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スナック  作者: ヤマダ
21/22

停留所にて

pixivにて掲載。

ややホラー要素あり。

 それは、酷く蒸し暑い夏の日だった。

 道路の先の景色を陽炎が溶かし、嫌に青い乾ききった大地を照らす。草木も川のせせらぎもなく、まるで生き物の気配がない。こんな町外れバスの停留所では、微かに唸る古びた自販機だけが生命力を感じさせる。この簡素な小屋の日陰から動いたら途端に太陽に焼き殺されてしまうだろう。

 行く先の違うバスだと気づいたときにはもう遅かった。町に戻るにしても、この忘れ去られたような停留所を一日に数本しかないバスの帰りを待つしかないというのに。

 茹だるような暑さで、だらだらと汗が止まらない。行きのバスが発ってからどれほど経っただろうか。

 いっその事、楽になってしまいたい。そんな事さえ考え始めた時だった。


「こんなに暑くては、まいりますね」

 急な声に、心臓が止まりかけた。

 見れば、男が一人、暗がりに溶け込むようにして立っていた。全く気が付かなかったが、自分よりも前からいたのだろうか。この暑さの中、足まですっぽりと隠すフロックコートを着込み、汗一つ浮かべず物腰の柔らかそうな笑みを浮かべている。

「隣に座っても? 次のバスまで暇を持て余してしまって」

 男の笑みに圧倒され、思わず頷いてしまった。彼は礼を言うと、親しげに話しかけてくる。

「災難でしたね。こんな暑い日にとり残されてしまうなんて」

「ああ、アンタもバスを間違えたクチかい?」

「いえ、私はここが好きなんです」

 思わず耳を疑った。こんなにも不便で辺鄙な場所を好む物好きがいるなんて思いもしなかった。しかし彼はこちらの表情など気にもせず、嬉しそうに語る。

「誰からも必要とされず、ぽつりと佇むこの場所。バスですら滅多に止まらない、何のためにあるかも分からないここにいると、まるで世界に一人きりのような気分になれて、たまらなく幸福な気持ちになれるんです」

 今度は目を疑う羽目になった。嬉しそうに語る男の顔が、どろどろと溶けた蝋のように歪んでいく。悲鳴も上げられず一部始終をじっと眺める他なかった。

「おや、失礼」

 うら若き女性と化した彼は、見つめられている事で自分がどうなっているのか気づいたのだろう。微笑んでから顔を両手で覆い隠しそのままぐにぐにと動かす。手を外し咳ばらいをした頃には、もう元の彼に戻っていた。

「この場所が好きだった『私』が出てきてしまったようです」

 何でもなかったかのように、彼は話を続ける。

「私の事を皆は『死』と呼びます。他者の命を食らい、注ぎ足すことで私は生を得るのです。平等に、あるいは不平等に、あらゆる命を食らってきました。そうして、たくさんの死が私を生かす。謂わば、歩く共同墓地のような物です」

 この暑さで頭が可笑しくなってしまったのだろうか。目の前にいるのが幻覚であることを願っても、彼はまるで否定するように構わず喋り続ける。

「私に救いを求める者、私を忌み嫌う者、たくさんの命が私に詰まっています。記憶も形も全て私に溶け込み、彼らは『私』となり平穏を手に入れ、常に私と共にあるのです。ですから、時折あのようにかつての姿が浮かび上がるのですよ」

 常識だとでも言うように、彼は微笑むと一枚の写真を取り出す。色褪せた写真には、怯えた顔をした青年が写っていた。

「彼に見覚えはありませんか?」

 心覚えはなく、強張った顔をなんとか左右に動かせば、彼は残念そうにポケットへと写真をたたんで入れる。

「裏切り者なんですよ、彼。初めは私になることを喜んで受け入れたのに、馴染む前に恐れを成してあろうことか逃げ出してしまったんです」

 彼の表情がぎらりと引き攣る。

「必ず捕まえなくては。私を拒み、死を拒絶した裏切り者を! 一刻も早く、私の一員へと迎え入れなければ!」

 静かな笑みは消え去り、代わりに獣のように生々しい剥き出しの感情が彼に浮かぶ。愛憎の念が入り混じった慟哭に、恐怖で動けなかった。

「それはさておき」

 彼が、再びにこやかな笑みを浮かべ向き直る。

「貴方も、『私たち』になりませんか?」

 そう言ってフロックコートの前をはだけると、そこには体はなく、漆黒の闇が詰まっていた。底の見えない暗さはぶくぶくと泡立ち、植物の蔓のようなものが手招くようにゆらゆらと蠢いている。

「こうして出会ったのも何かの縁。なあに、恐れることはありません。貴方もすぐに『私』になるのですから」

「いや、俺は……」

 すぐにでも逃げ出したいのに、動くことができない。それどころか、フロックコートから溢れる甘い魅惑に引き込まれていた。冷たい汗が背中を伝い、凍てつくほどの冷気に包み込まれる。蔓が身体に纏わりつこうとした時だった。急激に寒さが遠退いていく。


「残念、邪魔が入りました」

 気が付けば、いつの間にか目の前にバスが来ていた。エンジンを響かせ、運転手はこちらを忌々し気に睨みつけてくる。

「おや、貴方も乗るのでは?」

 バスステップに足を掛けた彼に尋ねられたが、とてもじゃないが続くことはできなかった。

「では、またいつかお会いしましょう」

 彼の笑みを残し、バスは町へと走り去っていく。

 どっ、と心臓が一気に動き出す。戻ってきた真夏の暑さが、生きていることを嫌でも感じさせる。

 傾いた日差しの中で、自販機だけが変わらず鳴り続けていた。

〈了〉

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