シュレディンガーの
twitlongerにて掲載。フォロワーさんからお題を頂き作りました。
【お題】
優しい人外、宇宙人、S字フック、発電所
ぶうううん、と低い振動が世界を揺らす。
クマバチの羽音にも似たそれは、発電所の目覚めを思わせる。駆動するモーター、回転を上げる歯車、動き出す舞台装置。何かが始まる予感めいた気配に飲み込まれる。
室内にいても感じる不穏な響きと微かな振動に気を張りつめる。棚の食器はかたかたと怯え、こちらも身動きせずに息を潜める。
しばらくすると、きりきりきり、とリールを巻き上げる音と共に異変は切り上げられ、日常が戻ってくる。
「釣られたか」
「遠いな。声が聞こえなかった」
浦部は何でもないように返す。窓の外にぼんやりと広がる灰色の空は何もなかった顔をしているし、ベランダに出て見下ろす道路には人はおろか車の影さえない。町そのものがだんまりを決め込んだような、恐ろしく静かな世界だ。
数ヶ月前の世紀末染みた混乱が悪い冗談に思える。慣れてしまえばなんて事はない。悪足掻きの意味のなさに気づき、嵐が過ぎ去るのを待ち家の中でじっとしているのか、地上を捨て地下に潜っただけかもしれないが。
「後藤、来ないな」
独り言のように呟く浦部の言葉を、聞こえなかったことにしスマートフォンを弄ぶ。これから帰る。やはり、そのメッセージを最後に後藤からの連絡は途絶えたままだ。俺と浦部の二人きりになったシェアハウスには、生活のそこかしこに不在の影が色濃く付きまとう。お互いに口には出さないが、恐らくは釣られたのだろう。
空から降りてくる釣り針が人間を連れ去る。そんな噂がはっきりとした現実と示されたのが数ヶ月前のことだ。
何の変哲もない朝のニュース番組の天気予報だった。リポーターが屋外で予想図を元に季節のトピックを紹介している最中、低く不気味な重低音がテレビに流れた。中継クルーが異変の正体を探っているときにカメラが捕らえた物を、視聴者は俄には信じられなかっただろう。
釣り糸と表現するの相応しかった。天からまっすぐに垂れる糸は、リポーターの後ろ襟に針を掛けると、きりきりきりと音を立てて空へ戻っていく。その姿は、S字フックを先に付けたこよりで釣り上げられる水風船を連想させた。慌てて暴れたリポーターは2、3メートル上がった地点で落ち、軽い打撲で済んだ。その後カメラも急いで釣り針の行方を追ったが、すぐに空に溶け込み見えなくなった。
放送は動画サイトやSNSで拡散され、誰もがこの一連の出来事が「釣り」じゃないと知るのに時間はかからなかった。
「上に何がいると思うよ」
ベランダから見上げた、白い雲で覆われた上空に人差し指を立てる。彼方からやってくる誘拐者の正体は、あれから数ヶ月たった今でも謎だった。衛生やドローンでの度重なる調査でも上空には何も見つからず、未知なる存在の解明は身の安全を守る地下シェルター確保などへと移行していた。
「宇宙人じゃね? アブダクションするし」
「だったら、釣り針なんか効率悪いしUFOで吸い上げるだろ?」
「それこそ映画の見すぎ。アダムスキー型とか想像してるっしょ」
まさにSF映画を頭に浮かべていたので、思わず黙ってしまう。俺の反応を楽しむように少し笑い、先程の揺れで落ちた物を拾い上げる。
「例えば、宇宙人自体がもの凄く大きくて、人間はアリ程度だから潰さないように釣り上げた方が生け捕りにできるとか。それで、別の惑星に移住させたり」
「それだと、あいつらの言う神様みたいだな」
釣り針が現れてすぐだったはずだ。とある宗教団体が教祖と幹部、信者たちが屋外で会合を行った。教祖が言うには、神に守られている我々が釣られるなどあり得ないと言うのだ。
しかし、だ。教祖が信者たちに神の存在を説いている最中に、釣られた。白い衣を靡かせながら天へと昇る姿は、さぞ神々しかっただろう。
その日からだ。教祖は神に招かれた、天からの招きは神の救いであると幹部は教義の方針を変え、自ら釣られることを望み信者たちは神に招かれた教祖を崇めているそうだ。
「逞しいよな。教祖が消えたってのに」
「こんな世の中だからこそ、むしろ救いにも思えるんだろうさ」
正直、いつ誰が釣られても不思議ではなかった。初めは外に出なければ狙われないと思われていたが、大型デパートが建物ごと釣られたのを皮切りにその安心は消え失せた。今は急ピッチで地下居住区を作っているそうだが、一般市民が使えるようになるのは遙か未来になりそうだ。
いつ釣られるか分からない不安を抱えるくらいなら、と外に出て天の救いに縋る気持ちは分からなくもなかった。
「江角はどう思ってんの?」
「俺はゲームじゃないかって。金魚掬いとかUFOキャッチャーみたいな」
「釣られたら外の世界に出られるのか? ペットとして飼われるって可能性もあるけど」
言いながら、懐かしいなと浦部はこぼす。そこでようやく、どちらも三人でよく見た映画の話だったと気づく。
「あのさ、浦部」
「俺、もう行くわ」
遮るように、浦部はリュックを背負い立ち上がる。何かを決心した表情が俺の胸を締め付ける。
「止めとけよ。命の保証もないし、後藤だって生きてるかだって」
「死んだとも決まってないだろ」
あまりにはっきりとした言葉に、何も言えなかった。釣られてから地上に戻ってきた者はいない。宇宙人に解剖されてしまったのか、神に選ばれ極楽から帰りたくなくないのか、優しい人外に大切に飼われているのかは分からない。それを分かった上で、浦部は行くというのならもう止めようがない。
「後藤が生きてるか死んでるか、空の上に何がいるか。自分の目で確かめるまでは納得いかないからさ」
後は頼んだ。
鍵を俺に渡し、浦部は玄関を出た。引き留めもできず、俺は後ろ姿を見送るしかなかった。
バタンと音を立てドアが閉まれば一人きりの部屋はしんと静まり返り、冷蔵庫の呻きがはっきりと聞こえる。
くだらない話で盛り上がり、映画を見ながら語り合ったあの部屋とは別物みたいだ。
主人公になどなれるはずがないと思って生きてきた。所詮、脇役として何も残せず死んでいくのだろうと。未知なる存在に人が釣られるこの状況でも、自分には何も起きずに過ごすのだと信じ切っていた。
灰色の町へと踏み出した浦部の背中を思い出す。
本当にこれでいいのか?このまま浦部までいなくなって後悔はしないのか?
問いかける自分の声は、耳を塞いだ所で消えるはずがない。
気がつけば部屋中のコンセントを抜き、ブレーカーを落としていた。
「待ってくれ、俺も行く!」
部屋を飛び出した俺を笑うように、空が不気味に唸りを上げ始めていた。
〈了〉




