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スナック  作者: ヤマダ
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時間銀行

 いらっしゃいませ、お客様。

 この度はどのようなご利用でしょう。

 

 目の前の受付嬢は崩れることのない完璧な笑みを浮かべ、機械的に私に尋ねた。

 木彫の洒落た室内に、落ち着いた真紅のソファと観葉植物。いくつものテーブルに人々が思い思いにくつろいでいる。

 そんな落ち着いた喫茶店とも思えそうなここは時間銀行。

 異質なのはまるで人形のような美しい受付嬢と、所狭しと置かれた時計たちだ。

 普通の壁掛けはもちろん、柱時計、デジタル時計、鳩時計、中には砂時計や日時計まで、あらゆる種類の時計がシックな室内との均衡など関係なしに各々に時間を刻む。

 それぞれの異なった心音が交じり合い、不思議な音楽を奏でている。

 

 時間銀行では、その名の通り時間が取引されている。ここでは「時は金なり」がそのままの意味を成しており、時間を金で買い、時間を売ることで金を得る。そんなおとぎ話が成立している空間が、街の中に隠れているとは誰も思いはしないだろう。

 私だって最初に人づてに聞いてみたときは信じられなかった。もちろん普段だったら聞き流していただろうが、大量の仕事に押しつぶされそうになっていた私は藁にもすがる思いでここを訪ねたのだ。

 入った瞬間に本当のことなのだと感じた。時間が止まったかのように落ち着いた室内、カウンターに飾られた青い薔薇と受付嬢の微笑み、何より時計たちのアンサンブルが理屈よりも直接語りかけてきた。

 

 受付嬢に促されるまま書名を終えた私は、数時間を借りることにした。値段はなかなかのものだったが仕方がない。

 契約書にサインをすると、受付嬢が金色の懐中時計を差し出してきた。


 ご利用は計画的になさって下さいませ。


 私は深々と頭を下げる彼女から、礼を言って懐中時計を受け取り足早に銀行を出た。

 そこには時を止めた街が広がっていた。

 懐中時計は何故か現在のちょうど数時間前を指している。

 私以外のものが動きを止めている。あの時の光景を忘れることは出来ないだろう。

 人も、車も、時計の針すらも止まったその街で、私は仕事場に急いだ。

 こんな状況なのに、驚くことよりも仕事をする時間を手に入れることが出来たことに安堵を覚えてしまえる程に追い詰められていたのだ。

 ありがたいことに時間銀行から私の勤め先には徒歩で行ける距離であり、私が触れることで静止している物も動かすことが出来た。

 動きが止まった静寂の中で仕事をするのはとても効率がよく進んだ。時を忘れるほど集中するとはあのような事なのだろう。

 時間を止めてからしばらく経ったとき、ふいに秒針の音が聞こえた。自分以外の音が突然聞こえ出したので驚いたが、周りを見渡しても何一つ変化はない。音源を辿ると例の懐中時計に行き当たった。

 時間を見ると、私が契約を済ませた時間になろうとしているところだった。

 次第に秒針の音は大きくなり、針は遂に頂点へと達した。

 同時に、世界が再び動き出したではないか。

 今まで止まっていたのが嘘のようだ。何時間も固まっていたことなど微塵も感じさせず、それぞれの仕事を続けている。彼らにとっては一秒すら経っていないのだ。 

 突如にして現れたであろう私をいぶかしむこともなく現実は動き始めた。

 あのときの興奮は、同じ経験をしたものにしか分からないであろう。


 それ以来、私は時間銀行を頻繁に使うようになった。

 金はかかるが同僚よりも仕事をする時間が多いため、有能と周囲からは思われ随分と出世した。その分の時間を生きているせいかかなり年の割には老け込んだが大したことはない。

 それよりも、今回の仕事で決まる更なる昇進の方が重要なのだ。

 このカウンターの青い薔薇も受付嬢も見慣れたものとなっていた。

 今日も数時間の時間の貸し出しを契約して、仕事に打ち込むはずであった。

 いつも通り、懐中時計で時が再び動き出す予定の時刻を確認する。


 何故か、針は現在の数秒前を示している。


 今までこんなことはなかったではないか。私は大いに狼狽した。そんな時でも懐中時計は刻一刻と秒針を鳴らす。

 ふと、視界の端に何かがよぎった。

 自分以外の物が動くなんて、そんなことはあり得ない。反射的に振り返った。

 それは青い薔薇の花弁であった。

 いつでも美しく飾られてあった薔薇が、秒針の音が大きくなるのと呼応するように大量の花弁を落としている。

 そして最後の花弁が落ちた瞬間、秒針が現在と重なった。


 受付嬢の目の前に初老の男が一人、目を見開いて立ち尽くしている。

 その目は散らばった青い花弁に向けられているが、もう見てはいない。

 テーブルやソファにいる客も、こちらを気にする素振りは見せないが哀れみの空気は漂っている。

 すぐに灰色のスーツを来た従業員が、男と薔薇をどこかへと運び去っていった。

 こんな事はよくある光景なのだが、彼女はいつもやるせない気分になってしまう。

 彼らは自分自身の時間を買って使っていたに過ぎないのだ。何故、時間は無限にあるなどと勘違いしてしまうのだろう。私たちにとっては、死を管理する上では効率のいいシステムだけれど。

 しかし、こんなことを思っていても彼女は笑顔崩さない。すぐにまた花が飾られるであろう。

 そして、目の前の見えない相手に深々とお辞儀をして心の中で告げるのである。

 

 またのご利用をお待ちしております、と。  


〈了〉



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