにいきなり術を放つ子をなぜ!?」
私の隣に座っていた姉様がぎゅっと私を抱きしめてくる。
「私はレオンに危害を加えるような子の調k……教育などやらせたくありません」
姉様……今、『調教』って言いかけませんでした?
「だが、もし彼女が力を暴走させた時、生徒の中で抑え込めるのがレオンとマルクしかいないそうだ」
「それなら、教師をつければ……」
「それでは彼女を贔屓していると捉えられる」
「それは殿下と仲がいいレオンが行っても同じでは?」
「同じじゃないよ?私はレオンとは親しく付き合っているけどその教え子まで親しくするつもりはない」
にっこりと微笑んでいるのにその笑顔がうっすら寒く感じるのはなぜだろうか。
「今まで黙っていたが、あの『サクラの樹事件』の翌日から彼女がやたら私の周りに出没するんだ。決まって、ゲオたちがいない時に。そのたびに風紀委員に引き渡しては教師からの説教を受けているはずなのに懲りていないんだよな」
明らかにげっそりとした声を出す王子にゲオルグとマルク様は顔を見合わせた。
「……ということは俺達を巻いてまたふらふらと……」
「たまにはお前たち以外の人たちとも交流しないといけないだろ?」
「それでも護衛を巻かないでください!何のために俺達がいると……」
苦言を言うゲオルグとマルク様に王子は苦笑いだ。
まあ、王子様にも息抜きは必要だと思うが……ゲオルグたちに一言告げておけば問題ないんじゃないか?
あ、いや、ゲオルグたちの職場放棄とみなされる場合もあるのか……いろいろと面倒くさい。
「そういえば、私もよく廊下などで会いますわ。その時決まって『いい加減に彼らを解放して』とか叫んでいますわよ。彼らとは誰のことを指しているのかわかりませんが……」
クリステル様の言葉に姉様も頷いている。
姉様とクリステル様は常に一緒に行動して(もらって)いるから姉様に言っている可能性もあるけど……
姉様もクリステル様も別に男を侍らせてはいない。むしろ遠ざけている。(下僕希望者がいるらしいが王子が蹴散らしているらしい)
一体、誰を解放しろと言っているのだろうか……我が家の家令たちか?
いや、彼らは自ら我が家に就職希望を出して父様の試練を乗り越えてきた強者だから違うだろう。
「私は同じクラスですが、クラス内では比較的人気はありますわね。貴族らしくない令嬢として一部の男子生徒のみにですが……」
「貴族らしくないのに人気者?」
「素朴なところがかわいらしいという事らしいですわ。そういえば何気に父親が伯爵位以上の男子生徒には愛想がよろしいわね。殿下たちもお気をつけたほうがよろしいのでは?」
アガサ様の言葉に殿下たちは苦笑しながらも大丈夫だときっぱりと言い切った。
「僕には大好きな婚約者がいるからよそ見なんてしないよ」
マルク様はアダン侯爵家の三男で学院卒業後、騎士団に入団したら幼少時からの婚約者様と婚姻すると公表している。
マルク様の婚約者様への溺愛ぶりは社交界でも有名。
お二人の間に割って入ろうとする勇者はこの国にはいないでしょうね。
誰も馬には蹴られたくないから。
「私は父上たちと協議中だから詳しくは公にできないけど、自ら選んだ婚約者候補がいるからね」
姉様に微笑みながら告げる王子ですが、たぶん姉様には伝わっていません。
が、姉様以外は全員知っているのであえてここでは何も言いません。
「俺は……」
ちらりと私の方を見たゲオルグはもごもごと何かを言っているようですがよく聞き取れない。
が、両隣に座っていた王子とマルク様は何か知っているらしく「大丈夫、大丈夫。こいつもよそ見なんてする暇がないほどに好きな奴いるから」とゲオルグの背を叩きながら笑っていた。
なぜか視線が私に集中している気がしたが気のせいでしょう。
「殿下はそのようなその問題児がレオンの躾でまともになると?」
「なるんじゃないか?すでに体験済みみたいだからね」
「は!?」
「レオンの淑女マナー講習は我儘娘を立派な淑女にさせることができる素晴らしいものだと聞いている」
くすくすと笑う王子とそっと私から視線を外す姉様。
「えーと、つまり。姉様の時のような方法でよいと?」
「たぶん、マリエル以上に骨が折れると思うけどね」
私と姉様は同じマナーの先生に習った。
私は比較的早くに覚えることが出来たが、姉様はなかなか覚えることが出来ずに先生によく叱られていた。
毎回怒られていた姉様は「もうやだ!」と駄々をこね、父様を困らせていた。
そこで、私は先生と父様に相談したんだよな。
私が姉様を叱るから姉様が課題をクリアするたびに飴(褒美)を姉様に与えてくれないかと。
いわゆる『アメとムチ』だ。
同じ年の私から言われるほど屈辱的なことはないだろうという考えからだ。
最初は怪訝な表情を浮かべていた父様と先生だけど、私の姉様いびり……もとい、『こんな簡単なことも出来なくて父様に恥をかかせるの?そのうち父様に見捨てられるわね』攻撃は意外と姉様にダメージを与えたらしい。
姉様を激甘に甘やかしている父様がそうそう見捨てることは絶対にないとわかっていてあえてそう言い続けたんだよな。
グシグシ泣きながらもぐんぐん上達したからね。
姉様は家族以外にはあまり知られていないがかなりのファザコンである。
母様がちょびっと嫉妬するほどの……
私は兄様LOVEだって公言しているけどね。
傍から見るとそれが厳しく見えたのだろうか。
そういえば先生が時々「こ、子供が子供にスパルタ教育をするって……」と頭を抱えていたような気がする。
しかし、ただ『父様に~』と言っていただけでスパルタと言われるのは解せぬ。
そんなこと言ったら母様から聞いた妃教育は地獄だと思うんだけど……
結局、学院長からの命令は拒否できないという事で私は問題児シルヴィ=バローの教育係になってしまった。
学院長曰く『猿を人間にしてくれ』
手紙の最後に書かれていた言葉の意味を知るのはすぐの事であった。
あくまでもこの世界でのルールというモノが存在します。
現実の世界のあれこれと比較しないようお願いいたします。
ファンタジーです。
フィクションです。